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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2.言葉の聖杯〈アガレス〉
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後編

『――っていうわけで、ラヴェンデルの製品を主に扱う知り合いのところも探してみたのですが、なかなかお望みの品は見つかりませんでした』


 何を言っているのか分からなかった言語が、はっきりと分かった。まるで乙女椿の人語のようだ。喋っているのは透明な体を持っている客人。


『霊様が仰っていた品は確かに存在したのですが、作り手が数年前に亡くなっていたことが分かりまして』

『――まあ。そうだったの。でも、ニュースとかにもならなかったじゃない』

『どうやら現地のみのゴシップにとどまったようです。ラヴェンデル在住の魔物の皆さんには大ニュースでしたが、現地でも魔物以外の皆さんにはそこそこな話題にとどまり、ここ乙女椿までは海を渡ってはこなかったようでして』

『……そう、残念だわ。優秀な人を失っていたのね。幽にもぴったりだと思ったのに』


 ――私にぴったり?


 思ってもみなかった私の名前を出され、疑問が浮かんだ。あれ、もしかして、あの透けているお客さんと霊は、ずっと商談していたのではないだろうか。そんな当たり前の発見に驚いてしまった。


『その代り、ラヴェンデルでは彼の意思を継ぐ職人が素晴らしい出来のものを作っておりまして、これです』


 いかにもセールスをしている感じのお姉さんの声に興味をひかれて暖簾をくぐってみれば、蘭花のテーブルの上で透けた体のお姉さんが何かを霊に手渡していた。目を凝らし、首をかしげる。

 鞭に見えるのは気のせいだろうか。いや、気のせいか。うん。私にぴったりと言っていたわけだし。


『あら、いいじゃない』


 うっとりとした表情で霊が鞭を眺めている。やっぱり鞭にしか見えない。それも、馬なんかを調教するときの鞭だ。短鞭である。人の皮膚なんかをあれで叩いたら大変なことになる。馬用の鞭だ。間違いない。あれで叩かれたら結構痛いんだろうな。傷が残ってしまうかもしれない。そう思っていると、急に霊が短鞭で空を切った。

 ビュッと頼りがいのある音が聞こえる。


『頼もしいわね。攻撃にも使えそう』

『あはは、そうですね。人間の悪人だったらひとたまりもないと思いますよ。あ、もし幽様のお身体が心配でしたら、同じラヴェンデル製のものでド定番の〈ネコの九尾〉もちゃんとありますよ』


 今、あの透けている人、私の身体の心配をした。聞いた。聞いちゃったよ、私。分かりました。事態を把握しました。


『あの、霊さん!』


 自分の口から漏れ出した言葉に違和感があった。だが、脳では分かっているから問題ない。〈アガレス〉様々だ。聖杯はずっと手に持っているけれど、もはやどうでもいい。それよりもずっと、目に見えてはっきりとした恐ろしい計画を知ってしまったのだから。


『え……ゆ……幽?』


 驚いた様子で振り返り、霊の視線が私の持つ聖杯へと向く。すぐに事態を把握したのか、納得したように声を漏らすと、同じく驚いた様子だった透けた体のお姉さんに向かって、照れ臭そうに言った。


『バレちゃったみたい』

『そうみたいですね。ここは無難に〈ネコの九尾〉にしておくということで丸く収めてはいかがでしょうか』

『それがいいかも』


 勝手に丸く収めようとするお二方に向かって、私はずかずかと歩み寄った。


『よくないです! 私の目の前で私に隠れてコソコソおしゃべりしていると思ったら、何を計画しているのですか!』

『サプライズよ。ああもう、台無しね。せっかく内緒にしておこうと思ったのに』

『さ、サプライズ? だって、なんで――』


 と言いかけて、私はふと思い至った。カレンダーに記された今日の日付である。

 季節は夏。梅雨が明けたばかりの今日この頃、私はカレンダーを目にしてはふうとため息をついていた。理由は真夏のある日付の訪れだ。人生でもっとも嫌いな日が来ようとしている。それは、敬愛する母を苦しめた日でもあり、私が自分の出自をいやでも思い出す日でもある。大人になってから嫌いになってしまった日。そう、私の誕生日が来ようとしていたのだ。


『ま、まさか……』


 カレンダーを見て茫然とする私の姿に、霊はわざとらしく背伸びをして不満そうに唇を尖らせた。


『脅かそうと思ったのに』


 二つの意味で、でしょうか。いや、だとしても、これは思ってもみなかった。こういうことがあると分からなかったのだろうかと言われれば、おかしいことに予想も出来なかったと答えるしかない。

 誕生日を聞かれたのは確かだった。聞かれた際に、誕生日が嫌いな話をしたのも覚えている。だが、その誕生日に、霊はプレゼントを準備しようとしていたなんて。ポロポロと零れ落ちたのは涙だろうか。

 ああ、なんだか。母が亡くなって以来、なんだかすごく久しぶりに、自分の誕生日が楽しみになった気がしたのだ。


『んもう、大袈裟なんだから。泣かないの、幽』

『ふふふ、お噂通り、仲がよろしいのですね。わたくし妬いちゃいます』


 透けた体のお客さんが愛らしく笑っている。すみません、私、ついさっきまであなたにめちゃくちゃ嫉妬していました。


『あんなに泣かれちゃたまらないわ。奮発しちゃいましょ。そのラヴェンデル製の〈ネコの九尾〉と短鞭、両方ください』

『はい、喜んで。そうそう、アイアンメイデンの方も探しておきますね。』


 なんて幸せなんだろう。私の為に、猫鞭と短鞭を――。

 あれ、ちょっと待って。ちょっとおかしくないかな。私の誕生日プレゼントに選べる2タイプの鞭。もちろん、私が使用するわけじゃないだろう。私に使用されるのだろう。猫鞭は程よい刺激になりそうだけれど、短鞭は大丈夫なのでしょうか。っていうか、アイアンメイデンは何のために探すのでしょうか。詳しく聞きたいことだらけですごく不安である。


『では、この書類にサインをお願いします。記載されている内容にお間違えがないか、ご指定の日もご確認を。あ、判は……』

『血判状だったわね。吸血鬼の血判なんて不吉すぎてぞくぞくしちゃうわね』


 自分で言いますか、それ。


『すみません、よろしくお願いします』


 そう言って、透けた体のお姉さんは針を差し出した。何処から出したのだろうなんて言わない。そもそもその血判状だって何処から出ているのか分からないのだから。鞭もそうだし。


 それはそうと、お姉さんから霊が針を受け取った。なんとなく釘付けになった。自分の右手親指に向かって針を向ける霊。痛みをもたらす人は実は痛みに弱いものだと聞いたことがあるが、もしかして本当なのだろうか。刺すまでにやや躊躇いを感じて、どきっとした。そして刺した後は小さく悲鳴を上げた。その姿は妙に可愛く感じた。

 霊が書類に血判を捺すと、お姉さんはにこりと笑ってそれを受け取った。


『では、約束の品は新品のものをお送りします。ご指定の日にお届けされないなどトラブルがありましたら、こちらにお電話ください』


 名刺を渡し、透けた体のお姉さんが頭を下げる。


『分かったわ。お願いします』

『はい、この度はお買い上げ、有難うございます。では、そろそろわたくしはこれで……』


 立ち上がる彼女を霊は見送る。昨日も一昨日も、こんなやりとりが行われていたのだ。きっと、注文を受けてカタログなんかを持ってきて、霊の希望に添えるものを必死で探してきたのだろう。そっか。そういう事だったんだ。私の為にただお買い物をしていただけだったんだ。

 お見送りを済ませると、霊は閉店準備を始めた。


「さっきの人ね」


 と、馴染みある乙女椿の言語で霊は言った。


「笠の紹介だったの。陽炎と呼ばれる人たちで、いるのだかいないのだかよく分からないなりに存在している種族よ」

「すみません、私……」


 聖杯アガレスをカウンターにことりと置いて、とりあえず蘭花のテーブルを整えた。まさか、サプライズをしてくれようとしていたなんて。その内容はともかく、台無しにしてしまった気がして、ホッとした反面、心にずんと重たいものがのしかかってきた。


「好奇心に負けちゃって」


 泣き出しそうな思いでそう言ってみれば、霊はカーテンを閉めながらため息を吐いた。


「まあ、仕方ないわ。あなたの気持ちを思いやれなかった私のせいよ」

「そんな! そんなこと、ないです。だって、私の誕生日なんか……祝われるようなものじゃ……」


 またしても涙がこぼれた。


 霊と結ばれたのは、私の父親のお陰でもあった。父が直接何かしたわけではないが、父の存在で私たちは結びついたのだ。偉大なる吸血鬼、てん。彼は今、何処で何をしているのだろう。

 そんな父親が私は大嫌いだった。母が死んだのだって、私は今でも父を疑っている。母の〈赤い花〉を持ち去ったのは誰か、考えるだけでも胸が苦しい。それが実の父だとしたら、私は何故、生まれてきたのだろう。

 そんな思いが孤独な私にのしかかり、いつまでたっても苦しめてきたのだ。

 こんな私の誕生日なんて、どうして祝えるだろう。私の誕生は呪われていた。愛してくれた母の思い出も、真実を知った日から歪んでしまっている。


「幽」


 泣いている私を霊が抱きしめてきた。いつになく優しい。でも、今は、この優しさに甘えたかった。母の温もりみたいだった。


「あなたが生まれてきた日なのだから祝われるものに決まっているでしょう? だって、あなたが生まれなければ、私はあなたに出会えなかったのよ?」

「……霊さん。私……私……」


 情けないほどに涙が出る。鼻水とかでもうなんかぐちゃぐちゃだ。そんな私の頭を犬か猫のようにわしゃわしゃと撫でながら、霊は言った。


「幽のお馬鹿さん」


 にっこりと揶揄う彼女が本当に愛おしかった。


「こんな当たり前のことをこの私にわざわざ言わせたあなたには、お仕置きを受けてもらいます」


 抱きしめられながら、私は素直に「はい」と頷く。すると、霊は首を傾げ、何処かへ視線を向けた。カウンターだ。そこには何があっただろうか。ああ、そうだ。〈アガレス〉。この一件で、私に偉大な力をもたらしてくれた頼もしい聖杯があったのだった。

 抱きしめられながらそっと振り返ってみれば、聖杯〈アガレス〉は沈黙したままそこにいた。生まれ故郷から存在を否定されてしまった、行き場のない古物。私はそんな聖杯に、心の中で礼を言った。

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