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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
12.悩ましき夢の長椅子〈シトリー〉

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中編

 翌朝、眠りから覚めたことが奇跡と言わんばかりの身体の重さに悲鳴があがりそうだった。目覚まし時計をセットしていたとしても、鳴る前に起きるのはいつものことだ。明け方の雰囲気はいつも好きだ。小鳥が歌い、朝焼けの色をぼんやりと眺めることが出来るから。しかし、今日はそんな楽しみにも浸れぬまま、しばらくベッドの上で寝そべっていなくてはならなかった。

 少し動けば噛み傷が痛む。昨日はいつも以上に貪られてしまったから、まだくらくらしていた。それでもぞんざいに扱われることで、魔女の性を満たしているという事実は認めざるを得ない。

 霊もまたそれを狙ってやっているのかどうかは分からない。しかし、間違いなく私たちの相性はいい。主従の魔術で結ばれていなくたって、疑いようがないことだった。


 ――だからこそ、霊という人の周囲にちらつく陰には敏感になってしまう。


 かつてグレーなサービスの主役だったというあの長椅子のことを、客人たちは正しく忘れることが出来ただろうか。

強力な魔術を使う魔女や魔人ならば、記憶操作なんてことも出来るという。私もそういう存在だったら、霊を守るためにかつての客人を洗い出して記憶を奪う事だってできたかもしれない。

 もちろん、とんでもないことだ。乙女椿の法律には触れないだろうけれど、魔の世界の秩序を乱す行為なのは確かなこと。曼殊沙華の家が黙っていないかもしれない。それでも、それが霊への危害を防ぐ方法だとしたら、こっそりと計画を立てていただろう。


 だが、冷静になろう。私はそんな強大な魔女ではない。やっと虫の魔術を二つ、完璧にこなせるようになっただけなのだ。

 蛍の光の魔術《提灯》と《明星》。時々練習をし、遊び感覚で幻想的な空間を生み出している。どちらも殺傷性は全くなく、照明や合図、誘導に辛うじて役に立つというレベルのものだ。それでも、高度な魔術であることは確かなことで、私がしっかりと魔女の心臓を受け継いでいることの証明でもあった。


 蛍の光の魔術には「稲妻」というものもある。そちらは殺傷能力があり、攻撃に使用できる。しかし、そちらは基本魔術の中で「発光ルミネセンス」以外がさっぱりである私には程遠いものだった。「稲妻」を成功させるには、「発電エレキテル」という別の魔法も覚えなくてはいけないのだ。


 エレキテルから練習するべきか、それとも、以前成功させた全く別の魔術を練習するべきか、私は常に悩んでいた。

 頭をよぎるのは「蜘蛛の糸の魔術」だ。切羽詰まった時に成功し、他人の命を奪った魔術。「切断」の感触。糸を生み出し、糸を操り、刻むという恐ろしい行為だが、あれならば霊を守るのに役立つはずだった。


 ただ、この「蜘蛛の糸の魔術」において重要となる基本魔術は大変難しい。「紡績ネウロン」という魔術は、まさに人間離れしたもので、基本魔術の中に入っているのが信じられないほどだ。どういう内容かといえば、本物の蜘蛛よろしく繊維を生み出し、糸にするというもの。「蜘蛛の糸の魔術」はそれを駆使することで、「切断」や「緊縛」といった危険極まりない芸当を可能にする。

 だが本当に、どうして成功させられたのか疑問に思うほどネウロンの感覚は残っていない。糸なんてどうやって作ればいいのだろう。イメージは全くわかず、途方に暮れてしまうものだった。


 そういうわけで、いつまで経っても私は役立たずのままだった。どんなに立派なことを考えたとしても、決意したとしても、霊の身体に宿っている――あまり言いたくはない名称だが――マテリアルという種族の力に頼ってばかりなのだ。

 血を捧げる事で、その偉大な力の源になっていることに満足出来ればいいだろう。しかし、それだけでは不満なのが現実だ。血を捧げてメリットがあるのは彼女だけではなく、私も同じだ。魔法の練習が何度も出来るのだって、彼女のお陰で魔女の性が満たされているわけだから。


 焦っても仕方ない事なのに、焦ってばかりだ。落ち着かない気持ちは仕事中にも出てしまう。客足も遠ざかる時間帯、店内の隅で今までよりもそれとなく存在感を強めている気がする〈シトリー〉をちらちらと見つめていると、やはり霊に気づかれてしまった。


「なあに、また座りたいの?」

「ち、違います! ただ見ていただけです!」


 あらぬ誤解をされながらどうにか切り抜け、いつもと変わらぬ日常を今日も繰り返す。そのつもりだったのだが……。

 嫌な予感というものは甘く見ない方がいいのだろうか。

 その日の夕暮れ時、いつもならば学生客が多い時間帯。店の玄関先に一人だけぽつんと現れたのは、霊が不機嫌になること間違いなしの相手だった。


「いやあ、二人とも元気そうで何よりだよ」


 入店するなり馴れ馴れしく手を挙げた男。笠でもなく、常連の一人である釧でもない。ただ、私も覚えている顔であるし、霊もまたそのはずだった。


 幻。霊の親戚であり、胡散臭い立場にいる吸血鬼の男性だ。以前、この店に保管されている馬の像〈ヴァレファール〉をしつこく買い取りたいと申し出てきた。あれから、〈ヴァレファール〉のことについては諦めてくれたようだが、曼殊沙華家の子どもである旭に変な吹込みをするなど、地味だけれど無視できない、そんな嫌な雰囲気を常に意識させる男でもあった。

 にこにことした幻の顔つきはまるで無害のようだが、ちらりと視線を向けた霊の顔は冷たい表情を浮かべていた。


「何の用? 何だとしても、協力できるとは思わないけれど」


 氷の様な声色で突き放す霊だが、幻はちっとも笑みを崩さない。


「まあまあ、そう怒らないで。話だけでも聞いてくれないかね、霊ちゃん」


 親戚のおじさんだと思えば仕方ないのだが、馴れ馴れしく我が主人をちゃん付けする彼のことはあまり好きじゃない。それに、彼を見ていると不安になってくる。塵の降る町の片隅で、母についての話を聞かされたときのことを思い出してしまうからだ。

 人間の血を継いでいるそうだが、殆ど吸血鬼と変わらない。そんな幻は、私にとってとても恐ろしい存在だった。霊以外の吸血鬼で、しかも、霊が良く思っていない相手。警戒心を抱かずにいられるはずもなかった。

 私たちの気持ちなんて、彼も承知済みだろう。それでも、幻は全く動じずにずかずかと店内に踏み込んできた。勧められてもいないのに、霊のお気に入りである蘭花のテーブルに図々しく座ると、勝手に話し出したのだった。


「実はねえ、つい先日のことだけれど、無花果氏とお話しする機会があってね」


 堪らず我が主人の様子を窺うと、少しだけその表情が歪んでいた。幻は気にせずに話を続ける。


「霊ちゃん、山犬の若造君を助けてあげたそうじゃないか。ちょっとだけ血の繋がっている親戚のおじさんとして誇らしいことだよ」

「おじさん、世間話なら帰ってくれる?」


 霊がまたしても冷たくそう言った。前はもっと表面上は優しくしていた気がするけれど、〈ヴァレファール〉の一件以来、重なってきた疑惑のせいで、幻へのイメージは最悪らしい。もちろんそれは、私も同じなのだけれど。


「分かった分かった、前置きはなしにしよう」


 幻は笑いながらそう言うと、吸血鬼の目をこちらに向けてきた。強すぎる視線に思わず怯んでしまいそうになる。


「無花果の旦那の依頼だ。そこで眠っているカウチ――〈シトリー〉だったかな。そいつを三年間借りたいそうだ。賃貸料については後日相談する。まずは、答えを聞いてこいと言われてきたのさ」


 怪しげな微笑みが嫌らしい。それでも、ふとした表情が思いがけず霊に似ている瞬間があるのに気づいた。血が繋がっている親戚。どのくらい近いのかは分からないが、胡散臭さの中にある狡猾そうな目の輝きに、ぞくっとしてしまう。これまでは霊だけが持つ魅力だと思ってきたけれど、霊と同じ血を引く人は、それなりに持っている残忍な輝きなのかもしれない。だからと言って、霊の魅力と比べられる程ではないのだけれど。


「悪いけれど、そういった相談は曼殊沙華のお家の判断がないと無理ね。それに、信用性の問題もある」

「信用性? こいつはたまげた。おじさんを疑うって言うのかい?」


 実に怪しい。怪しさの塊だ。そんな雰囲気で幻は笑って見せる。そこへ、霊もまた似たような笑みを返した。表面だけの笑みだ。中身はちっとも笑っていない。


「勿論、小さい頃から遊んでくれたおじさんを疑うのは心苦しいわ。でもね、私、どうしても気になるの。どうして無花果氏がそんなに重要な依頼であなたを通すのかしら」

「おいおい、おじさんを甘く見ているね?」

「違うわ。そうじゃない。でも、無花果氏はそんじょそこらの依頼主とは違う。どんな依頼も真っ先に頼むのは、他人の心を弄ぶのがお上手な女狐でしょう。彼女との関係はそう簡単に裏切れない。うちに用があるなら、百花姐さんをよこすはず」

「通常ならそうだろうね。だが、この件はまた特別だ。なんたって生き物の性欲に関わる古物だからね。知っているかい、霊ちゃん。無花果の旦那はね、あの化け狐をたいそう可愛がってはいるが、心から信用しているわけじゃない。それに、〈シトリー〉の能力と化け狐の生態がぴったりと合わさってしまうのが嫌なんだってさ」


 そう言って、幻は蘭花のテーブルをこつこつと指で叩き始めた。


「旦那はあくまでも借りたいだけで、積極的に自分が使いたいわけじゃない。だが、化け狐はどうだろうね。なんせ、ふしだらな女狐だ。奴と関係を持った人間をリスト化すれば、本一冊出来上がっちまうだろう。奴の食性を考えても、〈シトリー〉は悪影響となるだろう。だから、奴には関わらせたくないらしい」


 もっともな理由に聞こえるが、問題はこの信用性だけではないし、霊からしてみればこの言い分すらも信じる気はさらさらないのだろう。


「あらそう、じゃあ、いっそ無花果氏のところに持っていかない方がいいんじゃない? 万が一、百花姐さんに見つかって、穢されでもしたら、〈シトリー〉が可哀想すぎるもの。雷様に直訴したって無駄よ。こちらからも断るように電話をかけますもの」

「……相変わらず冷たいね。たまには、おじさんのお仕事に協力してくれよ。小さい頃はあんなに素直で可愛かったのにねえ」

「もう帰って」


 霊の心の窓口にはシャッターが下りている。面会謝絶だ。幻が出禁になる未来も近いかもしれない。そんなことを一人で思っていると、幻の視線が真っすぐこちらを捉えたものだから、息が止まりそうになった。吸血鬼のすべての能力を私は把握していない。目にした者の思考を完全に読み取る力があったとしても、おかしくはないのだ。

 だが、緊張している私に向かって、幻はにっこりと微笑んだ。


「幽ちゃん、君のご主人様は相変わらず頑固だねえ」


 猫撫で声という奴だ。緊張と不快感と恐怖と居たたまれなさで鳥肌が立ってしまう。しかし、その裏では妙な期待が生まれてしまった。魔女の性のせいだろうか。この状況すら、心のどこかで楽しんでいる私がいるらしい。


「君からも説得してはくれないかなあ。愛する人の言葉なら、それなりに響くものだ。君の甘えた声なら、霊ちゃんの心の氷もどろどろに溶かしてしまえるはず――」

「幽に話しかけないで」


 その声は、およそ見知った人物――それも親戚に向けるとは思えないような、厳しいものだった。冗談の入る余地などない。霊の目は明らかに敵を見る目をしている。これまではもっと包み隠していたものだったが、もはやそうでもない。血の気がたっている彼女の雰囲気は、サディスティックに責めてコミュニケーションを取ろうとするいつもの愛すべき主人とも何かが違う。

 そこにあるのは拒絶のみだ。私にだって分かるくらいだ、感情を真っすぐ向けられた幻にも、さすがによく伝わったはずなのだが。


「仕方ないね」


 苦笑気味にそう言うと、幻はゆっくりと蘭花のテーブルから離れる。落ち着かない様子で店内をうろちょろと歩き回りながらも、件の〈シトリー〉には近づかない。


「私も嫌われたものだ。無花果の旦那も親戚だからと頼んだのだろうに」

「おじさん、無花果氏にもう一度会いに行くのなら、伝えてくださる?」


 心から残念そうにぼやく幻に近づきながら、霊は言う。先ほどとは打って変わって優しい口調だった。


「どうしても、と仰るのなら、まずは私ではなく曼殊沙華のお家に直接問い合わせてください。〈シトリー〉は特別です。曼殊沙華の担当者から確かな連絡があるまでは、そのご依頼はお聞きできません、ってね」


 それを聞いて、幻はさらにため息を吐いた。


「やれやれ、嫌な伝言だが……分かったしっかり預かろう。そして、無能で信用の足らない私は大人しく去ることにするよ」


 厭味ったらしくそう言うと、幻は店の扉に向かって歩き出した。どうやら、これ以上は居座らないでくれるらしい。居たたまれない空気から解放されると思うと、それだけで息が楽になるものだった。


「……そうだ。忘れていた」


 それでも、ただでは去らないのが彼なのだろう。扉のノブに手をかけたところで、ふと振り返ると、カウンターに立つ私を凝視してきた。

 思いがけない視線攻撃に内心びびってしまった。もしかしたら、伝わっているだろう。それが彼を面白がらせるとしたら癪だ。だが、何枚の舌があるのか分からないその口から飛び出した言葉はもっとまずいものだった。


「思い出したよ。君たちにぜひ聞いてもらいたい話があったんだった」


 呆れたように見つめる霊のことは全く気にせず、幻は私だけを見つめながら、こう告げたのだ。


「気を付けて。無花果の旦那がこの店の新しい従業員に興味を抱かれていた。誰が漏らしたのかは知らないけれど、幽ちゃんが魔女であるらしいと知って、心臓のタイプについて気にされていたよ」


 寒気を感じたのは、おそらく私だけではないだろう。

 絶句する霊が何か言葉を見つける前に、幻は笑みを深める。


「もちろん、私は何も言っていない。百花魁の女狐だって、山犬の若造だって、何も言っちゃいないだろう。それでも、風の噂と言うものは侮れないものでね。いつまでも、無花果の旦那の目を欺けると思わない方がいい」

「……欺いてなんていないわ」


 霊が低い声で反論する。だが、その声は震えている。私にとっては絶対的な主人であるはずの彼女の怯えに気づかされ、こちらもまた底知れぬ恐怖を感じてしまう。


「従業員の個人情報なんて公開する必要はないでしょう。……それだけよ」

「ああ、そうだね。その通りだ」


 幻は軽く受け止めて、目を細めた。


「安心したまえ。無花果の旦那が今すぐに〈シトリー〉以外のモノの取引を考えだしたりはしないはずだ。だが、今後はどうだろうねえ、霊ちゃん。今のうちに味方はたくさん作っていた方がいいかもしれないよ」


 凍えてしまいそうだ。室温はそんなに低くないはずなのに。

 暗い気持ちになる中、幻だけは愉快に笑い飛ばして靴をしっかりと履きなおした。今度こそ扉に手をかけて、妙に明るい声で別れを告げる。


「それじゃあ、今日のところはお暇しよう。またね、二人とも」

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