前編
〈金の卵〉と呼ばれる家畜。その存在については、自分が魔女であると自覚する前から良く知っていた。〈金の卵〉は日々生産され、屠畜されてその肉体を活用される。聖油と呼ばれる特別な油もその一つだった。
学校の授業でも軽く触れたことはあったし、一般的な知識として覚えていた。その聖油にアレルギーがあると分かってからは、特に意識するようになった。けれど、覚えていたのは飽く迄も文章上の知識だけ。その事実を思い知ったのは、自分が魔女であり、吸血鬼の血を引いており、そして、新たな居場所がこの店にあると認識してからのことだった。
主従の魔術により霊と結ばれて間もない頃、店や置かれている立場などについてもっと詳しく紹介してくれた一環で、呼び出されたのは無垢な兎の姿をしたメタモルフォセスという名前の生き物だった。霊がその名を呼び、命令を下すと、その姿はウサギの特徴を持つ熊か何かのような生き物となり、私を驚かせた。
その姿自体は、初めて見たわけではなかった。異母兄に殺されそうになった際、霊が時間稼ぎに呼び出したことがあるからだ。驚いたのは寧ろ、姿が変わるという特徴の方だった。そして、さらに私を驚かせたことは、霊の命令を受けたメタモルフォセスが最後に見せた姿だった。
ウサギの耳のついた帽子をかぶった愛らしい少年。その姿になった彼は、実に朗らかな様子で私に笑いかけてきたのだ。言葉も話せて、意思疎通も出来る。そんな彼の正体が〈金の卵〉であるのだと教えられた時、私は寒気を感じてしまった。
では、あの教科書に書かれていたことは。
私の知らないところで、メタモルフォセスのような存在が、屠畜されているというのだろうか。その時に感じた薄気味悪さは、今でも忘れられない。
そして、今、私はその薄気味悪さを再び感じていた。
「猟犬?」
その話を持ち込んだのは、ふらっと立ち寄ったという釧だった。
繰り返す私に、彼はこくりと肯いた。
「シンプルな通称だが、それで通じるやつには通じる。特に、俺たちのような口犬にとっちゃ、問題行動のある同胞っていうのは、誰よりも先に把握しておかねばならないからね」
「つまり、人狼ってこと?」
「そうよ」
私の問いに頷いたのは、共に蘭花のテーブルについていた霊だった。
「世界を股にかける要注意人狼。乙女椿ではシンプルに『猟犬』って呼ばれているけれど、国によっては『密猟者の猟犬』って呼ばれる事もあるようね」
「密猟者……」
その不穏な言葉に、緊張感が増した。
「『密猟者の猟犬』っていうのは、より的確な通称だね」
釧が頷きながら言った。
「奴は依頼主に指示された獲物を地獄の果てまで追うハンターなんだ。密猟者って言われている通り、合法的な狩りじゃない。ターゲットとなるのは動物とも限らないんだ」
「〈赤い花〉は勿論、マテリアルなんかも獲物になった事があるそうね」
霊の言葉にますますぞっとしてしまった。
「ただ、今は彼の獲物は決まっている。そうでしょう、釧?」
「ああ、奴は一度依頼されたら狩るまでその仕事を辞めたがらない。依頼する方もそのつもりで金を渡しているからね。ターゲットは以前から変わっていないはずだ」
「やっぱり、そうなのね」
憂鬱そうな表情で、霊は溜息を吐いた。
その美しい横顔に向かって、私はそっと訊ねた。
「あの、そのターゲットっていうのは?」
すると、霊もまた声を潜めて答えてくれた。
「〈金の卵〉よ。今も私の影の中でのんびり暮らしている彼」
メタモルフォセス。その姿が瞬時に頭を過り、さらにぞっとした。
「じゃあ、メタ君を保護した原因の……?」
「そういう事」
聞けば聞くほど、きな臭さが増していく。それに何より気になるのは、一度依頼されたら狩るまで辞めたがらないという点だ。
「とにかく、奴の居所は、口犬だけでなく乙女椿に暮らすあらゆる山犬たちが付け回し、情報を共有している。奴にこの国で好きにさせないっていうのは、俺たち山犬の威信にも関わるからね。まあ、そういうわけだから、動きがあったら連絡するよ」
「心強いわね」
落ち着いた声と共に霊は微笑みを浮かべたが、私はちっとも笑えなかった。世界は広く、こうも物騒なのかと思わずにはいられない。釧を見送ってからも、そんな気持ちは簡単に消えたりせず、二人きりになってから私は霊に問いかけた。
「あの、猟犬のことですけれど……メタ君を保護した時は、どんな状況だったんですか?」
「どんな状況、ね。さて、どこから話せばいいのか」
「出来れば全部教えてください」
「欲張りさんね。でも、いいわ。教えてあげましょう」
そう言って、彼女は語りだした。
それは、今から遡ること十年以上前のこと。曼殊沙華のお屋敷の敷地内に、ボロボロになった異国の少年が座り込んでいた。
彼の正体がただの人間でないとひと目で気づいた曼殊沙華の鬼神たちは、その正体を判別しようと奔走した。そこへ、猟犬はやって来たのだ。彼は自分の義理の息子であり、少し叱りすぎて家出をしてしまったのだと申し出てきたのだという。
だが、その話を聞いた少年の様子がおかしい事から、鬼神たちは猟犬を追い返した。そして、少年が〈金の卵〉であることに、気づいたのだという。
「どうにか保護できないかと、すぐに相談を受けたの。でも、その時の私は悩み続けていた。〈金の卵〉の隷属化は難しい。魔力に富んだ魔女ならともかく、マテリアルの私には限界があったの。一応、それを可能にする古物は、すでに私の手元にはあったけれどね」
そう言って、霊がちらりと見せたのが、その手に嵌っている青い指輪だった。
その〈ロノウェ〉という名前は、私も覚えている。メタモルフォセスを呼び出す際、彼女は必ず〈ロノウェ〉の嵌った指をかざす。ざっくりとだが、魔物を操る力があるのだという事も聞かされていた。
「でも、マテリアルにおける隷属化っていうのはね、二度と自由にさせないという事。私が呼ばなければ外にすら出られないし、呼ばれれば自分の意思で体を動かせなくなる」
だから、霊はメタモルフォセスを名前で呼ばない。同じく中に閉じ込められている夜蝶と扱いが全然違うのは、その経緯なのだろう。
「悩んだけれど、曼殊沙華のお方々はどうしても会ってみて欲しいって言うから、笠に連れられて行ってみたの。そこで、彼は怯えた様子で私に縋りついてきた。自由なんてもういらない。どうか助けて欲しいって」
霊が話を聞いてみれば、彼の一族は〈金の卵〉であることを隠して小さな集落を築き、幸せに暮らしていたらしい。
そこは、はるか昔、リリウム教団関連の施設にいた者たちが、脱走を図り、自由と幸せを夢見て隠れ潜みながら築いた集落で、そこに生まれた彼もまた隠れ潜みながらも幸せに暮らしていたらしい。
だが、猟犬とその依頼主はそんな彼らを見つけてしまった。一族は散り散りに逃げたものの、日に日に仲間たちが捕まっていく。そして、猟犬はとうとう彼の家族の前にも現れた。
「目の前で家族が捕まってしまったのですって。双子の妹も一緒に。逃げながら彼は必死に神様に祈ったそうよ。でも、再会した猟犬から、彼が聞かされたのは残酷な現実だった」
──お前によく似た妹は高く売れたよ。今頃、彼女の肉体は世界中に散らばっているだろうね。
その後、彼は猟犬の手を逃れ、必死に逃げた。逃げ続けた。国を転々として、乙女椿に流れ着き、この町にやって来た。その間、何度も捕まりそうになりながらも、ボロボロになってまで逃げていった。そうした絶望の淵で、ようやく手を伸ばしてきたのが、絶対安全の世界を持つ霊だった。
「彼が望むのなら、後は私の覚悟だけだった。名前を教えて貰って、〈ロノウェ〉と相談して、そして決心したの。でも、問題はその後も続いた。彼が私の隷属になったと知った猟犬が、私を狙い始めたの。マテリアルも仕留められればお金に化けるし、目当ての獲物を手に入れるには主人を脅す必要があると判断したのでしょうね」
しかし、猟犬にとっての敵は、霊だけではなかった。
彼女には大勢の味方がいた。曼殊沙華の人々は勿論のこと、その当時、曼殊沙華の依頼を受けてこの町を守っていた集団がいたのだ。
「あなたのお母さん──憐もその一人だったわね」
その言葉に、胸がきゅっとした。
「憐と、彼女の仲間たちがいたから、猟犬は分が悪いと判断したのでしょう。自分の命が脅かされるとあっては、深追いなんてとでもできない。そこへさらに口犬などの山犬たちの追跡もあったから、とにかく遠くへ逃げるしかなかったのでしょうね」
こうして、猟犬は乙女椿を去っていった。
「あの時と今じゃ、状況がだいぶ変わったわね。死んでしまった憐は勿論、彼女の仲間たちも一緒に戦ってはくれないでしょうし」
霊は何処か寂しそうに言った。
その様子を見て、私もまた心苦しくなってしまった。
母の仲間たち。彼らの事は少しだけ覚えている。母の葬儀の時に会った事があるからだ。彼らは私に対して良い感情を持っていない。宿敵であった天がよからぬ手段で母に産ませたその娘だから、顔も見たくないだろう。
思い出せば出すほど気持ちが落ち込んでしまう。そんな私をちらりと見つめてから、霊はため息交じりに言った。
「役に立たないだろう人たちの事はもういいの」
そして、そっと手をあげて、〈ロノウェ〉の指輪を見つめながら呟いた。
「この指輪で猟犬の事も捕らえられたらいいのだけれど、あまり自信がないの。もしも、指輪の事を悟られて、奪われでもしたら」
「奪われたら、どうなるんですか?」
「操られるのが私の方になる。人狼にも、マテリアルや魔女のように他の魔物を隷属化する手段があるそうよ。その手法を猟犬が知っているかどうかは分からないけれど、〈ロノウェ〉はそういう人にも力を授ける事が出来るから」
「じゃあ、絶対に奪われるわけにはいきませんね」
「そうね」
だが、霊は何処か不安げだった。そんな彼女に私は言った。
「霊さん。私も一緒ですよ。一緒に戦いますよ。そりゃあ、お母さんよりも頼りない鴨しれませんが、前よりもずっと魔術は使えるようになったんです。メタ君を守りましょう」
そんな私の顔をじっと見つめ、霊はしばらく何かを考えだした。そして額に手を当てながら、店内をぐるぐると歩き回り、ややあってから彼女は呟いた。
「戦力はもっといりそうね」
その表情は、どこか憂鬱そうだった。




