表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
21.願いを叶える両手鍋〈モラクス〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/147

後編

「だめ!」


 雄牛の姿を前に、私はとっさにそう言った。彼がどうやって飛蝗を捕らえるつもりなのか、それは分からない。しかし、試せることは全て試す。そのつもりで私はここにいた。

 取れる対策は何があるのか、私は事前に何でも知っている古書〈アスタロト〉に訊ね、有効な魔術を頭に刻んできていた。

 現在、もっとも私が練習をし、自信もつけたのが蜘蛛の糸の魔術だ。しかし、それ以外にも日頃練習してきた魔術はたくさんある。得体の知れない相手であろうと、虫の魔術は牙を剥くのだ。


 ──蝗の大群の魔術《暴食》!


 心のなかで唱えながら、私は練習し始めたばかりのその魔術を雄牛に向かって放った。途端に飢えた蝗の大群が現れ、雄牛に飛びかかる。彼らの《暴食》は、どんな生き物であろうとひとたまりもない。しかし、蝗に群がられてもなお、雄牛はぴくりともしなかった。

 まだまだ。諦めてはいけない。蟷螂の鎌に鍬形虫の鋏、蜂の針で狙いどおりに貫いて、私はどうにか雄牛を止めようとした。


 ──お願い、止まって!


 ところが、雄牛は止まらなかった。邪魔をする私には目もくれず、ただただ飛蝗ばかりを見つめていた。かくなる上は、蜘蛛の糸。《緊縛》のために呼び寄せた糸が相手を捕まえようと猛スピードで襲いかかる。しかし、その糸もまた雄牛には通用しなかった。やがて、雄牛は興奮気味に鼻息を漏らすと、突然走り出した。


 止められない。そう悟ると私はとっさに蝶の大群の魔術を放つと、そのままの勢いで飛蝗の手を掴み、走り出した。どこでもいい。あれから逃げなければ。

 夜道をとにかく走り続けて、人の多いはずの道を目指した。ところが、どういうわけだろう。辺りは静まり返っており、誰ひとりとして通りかからない。それだけでなく、知っていて当たり前のはずの道に迷い、途中からどこをどう進んでいるかも分からなくなってしまった。

 やがて、賑やかさとは無縁の寂しい通りに差し掛かったところで、飛蝗がついに声を上げた。


「もういいです……幽さん、もういい……!」

「そんなわけにはいきません!」


 必死に叫んで振り返り、私はそのまま凍り付いてしまった。

 あんなに走ったのに、あんなに急いだのに、私たちの背後には、あの雄牛がいた。少し離れた距離で、外灯に照らされて、こちらをじっと窺っていたのだ。

 飛蝗はそんな雄牛をふり返ると、全てを諦めたような表情で呟いた。


「仕方ないんです。これが僕の運命。足掻いたところで無駄だった。あなたの善意に甘えたところで、どうにもならなかった。──だから」


 飛蝗は私の手を無理やり振り払ってから言った。


「だから、もう忘れて。あなたは逃げてください」


 ──全部忘れて逃げなさい。


 かつて、同じような事を言われた事があった。血まみれで、今にも死にそうな状況で、それでも彼女は私を逃がすことばかりを考えていた。

 彼女はまだ生きている。生きているけれど、あの頃と同じ彼女なのかはもう分からない。けれど、とにかく、あの時の私は従わなかった。逃げなかった。そしてそれは、今も変わらない。


「駄目です!」


 飛蝗の手を捕まえて、私は強く叫んだ。


「あなたには生きて貰わないと。生きて、花売り撲滅のために協力して貰うんだから!」


 その瞬間、左胸が熱くなった。〈赤い花〉が踊り狂っている。公園であれだけ魔法を連発した以上、残された魔力も少ないだろう。従属する相手もいないこの状況下、あとどれだけの魔法を使えるのかも分からない。

 それでも、私は逃げられなかった。

 逃げたくなかった。


「〈モラクス〉!」


 霊がつけたその名を呼びながら、私は雄牛を指さした。


「今からお前をステーキにしてやります!」


 何度やっても無駄だ。そう言い捨てるのは簡単だ。あの雄牛が現れて以来、何度も練習してきた虫の魔術はひと通り唱え、成功させ、命中もさせてきた。それでも奴は止まらなかったのだから。それでも、私は諦めきれなかった。可能性の花びらを一つ一つ散らされたとしても、その全てを摘まれてしまうまでは、明るい未来を信じたかった。

 まだだ。まだ試していない魔術はある。ここから先は、絶対に練習不足だ。それでも、私は深呼吸をして、初めて試すその魔術を放った。


 ──蟻の大群の魔術《聖火》!


 心の中で丁寧に唱えると、程なくして私たちと雄牛の間にぽつぽつと炎が灯り始めた。現れたのは仄かに光る不思議な蟻たち。炎の力を宿す彼らは真っすぐ雄牛に向かって進軍し、その身体をモヤさんと群がっていく。雄牛はそんな蟻の登場に、やや意識をとられた。どうやら、獲物以外にも興味は持つらしい。


 ──お願い、燃やして!


 その蟻たちの炎に聖なる力が宿っているかは分からない。それでも、聖火と名付けられたその炎に、少しでも浄化の力があると今だけは信じたかった。


 ──お願い!


 あっという間に雄牛は蟻たちに囲まれ、そして襲いかかられる。雄牛は獰猛な声をあげた。苦しんでいるらしい。通用している。

 けれど、喜んだのも束の間のことだった。雄牛が再び雄叫びをあげた途端、蟻たちは炎ごと吹き飛ばされてしまったのだ。消えた炎は戻らなかった。しかし、まだだ。まだいけるはず。苦しんだという事は、何ともなかったわけじゃない。


 ──もう一発!


 だが、身体を力ませたその時だった。心臓から全身にかけて電撃が走り、膝から下の感覚が急になくなったのだ。どうにか倒れ込まずにいられたものの、私は気づいた。

 もう魔力が尽き欠けている。


「幽さん!」


 私の異変に気付いた飛蝗が振り返る。その隙を見て、雄牛が走り出した。


「いけない……」


 まだ魔力はあるはず。

 だが──。


 ──天道虫の鎧の魔術《鉄壁》!


 私がとっさに放てたのは、虚しい抵抗だけだった。

 飛蝗を襲う雄牛の身体がぴたりと止まる。目には見えない天道虫の強靭な体が、私と飛蝗を守っていた。しかし、これがどれだけ持つのか。時間の問題であることは間違いなかった。そして、私の魔力も、ほんの数分も持たないことは分かり切っていた。


「幽さん」


 飛蝗は言った。


「今のうちに、あなたに伝えておきます」


 彼は言った。


「どうか僕の代わりに……僕のせいで売られてしまった〈赤い花〉を──雛芥子ひなげしという魔女を助けてあげてください!」


 パリッという軽い音が聞こえた瞬間、私はどうにか飛蝗を庇おうと前へ出た。しかしそれよりも早く、飛蝗は逆に私を庇うように前へと飛び出し、そのまま雄牛の持つ人間のような手にがっしりと捕まってしまった。


「だめっ!」


 手を伸ばし、私もまた彼らの元へと飛び込もうとしたその時、背後から私の手を掴む者が現れた。何事かと考えるよりも先に、その誰かは私の身体を強引に引き寄せて、振り返らせた。視界がぐらりと揺らぎ、何かに遮られて何も見えなくなった。


「見ないで」


 耳元で囁きかけてきたその声は、我が主人である霊のものだった。

 霊はやや乱暴に私の背中を抱きしめると、後頭部を抑えこんできた。霊の胸元に鼻と口が押し付けられ、呼吸が苦しい。しかし、それよりも、背後であがる悲鳴を聞く方が苦しかった。


「霊さん……私……」


 言いかけるも、言葉が続かない。

 飛蝗はどうなったのか。背後がどうなっているか。恐ろしくてもう何も訊ねられなかった。だが、そんな私を責めるように、物音は聞こえてくる。耳を塞ぎたくても塞げない中、私はただ霊の胸元で泣くことしか出来なかった。

 しばらくすると、もう悲鳴は聞こえなくなった。聞きたくない生々しい物音も、次第に聞こえなくなっていった。そうして、完全に静かになると、霊は落ち着いた声で前方へと呼びかけた。


「〈モラクス〉、もう満足したでしょう」


 そして彼女は無表情のまま命令した。


「お眠りなさい」


 それっきり、雄牛の気配はなくなってしまった。

 雄牛は消え、飛蝗も消えた。さっきまでの騒動が嘘のように静まり返った夜道の中で、私は自身の震えを止めることが出来ずにいた。すすり泣くのもやめられない。自分が情けなくて仕方なかった。そんな私を強く抱きしめたまま、霊は呟くように言った。


「無茶をしたわね」

「……ごめんなさい」

「無事でよかった」


 淡々と呟く彼女に、私は耐え切れなくなってしまった。


「私……何も出来ませんでした。彼を助けたかった。花売り撲滅の協力をしてもらうって約束したんです。そうでなくたって、助けてあげたかった。──なのに!」

「幽」


 泣き叫ぶ私と無理矢理目を合わせ、霊は小さな声で言った。


「あなたは頑張ったわ」


 後はもう、泣くことしか出来なかった。

 それから茫然としているうちに時間は経っていった。何も出来なかった無力感と、目の前で起こった恐ろしい出来事は悪夢となり、私の心を蝕もうとする。けれど、霊はそんな私の傍にいてくれた。勝手な行動を咎めたりはせず、謝り続ける私をただ受け止めてくれた。


 心の傷は時間が経てばどうにかなる。そんな事を私はすでに知っている。私は人間ではなく魔女だから、魔女の性が満たされ続ければ、心身の回復も早いのだ。

 それでも、両手鍋の〈モラクス〉の存在は恐ろしいと感じてしまった。

 霊の予想通り〈モラクス〉のランクはSとなり、最後のご馳走に満足したまま、開かずの間の中で長い眠りにつくこととなった。持ち主であった飛蝗は死体すら見つからず、行方不明者となった。やがてこの事は〈モラクス〉を飛蝗に売った翅人商人の耳に入る事となるだろう。そうなれば、〈モラクス〉を取り戻そうとこの店にやって来る事があるかもしれない。


「許せません」


 開かずの間の扉の前で、私は霊に言った。


「あの鍋、〈モラクス〉を飛蝗さんに売った商人を許せません」

「気持ちは分かるわ」


 しかし、霊はいつものように冷たい表情で私を見つめてきた。


「分かるけれど、探し出そうなんて考えないで」


 言い返しそうになる私を睨み、霊は続けた。


「少なくとも今はね」


 その言葉に、私は息を飲んだ。


「〈モラクス〉はこの店にある。いずれ嫌でも向こうからこちらにご挨拶に来るでしょう。その時までにあなたはその爪と牙をもっと磨きなさい。〈モラクス〉は倒せなくても、翅人は倒せるわ。けれど、確実に復讐したいなら、機会を待たなければ駄目」


 こみ上げる思いと涙を抑え込んで、私は強く頷いた。


「分かりました。それまでに私、もっと強い魔女になってやります! 強い魔女になって、飛蝗さんの無念を晴らしてやります!」


 そして、我が主人には悪いけれど、私は探したい。

 飛蝗が言い残した人物。雛芥子という名の〈赤い花〉の行方について。

 出会った頃に比べれば、私はだいぶ魔女らしくなったはずだ。それでも、長く生きてきた吸血鬼である主人から見れば毛が生えた程度でしかないだろう。

 私の宣言もまた、歯痒いくらいに青臭いのかもしれない。それでも、霊は意地悪な眼差しを向けてくることもなく、ただ薄っすらと微笑みを浮かべて、小さな声で呟いた。


「その時は、私も一緒よ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ