後編
魔女としても未熟で、弓の経験なんてない。矢はただの枝。おまけに塵は全く止みそうになく、視界もかなり悪い。この条件で本当に救えるのか。〈レライエ〉の力は確かなのか。心配だったが、やるしかない。
案内された場所が近づいてくると、私にも分かるほど異様な気配に包まれていた。そこは広大な敷地の公園で、塵のせいだろう、人の気配は全くなかった。だが、この中の何処かで霊が戦っている。
「見てごらん!」
公園内の林の向こう――塵に阻まれた視界の中で、幻が指を差した。その先で、黒くもやもやとした人型のものたちが複数体、集まっていた。誰かが囲まれている。かなり離れていたが、私には分かった。霊が〈ベール〉を手に戦っているのだ。まだ戦う元気がある。前のように弱らされてはいない。それだけでもほっとした。
「奴らは手ごわい。それに、かなり野蛮だ」
幻が声を潜めてそう言った。
「捕食の邪魔をすれば、鬼でなくとも許してはくれないよ」
止めるような口ぶりだったが、それに従うなんて選択肢はあり得ない。
〈レライエ〉に、たくさん持ってきた枝のうちの一本を矢のようにセットして構える。弓を引くのはかなり力がいった。狙い撃ちできる自信はまったくない。だが、霊の話を信じて、私は鬼喰いと呼ばれるその魔物の一体に向けた。
――当たれ……。
願いを込めて、放つ。放たれるのは羽も鏃もないようなただの木の枝。私は弓の経験も自信もない。
それでも、話は本当だった。放たれた枝は思った通りの場所をめがけて飛んでいく。目にもとまらぬ速さで風を突き抜け、鬼喰いと思しき一体にあっという間に突き刺さった。
悲鳴のようなものが聞こえたかと思うと、途端に、その姿が消えてしまった。
「……倒した!」
幻が驚いたように呟き、ようやく私は勝利を知った。いける。枝はまだまだある。相手の数よりも多い。この調子なら全員倒せるはずだ。
目の前で鬼喰いが消えて驚いていた霊が、ようやく私たちに気づいた。私の姿を見て、その顔が一気に蒼ざめる。だが、他の鬼喰いたちはまだ諦めていない。仲間が消えても全く気にしていない様子だ。ならば、早く仕留めなくては。次々に枝を放ち、一体ずつ仕留めていく。霊もまた我に返ったのか、〈ベール〉を使って果敢に応戦していた。
そうして、あっという間に鬼喰いは最後の一体となっていた。
「これで最後!」
最後まで噂通り、〈レライエ〉は正確だった。それに、思っていた以上に威力が高い。全員が一発だった。
全ての鬼喰いが消え去るのを確認すると、霊がその場に膝をついた。ちょうど塵も止み、辺りは何事もなかったかのように沈黙に包まれた。
「霊さん!」
駆け寄ってみれば、霊は〈ベール〉を手にしたままぐっと目を瞑り、そして傍に居た幻を見上げた。
「よりによって、幽に教えたのね」
咎めるようなその声に、幻は両手をあげる。
「勘弁しておくれよ。おじさんだって慌てていたんだ」
「だからって……」
霊の目が私の持つ〈レライエ〉へと向いた。恐れているのがよく分かる。逸話通りならば、これから私は発疹に苦しみ、何かの形で波紋を呼ぶことになるのだ。私が〈赤い花〉でなかったら、あるいは母のように頼れる魔女であったら、霊はこんな顔をしただろうか。
それでも、私はこの行為に後悔はなかった。〈レライエ〉がなければ、きっと間に合わなかった。
「怪我はありませんか?」
しゃがんで目を合わせて訊ねると、霊は寂しそうな表情をほんの少しだけ浮かべてから、小さく呟いた。
「大丈夫よ」
そして、とても穏やかな声で、もう一つ。
「助けてくれてありがとう」
ぎゅっと抱きしめるといつものあの温もりが伝わってきた。もう少しで失うところだったこの絆を、〈レライエ〉が守ってくれたのだ。
ならば、その副作用も甘んじて受けよう。そんな時のために、私は魔法を練習しているのだ。自分の身は自分で守る。誰に正体を知られても、戦えるように。そして、いつかは母のように逞しく戦いたい。日頃、その身を危険に晒す恋人を守りたい。そんな思いで魔法を練習し続けているのだ。
その後は、幻に付き添われながら公園を後にした。鬼喰いは、もう何処にもいない。気配すらない。塵のにおいも消えた町には人の気配も戻っていた。いつもの街だ。住み慣れた世界だ。当たり前のはずの事実に安心しながら、私達は安全な我が家に戻る。玄関より入った瞬間、酷い脱力に見舞われた。
「じゃあ、邪魔なおじさんは早々にお暇するよ。二人とも、今日はゆっくり休みなさい」
いつになく優しい幻だが、霊は片手をあげるだけだった。
代わりに私が応じた。
「幻さん、すみません……色々とありがとうございました」
「いいんだ、このくらい。日頃、世話になっているからね。それに、君は天の娘だ。古くからの友人に恩を売るにはちょうどいい」
思いがけず父の名を出され、動揺してしまった。それはどうでしょうと、言いたい気持ちを抑えて、外まで一緒について行く。夜道の中に吸い込まれるように消えていく幻の後ろ姿を見送ると、すぐに戸締りをしっかりとした。
ふと握り締めた〈レライエ〉の存在を思い出し、しばし見つめる。
この弓は父が強引に手に入れた世界を打ち壊した過去がある。しかし、この度、その力は娘の私の手に入れた世界を守るために放たれた。
こうして〈レライエ〉で鬼喰いたちを貫いたことによって、どのように波紋は広がるのか。先の見えない恐怖はある。けれど、と、手のひらにそっと力を集中させる。蛍の光の魔術はすんなりと出来るようになった。戦闘向きの魔術もじきに習得できるだろう。
この先、何が起こったとしても、私は無力な存在ではない。そう自分に言い聞かせた。
蛍の光をすぐに消して、振り返ると霊は玄関先で座り込んだままだった。何処となく落ち込んでいるのがよく分かった。
「霊さん、お茶でも淹れましょうか!」
声をかけると、霊は訴えるように私を見上げてきた。
「どうしました?」
その目に引き寄せられるように近づき、視線を合わせかけると、途端に彼女は抱き着いてきた。強いその力に引っ張られ、無理やり座らされ、そのまま唇を奪われた。
もしも〈レライエ〉がなかったら、もしも、私がその影響力に怯えていたら、こうして触れ合うことも出来なかった。霊の口づけを受け入れながら、私はただただそう思った。
唇を解放されると、霊は私の胸に頬を当ててきた。
「幽」
いつになく甘えるような声で、霊は呟く。
「もう少しだけこうしていたいの」
そんな事を言われては逆らえない。食事をするわけでも、濃密な触れ合いをするわけでもなく、私はただそっと霊を抱きしめた。
翌日、話通り私は全身の発疹で寝込むこととなった。〈レライエ〉を使ったことによる波紋というものは今のところ実感するような出来事はないが、発疹の方は覚悟していたよりも重く、悩まされることとなった。
しかし、こんな悩み、鬼喰いに霊を奪われることに比べたらなんてことはない。霊の方は相変わらず〈レライエ〉の次なる影響について恐れているが、そちらについても覚悟済みだ。何とでもなれと思っていた。このデメリットを考慮しても、使うだけの価値は絶対にあったはずだ。
だが、発疹に苦しんでいる間は、〈レライエ〉の波紋とやらを特に認識する出来事はなかった。
発疹も治まり、ようやく店に出られるようになったその日などは、少しずつ〈レライエ〉の波紋を忘れかけているくらいだった。だが、そこへ久々に来店してきた小さな客人――鬼の子である玉美によって、忘れかけた波紋を思い出させられることとなった。
「あら、玉美ちゃん、久しぶりだね。元気だった?」
先に声をかけるも、玉美は無言のまま、真っすぐカウンターまでやってきた。
前に来た時よりも、ほんの少しだけ背が伸びたような気がする。だが、カウンターにはちょっと届かない。少し背の高くなる下駄を履いていてもそこは変わらない。うんと背伸びをして、私の顔をじっと見つめてきた。
「どうしたの? またガキ大将に何かされた?」
問いかける私に、玉美は恐る恐る口を開いた。
「幽……いや、師匠!」
玉美が叫んで頭を下げる。その声を聴いて、奥に引っ込んでいた霊がこちらにやってきた。私は意味が分からないまま、ぽかんと玉美を見つめていた。
「はい?」
問い返すと、玉美は顔を上げた。
「き……聞いたのじゃ……世にも恐ろしい鬼喰いを木の枝で退治した魔女がいるという。それが、幽だと知って、その……弟子入りさせて欲しいのじゃ!」
「えええ?」
「すでに鬼の子たちの間では幽の名は知られておる。今なら一番弟子じゃ。頼むこの通り!」
戸惑う私の後ろで、霊はくすりと笑った。
「どうやら、鬼の子界隈を動揺させることになったようね」
まさか〈レライエ〉の影響がこんな形にまとまるなんて。
師匠と呼ばれるのは悪い気もしないけれど、私の力ではなく〈レライエ〉の力でしたなんて言えるはずがない。結局その場は、霊が機転を利かせて「この人は私が鍛えのよ」とワシが育てた理論で玉美を誤魔化してくれた。
玉美がしてほしいという秘密の特訓とやらは、後日、霊が指導にあたるらしい。それはそれでとても心配なのだが、とりあえず一件落着……でいいのだろうか。それにしては呆気なさすぎる。
思った通り、〈レライエ〉の力はまだまだ続いた。たった数日で、この町の全ての鬼の子と知り合ったと言ってもいいだろう。日頃、大人たちから鬼喰いの怖さを聞かされていたためだろう。その鬼喰いを何体も倒したという伝説は彼らにとってとんでもない事だったらしい。玉美のように弟子入りさせてくれなんていう子はいなかったが、魔女の力に興味を持ち、何でもいいから見せてくれとせがまれることが増えてしまった。
しばらくの間、ここは駄菓子屋かと言いたくなるような状況だった。鬼の子や、彼らの友人で溢れかえった。しかし、それ以外の目立った悪影響は感じられない。
不思議なことに、彼らの両親や親戚の大人たちが興味本位に訪問してくることは全くなく、私の噂も鬼の子とその友人といった子ども達だけにとどまったのだ。これが、〈レライエ〉の効果だったのだろうか。何にせよ、魔の大人の世界に広まらなかったことは、霊を大変安心させた。
「今回は運が良かったみたいだけれど、いつもこうとは限らないわ」
店がすっかり鬼の子たちの遊び場となってしまってから数日後の夕暮れ、霊は疲れ切った表情で呟いた。
全ての鬼の子達を門限までに帰宅させ、戸締りが済むとやっと大人の空間の出来上がりだ。今宵も食事をとりながら、霊は私を諭す。
「誰が引いても必中で高威力。その力の代償は、不安定なもので恐ろしい。〈レライエ〉は最後の手段。それを忘れないでね」
「もちろん、分かっています。だから、これまで通り、魔法の練習をします」
日頃、子ども達に魔法を見せるようになったからだろう。蛍の光のみならず、今日までに蜘蛛の糸を呼び出すところまでは出来るようになっていた。縛ったり、切断したりするのは相変わらず難しいけれど、何も出来なかった時よりもマシだ。いずれ、私も戦える。
勿論、〈レライエ〉を使えばいますぐにでも戦えるという誘惑はある。だが、霊にあまり心配をかけすぎるのも罪なことだし不用心だ。そう思うと手を出す気にはなれなかった。
「それに、あの発疹は結構つらかったので」
すると、霊は笑って私の首筋に牙をあてた。甘噛みをしてから、うっとりとした様子で呟く。
「あら、発疹だけじゃないでしょう?」
その甘く誘惑的な声にぞくりと震えた。
「〈レライエ〉のお陰で平日も休日も頻繁に鬼の子達が遊びに来るようになってしまって、二人きりでいちゃいちゃする時間が減ってしまったわ。いつまで続くのかしら。ねえ、寂しいでしょう?」
「そ、そうですね……寂しいです」
「でしょう。だから」
向かい合い、霊は私の目を見つめながら宣言した。
「今宵はあなたに特別なお仕置きを受けてもらいましょう」
色気たっぷりのその言葉に、私の心が満たされていった。
その後の濃密な食事の時間も、明日を共に迎えられることへの幸福感も、すべては〈レライエ〉があってのことだ。そのことに感謝をしつつ、今後は、その力を借りなくていいように頑張ろう。
そんな誓いと共に、私は今宵も愛する人の隣で眠りについたのだった。




