中編
進展のないまま時間だけが過ぎるというのはもどかしいものだ。
片付けなくてはいけない宿題に取り掛かれないままでいるような焦りが常に横たわっている。
しかし、だからと言って私に何が出来るわけでもない。
八雲のもとへお見舞いに行ってから一か月後、何の進展もないまま、私はいつもと変わらない日常に戻っていた。
店の営業も終わり、軽い夕食も取り終わり、お風呂上りにテレビをつけてぼんやりと眺めるという何気ない日常。特に目的があるわけでもなく、たまたまついた番組をただ見ているだけの時間だった。
霊が髪を乾かしている間の暇つぶしでもあった。本当にそれだけの理由で見ていた番組だったのだが、退屈だったからだろう。気づけば私はしっかりと視聴していたのだった。
内容は、この町で活躍する人物にスポットを当てたコーナーで、人気急上昇中の男性作家の水仙という人物へのインタビューだった。
学生の頃にデビューして以来、しばらく下火が続いていたのだが、週刊雑誌での新しい連載が初回から現在まで大注目されているとのことだった。
水仙の本は私も前に読んだことがある。文章はシンプルで気取ったところがない。内容も奇抜な展開があるわけではない。それにも拘らず、読了後しばらく経って、ふとした瞬間にその本の内容を想起することが増えるという不思議な作品だった。
しかし、今回注目されている作品は、どうやら私が前に読んだ作風とは大きく違うらしい。意外性があり、退屈さとは無縁。文体も軽く紹介されている部分を見る限り、私が読んだものとは大きく違う。新しいことに挑戦したくなったのだろうか。その結果が実ったのだろう。
私もそうであると言えるけれど、多くの人はサクセスストーリーが好きだ。特に下剋上や逆転は注目されやすい話題だと思う。それだけに、水仙の成功も詳細を知りたがる人は多いのかもしれない。
──それにしても。
「小説家かぁ……」
呟いたところへ、背後からそっと抱き着かれた。霊だ。音もなく忍び寄ってきた。血が足りないことは重々承知している。これから起こり得ることの予感に心身が疼いてしまった。そんな私を焦らすように、霊はテレビへと目を向けた。
「興味があるの?」
そっと訊ねられ、私は欲情を必死で隠しながら答えた。
「前にこの人の本を読んだことがあったんです。あと、行方不明中の〈アイム〉の元持ち主も有名作家さんだったなぁって」
「水仙と合歓は確か同じ時期にデビューしたのだったはず。新人の頃はどちらも注目されていて、この町の誇りとも言われていたわね」
「ちょっと覚えています。子どもの頃だったけれど」
この町の若者で、合歓のファンという人は珍しくない。おまけに水仙もいるとなれば、自分もそこに続きたいと思う者は多いだろう。
となるとやはり、〈アイム〉を盗んだ者たちも、そうした人物に依頼されたのだろうか。
しかし、ただのファンとなるとますます犯人は特定できない。曼殊沙華の家ですらあれからろくな手掛かりを得られていないのだから、私に分かるはずもない。
そんな事を思っているうちに、番組は終わってしまった。
「明日も早いですし、そろそろ……」
と、霊の顔へと視線を向けてみれば、彼女は深刻な顔で何やら考え込んでいた。
「どうしたんですか?」
「……今のインタビュー、場所は彼の自宅?」
「え、えっと……」
必死に記憶を探った。確か、最初の方で自宅にお邪魔して、と言っていたはずだ。
「は、はい、多分そうだったと思います」
すると、霊は小さく頷いてから、私に言った。
「今のインタビューで使われた部屋にね、〈アイム〉と全く同じランプが置かれていたの」
「え?」
もう一度テレビに目をやるも、確認することは出来なかった。しかし、思い返してみれば、確かにランプは背後にあったかもしれない。
「あのランプは量産品。デパートや家具屋なんかで昔売られていた商品。だから、たまたま同じものを持っていたという可能性は十分ある。十分あるのだけれど……」
そうじゃない可能性も十分ある。
「ちょっと曼殊沙華のお家に電話をしてくるわ」
そう言って席を立った霊は、その後しばらく電話の前から離れなかった。
一時間は会話が続いていただろうか。ようやく受話器が下りて、ため息交じりに霊は戻ってきた。
「曼殊沙華のお家が動くそうよ。私たちがこれ以上関わるかどうかはあちらの指示次第かしらね。ともあれ、今は待つしかない」
「どうにか解決できるといいですね……」
そっと言う私を、霊は妖しい眼差しで見つめてきた。
「いずれにせよ、備えておくに越したことはない。──だから」
と、霊は椅子に座る私の背後に回り、もたれかかってきた。
唇が首筋に触れ、薄れかけていた欲が刺激される。牙はすっかり伸びている。お食事モードのまま待たされた鬱憤を感じ、全身に妙な緊張が走った。
「今宵もたくさん飲ませて貰うわね」
甘い囁きに肯く他なかった。
さて、全身が傷だらけになった翌日の夕方、早くも進展があった。曼殊沙華のお家から連絡が来たのだ。
曼殊沙華のお家の情報網は広い。人脈の広さを誇る並みの人間もいれば、不可思議な能力で秘密を掴む魔物たちもいる。今回活躍したのは、情報屋として長く活躍しているらしい翅人だった。
情報屋として暮らしている翅人たちは、ほんの些細な出来事にも目を光らせている。この町で起こる普段とは少し違う事、怪しい動きをしている者、昨日まではなかった新しい動きなど、普通に暮らしていたらいつかは忘れてしまいそうな事も注目し、写真や手帳などで事細かに記録を残しているという。
今回、曼殊沙華の家が購入した情報は、数枚の写真だった。
「その写真を明日の昼、笠が持ってくるのですって」
霊が電話で聞いたのは、怪しい男が水仙と接触し、謎の取引をしているという現場が撮られているという内容だった。
「その男って、例の人狼なんでしょうか」
「分からないわ。さすがに写真からは人狼の気配を感じ取れないもの。多分、あなたの目も通用しない。でも、気になるのはそこじゃないの。見たらきっと驚くと思うって、向こうの人が言っていたのよ」
「驚く?」
確かに妙な事だ。しかし、その日はそれ以上の事が分からず、もやもやしたまま翌日を迎えることとなった。実物を見る直前まで、私は勿論、霊もまた見当がつかなかったようだ。しかし、笠が狸ながら気まずそうな表情で封筒から数枚の写真を出してみれば、霊は勿論、私もまたどういう事なのかすぐに理解できた。
「これって……!」
息を飲む私の隣で、霊が非常に大きなため息を吐いた。
写っていたのはテレビで見た通りの水仙と、そして非常に見覚えのある男性だった。
霊が言った通り、写真からは彼らが人間なのか魔物なのか或いは魔族なのか見抜くことが難しい。だが、私は見抜けてしまった。少なくとも片方は魔物。人狼ではなく、吸血鬼だ。
「──幻」
霊が唸るようにその名を呟いた。
そう、そこにいたのは幻。霊の親戚だった。元からあまりいい印象のない彼が、いい印象のない曰くつきの写真の中にいる。たまたま雑談していただけ、と考えようとしたものの、そこへ釘をさすように笠が告げた。
「一枚目は八雲が襲われる前の時期、二枚目はそれから数日後に撮られたらしい。見ての通り、一枚目は互いに目立ったものを持っていないが、二枚目は封筒と紙袋が交換されているだろう。これで確定したわけではないが、何を取引したのか問い質すに越したことはないはずだぜ」
「……つまり、その役目を曼殊沙華のお家は私にさせたいのね」
霊がうんざりとした様子でそう言うと、笠もまた渋い顔をした。
「曼殊沙華のお偉いさん方も、あんたを疑っているってわけじゃねえ。ただ、ここで引き受けた方が身の為ではあるだろうね」
「言われなくても分かっているわ。相手はマテリアルですもの。人間の血を多少引いてはいてもね。それなら同じマテリアルで話し合った方がいい。心配はいらないわ。こちらには優秀な助手がいるもの」
そう言った霊にそっと手を握られ、少し嬉しくなってしまった。
さて、問題は幻にどうやって接触するかだ。
居場所の特定は曼殊沙華の家がすぐに出来るそうなのだが、そうやって接近しても逃げられたら意味がない。逃げないで冷静に話を聞けたら一番いいのだが、霊はどうやら初めから平和的な手段に期待していないようだ。
「頭の中で練習しておいて。いいこと、蜘蛛の糸の魔術の〈緊縛〉よ。何なら〈磔刑〉でもいい。でも、〈切断〉にならないように気を付けて。糸による華麗な瞬殺もぜひとも見たいところだけれど、今回のところはダメ。足の一本くらいは……って言いたいところだけれど、足の一本でショック死されたら困るもの。仕方ないから〈磔刑〉にしておきましょう」
「あ、あの、〈緊縛〉の練習をしておきますね……」
「冗談よ。そうしてちょうだい」
そう笑いつつ、さっきまでの霊の目がマジだったのは気のせいじゃないだろう。それだけの迷惑をかけてきたという事だ。いくら愛する人の親戚とはいえ、私としても手加減する気にはなれない。程よく強めにぎゅっと縛ることを意識しよう。
そんな意気込みをしながら迎えた明くる日、私たちは曼殊沙華の家に昔から協力しているという紋黄蝶という翅人女性の訪問を受けた。幻の居場所の特定を別の翅人がしているらしく、紋黄蝶は彼らとやり取りをしながら案内してくれるとのことだった。
霊と二人で移動している間、姿を消している紋黄蝶の気配を常に感じながら、私はふと思案に暮れていた。
情報を得たのも、案内をするのも翅人だった。いずれも花売りを生業としない者たちである。しかし同じ翅人。意識しないわけにはいかなかった。
もしかして彼らも飛蝗の事や飛蝗の家族の事を知っていたりするのだろうか。直接的な知り合いじゃなかったとしても、情報屋ならば売り物になるかもしれないと目撃していた可能性はないだろうか。
何なら、もっと様々な翅人と接触し、聞き出すことが出来れば、飛蝗との約束にも一歩近づけるかもしれない。
たとえば、無花果氏の屋敷に閉じ込められていた〈赤い花〉の人物について、など。
考え込んでいるうちに、紋黄蝶の案内は終わった。
場所は、若者に人気そうな喫茶店だった。
「ここに幻さんが?」
思わず呟いてしまった私を置いて、霊は先に店へと入ろうと扉に手をかけた。
慌てて後に続こうとしたちょうどその時、私たちにぶつかる形で誰かが出てきた。すぐに謝ろうとその顔を見て、一瞬だけ固まってしまった。
幻だ。
「おおっと奇遇だね、お二人さん。悪いが今日は急いでいるんだ」
「待って!」
霊が厳しく呼び止めようとしたが、幻は足早に去っていく。
なるべく穏便に、そう願いたいところだが、幻は立ち止まってくれなかった。
「幽、蜘蛛の糸の準備をして」
霊の指示が入り、私は集中を高めた。
しかし、店の近くでやるわけにはいかない。しばらく追いかけながら隙を窺うしかなかった。だが、幻もその事を察しているのだろう。彼は敢えて別の歩行者のいる道を選んで進んでいった。その後をしつこく追いかけていくにつれ、彼の歩みも速くなっていく。
だが、追いかけっこも長くは続かなかった。幻にとっては災難な事に、魔の血を継がない者には耐えがたい塵が降り始めたのだ。他の歩行者はついに途絶え、気兼ねなく魔術を使える状況が整っていく。これぞ、天の助けというやつだろうか。となればこれ以上躊躇う理由などなかった。
──蜘蛛の糸の魔術〈緊縛〉!
練習を始めた頃よりもずっとうまくなったように思う。
特に相手を程よく縛るという力加減には自信があった。自分自身が縛られ慣れているからだろうか。
「のわあああ、誰か、たったすけ──」
情けない悲鳴があがりかけ、私は慌てて糸で幻の口を塞いだ。
そこへ霊が笑みを浮かべて歩み寄っていった。
「おじさん。やっとゆっくりお話が出来るわね」
優しい声が非常に怖い。
「その糸──蜘蛛の糸の魔術の事、おじさんもよく覚えているでしょう?」
幻は口を塞がれたまま何かを叫んでいる。助けを求めているのか、命乞いをしているのか、或いはその両方なのか。そんな彼に笑いかけながら霊は話を続けた。
「かつて多くの同胞がこの糸の犠牲になった。皆、欲望に抗えず、人間らしくあろうとする事をやめてしまった人ばかり。彼らはいずれも治安を乱した罪を問われ、悪質と判断された者は吸血鬼殺しの魔女に断罪された。その哀れな光景を見て自らを戒めるマテリアルもいれば、それでもなお欲望に飲まれてしまったマテリアルもいた。おじさんはどちらかしら?」
「あの……霊さん」
耐えきれず、口を挟んでしまった。
「このまま〈緊縛〉でいいんですよね……?」
「ええ、いいわ。〈緊縛〉でも〈磔刑〉でも、それに〈切断〉でも、幽がしたい方にして。でも、この光景を見るとつい思い出してしまうの。あなたのお母様──憐の糸捌きは見事だったわ。一瞬で獲物を楽にする。反撃も逃亡もしようと思ったところで手遅れ。後に残るは哀れな罪人の血の海。その光景をあなたも見たくない?」
幻の顔色がどんどん青ざめていく。申し訳ないと一瞬思ったのだが、ふと今回の目的を思い出し、私もまた主人を見習って冷酷であろうと努めることにした。
「そうですね……迷うところですね」
幻がびくりと震える。逃れようにも蜘蛛の糸はそれを許さない。絶大な恐怖を与えている罪悪感は少しだけあったが、まあやむを得ないだろう。今にも失神しそうな幻に対し、霊が優しく告げた。
「ああ、でも、可哀想だからチャンスはあげないと。ねえ、おじさん。聞きたいことがあるの。落ち着いて答えてくれる? 答えるだけでいいわ。変な真似をしたらどうなるか分かっているわよね?」
必死に幻が頷くのを確認してから、霊は続けた。
「それじゃあ、聞くわ。この写真を見て」
そう言って、霊は笠が持ってきたあの写真を幻に見せつけた。
「ここに写っているの、どう見ても他人の空似ではないわね。今をときめく話題の先生と一体何のお話をしていたの? 正直に答えてくれる?」
霊の合図を受け、私は糸を再び動かした。口が解放されると、幻はぜえぜえと荒い呼吸を二、三回ほど繰り返してから、どうにか答えた。
「何って、あれだよ。お仕事の話をしていたんだよ」
「お仕事って?」
霊の問いかけに、今度は首を横に振りながら答える。
「勘弁しておくれよ。おじさんも仕事で仕方なくやっていて、決して誰かに不幸になってほしいって願っているわけじゃ──」
「幽、〈緊縛〉からの〈切断〉の流れは覚えている?」
静かな質問がその唇からさらりと零れ、幻は小さく悲鳴をあげた。
「分かった……分かったよ……。ちゃんと答えるから……だから、許してくれ!」
何度も藻掻きながら涙目になる彼を前にして、霊は満足そうに微笑みを浮かべた。




