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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
33.風向きを操る扇子〈ガアプ〉

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後編

 遥か昔の時代、この場所は不毛の大地と呼ばれていた。旧鼠きゅうそというネズミの妖が、この地を支配していたからだ。僅かな実りは瞬く間に食い荒らされ、時には人まで襲われる。そんな状況の下、人々は苦しみ喘いでいた。

 そこへ現れたのが霊験あらたかな蛇の女神であった。旧鼠の親玉と、その一族を根絶やしにすると、人々に実り豊かな黄金の地──すなわち豊穣を約束し、それを実現させてみせた。人々は女神を崇拝し、彼女の求めるものを何でも用意しようと申し出た。

 そして、選ばれたのが、〈赤い花〉の供物だった。


 定休日、私は町の図書館を訪れていた。学生の時以来、足を運ぶ機会がなかったけれど、久しぶりに訪れてみると懐かしさに出迎えられた。

 そういえば、母が生きていた頃は一緒に来たことも何度かあった。あの頃が少し懐かしい。そんな恋しさを感じながら向かった先は郷土資料のコーナーだった。

 正直に言えば、あまり注目したことがなかった。でも、もしかしたら、と、郷土の昔話集などを読み漁ってみれば、期待した通り、霊の語った昔話は見つかった。


 かつて人々に豊穣を約束したという蛇の女神。伝説上のみの存在と思いたいところだが、私は恐らく、というか絶対、本物の彼女に会った事がある。その時に助けてくれたのが百花魁だった。あの時もし、誰も助けてくれなかったら、私はどうなっていたのだろう。その答えは、昔話からは見つからない。ただ、ヒントとなるだろう事といえば、蛇の女神が求めた供物たちのその後だった。

 本の内容によれば、この地は供物たちの犠牲により、長きに渡り、豊かな時代が続いていった。だが、ある時、白狐の神々が異国より渡ってきた。彼らは供物たちの悲鳴に心を痛め、力を貸すことにした。そして、それが蛇神時代の終わりとなった。

 そして注釈によれば、実際にこの地で人身御供の奇習があり、それがある時代より廃止されたという記録があることが説明されていた。


 それではやっぱり、あの時の私は危なかった。誰も来なければ、あのまま食べられていたのだろう。百花魁が睨みをきかせていなければ、私の犠牲が蛇神に力を与えてしまっていたかもしれない。

 結局は、簪の〈サロス〉の力を味方につけた百花魁相手に何も出来ず、弱々しい蛇の姿で去っていった彼女だけれど、警戒すべきは蛇神本人だけではない。今も蛇神時代の再来を求める者たちがいる。だからこそ、白妙は頭を悩ませている。

 蛇神を崇拝する七歩蛇の狙いは、〈赤い花〉を再び彼女に捧げる事。だからこそ、白妙はこの地にまだ咲く全ての〈赤い花〉を管理しようとしている。再び蛇の力がこの地を支配しないよう、とにかく新鮮な〈赤い花〉の血肉が彼女の手に渡らない事を求めている。


 ──そして、その為ならば、手段を選ばない。


 どうして、新たな時代を受け入れなかった人がいるのか。それについても少しは理解できた。白妙のやり方はあまりに強引であるし、実際に蛇神の時代と違って不作の時は来た。そこに不満を抱く者はどうしても現れるのだろう。そして悲しい事に、〈赤い花〉の犠牲は、その心臓を持たずに生まれてきた者にとっては結局のところ他人事でしかない。

 勿論、そうであっても避けるべきと考える人は多いだろう。しかし、そうじゃない人もいる。〈赤い花〉が犠牲になるだけで皆が助かるのならば、と、考える人だっているのだろう。

 勿論、その声に賛同することなんて出来ない。私は〈赤い花〉だから。けれど、だからと言って、白妙の方針に従う事も出来ない。


 ──飛蝗さん……私はどうしたらいいんでしょうか。


 雛芥子のことを、どう捉えればいいのだろう。もやもやした心を少しでも整理したくて足を運んだわけだけれど、考えても、考えても、気持ちはまとまらなかった。

 そんな時だった。


「お勉強?」


 間近でそっと声をかけられ、びくりとしてしまった。

 香りがする。梅の香りだ。振り返れば、思って通りの人物がそこにいた。


「百さん……奇遇ですね」


 声を潜めて答えると、彼女は目を細め私の隣に腰かけた。知り合って長いけれど、いつもと違って人間の姿をした彼女には今でも慣れていない。

 その白い手が触れそうになると、尚更緊張してしまった。百花魁にも緊張は伝わっただろう。だが、全く気に留める様子もなく、私の読んでいた本の表紙を静かに撫でた。


「郷土の昔話、ね」


 視線を向けられ、思わず俯いてしまった。


「〈ガアプ〉の事を、霊さんから詳しく聞いて……その……」

「姫檜扇の事を調べたかったのね。それなら、白妙の家に行けばすぐに調べられるわ。それか、私の家へおいでなさい。じっくり教えてあげるわ。相応の対価と引き換えに、だけど」


 そっと手を重ねられ、私は息を飲んだ。心が揺らいでいる。知りたいという願望だけではないだろう。〈赤い花〉が、百花魁の求めるような眼差しに反応してしまっているのだ。霊が理想の主人であるように、彼女もまた私の性を正しく理解できるだろう人物に違いない。──でも、そんな彼女の誘いに応じるわけにはいかなかった。


「せっかくのお誘いですけれど──」


 と、重ねられた手をそっと引っ込めると、百花魁は苦笑を浮かべた。


「従順な人ね。ご主人様を怒らせるのが怖いの?」

「私はただ、霊さんを裏切りたくないんです。それは怖いからではありません」

「愛しているってわけ……可愛い人」


 静かに言われ、私はたまらず目を逸らした。百花魁の面白がるような眼差しにさえ、〈赤い花〉は喜んでいるのだろう。

 けれど、魔女の性が満たされる事と、私の心が満たされる事は、必ずしも一致しないらしい。私にだってプライドというものはある。たまには強がりたくなるものだし、時には〈赤い花〉の声を抑え込んでまで抵抗したくなるものなのだろう。

 だから、だろう。


「それよりも、百さん」


 と、私はいつになく強気に、百花魁に向き合ったのだった。


「話し合いはどうなったんですか?」


 その問いに、百花魁はしばし黙り込んだ。だが、その表情をちらりと窺うと、やがて彼女はため息交じりに答えた。言葉を探っているのだろうか。小声だが、きちんと、私に聞こえるように教えてくれた。


「安心なさい。雛芥子の命は守られるわ」

「あの場所から解放してくれるんですか?」

「いいえ、そうではない」


 百花魁は即答し、再び黙り込んだ。私はその横顔を見つめながら、自分の無力さを思い知った。こういう時、力のある魔女ならば魔術を駆使して聞き出すことも出来るのだろう。或いは、心を読むことだって。けれど、百花魁の心は読めそうになかった。


 ──もっと〈アスタロト〉に聞いておくんだった。


 密かに後悔していると、百花魁は再び口を開いた。


「私が言えるのは、あの人は飢えずに済むという事だけ。私が老いて死んだ後も、今のままならばあの人は年も取らずに生き残るでしょう。だから、雛芥子の事は心配しなくていい。それよりも、幽ちゃん。今は自分の事を心配した方がいいわ」

「わ、私の、ですか?」


 思いがけぬ忠告に、思わず戸惑ってしまった。そんな私の反応に百花魁は満足しつつも、どこか真剣な表情で囁いてきた。


「白妙のお家で、あなたの名前も出た。あなたの扱いを巡って意見が分かれているそうよ。曼珠沙華に、そしてあの吸血鬼に任せていいものなのかって」

「……私は」


 言い返すべき言葉がとっさに出てこなかった。そんな時だった。


「その話、詳しくお聞かせいただける?」


 すっと私と百花魁の間に別の手が割り込んできた。見れば、いつの間にか私たちの背後に、もう一人の人物がいた。


「れ、霊さん?」

「あらまあ、霊様。今日も綺麗ね」


 百花魁が微笑みつつ、そっと体を退ける。霊はそのまま割り込んでくると、百花魁を睨みつけながら、声を潜めた。


「聞こえなかった? 今の話を詳しく教えて」


 だが、百花魁が微笑みながら口元を手で覆った。


「残念だけれど、こちらの時間切れよ。〈ガアプ〉の件でお世話になったお礼は、後日改めてお伺いいたしましょう。その際に改めて話せたらいいわね」

「百花姐さん……」


 引き留めるように霊がその名を呼ぶ。だが、百花魁はそれっきり、くるりと背を向け、あっさりと立ち去ってしまった。しばし二人でその背中を見送っていると、やがて霊は大きくため息を吐くと、こちらに背を向けたまま、先程まで百花魁が座っていた椅子に腰かけた。

 沈黙が続く。何となくこのままじゃいけない気がして、私はそっと声をかけた。


「……霊さん。よくここが分かりましたね」


 図書館に行くとは伝えていなかった。ただ単に、散歩をしてくるとだけ。


「気配を辿ったの。あなたが何処へ行こうとすぐに分かるんだから」


 そう言って、霊はようやく振り返ってくれた。そして、私の手元にちらりと視線を向けると、呟くように問いかけてきた。


「姫檜扇の事を調べていたの?」

「……はい。自分の中での考えをまとめたくて」

「そう。それで、まとまった?」

「──分かりません」


 我ながら曖昧な答えだった。しかし、霊は咎めるようなこともせず、私を見つめると、頬にそっと手を添えてきた。


「無理にまとめなくてもいいのよ。今日はもう帰りましょう。せっかくの休みだもの」

「私は、大丈夫ですよ」


 すぐにそう言ったが、霊は少し不満そうな表情を見せて、言い返してきた。


「私が大丈夫じゃないの」

「え?」

「久しぶりにお昼ご飯をたくさん貰えると思っていたのに……」


 いじけるように霊は言った。そういえば、散歩に行くと言って家を出たのがお昼前。それから数時間経ち、お昼の時間はとっくに過ぎている。


「ごめんなさい、お腹空いていたんですね?」


 霊はこくりと頷いた。となれば、これ以上、外にいるわけにはいかない。すぐに本を棚に戻し、借りられる分は借りて、足早に図書館を後にすると、霊の機嫌は少しだけ戻ったようだった。


「──にしても、焦ったわ。あのキツネが一緒だなんて」

「言っておくけれど、偶然ですよ?」

「ええ、勿論。そうじゃなかったら、お仕置をお預けにするところだったわ」


 ──お仕置をお預けに……!


 私にとっては由々しき事態である。そうならなくて、本当に良かった。


「どうやら、鑢で削らなくてはいけない場所は、そのお手々だけみたいだし、安心したわ。……安心したけれど、気になるわね」

「白妙の……話ですね」

「あなたの扱いを巡る意見の対立。どうやら、白妙の一部の人にとって私は信頼できる主人とは言えないようね」

「私……どうなっちゃうんでしょう」

「それは分からないわ。〈エリゴール〉や〈アスモデウス〉みたいに、強硬手段に出る可能性もあるけれど、曼珠沙華との話がうまくまとまる可能性もある。腹立たしいけれど、一度、百花姐さんの機嫌を取る方がいいのかもしれないわね」

「機嫌を……取る?」


 どのように、と、問うのが少し怖かった。疑うまでもなく百花魁はいつも霊に対してあらぬ視線を送っている。あまり深くは聞きたくない事だけれど、百花魁への対価として霊が自分の身を捧げた事もあるという。勿論、昔の事は仕方がない。出会う前の事などは。だが、今は困る。だって、今は、私の主人なのだから。


「霊さん、浮気は駄目ですよ?」


 思わずそう言うと、霊は流し目でこちらを振り返ってきた。


「あらあら、嫉妬しているの? 言っておくけれど、私は仕事のためならば、狸とだって寝るような女よ。諦めなさい」

「でも駄目です。特に百さんとは」


 勿論、霊がそういう人だというのは主従関係になった当初から分かっていた。その事については、当初から諦めているつもりだった。だから、自分でも、どうしてそんなに嫉妬してしまうのか分からない。しかし、百花魁だけは怖かったのだ。本当に、霊の全てを取られてしまうような気がしてしまって。


「──お願いです」


 そんな私の訴えが、少しは伝わったのだろうか。


「……仕方ないわねえ」


 霊は渋々ながらそう言った。


「それじゃ、代わりに夕顔屋の油揚げでも買って行こうかしら」

「……はあ、よかった」


 ──ていうか、やっぱり手段として考えていたんだ。危うく、主人を取られるところだったと冷や冷やしていると、霊は私の顔をじっと見つめてきた。


「幽、あなたって、時々〈ガアプ〉みたいな力を使うのね」

「どういう事です?」

「──教えてあげない」


 空腹もあったのだろう。霊はどこか不機嫌そうにそう言った。けれど、さり気なく伸ばされたその手を握ると、強い力で握り返された。温もりを感じながら共に家へと帰る道すがら、不穏な状況ながらも、私は少しの間、今の幸せを噛みしめる事が出来た。

 これも、風を操る扇子〈ガアプ〉がもたらしてくれた”今というもの”なのだろう。そう思うと、〈ガアプ〉に感謝せずにはいられなかった。

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