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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
27.魔を操縦する青き指輪〈ロノウェ〉

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後編

 きっと、悪い夢を見ていたのだ。目を覚ました後は、そう思わずにはいられなかった。

 そもそも、優秀な魔女ならばともかく、この私が一度目を通しただけの魔術を成功出来るなんて思えない。冷静になってみればあり得ないといってもいい話だった。確かに霊と出会った頃よりもずっと魔法は使えるようになったけれど、だ。だから、きっと夢だったのだろう。体の傷も、感触も、全て霊につけられたもの。そうとしか思えなかった。

 けれど、それならそれで、不安は残り続けた。いずれ猟犬はやって来る。その際に、私たちは勝てるだろうか。いざという時に、夜蝶は力を貸してくれるだろうか。緊迫した空気のまま時間が過ぎていき、とうとうその日はやってきた。


 それは、私と霊が日用品の買い出しに行った帰りのことだった。すっかり日の落ちた帰り道は薄暗く、来た時以上に不気味になる。ただでさえそんな道だけれど、その時は殊更おかしな空気だった。人気が全くなかったのだ。こんなにも人が歩かないものだっただろうか。そう思っているうちに、空からは雪のような塵が降ってきた。

 魔の血を持たない人にとっては悪臭がするというこの塵の気配に、皆、身を隠してしまったのだろうか。私と霊もまた立ち止まり、そっと物陰へと身を寄せた。霊の差す〈フルフル〉という名の傘に共に入り、まるで塵が止まねば困るような体でじっとしていると、静けさのせいか段々と心細さが増していった。


 幼い頃、塵が平気だということを隠さないといけないと母に教えられたことがあった。それが何故なのかということは、教えてくれなかった。母は自身が持っていた〈赤い花〉の心臓と魔術の事を私に何も語らずにこの世を去ってしまったのだ。きっと、いつかは明かそうと思っていたのだろうと考えたいが、何も語らずに死んでしまった為に、残された私のその後は大変だった。母はかつてこの町を守る一員だったというが、私はとてもそこまで至れない。せめて、母のように霊が安心できる強さがあればいいのだけれど。

 と、そんな事をひとりで考え、ひとりで落ち込んでいると、不意に妙な気配を感じた。無意識に視線を動かすと、ほぼ同時に霊も同じ方向を見つめた。その目が薄っすらと赤くなっている事に気づき、私もまた無言のまま身構える。霊はそんな私に静かに囁いてきた。


「様子を見ましょう」


 頷いたその時、気配の主は姿を現した。塵がまだ降り続いているというのに、その人物は通りをとぼとぼと歩いていた。長いコートに身を包む男性で、国籍不詳。見た目だけならば乙女椿人にも思えるが、堀の深い顔は異国人のようにも思える。目を凝らしてみれば、そのオーラの色が分かる。赤色。隣にいる霊と同じ色。人の血を持たない魔物の色だ。

 息を飲みながら彼が立ち去るのを願っていると、願い虚しく彼は私たちの目の前で立ち止まった。ちらりとこちらに視線を向けると、彼は呟くように言った。


「おれを、覚えているか」


 私ではない。霊に向けられた言葉だった。

 霊は〈フルフル〉を手にしたまま、静かに答えた。


「いいえ」


 すると、彼は低く溜息を吐いてからこう言った。


「そうか。だが、おれは覚えている。お前は吸血鬼だ」


 直後、視界が急に遮られた。霊が〈フルフル〉を盾のように構えたのだ。数秒後に遅れて聞こえたのは耳を劈くような破裂音。それが銃声だと気づいたのは、だいぶ後になってからだった。〈フルフル〉の裏側で、霊は私に言った。


「私の傍から離れて。自分の身は、自分で守るのよ」


 そして手を離されて、私は命じられたままにその場を離れた。混乱の入り混じる思考の中で、なんとか状況を整理する。男は、霊の事しか見ていなかった。私の事は一切視界に入れず、〈フルフル〉を手にその場に止まる霊を静かに見つめている。その手に握られているのは、間違いなく銃だった。

 放たれた銃弾は、〈フルフル〉が防いだ。あらゆる天候を遮断するという傘とは聞いていたが、どうやら防ぐのは天気だけではなかったらしい。男はさらに発砲するが、〈フルフル〉を破る事は出来なかった。それを見て、顔色を変える。何かしようとしている。そう気づくと、私は居ても経っても居られなかった。


 ──蜘蛛の糸の魔術〈緊縛〉!


 すぐさま放てるその糸の魔術を男に向けると、いつから気づいていたのだろう。こちらに一瞥もくれずに避けてしまった。地を蹴ったその勢いのまま、彼の姿は変化する。地面に着地したのは、人の姿をした者ではなく、大型犬のような獣だった。釧が時折見せる山犬の姿よりも非常に大きい。あれが異国の人狼なのだろう。

 ならば、間違いないだろう。彼こそが猟犬だ。

 猟犬はちらりと私を見つめると、そのまま地面の中に潜り込んだ。何処へ行ったか分からなくなり、きょろきょろしていると、背後から気配を感じた。応戦しようと振り返るも、すぐさま殴られ突き飛ばされてしまった。


「幽……!」


 霊の声が聞こえ、すぐに立ち上がろうとした。だが、痛みが強く、体が言う事を聞かなかった。どうにか目を開けると、猟犬は再び姿を変えた。先程のコートを着た人物の姿になると、何処からかナイフを取り出した。きらりと光るそのナイフには何かが塗られている。毒かもしれない。それこそ、〈金の卵〉から採れるという聖油ではないか。マテリアルにとっても、〈赤い花〉にとっても、劇薬となるという油。


「霊さん……」


 震えながら呼びかけると、霊は動揺を隠すように小さく笑い、猟犬を見つめたまま手をかざし、唱えるように言った。


「対価は十分すぎるほど貰ったはずよ。出てきなさい、夜蝶」


 すると、その手に嵌った〈ロノウェ〉が青く光り輝いた。霊の影がぐっと伸び、渦巻きだす。その下から弾き出されるように出てきたのは、間違いなく夜蝶の姿だった。外の空気を受けた夜蝶の目がきらりと輝く。恍惚とした表情を浮かべる彼女に対し、霊は冷たく命令を下した。


「その男を、分からせてやって」


 きっと〈ロノウェ〉の影響もあるのだろう。夜蝶はよく躾けられた獣のように猟犬へと視線を向けた。その姿、その顔を見た彼は、戸惑いを見せた。


「まさか……そいつは……」


 だが、その迷いを振り払うように、彼は武器を手に取る。そうでないと可能性に欠けたのか。分かっていても目的を達成しなくてはならないという考えに囚われていたのか。正面から堂々と、彼は夜蝶に斬りかかったのだ。その勢いは凄まじく、避ける隙すら与えない。真っすぐ飛び掛かった彼のナイフは夜蝶の左胸を一突きにした。

 もしもこれがマテリアル相手ならば、この時点で猟犬が勝っていただろう。しかし、相手は──夜蝶はマテリアルではない。不老不死の屍蝋なのだ。

 倒れもせずに、夜蝶は顔を上げると、そのまま猟犬の腕をつかんだ。猟犬は慌てて暴れだし、突き立てたナイフを勢いよく抜いた。けれど、夜蝶の体から血は一滴も流れなかった。きっと、猟犬も悟っただろう。それでも彼は往生際が悪かった。夜蝶の体を至近距離から銃で撃ち、しまいには首まで絞めようとした。けれど、全て無駄だった。


「残念だったね」


 低く呟いたかと思うと、夜蝶は表情を変えた。まるで絵画に描かれた鬼のような形相を浮かべると、そのまま猟犬の首筋に噛みついたのだ。力も、痛みも強かったのだろう。猟犬は悲鳴を上げてのたうち回った。だが、その勢い余ってボキボキという身が竦む音が聞こえ始め、倒れ伏すと同時に噛まれた場所が千切れ始めた。その後は、とても見ていられなかった。ただただ屍蝋という存在を思い知らされてしまうばかりだった。

 そして、もう猟犬が立ち向かってこないとはっきり分かる頃になってから、霊が震えの生じた声で言った。


「もういい。戻って」


 だが、振り返る夜蝶の表情は非常に冷たかった。睨みつけるように霊を見つめたかと思うと、そのまま立ち上がり、立ち尽くした。戻ろうとしない。言う事を聞かないまま、霊をじっと睨み始める。

 おかしい。すぐに気づいた。霊の顔が青ざめている。全身に汗が浮き出て、立っていることすら辛いと分かった。その口からは何度も「戻って」と繰り返されている。その度に〈ロノウェ〉が淡く光るが、夜蝶が言う事を聞く様子はない。やがて、夜蝶は霊の手に嵌る指輪へと視線を向けた。


「その指輪があれば、私の方がお前に命じることも出来るわけだ。あの狭き鳥かごに、戻るのはどちらになるだろうね」


 そう言って、彼女が霊に一歩近づいた。もうそれ以上、見ていられなかった。すぐさま霊の元へと駆け寄って、私は必死に呼びかけた。


「しっかりしてください」


 そして〈ロノウェ〉の嵌る指に手を重ね、願いを込めた。


 ──お願い、〈ロノウェ〉。霊さんに力を貸して。


 その願いがどれだけ通用したのかは分からない。ただ、霊は力を振り絞ると、目を真っ赤に光らせて、再び声を張り上げた。


「戻りなさい、夜蝶」


 渾身の命令に反応して、〈ロノウェ〉が強く輝きだす。その光を浴びた夜蝶は、観念したように大きく溜息を吐いた。


「仕方ないな」


 そのまま彼女の姿は崩れていき、振り続ける塵に交じって霊の影へと吸い込まれていった。後に残るのは冷たくなった猟犬のみ。全てが静まり返ると、霊はその場に膝をついた。背中を支えていると、震えた声で霊が言った。


「どうにかなったわね」


 その言葉に小さく肯くと、彼女は薄っすらと笑みを浮かべた。


「今回は助かったわ。夜蝶が出て来てくれたのも、戻ってくれたのも、〈ロノウェ〉とあなたがいてくれたお陰よ。特に、あなたが魔女として成熟してきてくれたからこそ、こんなにもあっさりと猟犬を仕留める事が出来た」


 けれど、と、霊は私の手を握りしめながら囁いてきた。


「だからと言って、無断での身売りは褒められたものじゃないわね」

「な、何のことでしょうか」

「とぼけたって無駄よ、おバカさん。まさか、新しい魔術を成功させて、私の精神の中に忍び込むなんて。言っておくけれどね、肉体には手を出されていないなんて言い訳、私は許さないんだから」


 では、やっぱり夢なんかではなかったのだ。

 すっかり動揺したまま、私は霊に視線を合わせて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。まさか成功するなんて思わなくて」


 そんな私の頬に手を添え、霊は言った。


「でしょうね。私もまさかそんな事が出来るなんて思わなかった。お陰であの夜蝶を呼び出すことは出来たけれど、やっぱり腹立たしいわね。意識レベルであっても、私だけの奴隷を一晩好きにさせてしまったのだもの」

「どうしたら……償えますか」


 じっと顔を見て問いかけると、霊は呆れたような視線と共に囁いてきた。


「あとでじっくりとお仕置を受けて貰います」


 帰宅後、その言葉通り、私はお仕置を受ける事となった。

 果たしてこれは償いになっているだろうか。どんなに残酷な仕打ちも、私の中の〈赤い花〉は喜びに変えてしまっている。それをふつふつと実感していると、霊は手を休めながら呟いた。

 その手に嵌めた〈ロノウェ〉に視線をやってから、拘束されて動けない私の頬を撫でて囁いてきた。


「あなたに人の血が流れていなければ、〈ロノウェ〉で操れるというのに」


 そんな彼女に私はすぐさま答えた。


「〈ロノウェ〉は必要ありませんよ。私は、他の誰でもないあなただけの隷従ですから」


 その言葉に反応したかのように、〈ロノウェ〉は薄っすら輝いた。

 魔を操縦するというその力。所以については、殆ど分からないのだという。ただ、分かっているのは、その指輪の効果は強く、霊を何度も助けてきたという事。

 きっとこの先も、〈ロノウェ〉の力を借りて、危機を脱する時が来るだろう。しかし、私は思ったのだった。〈ロノウェ〉の力が効かずとも、私こそがいかなる隷属の魔物たちよりも霊にとって頼れる存在でありたいと。

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