表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
17.諍いを鎮める鬼牙〈オティス〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/147

後編

 猫。そう、猫である。

 集まってきたのは猫。どんなに目を血走らせていても、私よりもずっと小さくてともすれば可愛いと言ってもいい猫たちが周囲を取り囲んでいたのだ。


 あれ、もしかして抗争っていうのは……。


 説明もままならぬうちに、虎猫が月子に向かって口を開いた。


「わ~お」


 可愛い。


 どうやら彼はヤヤ子や月子とは違って普通の猫であるらしく、その言葉は完全に猫語だった。威嚇しているみたいなのだけれど、もっと違う光景を想像していたからどうしても可愛く見えてしまう。というか、この子たちの喧嘩をやめさせるために霊も釧もあれだけ悩んでいたということなのかと思うとそれもまた可愛らしかった。いや、本当に困っていたのだろうけれども。

 月子が対抗するように壊れた噴水へと飛び乗る。そして、ずしっと足場を踏みしめると、大きく毛を逆立て、目と口を吊り上げて、虎猫の威嚇を何百倍にもして返した。


「ふしゃああああ!」


 怖い。怖いけれども……。


 ヤヤ子がそれを見て、さりげなく私のところへと戻ってきた。せがまれるままに抱き上げてやると、脱力しながら彼らのやり取りを見つめ、そっと呟いた。


「やれやれ相変わらずつっこは血の気が多くておっかない」

「あの、抗争っていうのはコレ?」

「ん? ああ、そうだよ。猫同士のプライドをかけたいがみ合いだよ」


 さも当然のようにヤヤ子は教えてくれた。


「あの虎猫はこの辺りを牛耳るボス猫ってやつだ。しかし、ボス猫っていうのには二種類いてね。人格ならぬ猫格が良いと尊敬されるタイプと、ただ単に喧嘩が強いから周囲が従ってしまうタイプがいる。あの虎猫は後者なのだ。前々からつっこは彼をよく思っていなかったのだが、つっこの若き恋人が巻き込まれてしまってね。かの虎猫は男猫を見かけるたびに喧嘩を吹っかけて力比べをしたがる迷惑な奴なもんで恋人も絡まれてしまったってわけさ。それで、今もその傷が塞がらないとあって怒りは治まらず、ああして奴のねぐらに単身乗り込んでいく……と風の噂で聞いた」

「つまり恋人の敵討ちってことですね?」

「そういうことだね」


 その噂が本当ならば随分と気性の激しいメス猫だ。恋人を傷つけられた怒りのままに殴り込みだなんて。

 周囲を取り囲んでいるのも、あの虎猫のかき集めた部下というわけだ。しかし、望んで腰巾着をやっているというわけではないと見えて、釧や霊、そして見知らぬ人物である私を警戒して逃げたがっている猫も多いようだ。


 虎猫のみが私たちなどには目もくれず、月子だけを敵視している。体勢的には月子の方が有利のはずだし、なにより彼女は人間とも会話ができる神の子孫であるはずの猫なのだが、虎猫はその権威にすら怯む様子がなかった。

 猫の世界であっても、先祖の威光もただ語るだけでは効果を成さないこともあるということだろうか。虎猫の態度は月子のプライドにかなり響くらしく、ますますその態度は激しくなっていった。このままでは血を見ることになりそうだ。

 静観している霊に、私はそっと問いかけた。


「あの……大丈夫でしょうか……」


 すると釧が振り返り、霊と目配せをする。

 霊がやや面倒くさそうに頷くと、先に釧が月子の元へと接近した。


「そこまでだ!」


 釧が吠えながら月子の前を塞ぐ。見た目こそ中型犬とそう変わらない彼の姿に、周囲の猫たちは明らかに怯えを見せていた。しかし、月子はもちろん虎猫の方もまた釧にすら警戒心を見せていない。どうやら、彼が猛犬などではないことをよく分かっているらしい。

 続いて、決して猛獣などではないと説明するのに一瞬だけためらってしまう我が主人、霊がゆっくりと近づいていったが、やはり虎猫はギロリと彼女を睨みつけるだけだった。人間というものをあまり恐れていないのだろう。それか、すでに顔合わせを済ませているだけに暴力的な手段をしないと理解してしまっているのかもしれない。

 霊はそんな虎猫のふてぶてしさ呆れつつも乳歯の入った小瓶を差し出そうとした。だがそこへ月子が私たちに分かる言葉で声をかけた。


「ちょっと待ってくれ。ここは私の合図に従ってほしい」

「判ったわ、月子の仰せの通りに」


 その意図をすぐに理解したのか、霊は頷いた。皮肉交じりではあるが、やけに素直なのは依頼主が相手だからだろう。いつもなら私を虐げる側の霊が小さな猫に従うような素振りを見せるその違和感は、私だけの主人が望まない形で奪われているかのような錯覚にも思えて、名状しがたい苦痛を伴う魅惑にすら感じてしまう。固唾を飲む私の心が抱えているヤヤ子に伝わっていないかばかりが心配だった。


 まあ、そんな私の心情はともあれ、月子は威嚇の態度をいったん鎮めると、あの睥睨するかのような眼差しで虎猫を見下した。そしてつんと姿勢を正すと片足で地面をぽんと叩きながら霊に命じた。


「さあ、血吸い鬼の下女よ。我が権威の証をここに示せ」


 どうせ虎猫に伝わらないのならば口上なんて適当でいいと思うのは私だけだろうか。いや、むしろそう思っていないのが月子だけである気がするのだが、この小さな暴君に誰も歯向かったりはしなかった。釧はまるで忠犬のように座っているし、霊も澄まし顔で月子の言葉を聞き流して言うとおりに小瓶を虎猫に見せつける。


「さあ、その目でしかと見よ」


 月子は目を細めながら虎猫に言い放つ。


「単純明快ちっぽけなそのおつむでも理解できるはずだろう。これぞ我が力の証拠。私を異国の神の末裔と認めたこの国の古神より賜りし幼君の牙である」


 スラスラと諳んじるかのように月子は虎猫に言い放った。

 勿論、全て出鱈目なわけだが、そうだと知っているはずの私も思わずひれ伏してしまいそうなくらい月子は堂々としていた。抱きかかえているヤヤ子も「ほほう」と感心している。だが、肝心の虎猫に伝わるのだろうか。どんなに立派なハッタリも、言葉の分からない猫相手には意味がないのではないか……そう思ったのだが――。


「まあ、見ておれ。ヤヤ子を信じよ」


 私の疑問を悟ったのか、ヤヤ子は小声で呟いた。

 変化が現れたのは、それから間もなくのことだった。

 虎猫が吸い寄せられるように霊の持つ鬼の牙をまじまじと見つめたかと思えば、急に毛を逆立てだしたのだ。瞳を丸くして耳を倒すと、そのまま腹ばいになってしまった。先ほどまでの態度とは打って変わって、今にも逃げ出しそうな様子だ。しかし、目は鬼の牙に釘付けになっており、動くに動けないといった状況だった。

 手ごたえは確かにあった。

 周囲で観ていた猫たちが心配そうに虎猫を見つめている。だが、そんな彼らに向かって月子は人間にも分かる言葉で語りかけた。


「暴力に屈した若き青年たちよ。心よりこの虎を慕うのならば私に掛かって来るがいい。だが、私はむやみに爪と牙を穢すのが好きではない。ここで立ち去るならば御礼参りなどはしないと約束しよう。さて、どうする?」


 彼女が流し目で周囲を見渡すと、猫たちは顔を見合わせ、そして一匹、また一匹と立ち去っていった。その多くが虎猫を庇ったりはしない。残ったのはたった数匹で、そんな彼らもまた月子に飛び掛かろうとはしなかった。ただ心配そうに虎猫を見守っているだけだ。きっと親しい友か、兄弟といったところなのだろう。

 残った猫が襲い掛かってこないと判断してから、月子は改めて虎猫を見下ろした。


「さて、虎毛よ。お前に望むのは我が愛しいツバメへの謝罪と約束だ。もう二度と、彼に深手を負わせないのならば、これ以上の神の権威を矛として向けたりはしない。ケンカは好きにするがいい。だが、私と私の周囲を巻き込むなと約束できるか?」


 じっと月子がその目を覗く。虎猫は必死に目を逸らし、地面に伏せていく。さっきまでの威勢のよさはもう何処にもない。完全に勝敗は決していた。月子はふふんと鼻で笑うと、虎猫に向かって告げた。


「約束できるのならば、今すぐ我が視界から失せよ。わざわざ追いかけて痛めつけたりしない。やんちゃなだけの素猫しろうとを虐めるほど卑しい者ではないのでね」


 すると、その言葉が伝わったように虎猫は立ち上がり、最後まで残った猫たちを連れて闇へと紛れてしまった。彼らを見送り、その気配が完全に遠ざかっていくのを確かめると、月子はほっと息を吐いた。そして満足そうに笑いながら霊を見上げたのだった。


「さすがは無花果に気に入られるだけある。私が思っていた以上の代物だった。礼を言うとともに約束しよう。その僕のことについては黙っておいてやるとも」


 見上げる月子の頭を撫でながら、霊は皮肉交じりに呟いた。


「有難いお言葉ね。血吸い鬼の下女の古物にもっと興味がおありならば、いつでも遊びにいらっしゃいな」

「ふふん、そうさせてもらおうかな」


 そう言って尻尾を立てる月子に対して、ヤヤ子が口を挟んだ。


「その古物の力を見抜いたのは私だっていうことはお忘れなく」


 何処となくムッとしていた。


 その後、月子は釧に抱かれて無花果氏の元へと戻っていった。報酬は後日、釧か百花魁が持ってくるとのこと。私たちはヤヤ子と共に店に戻ると、やれやれと疲れを癒しながらこの度の主役となった鬼の乳歯を囲んだのだった。


「いやあ、思っていた以上だったな。どうだい、霊。私の言う通りであっただろう?」

「そうね。その鋭い勘を簡単に聞けるようになって良かったわ。〈カイム〉のお陰ね」

「まずは私を褒めてくれたっていいのに」


 眉間にしわを寄せながら、ヤヤ子はそう言った。霊はくすりと笑うとヤヤ子を抱き上げて、その顔を見つめる。


「冗談よ。ヤヤちゃんのお陰で問題も解決したし、役目の分からなかった子の正体が分かったのだもの。居たい時まで居てくれていいのよ。おやつもあるからね」

「やったあ、おやつ」


 ヤヤ子は小躍りしながら喜んだ。

 その日も、その次の日も、ふたりきりの生活にヤヤ子はすっかり馴染んでいた。ヤヤ子は少し特殊だけれど、ペットと暮らせばこんな感じなのだろう。

 たったひとり増えただけでも賑やかで、なんだか明るく感じられる。私も霊もすっかりヤヤ子のいる生活に慣れてしまっていた。


 だが、それから数日後、ヤヤ子は何の前触れもなくこの家をお暇すると言い出した。

 突然のことでショックを受ける私に対し、霊はあっさりとそれを受け入れた。

 もともと来るときも拒まなかったが、去る時も追いはしないスタイルなのだろう。主人がそうであるならば、寂しいけれど私もまたそれ以上深追いは出来ない。


 ヤヤ子はただの猫じゃない。〈カイム〉は常に首にハマっているし、いざとなれば人に化ける力もある。きっと気ままに逞しく生きていけるのだろうと思えば少しは気が楽なものだが、寂しいという気持ちが薄れるわけでもなかった。

 思い立ったが吉日とばかりにヤヤ子はさっそく歩き出した。ふたりでその見送りをしようと追いかけると、玄関先でヤヤ子はふと振り返って私たちに言った。


「そういえば、この話をしていなかった」


 こちらをきちんと向いて座ると、ヤヤ子はにこりと笑った。


「つっこは神様の末裔だからね、約束をきちんと守る猫だ。つっこの飼い主が信じられずとも、つっこの事は信じてあげてほしい」


 霊がそっとしゃがみ、ヤヤ子の頭を撫でる。


「相当仲のいいお友達なのね?」


 そう問いかけると、ヤヤ子は尻尾を軽く揺らした。


「さてどうだろう。だが、つっこには恩があるのだ」


 私たちを見上げながら、ヤヤ子は教えてくれた。


「その昔、私は無口な人間の女として暮らしていたことがあった。だが、ある時から私のような者には人間暮らしが厳しいものになってしまったんだ。そのため、本格的に猫として暮らし始めたのだが、その時には猫社会もかつてよりもさらに厳しく息苦しくなっていた。そんな時につっこは新入りとなった私を何かと庇ってくれて、色々と教えてくれたのだ。お陰で私は猫として生き延びることが出来て、千景の姉さんに拾われることとなった。姉さんはもういないけれども、その後もひとりで生き延びることが出来たのもまた、あの時につっこが色々と教えてくれたからに違いない。そういう恩だ」


 ヤヤ子はそう語ると、じっと霊と私とを見比べて静かに頭を下げてきた。


「だから、助かった。いかに勘が鋭くとも、私ひとりでは何ともならなかっただろう。役に立ちそうな気配をこの店で見つけたのは私だが、お前たちがそれを持ち出してあの場所まで付き添ってくれなければどうにもならなかった。それもこれも良い巡り合わせだったとつくづく思う。本当にありがとう」

「いいのよ。こちらだってヤヤちゃんのお陰で助かったのだから。また困ったことがあったらいつでもいらっしゃい。人肌恋しくなったら、でもいいわ。その時は幽の膝枕を貸してあげるから」

「霊さん……!」


 軽く咎める私を見てヤヤ子はひとしりき笑うと、軽く尻尾を振った。


「しばらく世話になったね。また会おう」


 そして、玄関より元気よく飛び出して行ってしまった。

 しばらく一緒に暮らしているのが当たり前になりつつあったものだから、いざ出て行ってしまうとやっぱり寂しかった。彼女の出て行った玄関をしばらく見つめ、開けっ放しの扉を閉めると、静けさが心細さを呼ぶ。

 堪らず私は振り返り、霊を見つめながら呟いた。


「二人ぼっちになっちゃいましたね」


 何気なくそんな事を言うと、霊は「あら」と首を傾げた。


「二人ぼっちなんかじゃないでしょう? ここにはたくさんのモノたちがいるんだから」

「それは……そうですけれど」


 苦笑すると霊は立ち上がり、軽く私を手招いた。


「いらっしゃい」


 たった一言だけだったが、糸で引かれるように従ってしまう。向かったのはここしばらくヤヤ子が気に入っていた畳間だった。机の上にはあの鬼の歯の小瓶が置かれている。その前に座るように促され、従うと、霊は上機嫌な様子で小瓶を手に取った。


「ヤヤちゃんが行ってしまったのは確かに寂しいけれど、寂しがってばかりはいられないわ。彼女のお陰でまたひとり長い付き合いになりそうな子が正式に加わったのだから」

「じゃあ、その鬼の歯も名前がつくんですね?」


 問いかけると霊は嬉しそうに頷いた。


「名前は〈オティス〉よ。ランクはまだ定まっていないけれど、鬼神たちが鬼神と呼ばれるようになった歴史のヒントとなる力がこもっている。曼殊沙華ゆかりの代物とあって、雷様も関心を寄せられているのだとか」

「玉美ちゃんも知っているんでしょうか?」

「さあね。そちらは分からないわ。曼殊沙華の御方々に委ねましょう。これは個人的な推察だけれど、〈オティス〉の力は玉美ちゃんだからというわけではないと思うわ。姉の玉緒ちゃんだったとしても、兄の玉貴くんだったとしても、旭くんやその他の鬼の子のものだったとしても、状況次第では〈オティス〉になっていたかもしれないわ。そういう類のものに感じられる」

「鬼の子であることが鍵だったのでしょうか」

「たぶんね。それに、これを貰う経緯も影響しているかもしれないわね。これが抜ける前、玉美ちゃんは治安を守ってきたというご先祖様の意向に反してとてもやんちゃな事をしていたはずだから」

「反動……ってやつですかね」


 気になって訊ねる私の手に、霊は怪しく手を重ねてきた。思いがけず触れられてどきりとしてしまった。猫の目を忍んでやることはやっていたとはいえ、誰の存在も気にせず触れ合えるのは久しぶりだ。意識し始めると引っ込みがつかなくなってしまい、鼓動が早まってしまった。

 どきどきしている私を焦らすように触れながら、霊は質問に答えた。


「それもあるかもしれないわね。ともかく、〈オティス〉は鬼神の歴史を証明するような代物で、この間のような小さな猫の喧嘩をやめさせる以上のことも出来そうだと期待しているの。ここだけの話だけれど、あの時に影響を受けたのは虎猫君だけじゃないわ。月ちゃんもまた無意識のうちに影響を受けていたのよ」

「そうなんですか?」


 問い返したところで、私は畳の上に押し倒されてしまった。

 どうやら、今日はこのまま〈オティス〉の名付け祝いの一杯に付き合わされることになりそうだ。だがそれも悪くない。むしろ望むところだと思えるくらいだった。


「あの時、あの場を支配していたのは私なの」


 いつも生傷の絶えない首元を甘噛みしながら、霊は囁いてきた。


「〈オティス〉は持っている人に力を与えるものだったみたい。くだらない争いはいい加減にしてという私の願いと苛立ちはダイレクトに虎猫に伝わったし、表面上は女王様のように持ち上げつつも怒りに任せて下手な追撃をしないようにという暗黙の命令にも月ちゃんは従ってくれた。そんな手ごたえを感じたもの」

「じゃ……じゃあ、〈オティス〉さえ持っていれば、私たちはあらゆる争いを鎮めることができる、ってことですね?」

「たぶんね」


 短くそう言うと、霊はいきなり牙を食い込ませてきた。

 ヤヤ子の存在を気にしなくていいからだろう。もたらされた痛みとそれに伴う快感のままに、私は声をあげてしまった。

 霊は二人ぼっちなんかじゃないと言ったけれど、〈オティス〉は話しかけてきたりはしない。お陰で気兼ねなくその痛みと快楽によがることが出来た。

 血の匂いを微かに漂わせながら、互いに求め合い、縺れ合い、温もりを分け合ってしばらく、乱れた服から覗く肌に甘噛みをしながら、霊はうっとりとした様子で私に言った。


「〈オティス〉もまた、きっと良いお守りになるわね」

「〈デカラビア〉や〈オロバス〉より、ですか?」


 寝転がったまま問いかけると霊は私の手に手のひらを重ねてきてぎゅっと握り締めた。


「〈デカラビア〉や〈オロバス〉とは別に。〈デカラビア〉には争いや災いを避ける効果はあっても、鎮める力はない。置く場所が決まっているから自由度も低いわ。けれど〈オティス〉なら攻撃性をこちらに向けてくる相手を鎮めることが出来る。〈オロバス〉も似たようなものだけれど、〈オロバス〉と違って限定的とはいえ、純粋な効果自体は〈オティス〉の方が大きいみたい。具体的にどれだけのもので、どれだけ維持できるものなのかは、この先ゆっくりと探っていくことになるでしょうけれど」


 静かに語りながら、霊は体重を預けてきた。逃げ出したりはせずに、肌と肌を重ねながら、私は霊の耳元で訊ねた。


「〈オティス〉がいれば霊さんも私も危ない目に遭わずに済むかもしれないわけですね」

「過信は出来ないけれど」


 そう断りつつ、霊は微笑む。その手がするりと服の下へ忍び込んでくるのを感じて、慌てて唇を閉じた。堪える私に霊は語り掛けてくる。


「少なくともあなたが害虫たちに触れられる不安もだいぶ減りそうね」


 そして、食事は再開された。


 あらゆる欲望と安息の渦巻く場所へと心身を沈めていきながら、私は幾度となくこの先のことへ思考を巡らせようとした。ふたり一緒にいられるのはいつまでだろうと思うたびに暗い気持ちが顔を覗かせてくる。

 可能ならばふたり共に健康で、時代から取り残されたと悲しむくらいには生き延びていきたいものだが果たしてどうだろう。下手をすれば明日にでもふたり一緒に殺されてしまうかもしれない恐ろしい世の中だからこそ、足りないものを補い合えるこの触れ合いの瞬間は大事だ。

 〈オティス〉がいればもしかしたら、恐ろしい嵐も私たちのもとから速やかに立ち去ってくれるかもしれない。そんな希望をわずかにでも抱きながら、私は目を閉じて霊の吐息と鼓動を感じながら全身を捧げた。


 かつてこの国はちりぢりの大地をあらゆる生きた神が支配していたという。男神も女神も傍に置く伴侶を求め、選ばれた人間は命を捧げたり、生涯、かしずいたりしたのだという。

 時代が流れて今では多くの神は神でなくなった。いまでは曼殊沙華や白妙のように形を変えて支配者として振る舞い続ける者もいれば、霊や釧、そして月子のように影と影の間でひっそりと暮らしている者もいる。そのいずれも神としてではなく、人間や動物の一部として。

 けれど、かつての人々が従っただけのものまでも綺麗さっぱり消え失せたわけではないのかもしれない。ここに集う古物たちのように、説明しきれないが決して捨て置けない存在があるのだから。


 世が世なら、霊はやはりこの周囲を治める神の使いのようなものだったのだろうか。

 もしもそうならば、私はその贄に等しい。霊に愛されながら、求められながら、血を捧げていく。その役目を他ならぬ自分が担えることは、この上ない悦びであった。

 だが、そうでなかったとしても、私たちの関係はきっと変わらない。霊が神なんかでなかったとしても、私にとっては最高の主人なのだから。


 愛し愛されるこの関係が出来るだけ長く続きますように。

 傍で見守っている〈オティス〉に何度も願いながら、私は今日も霊のためだけに狂い咲く花となった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ