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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
10.癒しの矢羽〈ブエル〉

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後編

 ラジオ番組に耳を傾けながら、私は店の窓より外を眺めていた。天気雨が降っている。先ほどまでいた客人を霊が一人で見送る姿も見える。番傘をさした女性――百花魁の姿が店から離れていくのを見つめ、心の中で見送った。その姿がさほど離れないうちに、霊はさっさと店の中に戻ってきた。


 釧の件から三日。無事に目覚めたという知らせは大金を産んだ。これで、かねてより考えていた通り、曼殊沙華の家に依頼が出来るだろう。ホッとしていると、霊はまっすぐカウンターに座る私の傍までやってきた。


「あの女狐、〈赤い花〉の血の香りを嗅いでみたいですって。とんだ変態ね」


 その声は何処か苛々としている。精神衛生上、あまりこの人を揶揄わないでほしいものだが、彼女に翻弄されている霊の姿は案外可愛いと感じてしまうのも事実だ。人をつまんで遊ぶのが大好きなキツネなのだろう。私もまた毎回つままれている。今回もそうだった。ただ報酬の事で来ただけのはずなのに、またしても何故かベッドのやりとりを彷彿とさせる言い回しで霊のことを揶揄って去っていった。

 そもそも、前にそれとなく訊ねたときに霊がはっきりと否定してくれなかったのがいまだにこたえている。霊が百花魁のことを拒めば拒むほど、逆に怪しく思えてしまうのは何故だろう。激しい嫉妬に私自身もかき乱されていた。


 しかし、霊は霊で気が立っている様子だった。百花魁に怒っているはずなのに、なぜか私が胸倉をつかまれる。


「冗談じゃないわ。いいこと、幽。あの女狐が来ても、手が触れ合える位置に立ってはダメよ。二人きりの誘いに乗るなんてもっての外」


 一方的に命じられるのはご褒美だが、今回は反抗したい気持ちもあった。私だってはっきりとさせたいことがある。百花魁とのこと。そのことで、霊がどんなつもりでいるのか、はっきりとその口で聞かせてもらおうか。


「地下室のアイアンメイデンを使われたくなかったら守りなさい」

「あ、はい、守ります」


 反抗心はあっという間に砕かれた。


 アイアンメイデンは反則じゃないか。一応、私への誕生日プレゼントという謎のくくりなのだが、届いたその日、嬉々とした表情で見せてもらった中身を見て、こちらの笑顔がひきつった。お仕置きを越えた生傷を負ってしまいそうだった上、これを使った後の一週間ほどは店に出なくていいという意味深な言葉も付け加えられた。何より始終すごく楽しそうだった霊の姿が単純に怖かった。魔女の性の域を超えている、と思いたいのだが、でもちょっとだけどういう感じなのか体験してみたいと思ってしまう自分の性にも恐怖したほどだ。本当の本当に、私の身をいつか滅ぼすのは魔女の性なのかもしれない。


 しかしだ。ここで性にばかり負けては理性ある生き物として情けないではないか。私が私であり続けるためにも、アイアンメイデンコースは極力避けるように努力しよう。

 とまあ、そういう理由で、彼女の言いつけに対して明瞭な返事をした形になったはずなのだが、霊はなぜか唇を尖らせた。何やら不満そうだ。


「何よ。ずいぶん素直じゃない。そんなにアイアンメイデン使ってほしくないわけ?」


 どうやら少しは反抗してほしかった模様。しかし、そこは譲らない。


「百さんとのことで霊さんに誤解されたくありませんからね。アイアンメイデンが怖いわけじゃありませんよ」


 変な見栄を張ってしまった。余計な一言だったと後悔しても遅いだろう。


「ふうん、まあいいわ。アイアンメイデンのせいじゃないなら許してあげる。それよりも、幽。あなた、なんだか最近、機嫌悪いわね。欲求不満?」

「そんなんじゃありません」

「じゃあ何? 教えて?」


 いい機会だ。この際、思いっきり訊ねよう。


「百さんと霊さんの事です。はっきりと教えてください。霊さんは、百さんとその……深い関係になったことがあるんですか?」

「深い関係ってなあに?」


 いやらしく問われ、ぐっと口ごもる。いや、屈するものか。変な反抗心が芽生え、私は思い切って言葉にした。


「いつも私としているみたいに、百さんともしたのかってことですよ!」


 お客さんがいないからこそ聞けることだ。恥も何もかもゴミ箱に投げ捨てる感覚でぶつけてみれば、霊は非常に満足そうな表情を浮かべた。

 ダメだ。負けている。敗北感を味わう羽目になった。何故だ。

 ちなみに、求めた答えはこうだった。


「前も言ったでしょ? その通りの事よ」

「やっぱりそうなんですね?」

「こちらがちょっとお願い事をしたら、お金じゃなくてそれを求められたから払っただけ。でも、あなたとお付き合いするより昔の事よ」

「で、でも――」


 泣きそうになる私を見て、霊はそっと抱きしめてきた。


「いくら愛しいあなたの願いでも、過去は変えられないわ。それとも、なに? なにかもっと聞きたいことでもあるの?」

「あります」


 ここぞとばかりに胸の感触に頭を埋めながら肯くと、霊は耳元で訪ねてきた。


「それはなに?」


 躊躇いを覚えつつも、勇気を出して私は訊ねた。


「霊さんが……その時の事を……そして、今の百さんのことを本当はどう思っているのか……私のことは、どう思っているのか、その気持ちをちゃんと教えてください」


 はっきりと言葉にしてみれば、思っていた以上の恐怖に襲われた。カラスにでもついばまれるかのように心が痛い。霊の沈黙がまた息苦しい。しばらく、そんな窒息しそうな空気の中で震えていると、やがて霊が動き出した。その手が背筋をすっとなぞっていく。その絶妙な刺激に別の意味で震える私に対して、霊は甘い吐息を交えて告げた。


「条件付きで教えてあげる」

「じょ……条件?」


 食事の時間が恋しくなってしまう。そんな状態にされながら、どうにか私は訊ね返した。結局、霊に弄ばれてばかりではないか、という感想は不満にすらならない。

 それよりも、教えて欲しい。どうすれば、私は霊の気持ちを知れるのか。


「アイアンメイデン」


 その単語が再び登場した。


「今晩の食事の時に、使ってもいい?」


 なるほど、そう来ましたか。


 これは悩ましい。我が家に届いたアイアンメイデンはそういう趣味の人のために現代風にしっかり補正をかけ、計算もされている絶妙なものだとは聞いている。しかし、そうは言ってもハードすぎる趣味であることは否めない。開けてみるなり激しく主張する棘なども、大事な臓器を傷つけそうな部分は貫通しないように工夫されており、貫通するのは生きるうえで困らない部分だけという細やかな気遣いも忘れてはいない。おまけにサイズも私の身体にぴったりである。


 一度体験してしまえば、もう昨日には戻れない。陽炎のお姉さんが書いたらしき手紙文が頭をよぎる。ついつい死ぬってことでしょうかと突っ込みそうになるのをその場ではこらえたが、冷静になって考えてみればみるほど体の芯がぽっと熱くなるような好奇心を覚えてしまうのは確かなわけで。


 待て待て。これはよくない。私の魔女としての性は霊に血を捧げるだけで十分すぎるほど満たされているわけだ。アイアンメイデンなんて必要ない。あれは私なんかではなく、もっと常識的な悪者にちょっと強引にお話を聞くときなんかに使った方が――って、私もなんだか発想が過激になってきているようなそんな気がする。


 それはまあいい。問題はただ一つ。アイアンメイデンコースを受け入れるか、受け入れないかだ。

 いけない。気持ちが傾きだしている。耐えろ。考え方を変えるのだ。


 たしかにアイアンメイデンでは分かりやすい痛みと刺激と恐怖が私の身を襲うだろう。ともすれば、魔女の性を満たすどころではない悲惨な思いをするかもしれない。これまでに地下室の遊びに付き合わされたことは数回だけあるが、そのいずれも次の日の業務に差支えしかないほどの生傷が生まれ、疲労が蓄積するものだった。それほどまでに霊に求められるのは正直、悪くない。


 しかし、その一方で快感を得られるだろうもう一つのコースがあることも知っていた。それはお預けと我慢である。我慢を続けた先に訪れる恍惚とした感覚。そして、その間に膨らみ続ける期待は言い表せないほどの悦楽となるものだ。ここで霊の言葉に惑わされてしまうよりも、今日を見送ることで未来の私に訪れるかもしれない悦びを考えれば、もったいない気がしてならないのだ。


 そう、だから心を鬼にするのだ。血の涙を流してでも、今は耐え忍ぶとき。耐え忍んで、首を横に振って、こう答えるのだ。


「それなら、いいです」

「幽の分からず屋!」


 結果的に霊の機嫌を損ねてしまったわけだが、後悔はない。


 百花魁の件で気に入らなかったのは確かだし、霊の口からその心をきちんと聞いてみたかったのは本音だ。だが、よく考えてみよう。霊は元からこういう人だ。こういう人だと分かっていて、主従の魔術で手に入れてしまった人である。魂と魂が繋がっている以上、裏切るもなにも行動や思考の何処かでお互いに引っ張られてしまうもののはずだ。


 この不愉快な気持ちを突き詰めていけば、自分の自信のなさと不安に行き着く。霊が私ではなく百花魁との関係に満足したりしたら、という不安。つまり、捨てられるのではないかという恐怖だ。


 しかし、落ち着いてよく見てみよう。アイアンメイデンは誰のために購入したものだろう。霊のお金で買ったあの道具は決して安物ではない。そんな大金をはたいてまで買ったのは何故か。私のサイズにまで合わせたのは何故か。

 私が謝らないでいると、霊はとことこと店の隅に飾られている〈ブエル〉を取り出して、自分の胸に当て始めた。


「はあ、〈ブエル〉聞いて。幽ったらひどいのよ。せっかく愛の証に買ってあげたアイアンメイデンを頑なに拒むの。深く傷ついたわ。お願い、私を癒して」


 全くもう我が主人は……と憤慨したのも束の間の事、胸の谷間の見え隠れするお洋服にはたはたと〈ブエル〉の矢羽部分を当てる霊の姿に、思いがけずドキっとしてしまった。その感触を独占していると思うと、矢羽相手に妙に腹も立った。

 ぐすんと落ち込んだその様子は本物だろうか。惑わされてはいけないと思いつつも、古物の癒しに頼るいつになく弱気に見える霊の姿に動揺した。


「ああ、もう! 霊さん!」


 結局、折れたのは私の方だった。


「分かりました。分かりましたよ。私が悪かったです。それ以上は〈ブエル〉が困っちゃうのでもうやめてあげてください!」


 抱き着いてみれば、霊の身体はほんのりと温かかった。この温もりは〈ブエル〉によるものだろうか。矢羽にまで嫉妬してしまうなんて、私は相当おかしいのかもしれない。そんな私に対して、霊は訊ねてくる。


「本当に悪いって思っているの?」

「思っていますって。でも分かってください。せっかくのプレゼントを粗末にするつもりではなかったんです。ただ、ちょっといきなりアイアンメイデンはその……贅沢すぎるなって思っちゃっただけです!」

「贅沢? ……贅沢。それもそうかしら」

「で、でしょう? だから、アイアンメイデンはもっと特別な日に――」


 しめた。これでうまいこと有耶無耶に――。


「特別な日。そうね。そうしましょう」


 なんだろうその笑みは。とても怪しくて美しい。いや、そうじゃない。何を企んでいるのだろう。めちゃくちゃ気になった。


「じゃ、残念だけど今宵は諦めるわ。ねえ、〈ブエル〉聞いたかしら。幽が特別な日にアイアンメイデンデビューを飾ってくれるのですって。傷ついた心もすっかり癒されたわ。お前はここで眠ってなさいね」


 なんにせよ、機嫌が戻ったのなら何よりだ。〈ブエル〉のお陰でもあるだろう。有難う。助かったよ。さっきは一方的に嫉妬なんかしてすまない。モノに心と手があるのなら、握手を求めたいくらいだった。


「楽しみだわぁ。特別な日のことが」

「ところで、霊さんにとって一番近い特別な日っていつなんですか?」


 やけに楽しみにしているのでふと気になって訊ねてみると、霊はくすくす笑いながらカレンダーを指さした。


「次の新月の日」


 やけに回りくどい言い方だが、カレンダーに書かれている月の満ち欠け表によればあと二週間ってところだ。はて、その日に何かあっただろうか。


「私の誕生日」

「へ?」

「正確に言うと、名前を哀から霊に変えた日。本当の誕生日は忘れちゃったから」

「え……ええっ?」

「教えてなかったっけ」


 しまった。まさか、今の今まで聞いてなかったなんて。まだ二週間ある。挽回のチャンスは与えられている。何が欲しいだろう。何が必要だろう。


「ふふ、何よりのプレゼントね」


 嬉しそうな表情で霊はケースの中に〈ブエル〉をしまい込んだ。その横顔を見つめながら、先程までの自分の心情を省みる。少し恥ずかしい。百花魁や〈ブエル〉にまで嫉妬して、私は霊を何だと思っていたのだろう。

 自分の誕生日を楽しみにしている霊は、魔法で主人にしてしまう前の面影が残っているように見えてしまい、切なくもなった。この人を私の人形にしてはいけない。それはこれまでに何度も思ってきたはずのことだったのに。


「それまでに、きちんとしておかないとね」


 ケースをしっかりと閉じると、霊は真面目な表情でつぶやいた。


「お金は十分貰ったから、明後日はさっそく曼殊沙華のお家に行ってくるわ。あなたは店番をよろしく」


 息を呑みながら肯いた。いよいよだ。曼殊沙華の人たち頼りではあるが、これで少しは安定した日々が戻ってくるだろうか。これからも霊とのことで一喜一憂したいからこその賭けである。


 馴染みの客の急病という不吉な出来事がきっかけだったが、それを無事に癒せた〈ブエル〉のお陰で、大きな一歩を踏み出すだけの資金が手に入ったのだ。

 すぐに安心できる日がくるとは限らないだろう。それでも、何も出来ないまま怯えて過ごすよりはマシなはず。だから、今はただ〈ブエル〉に感謝したい。よく知った人を救ってくれたこと、そして大きな力を借りるきっかけをくれたことを。


「アイアンメイデンも手入れしておかなくちゃね」


 鼻歌混じりの霊を見つめながら、未来への期待を抱く。


 二週間後に迫ったアイアンメイデン体験は確かに恐い話が、それを単純に恐がることが出来る日常は貴重なものだと覚えておかなくては。〈ブエル〉の産んだ大金がこの日常を守るきっかけをくれるものだと信じて、私は背後から霊にそっと抱き着いてみた。麗しの我が主人はさりげなくこの手を撫でてくれた。

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