前編
「これが危険なものかどうか確かめて欲しいのです」
そう言って妙齢の女性が差し出してきたのは、水色のメダイだった。リリウム教関連のアクセサリーであり、お守りみたいなものというざっくりとした認識は持っている代物だが、そんな事よりもギョッとしてしまったのは、そのデザインだった。
──これって。
見たことがある。というか、同じデザインのものがこの店にもある。その事は我が主人である霊も承知しているだろう。けれど、彼女の方はその驚きを微塵も表に出さずに、持ち込んできた女性に対してこう告げた。
「事情をお聞かせいただけますか、朝さん?」
朝。そう呼ばれた女性は落ち着いた様子で頷いた。私もまた心を落ち着けて、彼女の素性について把握することに集中した。
まず、オーラの色は青。海の聖獣リヴァイアサンの色だ。魔の血を持たぬ普通の人間であることがわかる。だが、二人の会話から察するに、朝はだいぶ前にこの店と深く関わった事があるらしい。それこそ、彼女が学生の頃とのことだから、私がここに来る数年前の事だ。
数年前。その時期を耳にして察した通り、彼女には暗い過去があるようだった。
「このメダイは少し年の離れた妹のものなんです。妹は私の母校に通っておりまして、楽しく過ごしているようなのですが、ある時、奇妙な話を耳にしたんです。購買部で販売しているメダイの一つが生徒の間で密やかに、けれど異様に人気らしいのだと。何でも、それを身に着けていると、誰からも愛される人になれるという話で、それがこのメダイだというのです」
そう言って、朝はカウンターに置かれたメダイを指し示した。
「全く同じデザインというのはあまりないので、水色の似たようなデザインが流行っているらしいのですが、その中でも効力が強いとされているのがコレらしくて、そのデザインを目にした時、ちょっと驚いてしまって……」
彼女の話を聞きながら、霊は軽く頷いた。
何故、驚いたのか。それもまた、二人の会話から私は察することになった。
「これってあの事件と関係しているのではないのでしょうか。そう思うと、心配になったんです。妹の事、後輩たちの事が。単なる噂ですし、気にしすぎかとも思ったのですが、考えれば考えるほど、怖くなったんです。これは危険なものではないのかどうかって」
「事情はよく分かりました。一旦お預かりしてもよろしいでしょうか」
霊の落ち着いた言葉に、朝は大きく肯いた。
「はい、それは勿論。妹からも承諾を取っておりますので、ぜひとも、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるその姿には切実さばかりが込められていた。
それにしても、心がざわついてしまう。リリウム教関連の代物への苦手意識というものはだいぶ薄れてきたのだが、この度はそれが理由ではない。恐らく朝と同じ理由で、私もまたこのメダイのデザインに驚いてしまったからだ。
しかし、その驚きは、また別の驚きで上書きされてしまった。それは、朝がこの店を去ろうとした時に口走った言葉がきっかけだった。
「それでは、霊さん。重ね重ねになりますが、よろしくお願いいたします。そのメダイが母校の生徒たちをユウのような目に遭わせないものでありますように」
ユウ。その名前が、私の心に突き刺さった。
朝が帰ってしまうと、霊はさっそく虫眼鏡の〈ピュルサン〉を使ってメダイの鑑定を始めた。その様子を見守っていると、程なくして彼女は言った。
「──確かに、このメダイは少しおかしいわね」
「どうおかしいんですか?」
「朝さんが言っていた通りよ。奇妙な力がまとわりついている。その力は奇しくも、うちにある〈フォルネウス〉と同じね」
その名前を聞いて、私はますます困惑した。
〈フォルネウス〉というのは、この店の中で半永久的に預かられている古物のことだ。ランクはDで危険性は殆どないとされているが、所有権は別の人にあるため、厳重に管理されている。というのも、〈フォルネウス〉は故人の遺品でもあるのだ。そして、それこそが今ここで鑑定されている水色のメダイと全く同じデザインのもの。霊と私が出会うきっかけになった代物でもある。
「悪いけれど、幽。〈フォルネウス〉を持ってきてくれる?」
「は、はい、分かりました」
命じられるままに、私は慌てて〈フォルネウス〉を取りに行った。危険性の高いランクの古物と同じく倉庫に預かられている。別の名前を持つロザリオと並べて置かれているそれを見つけ、手に取った時、私はふと朝が去り際に口にした名前を思い出した。
──ユウ。
その名前を思い浮かべたまま店に戻ると、〈フォルネウス〉を手渡すついでに、私はそっと霊に問いかけた。
「あの、霊さん。この〈フォルネウス〉の持ち主だった女の子の事なんですが……」
「少し待って」
短く言われ、私は大人しく口を噤んだ。
よく躾けられた素直な犬のようにしょんぼりしながら待っていると、霊は〈ピュルサン〉を片手に〈フォルネウス〉と預かったばかりのメダイを見比べて、ため息交じりに呟いた。
「なるほどね。同じ力を感じる。〈フォルネウス〉よりもだいぶ弱いけれど、同調していると言えばいいのかしら」
「それって、良くない事なのでしょうか?」
「そうね……そこまでは分からないわ。〈ピュルサン〉の限界ね」
「では、その、〈バルバトス〉の出番でしょうか」
今も倉庫で封印されている片眼鏡。見えなくていいものまで見えてしまうという強力な力を持つ古物だが、霊は首を振った。
「いいえ、危険を冒してまで〈バルバトス〉に頼るほどじゃない。それに、〈バルバトス〉では得られる情報が多すぎて、却って混乱してしまうかも」
「では、どうやって……」
「こういう時に役立つ都合のいい知り合いがいるじゃない。蛇ノ目の真さんに連絡するの」
都合のいい知り合い。実に可哀想な認識をされている事はともかく、霊がそう言うのなら、彼の目が解決してくれるのだろう。
「そうと決まれば、後で連絡しておきましょう。……それはそうと、幽。何の話?」
急に振られ、私は狼狽えつつも答えた。
「さっき、朝さんが言っていた名前の事で気になったんです」
「そう。やっぱり気になっちゃったのね」
霊は静かにそう言ってから、私に告げた。
「夕方の夕。そんな名前だったって聞いているわ。前にも言ったと思うけれど、素行の良い真面目な生徒だったのですって」
「では、朝さんはその夕さんの──」
「お友達よ。巻き込まれてしまった人でもある。夕さんが亡くなる一部始終を目撃してしまって、その為に曼珠沙華の人たちに情報提供することになったの。けれど、その時は犯人が誰なのかが分からないままだった。遺品の一部も盗まれたままだったから、あなたと一緒に取り戻したあの日までは、曼珠沙華の人たちに協力して貰っていたのよ」
「そうだったんですね……」
それは、私がこの店に来るより数年前の事だ。丘の上にあるリリウム教系の女子校に通っていた生徒が何者かに殺害された事件があった。しかし、その事件はあまり有名ではない。同じ町に暮らす、同じ年頃だった学生の私が知らないくらいには秘匿されていた。というのも、犯人がどうも人間ではなく吸血鬼だったからだという。
今のこのご時世、魔という存在は隠されるべきものとなっている。魔の血を継いで生まれた者は、その事を知らされずに生きるか、幼い頃からその事実を隠して生きるかのどちらかの道を歩んでいる。そして、魔としての本性に目覚めた者は監視対象となり、その本能に従って人間社会に混乱をもたらした場合は、ただちに排除されることになっている。
これは、人間をみだりに怖がらせ、自分たちの首を絞めないようにするための魔の世界の取り決めでもある。だから、かの少女の死についても、表立って騒がれていないのだ。
「あの日まで……ってことは、あの事件の真相は分かったんでしょうか」
何となく気になってそう言うと、霊はボソッと呟いた。
「そうね。でも、私は知らないの」
はぐらかされている。真っ先に思ったのはそんな不満だった。それを察したのか、霊はちらりと私を見やり、付け加えた。
「私もちゃんと聞かされてはいないの。曼珠沙華の人たちが私に期待しているのは古物たちの管理であって、それ以上でもそれ以下でもないから」
「そうだとしても、本当に私には知る権利すらないのでしょうか。だって、あの事件でメダイを隠し持っていた人は──」
言いかけて、私はそのまま口籠ってしまった。
脳裏に浮かぶのは、この店でかつて目にした人物の顔だった。その時は親しげだったその表情も、別の場所では大きく変わった。霊と同じ吸血鬼らしい赤い眼差し。そして、どことなく他人とは思えない顔立ち。
雨。その異母兄の事を、私は今でもたまに夢に見る。
「どうして知りたいの?」
鋭さのある霊の一言に、思わず心臓が反応してしまった。
咎めるようなその眼差しに、〈赤い花〉が涎を垂らしているのが分かってしまう。それでも、私はぐっと堪えた。ただ堪えるのに精一杯で、何も言えなかった。
黙ったままの私を見つめ、霊は溜息を吐いた。
「あなたがどう思っていようと、これだけは伝えておきましょう。あの事件の真相がどんなものであれ、あなたはただ巻き込まれただけ。犯人が何者であろうと、そこに父や異母兄が深く関わっていただろうと、それはあなたの責任ではない」
その言葉を受けても尚、顔を伏せたまま上げることが出来なかった。そんな私にそっと近づくと、霊は頬に手を添え、囁いてきた。
「もっと噛み砕いて言いましょうか。心配しすぎないで、幽。あなたが心配するべきことは、お仕事と私の朝晩のご飯の事だけ。分かった?」
じっと顔を覗き込まれ、私はようやく顔を上げた。命令ではあれども、そこに含まれる確かな愛が心地よく、私は黙ったまま頷いた。




