前編
「どうかよろしくお願いします」
そう言って頭を下げる依頼人の姿は、どう見ても体が透けていた。
いるのかいないのかよく分からないその男性。以前もこの店に同じような客人が来たことがある。そう、あれはアイアンメイデンや九尾の猫鞭といった代物が手元に来るという恐ろしい取引現場だった。
その時の売人であった彼女は異国の言葉を話していたが、今回の男性は我が国の言語である乙女椿語を話していた。見た目も乙女椿人だが、しかし透けているという一点で、彼がただの人間ではない事がはっきりと分かってしまう。
種族名は確か陽炎。こういう人たちが本物の幽霊と見間違われるのだろうか。などという疑問は、今はどうだっていい。仕事に集中しなければ。
彼の話を聞き、我が主人である霊が無言でカウンターに近づいた。そこに置かれている風呂敷を美しい所作で開けると、中からは古びた王冠が出てきた。それを見た霊は、ほんの少しだけ眉を顰めてから頷いた。
「話は聞いております。ですが、確認のため、あなたの口からもお聞かせください」
「はい……」
そう言って、半透明な彼──凪という名前らしい──は、緊張気味に額の汗を拭ってから語りだした。……汗かくんだとかいう驚きも今は心にしまっておこう。
「まず、この王冠の説明からいたしましょう。この王冠は被った者に威厳を授けるとされております。作られたのは、五百年ほど前のこと。〈神の手〉の心臓を持つとある魔人が、過去の名君の魂を蘇らさんと祈りを込めて生み出したのがこの王冠でした」
依頼したのが誰であり、生み出した魔人が何という人物なのか、それについては凪も分からないのだという。ただ、この王冠はとんだ曲者だった。
「やはり素晴らしい心臓をお持ちだったのでしょう。この王冠は製作者の願い通り、名君として知られる古代の王の魂が宿ったそうです。今より二千年ほど前にいたというその王は、名君であると同時に暴君でもありました。その為でしょう。この王冠は確かに被った者に威厳を与えるものとなりましたが、王冠の依頼主はこれを被って以降、比類なきカリスマ性と引き換えに残虐性にも目覚めてしまったそうです」
そして、その人物は短い生涯を終えることとなった。
社会的地位があがるにつれて恨みを買う事が増えていき、その事が理由で命を奪われてしまったのだという。
「遺された王冠は、全てを見届けていた製作者の助手──陽炎の一族の者が誰よりも先に拾ったとそうです」
以来、この王冠は、その後三百年ほどは静かに守られ続けたのだという。
もう二度と、誰にも被らせないように。
「ところが、ある時、この王冠の存在を知った者たちが複数現れました。ある者たちは、王冠の力を望んで交渉を持ち掛けてくるようになり、ある者たちは、この力を危険視してこの世からなくそうと交渉を持ち掛けてくるようになりました。前者は論外ですが、後者はその目的こそ我々と同じ。ですので、その場で渡そうかという話も出たといいます」
だが、そこに待ったをかけた人物がいた。
王冠を作った張本人である。
それは、依頼主の死からすでに三百年ほど経った頃の事だった。それでも製作者はまだ生きていた。魔人なのだから不思議ではない。私だって魔女の性の問題さえクリアしておけば、時を止めたまま過ごすことが出来るのだから。
「彼は言いました。『一度目覚めてしまった魂は、そう簡単に眠ってはくれない。自分の作ったこの王冠は引き金に過ぎない。壊したとしても、魂はあの世に戻らないだろう』と。それならどうなるのかとその場にいた陽炎の一人が訊ねると、彼は答えたそうです。『恐らく、この世の何処かにある別の王冠に宿るだろう』と。それが何処になるのかは、彼にも分からないと言ったそうです」
それでは管理すら出来なくなる。ということで、陽炎たちはこれを危険視する者たちの申し出も断った。ところが、それが長きに渡る厄介事の始まりだったという。
「王冠を危険視する人たちは、残念なことに陽炎たちの説明を理解してはくれませんでした。製作者がそう言っているのだといくら説明しても、その言葉を信じなかったのです。迷信だと思ったのでしょうし、その言葉が本当であるかどうかについては、陽炎たちは勿論、製作者である〈神の手〉の魔人にも分からなかったのですから無理もありません。それでも、その可能性がある。もしも本当だったら、世界はとんでもない事になるかもしれない。だから、譲るわけにはいかなかったのです」
そして、対立は始まった。
王冠を危険視する者たちが暴走し始めたのだ。
彼らの頭には破壊しかなかった。危険なものをこの世からなくす。その事だけが彼らにとっての解決策で、管理をする陽炎たちの言い分は迷信であると主張した。
何なら、悪用したがる者と繋がるのではないかと陽炎の一族そのものが疑われるようになり、身の危険を感じた彼らは王冠と共に世界を転々とするようになったという。
それから二百年。その間に製作者は王冠を巡る抗争に巻き込まれて死去した。だが、王冠だけは守られ続け、世界を転々としながら陽炎から陽炎の手へと渡されていった。そして、今年になって、乙女椿国の我が町の陽炎のもとへと渡ってきたのだという。
「王冠を巡る対立は、世代を経ても続いています。しかも、各国で王冠をなくすために動く集団がいて、常に陽炎を見張っているのです」
「この町にもそんな目的を持つ集団がいるのですね?」
霊の問いに、彼は肯いた。
「はい。〈鬼消〉と名乗る人々だそうです。魔人が中心となって構成されているらしくて」
「〈鬼消〉ですか……」
その名前に憶えがあるのだろうか。
霊はため息交じりにそう言うと、王冠を風呂敷で包んでしまった。
「その人たちに、陽炎の仲間が傷つけられたんです。取引に応じなければ、もっとひどい目に遭うと脅されて。それで困り果てて曼珠沙華の人々に相談したのです。場合によっては力になれないかもしれないと言われて不安だったのですが、昨日、連絡があって──」
そして、ここに来たというわけだ。曼珠沙華の長である雷様の判断によるというのは私も聞いている。そうなれば、霊は引き受けるのみ。話を聞き終わると、霊は静かに頷いた。
「だいたいの事情は分かりました。責任を持ってお預かりいたします」
「……ありがとうございます!」
霊の言葉に凪は反射的に頭を下げた。きっと肩の荷が下りたのだろう。だが、霊は釘をさすように彼へと告げた。
「ですが、決して油断はなさらないで。〈鬼消〉という集団には憶えがあります。私の記憶違いでなければ彼らは自分たちの目で確かめた事しか信じません。この王冠に関わった人物として、あなたも危険な目に遭うかもしれない」
「……はい、それは承知しております。覚悟もしております。決して口は割りません。ですので、どうか、その王冠をよろしくお願いします」
その後も念を押すように頭を下げる凪が店から去ってしまうと、霊はすぐに店のカーテンと鍵を閉めてしまった。
「霊さん……」
声をかけると、彼女は振り返り、少しだけ目を光らせた。
「すぐに安全な場所に保管しないと」
「それだけ危険なものなんですね?」
問いかけると、霊は緊張気味に頷いた。
「王冠自体の力がどれだけのものか。それはあまり関係ないの。ただ、〈鬼消〉が狙っているとなれば話は別よ。この店ならきっと大丈夫だろうと雷様も判断してのことでしょうけれど、念には念を入れて」
「〈鬼消〉って、何者なんですか?」
「その話は後」
霊はそう言うと、風呂敷へと歩み寄り、そっと持ち上げた。中身を見る事はなく、ただその感触を確かめながら、そっと告げた。
「まずは名前を付けてあげないと」
その声色には優しさのようなものも含まれていた。モノを愛する心は変わらないのだろう。だから、ややこしい事情があっても厄介者扱いはしていない。そんな彼女の優しさに秘かに惚れ直しているうちに、王冠の名前は決まった。
「……そうね。〈バルベリト〉にしましょう」
「名前がつくって事は、これからずっと一緒なんですね」
「ええ、そのつもりよ。これは曼珠沙華のお方々の決定でもある。だから、生きている限りはずっと守ってあげないと。ちょっと一緒に来て」
霊に言われ、私もまた歩みだす。
向かう先は持ち出し厳禁の古物が保管される倉庫の中である。何処に何が置いてあるか、私もだいたいは覚えている。そこに新たなる古物が追加されるわけだ。〈バルベリト〉は鍵のかかる引き戸棚の中に慎重に置かれた。周囲には何もない。〈バルベリト〉に与えられた個室のようなものだ。霊は手早く鍵をかけると、私に言った。
「この鍵は開けないで。お掃除はしなくていい。この中でそっとしておくの」
「わ、分かりました」
「間違っても触れてはだめよ。被りたくなるかもしれないから」
「被ったらどうなるんですか?」
「そうなったら、私はあなたと心中する羽目になるかもしれないわね。〈バルベリト〉を狙う〈鬼消〉は勿論、曼珠沙華までもきっとあなたの命を狙うでしょうし、私は私であなたに気づいたら結ばれていた契約があるから裏切れないもの」
妖しく微笑む霊を前に、私は寒気を感じながら宣言した。
「絶対に触りません……」
すると、霊は軽く微笑みながら頷いた。
「いい心がけね」
そのまま倉庫を後にし、店へと戻る道すがら、霊は切り出した。
「〈鬼消〉の事も話しておきましょう。さっき、凪さんが言っていた通り、魔人たちで構成される団体のことよ」
「魔人……」
妙に興味を引かれてしまうのは、私もまた魔人──魔女だからだろう。同じ種族の者たちが集う団体。それだけでも気になって仕方がなかった。
「いったい、どんな団体なんですか?」
「正義の味方のつもりらしいわ。けれど、彼らは曼珠沙華の事も、舞鶴や銀箔の事も信用していないの。この町の治安を独自の視点から守ろうとしているの。鬼たちを信じず、悪鬼から町を守る。その事と、トップの名前である鬼芥子をもじった名前だそうね。鬼芥子の決定は絶対だそうよ。〈バルベリト〉を排除すると決めたのなら、この店のこともいずれは嗅ぎ取られるでしょうね」
ひょっとしたら、同じ種族の者たちと戦うかもしれない。
その事にもどかしさを感じてしまった。
「本当に話し合う事とかは……出来ないのでしょうか」
「それが出来ればいいのだけれどね。彼らは聞く耳をもたないわ。前科があるの。もうだいぶ昔の話だけれど、彼らは一度、この町の〈神の手〉の心臓を持つ者を滅ぼそうとしたことがあるの。私の友人──ボタンも危ない目に遭った。ボタンは結局無事だったけれど、トップがその方針を取り消すまでの間に、何名かは犠牲になってしまったのよ」
「そんな事が……そんな集団が何で今も存続しているんですか?」
「悪評なんて霞むほど、トップである鬼芥子に惹かれる者が後を絶たないから……でしょうね。正直、私には分からないわ。分かっていることがあるとすれば、彼らには見つからないよう過ごすことくらいかしらね。あとはなるべく見つからない事を祈るだけ」
店にたどり着くと、妙に寒気を感じた。嫌な事に巻き込まれている。そう思わずにはいられなかった。それでも、霊は落ち着いていた。
「心配はいらないわ。この店には守護があるもの。悪意のある者は、そう簡単には来られないようになっている。それこそ、白妙のような強力なバックがいない限りはね」
「その……白妙の人たちが、〈鬼消〉の味方になるような事はないのでしょうか」
「そこは白妙の判断次第ね。ただ、どうかしら。白妙は白妙で〈鬼消〉と対立しているとう話も聞いたことがある。……とはいえ、あまり楽観視しては駄目ね」
霊はそう言うと、カウンターに寄り掛かり、さり気なく何かを手に取った。何気なくその様子を視線で追って、私はそのまま息を飲んでしまった。いつの間に、だろう。彼女の手には、九尾の猫鞭が握られていた。
「あの……霊さん?」
「本日は予定より早めの閉店。〈バルベリト〉が仲間入りをしたお祝いをしなきゃいけないでしょう。これからも末永くここにある可愛い古物たちを守るためにも、英気を養わないと。分かるわね?」
「分かりません」
とっさに返事をしたところ、霊は表情を崩さずに鞭でカウンターを叩いた。非常に素晴らしい音が響く。カウンターにも優しくしてあげてくださいと言いたいところだが、その音を合図に体が疼いてしまった。
心身に覚え込まされているのだ。あの鞭を使われた時の感覚が。
「跳ねっ返りがあるのも嫌いじゃないけれど、今日は生憎そういう気分じゃないの。今の私は素直な子の方が好き。それで、幽。あなた、なんて言ったかしら。ちょっとお返事が聞こえなかったのだけれど」
いつの間にかその目は真っ赤に染まっている。
睥睨するようなその視線に寒気を覚えつつ、私は再び口を開いた。
「霊さんがそれを望むのなら」
そして、その日の夕食は、地下でたっぷりと取ることになった。




