後編
メダイの件のことで朝が店に訪問したのは、私の体中に出来た傷のうち浅いものが癒えた頃のことだった。
蘭花のテーブルに着くなり、彼女はやや身を乗り出して霊に訊ねた。
「それで、どうだったんですか?」
対する霊は実に落ち着いた様子で、返却するメダイを朝に見せながら言った。
「まずはご安心ください。このメダイ、確かに不思議な力はありますが、決して悪いものではないみたいです」
すると、朝はホッとしたように体の力を抜いた。
「……よかった」
すっかり脱力してから、我に返ったように蘭花のテーブルに座りなおすと、決まりの悪そうな顔で私たちに苦笑を向けてきた。
「すみません。預けてからもずっと気になっていたものですから。おまけに、いつになったら返してくれるんだって妹にも咎められてしまって」
「そうでしたか。他の生徒の皆さんにも悪影響を及ぼしませんので、今日中に妹さんに返してあげても問題ありませんよ」
霊の言葉に朝は心底安心したようだった。そして、メダイを受け取ると、丁寧に鞄にしまってから、彼女は言った。
「神経質になっていたのかもしれませんね。何しろ、このデザインのメダイは、私にとっても懐かしいものだったので」
「懐かしい?」
端から思わず問い返す私に、朝は軽く頷いてから続けた。
「これと同じものをこのお店で預かってらっしゃるのでしたよね。私の親友だった夕が最後まで身に着けていたはずの遺品。実はあれを彼女にあげたのは、私なんです」
そう言って、朝はそっと鞄の中を漁り、あるものを取り出した。メダイだ。小さなケースにしまわれたそれを蘭花のテーブルに置いた。水色のメダイではない。対照的なオレンジ色のものだった。
「綺麗な色ですよね。朝焼けにも、夕焼けにも見える色で。購買部で見かけた時、すでにメダイは持っていたけれど欲しくなって買おうとしたんです。でも、一つしかなくて、その前に並んでいた夕に先越されてしまって、思わず『あ……』って呟いてしまったら、後からわざわざ理由を聞いてくれて、それで交換しようかって言ってくれたんです。代わりに今付けているそれを頂戴よって言われて。それで、その水色のメダイを夕にあげたんです」
懐かしそうに朝は語り、そのまま俯いた。
「特にそのメダイが訳ありだったとか、そういうわけではないのですが、でも、夕にあんなことが起こって、あのメダイが行方不明って聞いてから、どうしても気にしてしまって」
そして、朝はさらに語り続けた。
心を突き刺すような強い悲しみに襲われても、時間の流れがその痛みと記憶を薄めていく。そのようにして、朝も段々と夕との思い出や、事件の関心が薄れていくのを感じていったという。メダイの噂が彼女の耳に入ったのは、そんな矢先のことだった。
「皆に愛されるという効能。それを聞いた時、私には、夕が忘れないで欲しいって言っているように思えてしまったんです。彼女は本当に皆から愛されるような人だったので」
何かを堪えるように深く溜め息を吐いてから、朝は続けた。
「事件に巻き込まれてしまったのも、それが故に、だったのでしょうか。下校中、彼と夕が親しく話しているところは何度も目にしたんです」
彼。その言葉に、霊は黙ったまま頷く。その様子を端から見て、私もまた静かに理解した。その人物は恐らく、あの事件の犯人なのだろう。
「何せお年頃だから、そういう関係なのかもって単純に思っていたんですが、彼女は言っていたんです。放っておけない人なんだって。真面目に心配しているようだったんです。何せ、美青年って言葉が良く似合う相手だったから、噂にもなっていたみたいなんですが、多分、夕は純粋に寄り添いたかったんだと思います」
ところが、その美青年こそが曲者だった。寄り添いたいという純粋な思いは、ある日突然、向けられたその相手によって打ち砕かれたのだ。
「目撃したのは、本当にたまたまだったんです。他には私しかいなくて、とにかく怖かった。凶器が何だったのかも、分からないまま。とにかく事件の事について聞かれた人に見たままに伝える事しか出来なかった。でも、段々と冷静になっていって、その相手があの青年で、現場からなくなっていたのがあのメダイだってことが分かった時、どうようもないほどの罪悪感が生まれたんです。私にどうか出来るような事じゃないって事は分かっていたのですが、彼との付き合いを止めなかった事とか、そのメダイがなくなった事に何か意味があったのだとしたら、そもそも彼女があのメダイ持っていなかったら、こんな事にならなかあったんじゃないかとか、色々考えちゃって……」
当時の事を思い出したのだろう。朝はぎゅっと目を瞑った。拳をしばらく握り締めると、落ち着いたように息を吐き、そして私たちに言った。
「すみません、長々と一方的に話してしまいましたね。何にせよ、メダイに問題がなくて良かったです。あの事件ももう解決したのだと聞きましたし、これで本当に、何も思い悩まなくていいはず、なんですよね」
朝の言葉に、霊は静かに、寄り添うように答えた。
「ええ、その通りですよ」
その後、朝が帰っていったあとで、私はふと霊に対して問いかけた。
「あの、霊さん。さっきの、朝さんの話なんですが」
「なあに? また地下送りにされたいの?」
「それは、まあ、その……へへ」
我ながら歯切れが悪すぎる。
こほんと咳払いをしてから、私は霊に切り出した。
「犠牲になったっていう夕さんが最後に関わっていたという美青年って、やっぱりあの人──雨さんの事なのでしょうか」
霊は私の顔をしばらく見つめ、そして俯いてから答えた。
「多分ね」
そしてすぐに付け加えた。
「というのも、私も詳しくは聞かされていないの。恐らく、朝さんもそうよ。朝さんが目にしたのは、本当に一部始終だったらしい。ただ状況的に、その美青年が夕さんを殺したとみて間違いないと思ったのですって。とはいえ、その時の目撃者は彼女しかいなかった。曼珠沙華の人たちが彼女から直接事情を聞けたのも、事件発生から少し経ってからだったみたいだから、曖昧な部分も多いの。記憶は何かに写しておかないと、日々少しずつ錆ついていくものですからね」
そう言ってから、霊は腕を組み、私へ視線を向けてきた。
「でも、それでいいと私は思うの。忘れてしまった方がいい事もあるのだと。全部を全部、細部まで覚え、認識し続けていたらキリがないでしょう。特に解決したとされるものについては、ざっくりと覚えておけばそれでいい。だから、この事件についての私の認識はこれだけ。昔、丘の上のリリウム教系の学校に通う生徒が吸血鬼に殺された。その時に紛失した遺品は、取り返されてここに保管されている。事件もすでに解決している」
淡々と言ってから、霊はそこに溜息を添えた。
「勿論、何も教えて貰えない時は不満や戸惑いだってある。犯人は雨だったのかどうか。違うとしたら、誰だったのか。でもね、私には私の立場があるの。知りたがりはこの世界では好まれない。もしも、曼珠沙華の人たちと敵対すれば、私は途端に立場を失う。危険な吸血鬼と判断されたならば、この仕事も出来なくなるでしょう。居場所を失った後の私に何が待ち受けているかは、今の私には想像も出来ないわ」
霊の言葉を受けて、私はさらに何も言えなくなった。
魔の血が彼女よりも薄いためだろうか。意識もまたそれだけ違うのかもしれない。それに、自覚も違うようだった。そこには生い立ちの差もあるかもしれないし、それだけに、私は、私自身の悩みが、子供染みたものに感じられてきたのだ。でも、そうだとしても、やっぱり納得するのが、諦めることが、難しい。胸につかえた、このもどかしさは、一体どうすればいいのだろう。
悩み続けていると、霊はさらに言った。
「いいこと、幽。知らなくていいという事はね、責任を負わなくていいという事でもある。それはつまり、あの事件の事で、腹違いのお兄さんのことで、あなたがそんな顔をしなくていいって事よ」
やや強い言葉に、私は我に返った。何かしら答えようとしたその口は、音もなく近づいてきた霊の人差し指で塞がれてしまう。黙らされたままじっと見つめる私の目を軽く睨み、霊は言ったのだった。
「あなたが思い悩んでいいのは、私の事だけ。分かった?」
その命令が、心臓を介して効いたのだろう。人差し指を離されると、私の心は鎖から解放されたかのように軽くなっていた。
その代わり、だろうか。私は胸の疼きを感じていた。全身の傷も同時に疼き、何かを期待してしまう。直接口に出す事が恥じらわれるその欲望に悶々としていると、いつの間にか流れていた涙を霊は指で拭い、そっと告げた。
「何だが小腹が空いてきたわね。おやつの時間にしようかしら」
甘えたがりの子犬のように見上げる事しか出来ない私に、霊は軽く口づけをしてから、あっさりと手を放してしまった。
「いいえ、やっぱりやめておきましょうか」
「そ、そんにゃ……」
情けない声で求める私に、にっこりと笑いかけ、霊は言った。
「その代わり、開店後をお楽しみに」




