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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
11.心に忍び寄る草履〈グシオン〉

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中編

 それから間もなく、いつものように下校中の学生の来る時刻となった。十代の女子学生が多いのはいつものことだ。十代と一口に言っても、前半と後半では大きく違う。小学生と中学生でまず全く雰囲気が違うものだし、大人により近づく高校生ともなるとさらに変わってくる。それでも、不可思議な商品を前に和気あいあいと語り、目を輝かせるその明るさはさほど変わらない。時々来る男子学生もそこは同じだ。男女問わず、集団で来る子どもたちは皆、日常を楽しんでいるようで、その姿を眺めている時ばかりは殺伐とした世界の事を忘れられるいいものだった。

 もちろん、一人で来る子もいる。店主である霊とある程度親しくなり、ひっそりとさまざまな相談をする子どもも少なくはない。楽しそうに見えて、彼らは彼らで、子どもながらに深刻な毎日を送っているらしい。


 日が暮れ始めると、皆が帰りだす。閉店時間ぎりぎりまで居座る子は稀であるし、今日もそういう子はいなかった。大人の客人も来ることはなく、いつものように閉店準備は始まり、そして店のカーテンが閉められると、言葉にし難い緊張感が私たちの間に漂い始める。


「幽」


 カーテンを閉め終えたまま立ち止まっていると、背後から声をかけられた。

 振り返ればカウンターに腰掛けた霊がこちらを見ていた。目は怪しげに光っているが、それでいて表情はさらりとしたものだった。


「おいで」


 囁かれると、従わずにはいられない。


 今日は我が主人の誕生日に該当する日だ。祝う準備は出来ているし、贈り物も用意してある。だが、閉店直後の今、彼女が求めているものは金で買える品物ではない。昨日も、一昨日も、その前も、同じことをしてきたはずだ。しかし、今日ばかりは酷く緊張し、怯えまで感じてしまった。

 なぜなら今宵は、お祝いのための約束をしているものだから。


 すぐ傍までたどり着くと、霊はさり気なく手を伸ばし、引っ張ってきた。その力は意外に強く、よろけた状態で身を預けることになった。空腹が酷いと強引になる時だってあるけれど、まるで初めて捕食されているかのような錯覚に陥った。


「ちょっとだけ味見をさせて」


 そう言って、唇を重ねる。キスの経験なんて語れるものではない。霊の店に世話になるまで、恋愛らしい恋愛もしたことはないし、母が亡くなってからは他人を出来るだけ遠ざける日々を送ってきたものだった。

 だから、誰かと比較することなんて全く出来ない。出来ないはずだけれど、霊との触れ合いは、この世の誰よりも陶酔できるものだという信頼は今宵も崩れそうにない。魔女の性を正しく理解してくれる人なんて、そういないだろう。優しく愛してくれる人ならば、こんなキスはしないだろうし、身勝手な人ならば、加減を違えて不快な域にまで達するかもしれない。しかし、この人は違う。私の領域を知っているのだ。


 痛みはごく軽いものだった。唇を噛んでくるその力は、あまりにさり気ないもので、血の味とじわじわと広がる痛みでやっと噛まれたことに気づいたくらいだ。そして、こちらがその気になる前に、霊は呆気なく身を引いた。


「味見って言ったでしょう」


 にこりと笑い、そして歩き出す。


 私たちは食事らしい食事を摂らない。それでも、人間社会で暮らす“人間”の一員として、それらしいお祝いの仕方をした。思えば、私の誕生日の時もそうだった。おいしい葡萄酒とケーキを用意して、その酔いが回ってきた頃に、初めて地下室を正しく使用することになった。霊の購入した衣装と、霊の用意した道具。互いに求めるものが一致するからこその夜だった。

 今回も似たようなものだ。しかし、ちょっと違う。あの時はあくまでも霊が私に対して贈り物をしてくれた。今回は逆だ。昼間に彼女の隷従となって怖いとつい思ってしまったことは忘れることにして、最大の恐怖を克服しなくてはならないのだ。


 アイアンメイデン。仮初の食事を終えると、愛しい主人に手を引かれ、静かなる処女の待つ地下室へと今宵も誘われた。

 地下室に入るとほぼ同時に、衣服が脱がされていく。

 死にはしない。そう言われても、中に入り、閉められる絶望は想像するだけで身が竦む。絶対安全と言われても、絶叫マシンやお化け屋敷が怖くて楽しめない人だっているだろう。それに近いものを、さすがのこの私でも感じずにはいられないのだ。

 しかし、それでいて、魔女の性が私に囁いてくる。痛みを感じてみたい。鋭い棘に貫かれる痛みと、外に出られない恐怖を味わってみたい。そうして、主人を喜ばせ、心の底から屈服してみせろと、本能が囁いてくるのだ。


 魔女の性に目覚める前ならば、こんな未来が待っているなんて思いもしなかった。それでも、未知の痛みと恐怖には好奇心だけではなく惹かれるものがある。きっとこれは、ただ怪我をするだけに留まらないだろう。この痛み、この恐怖は、これまでとは比べ物にならないほどの魔力を生み出すに違いない。


「入って」


 愛しい主人の一言が、合図となった。

 その後の記憶は曖昧だ。


 閉められる瞬間の恐怖は覚えている。もしも、職人が設計を間違っていたら。もしも、何か予測できない事故があったら。本当に生きて出られるのだろうか。また、ここはきちんと開くのだろうか。外に出してもらえるのだろうか。ありとあらゆる疑問と不安が浮かび上がる最中、しっかりと扉が閉められる。その直後、一瞬にして、何もかも分からなくなってしまった。辛うじて聞こえたのは、悲鳴だ。誰のだろうと思ったことは覚えている。あれは多分、自分のものだ。


 体が震えて仕方がなかった。意識が遠ざかったことにも気づかない。そもそも、意識というものが何なのかですら忘れてしまっていたくらいだ。


 そうして、ふと気づけば、私は外に出してもらっていた。地下室を照らす明かりが眩しく、痛みよりも寒さの方がひどかった。だが、そんな中にあっても主人の温もりだけは心地よく、見下ろしてくるその眼差しも愛おしかった。

 キスの味は恐ろしく優しく、甘いものだった。口を放してすぐに、霊の姿が血だらけであるのに気づく。一瞬だけ驚いたが、すぐに分かった。血だらけなのは私の方なのだ。


「綺麗」


 うっとりとしたまま、霊はそう言った。


「あなたを貰えて、私は本当に幸せよ」


 恥ずかしがることもなく、彼女はそんな言葉を贈ってくれた。

 幸せなのは私も同じだ。だが、そう言葉で伝える力がなく、ただ見上げ、気持ちだけでも微笑むことしか出来なかった。


 そして、霊と私にとっての本当の食事は始まった。牙を食い込ませることはない。弱り切った獲物を貪るように、我が主人は食事を楽しんだ。通常の捕食ならば、捕食者だけが得をし、被食者の命は無様に消されていくだけだろう。しかし、私たちは違う。被食者であるように思える私もまた、捕食者たる霊に食べさせてもらっているのだ。

 この関係が始まった日の事を、たまに思い出す。あの頃、私は自分が何をされているか自覚していなかった。ただ悪夢を見せられているとしか思わなかったのだ。


 吸血鬼というものはどうにかして生き血を手に入れなくてはならない。売血という闇の商売もあるが、高値すぎたり、不衛生であったりする問題は絶えないそうだ。そんな悩みを抱える一人暮らしの吸血鬼の元に、人の血を継ぐ私が成り行きで居候してしまったのだ。何も起こらないわけがなかった。

 居候するように提案したのは霊の方だ。騙されたといってもいいかもしれないが、そういって彼女を恨む気にはならない。私の方だって、その日から得をしてきているのだ。文句なんて言えるものか。


 神か仏か知らないが、これは導きだったのかもしれない。

 しかし、お互いを食べさせ合う存在になるのはまだしも、それ以上先まで踏み込むことになるなんて、どうして信じられただろうか。霊の正体を正しく知った後も、こうなるとまでは思わなかった。主従の魔術がこんな形に落ち着くとは思わなかったのだ。私は恋人を手に入れた。美しいこの人のすべてを手に入れ全てを捧げることを、許し許される関係となれたのだ。

 私の領域にここまで踏み込めるのは霊だけ。〈グシオン〉を履いた笠であっても、ここまでは忍び寄れない。それでは、心とは何なのだろう。疑問に思わずにはいられない。


 すべてが終わり、満足した霊に傷の手当てをしてもらいながらも、私はただただ悩み続けていた。

 この世界に絶対なんてものはない。

 人々が真実をいかに解き明かそうと、それが間違いなく本当であるということは証明できない時もある。断定するしかない場合、想定外のことが起こってしまえば、あとはもうなるように任せるしかないだろう。〈グシオン〉が通用しない。古物たちだって万能ではない。分かってはいるが、それを強く感じてしまうことはよくある。笠の件もその一つだった。その度に、私は怖くなってしまう。この店を守護している〈デカラビア〉は、どのくらい私たちを守れるものなのだろうか。


 暗闇の中、痛みをこらえつつ、手を伸ばせば血の巡りを感じた。あんなに血を流し、吸われた後でも、魔女の性のおかげでもうこんなにも回復している。私の〈赤い花〉の感じた悦びが、そのまま魔力となり、きっと今の私は霊と出会う前では考えられないほど人間離れした存在になってしまっているのだろう。

 それなら、〈アスタロト〉が教えてくれる〈赤い花〉が覚えるに相応しい魔術を覚えることは出来るだろうか。目を閉じ、魔力の流れを意識し、指先に集中してみる。今なら出来る気がした。


 ルミネセンス? いや、これは。


 ――蛍の光の魔術《明星みょうじょう


 指先に優しい光が灯り、ふわりと浮いていく。まるで命でも宿ったかのような姿だ。本物の蛍のようで、美しい。そんな不可思議な偽りの蛍火が、座敷の空気中を漂いだす。あっちに向かってほしい。旋回してほしい。そんなささやかな願い事を思い浮かべると、それに従って動いてくれる。

 隣で眠る霊の吐息が聞こえる中で、蛍火はふわふわと漂い、真っ暗な部屋の中を一つの星のように輝かせる。


 これまでに私は〈アスタロト〉にお願いして、「蛍の光の魔術」の解説は飽きるほど読んだ。「基本魔術一〇選」のうち、唯一完全に覚えることのできた「発光ルミネセンス」を応用した魔術なのだ。〈赤い花〉が覚えるに相応しいという「虫の魔術」の中でも、これが一番習得に近いだろうと信じていたからだ。

 生まれて初めて使えるようになった「虫の魔術」のは「蜘蛛の糸の魔術」だったけれど、あちらはどんなに願っても完璧には使いこなせない。これまでずっと、「蛍の光の魔術」にだって失敗してきたのだから当然だ。


 三種類の中で習得が近いだろうと書かれていたのは「明星」ではなく、「提灯」という魔法だった。何度も何度も練習した。ルミネセンスの応用編で、ランタンや提灯のように膨らませ、明かりとするところから始まる。その後、体から離し、光虫の集団が一塊になっているかのように漂わせることで、火種なく自分の周囲の広範囲を照らすことが出来る。しかし、ランタンや提灯のように光を膨らませる段階ですら、これまでの私にはどうしても出来なかったのだ。


 ――それが……それが……。


 「明星」は「提灯」よりも難しい。明かりを絞り、心でも宿っているかのように飛び交わせる。慣れればかなり離れた位置まで飛ばすことが出来るので、予め話し合っておけば、いい合図になるだろう。だが、この魔法の話題となるのは利便性だけではない。「明星」で生まれる蛍火はとても美しく、ちょうど地上より眺める星のようだった。


 霊との約束が、この魔術を私に授けてくれたのだろうか。生み出したばかりの蛍火を眺めていると、静かなる疲労を覚え始めた。

 ふわふわと蛍火は漂い、だんだんと床まで下がってくる。私の意識のせいだろうか。すっかりと眠り込んでいる霊の頬へと近づき、柔らかいその肌に止まり、照らす。怪しげな光を浴びた我が主人はとても麗しい。ただのランプや懐中電灯などでは表せない妖艶さだろう。


 もともと「蛍の光の魔術」は西洋の大陸諸国で悪魔の秘術とされたと聞いている。光なき場所に光を灯す。火種もないのにそれを使用できる者たちは古代から崇拝されたが、ある時から傲慢になった。その傲慢さが積もり積もって反感を買い、そしていつしか人々に厭われるようになったという。


 性格と能力はあまり関係ない。いかに高い能力を持ち、素晴らしい技術を身につけたとしても、心ある者たちの本質はさほど変わらないはずだ。それによっぽど特殊な人物でない限り、各々がそれなりの良心というものを持っているものだ。迷ったりすることがあったとしても、その良心を道しるべにすれば元の道に戻ることだってできるはず。

 しかし、この技を使う者たちは恐れられ、弾圧された。


 それでも、魔女や魔人はひっそりとこの技を使い続け、その魔女や魔人をうまく利用しようとする人々は、ひっそりとその教えを本にまとめ、情報を共有した。それが〈アスタロト〉の探し出す資料たちであり、私が練習している「基本魔術一〇選」と「虫の魔術」に繋がっている。一纏めにされている理由は簡単だ。それぞれが関係なさそうで、繋がっている。一つ出来るのならば、いつかは全てが出来るようになる。「明星」を生み出し、操る力があるならば、もっと強力な力も操れるだろう。


 この力さえコントロールすれば、守られるばかりの私でいなくてもいい。偽りの蛍火に照らされる私の大切な“明星”を眺めながら、そっと手を繋いだ。


 この幸せを、もがいてでも守らなくては。

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