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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
20.正体を見抜く虫眼鏡〈ピュルサン〉

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前編

「そのルーペを譲っていただきたいのです」


 応接用の蘭花のテーブルに座るなり、まことと名乗る客人の青年はそう言った。視線の先にあるのは我が主人、霊の愛用する虫眼鏡〈ピュルサン〉であった。突然のことではあったが、霊はとても落ち着いた表情を浮かべている。

 だが、その返答がどうなるかは聞くまでもなく分かる。どういう事情か分からないけれど、常日頃、役に立ち続けている〈ピュルサン〉をそう簡単に手放すとはとても思えなかったためだ。

 それでも、霊は言葉を選んでいた。それもそのはず、真というこの人物は曼殊沙華の紹介でここへ来たのだ。無下に出来ないのも仕方がない。

 茶を運んだ後、沈黙と共に見守りながら、私もまた妙な緊張を覚えていた。

 そもそもこの真という人は何者なのだろう。少しは成長したこの魔女の目で見るに、彼はただの人間ではない。そのオーラの色は赤色。曼殊沙華の人々や霊と同じような魔物の色をしているようなのだが。


「あなたはこのルーペの力をご存知なのですね」


 丁寧かつ鋭い口調で霊がそう訊ねると、真は恐る恐る頷いた。

 魔物の色をしているわりには儚げな印象であるのも気になるところではある。恐らくそういう性格なのだろう。それでも、言うことは大胆なのだから印象深いったらない。


「お金ならいくらでも出します。足りないようなら、僕に出来る事なら何でもします。ですから、どうかこの通り」


 ぐっと頭を下げて、真はそう言った。

 何でもだなんて恐ろしい相手に恐ろしい事を。他人事ながらはらはらしながら見守っていると、霊は軽く咳払いをしてから答えた。


「真さん。申し訳ありませんが、これはお譲りできない代物なのです。そもそも、あなたに必要なものだとは思えない。何に困って曼殊沙華を頼ってまでここに来たのか教えていただけませんか?」


 いつもよりも数段優しい口調に努めているのも気弱そうな彼を気遣ってのことだろう。柔軟な態度に少しは気を許してくれたのか、真は顔をあげて静かに頷いた。


「す、すみません。どうしても仕事で力を借りたくて……。譲っていただくことが難しいのなら、お借りすることは出来ませんか?」

「条件によります。困っている内容をもっと詳しくお聞かせください」


 霊の言葉に、真は静かに頷いた。


「店主さんにはきっとお見通しでしょうけれど、僕は人間じゃありません。生まれつきの目の力を使って、学生時代の先輩が経営する興信所で働かせて貰っています。難しい内容も多いですが、この目のお陰でどうにか解決させてきました。ですが、この度、僕の目ではどうしても見抜けない事案が発生してしまったんです」

「見抜けない?」


 霊の問いに、真は頷いた。


「内容はとても単純な持ち主探しでした。ある高価な遺品を巡って親族同士がいがみ合っているそうで、遺言があった、生前に約束をしていたと、主張が食い違っているそうなのです。そして、僕の力を知った依頼主である孫娘さんがその遺品の正当な持ち主を見通して、いがみ合いをうまいこと終わらせたいのだと言ってきたのですが……」

「それが見通せなくて困っているのね」

「はい。僕の目が通用しないなら、と、所長は親族同士で話し合って、改めて決めることを促しました。でも、僕はどうしてもお祖父さまの遺志を気にする孫娘さんの気持ちに応えたくて……」


 プライドなのか、はたまた別の理由があるのか。それは分からないが、ともあれ彼は知りたいらしい。遺品に秘められた真実を。


「だいたいの事情は分かりました」


 霊はそう言って、ちらりと実の目を見つめた。


「ですが、先ほども申しました通り、このルーペが困っているあなたの力になれるとは思えません」

「どうしてですか?」


 困惑する真に対し、霊は小声で答えた。


「このルーペの力は、あなた達の持つそのを羨んだ人物が授けたものだからです」


 その言葉を聞いても私はさっぱりだったが、真には通ずるものがあったらしくしばし沈黙していた。肩を落とすその様子は納得しているようにも見えた。

 だが、真は首を振って、今一度、食い下がってきた。


「いえ、もしかしたら……もしかしたら、何らかの理由で僕の目の力が弱まっているのかもしれません。ひょっとしたらそのルーペよりも」


 必死になって訴えてくる彼を前に、霊は短くため息を吐いた。そして、ちらりと私の方へと視線を向けてくる。


「幽。ちょっとこっちへ」


 すごく嫌な予感がする。けれど、逆らうことを許さないその視線に、自ずと足が動いてしまう。強い者への服従こそが私の幸福でもある。取り消せない主従の契約で結ばれている霊が相手ならば、従うだけで心が踊ってしまう。空腹の猛獣の前に美味しいお肉を差し出すようなものだ。そういうわけで、嫌な予感がしようと反抗など出来なかった。

 指示された場所に立つと、霊は楽しそうに笑って真へと視線を戻した。


「真さん。その目でちょっと私の自慢の助手を見通してもらえるかしら?」


 とても嫌な予感がする。だが、何も知らない客人は戸惑いつつも彼女に従い、子犬のような円らな瞳でじっと私を見つめてきた。

 直後、彼は小さく情けない悲鳴を上げて顔を伏せた。


「あ、あ、あの、すみませんでした! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


 何故かすごく謝られた。

 いったい、何をされてしまったのだろう。何を見られてしまったのだろう。何を見せてしまったのだろう。全く分からないがとても恥ずかしくなった。

 何も確かなことは分かっていないのに、とてもヒドいことをされたような悔しさ恥ずかしさとそして仄かな満足感が得られてしまっている。


「お分かりいただけました? あなたの目は健在です」


 けろりとした様子で我が主人はそう言った。

 真が恐る恐る顔を上げる。その顔は真っ赤になっていた。本当に、何を見てしまったのだろう。何を見せてしまったのだろう。動揺が動揺を呼ぶ中、私を置き去りに話だけが進んでいく。


「モノだけでなく人も見抜けるあなたの目はこのルーペよりもずっと優れている。よって、あなたに見抜けないものはこのルーペでも見抜けないでしょう。ですから──」

「ま、待ってください」


 けれど、真は必死になって食い下がってきた。


「そうだとしても、一度試させてくれませんか? 試してみてやっぱり駄目だったならば、ちゃんと諦めます。ですので、どうか!」


 必死な様子の彼を前に、霊はさらに困惑した。

 諦めて帰ってくれた方が彼女としては良かったのだろう。そこには面倒くさそうだという気持ちもありそうだが、やはり〈ピュルサン〉が役に立つとは思えないという考えがあってのことだろう。

 それでも、真の熱意は凄まじいものだった。条件付きでなら、と言ってしまった手前、霊もまた引くに引けなくなってしまったのだろう。


「分かりました。では、こうしましょう。〈ピュルサン〉の力はお貸しします。ただし、私と助手も立ち会います。現時点で〈ピュルサン〉を使えるのは私だけとなっているので」


 すると、真の表情はぱっと明るくなった。


「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」


 ぺこぺこと何度も頭を下げてくる彼の姿に、霊は苦笑しながら首を振った。

 それからしばらくして、来た時とは打って変わって上機嫌で帰っていく実をふたりで見送った後、私はそれとなく霊に訊ねた。


「あの……真さんって、何の種族なんですか?」

「あれはね蛇ノ目というの」

「蛇ノ目?」


 聞いたこともない魔物だった。


「一見するとただの人にしか見えないでしょう。けれど、その目にはとても不思議な力が秘められているの。目に映るあらゆるものの真実を見通すことが出来る。だから、はるか昔は彼らを崇める人々も多かったのですって。今はもうそんな時代じゃないけれど、彼らの力は衰えていない。あの人に限らず、目の力で人間たちの役に立つ仕事をしている人も結構いるそうよ」

「そうなんですか……」


 また知らない世界を知ってしまった。私が想像する以上にこの世は複雑で、多様的なものであるらしい。

 いや、それはいいのだが。


「ところで霊さん、真さんは私の何を見てしまったのでしょうか」


 どうしても気になって訊ねると、霊は百点満点の笑顔を向けてきた。


「シンプルに言えば、魔女の性が何なのかを見通したのでしょうね。あの様子から察するに、加減を誤ってかなり具体的に見てしまったのかもしれないわ」

「へえ」


 一瞬納得し、直後、衝撃を受けた。


「え、それってつまり──」


 言いかけた私の手を、霊はねっとりとした手つきで握り締めてきた。


「私達の食事風景でも見てしまったのでしょうね」


 顔から火が出そうになったのは言うまでもない。


「ちょ、ちょっと霊さん。テストするなら他に方法があったでしょう!」

「手っ取り早い方法かなぁって思って。ああ、何なら、ちゃんと答え合わせをすればよかったかしら」

「よくないです!」


 今の私は驚いて全身の毛を逆立てる羽目になった猫の気持ちだ。

 けれど、悲しいかな。こんな恥ずかしい思いすらも魂の根底では求めていると自覚していた。きっと霊もそうなのだろう。ちっとも悪びれずに彼女は言った。


「いいじゃない。ちょっと自慢するくらい」

「自慢って何ですか。自慢になってないですよ!」

「急に見せたくなっちゃったんだもの。自慢の恋人の可愛いところを」


 耳元で囁かれ、私は息を飲んだ。これは、食事前の囁きと同じだ。


「霊さん。営業中ですよ。お夕飯の時間はまだ先──」


 首筋に唇を近づけられると、私に出来ることはもう何もない。心身はすっかり牙を受け入れる準備をしてしまうし、もたらされるだろう痛みと苦しみ、そしてその先に待ち受けている快楽を想像して期待ばかりが膨らんでしまう。

 ところが、霊はそんな状況を作っておきながら、私の首をちょんと甘噛みするだけに留めたのだった。


「そうね。お夕飯はもう少し先ね」


 そして、あっさりと身を引いてしまった。

 いつもながら、なんて残酷な人なのだろう。

 心の中で血の涙を流しながら、私は項垂れるしかなかった。


 その状態のまま、仕事は続いた。なに、よくある事だ。そう思うしかない。お預けもまた魔女の性を満たすもの。お預けの果てに待っているご馳走を思えば耐えられる。あるいは一種の戦いだと思おう。

 爽やかお姉さんを装って笑顔で接客でもすれば、霊を少しは動揺させられるかもしれない。効いてませんよアピールで彼女の心に火をつけるのだ。本当は欲しくて仕方ないし、あの牙に貫かれるなら土下座でも何でもするくらいの気持ちだけれど、あまりにも気持ちが一方的だと悲しくなってしまうから。


 そうこうしている間に、地獄のような忍耐の数時間が過ぎていった。閉店準備が終わり、カーテンで店内が遮られた瞬間、私は解放感のようなものを感じた。だが、戦いはまだ終わっていなかった。


「幽。電気消すわよ」


 食事はまだお預けだったのだ。

 いつもの澄まし顔に誘われ、私は黙ったままついて行った。


「あとはお風呂に入って、テレビを見て、明日の準備もしなくちゃね」


 長い廊下を歩きながら霊は独り言をいう。そんな彼女に私は思わず呟いてしまった。


「お夕飯は……」


 すると、彼女は振り返りもせずに言った。


「どうしようかなぁ。今夜は何だかお腹が空かなくて」


 ──その気にさせておいてそんな!


 もしも近くに刃物でもあったら、自分の身体に突き立ててしまいそうだ。そのくらい、私の身体は痛みに飢えていた。けれど、分かっている。いくら自傷をしたところで、きっと意味はない。私の性は単純に苦痛があればいいわけじゃない。他者という存在があり、ちゃんと踏みにじられてこそのものなのだから。

 つまりは霊の協力がなければ飢えたままというわけだ。土下座してしまおうか。いや、けれど、なけなしのプライドがそれを邪魔してくる。そう簡単に折れるのも癪だった。だから私は効いていないかのような態度で言ったのだった。


「そうですか。じゃあ、明日も早そうだし、お風呂入ったら私はもう寝ちゃおうかな」


 ──本当はそんなの嫌なのに!


「そうね。それがいいかも」


 霊は明るくそう言った。

 なにもよくない。そう言いたくなる気持ちを抑え、私は黙り込んだ。


 ああ、今宵は辛い夜になりそうだ。風呂に入る時も、着替える時も、そしてひとりぼっちで寝る時も、私は暗い気持ちのままだった。めそめそしながら電気を消して、ベッドに潜るも眠気はなかなか訪れない。

 お腹が空いた。ああ、お腹が空いた。お腹が空いた。霊に色々されたい。酷いことされたい。血だらけにされたい。いつものように自分の血の味に酔いしれる彼女の顔を見たときのあの優越感に浸りたい。

 だが、今日はお預けだ。せいぜい明日の朝ごはんが豪華であることを願うのみ。

 泣きそうになりながら、私はどうにか眠ろうと目をつぶった。ちゃんと眠れるのかは疑問だったが、起きているよりも少しはマシなはずだから。そのままうつらうつらすること数時間。ようやく心身が飢えに疲れ、程よく睡魔が訪れてきた。


 異変が起きたのは、ちょうどその頃のことだった。全身がぞわぞわする。半覚醒の状態のまま、夢でも見ていたのだろうか。しかし、それは突然、生々しい感触へと変わった。

 身体に明らかな重みを感じたのだ。

 この感覚、だいぶ昔にも感じた気がした。

 遥か遠い昔の記憶のようだ。だが、そうではない、たぶん、初めてこのベッドで眠ることとなった夜の記憶だ。

 金縛りのようなこの感触。掛布の中に何かが潜り込んできて、ひんやりとしたものに地肌が触れられる。何者かの手が首筋へとのび、絞まるかどうかくらいの絶妙な力加減で抑えられる。目を閉じたまま小さく呻くと、甘い吐息を間近に感じる。

 あの時と、一緒だ。

 そこで眠気は完全に去っていった。


「霊さん」


 たまらず名前を呼ぶと、霊はつまんなさそうに溜息を吐いた。


「なんだ。起きていたの。良い夢見せてあげようと思ったのに」

「お腹空いたんですか?」

「あなたが腹ペコなんじゃないかって思って」

「わ、私は──」


 と意地を張ろうとしたものの、すでに敏感になっていたあたりに触れられてプライドは砕け散った。


「はい……空腹で死にそうです」


 お預けならばお預けで美味しいところもないとは言えない。けれど、やっぱり夜は霊の温もりに包まれてから眠りたいというのが本心だ。愛する人からの愛のある放置で性は満たされても、寂しい心は満たされない。

 一方で、霊の方はなかなか切実な問題があるようだった。蛇のように私の顔の近くへとにじり寄ってくると、手慣れた様子で衣服を剥ぎにかかる。肌寒さに身を丸めようとする私の手をやや乱暴に掴み、すっかり赤く染まったその目で覗き込んできた。


「いい具合ね。それじゃあ、遠慮なくいただくわ」


 私とは違って霊の食性は単純だ。定期的に血を吸わなければ飢えてしまう。端から絶食するつもりなんてなかったのだろう。ひょっとして私が眠っていた方が、都合が良かったのだろうか。けれど、どちらにせよ今更強制的に眠らせるつもりもないようだ。そんな余裕すら、霊にはもうなかったのかもしれない。


「殺さない程度に満たしてあげる」


 囁かれ、程なくして、かなり遅くなった夕食は始まった。

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