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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
32.完璧なフォトアルバム〈アスモデウス〉

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前編

 ──写真とは思い出をそのまま閉じ込めた代物である。


 それは、昔読んだ本に出てきた言葉だった。何の本だったのかは思い出せないのだけれど、その言葉だけが印象深くて、事あるごとに思い出してしまう。

 今日もまたそうだった。

 営業時間内の昼下がり。蘭花のテーブルの上で、小さな前足を器用に動かしながら、えんじ色のアルバムを捲る黒猫が一匹。

 黙ったままじっと見つめるのはその中に収められたスナップ写真たちだ。撮影者はすでにこの世にはいない。しかし、彼女が目にした思い出は、今もずっとあのアルバムの中に残されている。


 〈アスモデウス〉と名付けられたあのアルバム自体、曰く付きである。愛着を持つのは、収められた写真自体に思い入れがある者とは限らない。一度捲れば中に収められている作品の、その完璧な構成に、誰もが目を奪われてしまうのだ。

 その評価はともすれば過大評価かもしれない。だが、それを冷静に判断する能力も、このアルバムの前には霞んでしまうのだという。


 撮影者の名は千景。その界隈では有名な女性写真家で、彼女が駆け出しの頃に愛用したという二眼レフカメラ〈エリゴール〉は、あのアルバムと共にこの店に保管されている。

 危険度はそう高くないが、人の世を乱しかねない古物として、曼殊沙華の家を通して預かった形になるのだが、その依頼主こそが、今、蘭花のテーブルで写真を眺めて思い出に浸っているあの黒猫ヤヤ子であった。

 いつもは猫らしく気ままに暮らしている彼女だが、突然ふらりと遊びに来ては、ああやってアルバムを眺めて感傷に浸る事も多い。

 ああいう時は、話しかけてもろくに反応はないので、いつもは構い気味な我が主人──霊も私の隣で新聞なんかを読んで静かに過ごしている。

 聞こえてくるのは背後に置かれたラジオの音声と、ヤヤ子が捲るアルバムや、霊が捲る新聞紙の音くらいのもの。心細くなってくるほどに、静かだった。


 と、その時、アルバムに夢中になっていたヤヤ子が顔を上げた。しばらくじっと一方を見つめたかと思うと、突然、アルバムを閉じてしまい、その上に乗っかって香箱座りを始めた。

 どうしたの、と、思わず声をかけようとしたその時、私もまた遅れながら異変に気付いた。

 店の外の事だ。眩しいほどにいい天気にも関わらず、パラパラと雨が降り出したのだ。天気雨。またの名を──。


「キツネの嫁入り……」


 ヤヤ子が呟くと同時に、霊が不機嫌そうに溜息をついた。

 明らかに望まれていないものの、通りでは人影が現れる。番傘を差した雅な女性のその姿。背の高い女性に違いない彼女は、この店の前で立ち止まると、傘を閉じて店の扉を開けた。そして、ぱたりと扉を閉めると同時に、その姿は一気に縮まった。


「ごめんください」


 女性の声で色気たっぷりにそう言ったのは、人型のキツネ。百花魁だ。


「……百さん、お久しぶりです」


 声が震えてしまったのも無理はない。本当に久しぶりだった。姿を目にした事自体、いつ以来だろう。よもや、あの〈グラシャラボラス〉を無断使用した時以来ではないだろうか。

 ちなみに応対したのは私だけだ。店主たる霊は新聞を手にしたままそっぽを向いてしまった。

 非常に居たたまれない。それでも、百花魁は全く動じていない。そんな霊の態度すらも喜ぶように笑うと、一歩進んで段差をあがった。そして、その目をふと蘭花のテーブルへ向けたのだった。


「あら、可愛い先客がいたのね。お久しぶり、ヤヤちゃん」


 百花魁は笑いかけるも、ヤヤ子はすぐに答えなかった。代わりに答えたのはその尻尾。明らかに怒っていることが分かるほど、ブンッブンッと大きく左右に揺れた。


「百花姐さん」


 ヤヤ子が何も言わないうちに、霊がようやく口を開いた。


「用があるのなら、さっさと話して。特にないのなら帰ってもらいます」

「あらあら、カッカしちゃって。そう怖がらなくても大丈夫よ。あなた達に害があるようなら、私はここに立ち入れないはず。そうでしょう、霊様?」


 キツネの顔でにっこり笑う百花魁を、霊は新聞の影からちらりと窺った。そして、目を合わせることなく、霊はその人差し指でカウンターを軽く叩いた。


「いいわ。それなら、さっさと伺いましょう。どうぞこちらへ」


 だが、百花魁は軽く首を振り、そのまま蘭花のテーブルへと向かった。


「せっかくだからこちらに座らせてもらうわ。ねえ、ヤヤちゃん」


 ヤヤ子は何も言わない。

 ただ、香箱座りを崩し、前脚でアルバムをぎゅっと掴むような体勢をとった。イカ耳になる彼女を前に、百花魁は呟いた。


「嫌われたものね。でも、いいわ。今回の話は、この子のお耳にも入れておいた方がいいの。分かるわね、霊様」


 その目つき、その声色に、霊の顔つきが変わった。無言のまま立ち上がると、霊は持っていた新聞を私へと手渡して、小声で言った。


「ここから離れないで」


 ステイと言われた犬のように、私は姿勢を正し、見送った。

 霊が蘭花のテーブルに同席する。対面し合う二人をヤヤ子は見比べながら、大きくため息を吐いた。尻尾をブンブン振りながら、彼女は恨めしそうに呟いた。


「……せっかくの気分が台無しだ」


 心底腹立たしそうな表情だった。

 我が主はともかく、ヤヤ子が百花魁に対してこんな態度を取るのには訳がある。二眼レフカメラ〈エリゴール〉の一件以来、はっきりしたことがあるからだ。

 どうやら白妙は、千景の遺品であるカメラとアルバムの扱いを巡って、曼殊沙華と対立しているらしい。事と次第によっては協力し合う両者ではあるが、それは飽く迄も両者の判断が一致した時のみの話。〈エリゴール〉と〈アスモデウス〉については、白妙的にはここで管理するよりも相応しい扱いがあるとのことだ。

 だから、だろう。ヤヤ子は白妙の事を嫌っている。

 そもそも、この二つがここに保管される運びとなった際も、ヤヤ子の周囲には怪しい影があった。今思えばあれも白妙絡みだったのではないかと疑心暗鬼になってしまったらしい。

 その疑いは、当然ながら白妙の血を引く百花魁にも向けられる。彼女がどのようなつもりで来たかにも関わらず、ヤヤ子の警戒はそう簡単に解けないだろう。


「そう怒らないで、ヤヤちゃん。私が何かしようって事じゃないのだから」

「話して」


 霊に促され、百花魁は頷いた。


「お察しでしょうけれど、ここへ来たのは白妙の動きをあなたに伝えるためよ。その〈アスモデウス〉を巡ってのお話ね」

「〈エリゴール〉の時と同じ?」


 霊が訊ねると、ヤヤ子は悲しそうに俯いた。

 その姿を横目に、百花魁は頷いた。


「ええ、だいたい同じよ。彼らは〈アスモデウス〉もまた世に出すべきと結論付けている。あの時と同じく、偽狐を使う予定よ。白妙は直接盗めないの。この店の守りを破れないからね。けれど、どうやらまた都合のいい駒が見つかったみたい。魔の血を引かないお猿さんなら、結界への恐怖にも無頓着ですもの」


 他人事のように語る百花魁を前に、霊はやや俯いた。


「相変わらず、恐ろしい人たちね。恐怖はなくたって、〈デカラビア〉に守られたこの場所で私たちに牙を剥くような事をしようものなら、恐ろしい不幸に見舞われてもおかしくはない。偽狐だってそれは同じ。入り込めたとしても、無事でいられるとは限らないというのに、彼らの魔の世界への無知を利用して捨て駒のようにするなんて」

「それが私の実家……白妙だもの」


 百花魁は静かに言った。


「蛇神の統治を終わらせ、生贄を解放したことで、この地を新たに治めるための決まりが必要になった。これまでは〈赤い花〉の一族にのみ負わせていた犠牲を、この地の皆で負担するためには、時に少数の犠牲は仕方ないのだと」

「何度聞いても解せない主張ね」


 霊はごく落ち着いた声でそう言った。

 そんな彼女に対し、百花魁は静かに笑ってみせた。


「そのように思う者は少なくないわ。蛇ノ目だってそう。新しい時代を受け入れ、生きている者も多い。けれど、中には身近な者が新たな時代の犠牲となり、むしろ蛇神信仰へと傾倒していった者もいる。そして、そんな者が現れるたびに、白妙はこの町の平穏のために厳しい姿勢をますます取るようになっていく。時にはこの私が眉を顰めるような判断が下される事だってある」

「……それで、今回もわざわざ忠告しに来たってわけ」

「まあ、そういうところかもね」


 キツネの顔のまま百花魁は微笑む。一方の霊の表情は険しいままだ。そんな二人を見比べていたヤヤ子が声をあげた。


「ひゃく……何とかと言ったか」


 じっと猫の目で百花魁の顔を見つめ、ヤヤ子は訊ねた。


「教えてくれ。何故、千景の遺品は没収されなければならないのだ。人の世を乱すものであるのならば、ここで厳重に管理され、眠っている方がいいのではないのか?」

「白妙の代表に言わせれば、それこそが良くないようよ」


 百花魁は答えた。


「〈エリゴール〉も〈アスモデウス〉も、常に世間の称賛を求めているの。誰かに評価され、誰かに求められたがっている。だから、世間に注目された方がいい。今回の〈アスモデウス〉もそうよ。そこに収められているのは、駆け出しの頃の千景の撮ったスナップ写真。今もカルト的人気のある彼女の遺品には高い価値がある。ひと目見たいと希望する人は多いし、滅多に拝めないそれらを我が物にしたいコレクターだって珍しくはない。そして、そういう人に求められてこそ、〈アスモデウス〉は欲を満たすことが出来る」

「曼殊沙華の代表に言わせれば、それこそが良くないこと」


 透かさず霊が口を挟んだ。


「確かに彼らは世間の称賛を求めているかもしれない。ただし、それは絶対に必要なことじゃない。その欲求を満たすことで、必ず誰かが不幸になる。千景の最期が悲劇的であったように、第二、第三の千景が生まれるかもしれない。だから、彼らはここにいた方がいい。ここで、小さな化け猫の思い出の品として存在し続けた方がいい」


 それが、曼殊沙華の代表である雷様の判断らしい。その判断はヤヤ子の希望と合致した。だから、この店もヤヤ子の希望に沿う形で古物を護ってきた。これまでも、これからも。


「平行線ね」


 百花魁は言った。


「ここで小さな化け猫の思い出の品として存在させるよりも、世に出し、欲深い人のコレクションにしてしまう方が、この町にとっては良い結果がもたらされるだろう。それが、この地の守り神でもあった白妙のお告げよ」


 互いに譲らないという事なのだろう。

 だが、すぐに百花魁は表情を変え、付け加えるように言った。


「言っておくけれど、私はどっちでもいいの。ただ白妙はそう思っているというだけの事。そうじゃなければ、わざわざここへ忠告しには来ないもの」


 扇子を取り出して軽く仰ぎ始める百花魁を見つめ、ヤヤ子は項垂れた。悲しそうに尻尾を垂らし、ぽつりと呟く。


「難しい事なんて私には分からない。どうして白妙がそう判断しているのか。従わねば、どんな影響があるのかも。だけど、これは……このアルバムは、私にとって大事なものなんだ。日に日に薄れゆく千景との思い出を繋ぎとめるための大事な──」


 そのままヤヤ子は言葉を詰まらせる。

 涙は流れていない。ただじっと一点を見つめている。それでも私には、ヤヤ子が泣いているように見えて仕方なかった。

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