前編
たまには明るいニュースを耳にしたいものだ。
つくづくそう思ってしまったのは、化け狸の笠が店に持ち込んだ話を主人である霊と共に聞いた時のことだった。
「八雲が怪我を?」
笠の報告に、霊は美しいその顔を歪ませた。
八雲の事は私も直接会った事がある。霊の古い知り合いで、同じ吸血鬼──マテリアルの青年である。いわば同業者のようなもので、霊と同じく曼殊沙華の家に協力的な立場にある人物だ。
会った時の印象としては、少々お喋りだが親しみやすい美青年であり、決して強面などではない。そのため、場合によっては舐められる事もあるらしい。
けれど、それはそれとして八雲だってマテリアルなわけだ。怪我をさせられるなんてよっぽどのことだろう。
「彼に何があったの?」
霊の問いに、笠もまた狸そのものの顔に深刻そうな表情を浮かべながら腕を組んだ。
「強盗だよ。それもただの強盗じゃねえ。そいつら、壁や床の影になっているところから這い出してきたんだってよ。でけえ犬っころの姿でね」
「人狼だったのね……複数?」
「ああ、そういうこった。俺らみたいな輩はご飯になるしかないわけだが、吸血鬼さんだってそれは一緒だ。複数の男、それも人狼に不意を突かれたんじゃ、八雲だってまともにやり合えない。命があっただけマシだったというべきだろうね」
本当に物騒な話だ。
魔女や吸血鬼に不思議な力があるように、人狼たちにも不思議な力があることは私もすでに知っている。一番身近な人狼は、無花果氏の下で働いている釧だが、彼が狼に変身したり、壁や床をすり抜けて姿を消してしまうところは何度か見たことがあった。
あの力を悪用されたら、魔の世界にまだまだ疎い私なんてひとたまりもないだろう。
「幸い、怪我の程度は軽いんだが……大きな被害があってね。八雲のとこに預けてあった古物が一つなくなったのよ」
笠の言葉に霊は頭を抱えた。
「……で、何がなくなったの?」
「〈アイム〉だよ」
その回答に、霊は表情を曇らせた。
黙して考え込む彼女に対し、笠は落ち着いた声で告げた。
「ともかく、俺は俺で情報集めをすることになった。霊も手伝って欲しいとのことだ。まずは、あんたらも八雲の所に行ってくれ。事件の詳細を話してくれるはずだ」
「分かったわ」
「よろしく頼む」
その後、笠は速やかに帰っていった。
「さてと、八雲に連絡をしないと──」
頭を抱える我が主人の横顔に、私は恐る恐る訊ねた。
「あの、今回盗まれた〈アイム〉って、何か危険なものなんですか?」
古物であり、名前がついている。事情は分からずともその意味を私もまた分からないはずがない。町の平穏を脅かすようなものが悪用されるとなったら大変だ。
しかし、幸いと言っていいのか、霊は首を横に振ったのだった。
「いいえ。危険度は低いものよ。雷様の譲渡も出来るランクD。詳しくはこの帳簿をごらんなさい」
手渡されたのは、名前付きの古物の一覧が記されている帳簿だった。言われるままに開いて確認すると、確かに〈アイム〉の文字が記されていた。卓上ランプであり、ランクはDと書かれている。
ともあれ、霊が深刻な顔をするほどの古物だ。内容次第だろう。ということで見てみると、そこには古物の特異的な力ではなく、元の持ち主の名前と経緯が記されていた。
──作家・合歓より受託。遺言により娘が成人するまで保管。
なるほど。霊が頭を抱えた理由が分かった。
それにしても、合歓。
「合歓さんってもしかして、あの合歓さんでしょうか?」
あの、という通り私にも心当たりのある人物だった。知り合いなわけではない。合歓はこの町の有名人の名前でもあったのだ。
故人であり、この町にかつて暮らしていた有名作家である。病により三十代という若さで亡くなった。作家という肩書からもまず間違いないだろう。
「合歓さんの遺品?」
「そうよ。どうも、曼殊沙華の家の人の中にご友人がいたそうなの。もう長くないと悟った彼が自ら預けた代物だったのよ。娘さんが成人したら渡して欲しいって。それからここの店で名前を付けてしばらくの間は預かっていたの」
「それがどうして八雲さんの所に?」
「どこからか噂が漏れたからよ。珍しくはないわ。合歓のファンがやってきて、遺品があると聞いたのだけど……って訊ねてくるようになったの。その都度、誤魔化しはしたけれど、さすがに危なっかしいってことで、こっそりと八雲の家に避難させていたのよ」
「なるほど……」
霊によれば、それが数年前の事。
噂もいつの間にか囁かれなくなり、平穏な時が過ぎていた。
それなのに何故。
「卓上ランプってことですが……品物自体は高価なものなんでしょうか」
「そうねぇ。安物ではないのは確かよ。でも、何の変哲もないランプなの。量産品で、デパートとかで売られていたから同じものを持っている人もいるでしょう。でも、合歓の持っていたランプだけは何故か特別な力を持っていたの」
「どんな力なんですか?」
「そのランプの光の下で作業をすると、これまでにない閃きが生まれるというものよ」
「え、それだけ?」
思わず私は問い返してしまった。もっと恐ろしいか、強烈なものを想像していたからだ。
しかし、霊は言った。
「それだけって思うかもしれないけれど、それだけの事に大きな魅力を感じる人も多くいるはずよ。閃きが運命を分ける仕事なんかもあるわけだもの」
「そっか、もしかして合歓さんのお仕事も……?」
「どれだけ彼の才能で、どれだけランプの力だったのかは分からないけれどね。ただ、雷様と虫眼鏡の〈ピュルサン〉の見立てが正しいなら、このランプには世の秩序を乱しすぎる程の凶悪さはない。こういう事情がなければ間違いなくランクDの代物。希望者に譲渡することも可能なの。でも、そこに書かれている通り、持ち主はもう決まっている。盗まれたままにしておくわけにはいかないわ」
「……どうして、強盗は〈アイム〉を盗んだのでしょうね」
見た目はただのランプであるならば、たまたま目にして大きな価値を見出したとは考えにくい。背景を知っているのか、不思議な力を知っているのか。いずれにせよ、不気味な事には変わりない。
何故、彼らは八雲を襲ったのか。
「合歓さんのファンによる黒い依頼とか……?」
考えながら呟いていると、霊は言った。
「詳しい事を考えるのは八雲に会ってからにしましょう」
それから翌々日、私たちは八雲の家に向かう事となった。
電話をした霊によれば、八雲本人が応対し、声の様子も問題なかったという。しかし、実際に訪れてみれば、想像していたよりも包帯だらけだった。
「八雲……酷い有様ね。でも、無事でよかった」
応対されて早々、霊がそう言うと、八雲は苦笑を浮かべた。
霊や八雲のようなマテリアルは不老の吸血鬼だが、死なないわけではない。深手を負えば命にも係わる。軽傷だったのは喜ぶべきことなのだろう。
「言い訳にしかなりませんが」
と、八雲は言った。
「いつもだったら防犯対策はしているんです。人狼の強盗なんてそれこそ大昔からいるものですから。子どもの頃に祖父から譲られたお守りの短刀があって、近づいてくる人狼の力を制限することが出来るという代物なんです。それさえあれば、こんな事にはならないはずだったのですが、その力を発揮するには聖油が必要で……。注文トラブルがあって、ちょうど切らしていたんですよ。そのタイミングで運悪くコレですよ」
苦笑する八雲の片目は眼帯で隠れている。片腕は固定されているし、片足も動かしづらいらしい。軽傷といっても掠り傷などではない。
本当に命に別状がなかったというだけで、日常生活には支障が出ているようだった。
「相手は人狼ですからね。こちらも吸血鬼ではありますが、不意を突かれればさすがに不利です。それに数でも負けてしまいましたので」
八雲の説明によれば、強盗は床下から突然現れたのだという。本に書かれていたような力だ。物陰にいつの間にか入り込み、襲い掛かってくる。光のある所では不自然な影も分かりやすいが、暗がりではそうはいかない。特に夜となれば尚更だ。八雲が襲われたのも夜だったらしい。いつの間にか強盗達が入り込み、不意を突かれる形で襲撃され、〈アイム〉を盗まれたという。
「盗まれたのは〈アイム〉だけ?」
霊の問いに八雲は頷いた。
「ええ、そこが引っかかるんですよね。単純に金品目的だったら盗まなさそうな代物ですから。けれど、現金やもっと高価な金目のものは無事で、〈アイム〉だけを狙い撃ちして持ち去っていったのです。……まるで、誰かに依頼されたかのように」
険しく目を光らせながら、八雲は言った。
私はまだまだ魔物に詳しいわけではない。これも〈アスタロト〉に書かれていた内容に過ぎないのだが、人狼という生き物の実際は、伝承のイメージに反して特に理由もなく見境なしに誰かを襲うわけではないのだという。
野生動物だって同じことだが、簡単に勝てる相手でないならば、無駄に喧嘩を吹っ掛けたりはしない。相手が吸血鬼となれば、それこそ何かしらの事情がなければ距離を取ってやり過ごすものなのだと。
つまり、ただの物取りであるならば、そもそも八雲を襲うことも不自然だ。人狼は鼻がいい。どんなに隠していても、相手が人間か魔物かくらいは分かる。相手が古来より人狼と衝突が多い吸血鬼ならば尚更だ。
となれば、やはり依頼されたのか、はたまた、彼ら自身が〈アイム〉を欲しがっていたのか。
「〈アイム〉がただの卓上ランプじゃない事を知っていた。それは確かね。では、依頼されたのか、彼ら自身が計画したのか、そこを詳しく知りたいところだけれど……」
どうやら手掛かりはあまり残されていないらしい。
八雲によれば、人狼たちはいずれも知り合いなどではなかったという。犯行に要した時間もほんの数分程度で、体毛一本残さず去っていった。
追いかけようにもその時の八雲は意識を失いかけた状態で、数時間後に家を訪れた家政婦に発見されるまで一歩も動けなかったのだという。
「ちなみにその家政婦さんは魔の血を引かない並みの人間でしてね。僕がちゃんと目覚める前に警察に通報したらしい。だから警察沙汰になってしまって」
普段ならば、魔物同士のいざこざは基本的には秘密裏に処理される。警察が関わるのは事件に魔の血を引かない人間が関わった場合のみだ。
「凶悪な強盗事件として報道される可能性はあるわね」
霊が言った。
「でも、警察沙汰になる利点もあるわ。犯人を捜すにしろ、曼殊沙華のお家だけでは限界があるもの。もっとも、私たちだけで解決できるに越したことはないのだけれど……」
「犯人について、思い当たることとかってあるんですか?」
恐る恐る八雲に訊ねるも、八雲は静かに首を横に振った。
「全く分かりません。〈アイム〉の秘密を知る者は限られていますし、僕の家にあったことを知る者は、曼殊沙華の家の関係者やそれに近しい者くらい。ですが、わざわざこんな事に手を染めるような人物なんて思い当たらなくて」
「人の口に戸は立てられぬって言うもの。何処からどう漏れて、どう広がるかなんて分からないわ」
霊がそう言うと、八雲は落ち込んだ様子で頷いた。




