中編
「なあに、騒がしいわねえ」
暖簾をくぐる霊の姿がいたって健全なお姉さんで安心した。食事の話をしていた後だったからこそ、未成年者に見せられないようなモノを持っていたらどうしようなどと実は期待――じゃなくて、心配していたのだ。
「あらまあ、タマタマ姉妹じゃない。いらっしゃい」
「店長さん、その呼び方辞めてください。この通り、お願いします」
際どく酷いニックネームに透かさず鬼少女が頭を下げる。たまたま姉妹と呼ばれる理由は簡単で、妹が玉美で姉であるこの子が玉緒という名前だからに過ぎない。ちなみにお兄ちゃんの名前もたしか玉貴だったので、兄との組み合わせでもそう呼ばれる命運にある。
なるほど、と思わなくもないが、いや、でもやめてあげようよと思わなくもない。
しかし、玉緒お姉ちゃんには悪いが、私は黙っておくことにした。霊の邪魔を出来るほど偉くないからだ。
「霊、やっと出てきおったな! 姉上の力になるのじゃ!」
「んもう、玉美。そんなことしなくたっていいの」
「でも、姉上! 勝負に勝つには敵の心を見通さねばならぬぞ」
「そういうことじゃないの」
現代っ子の少女と古風な喋りかたの幼女。
傍から見ていると滑稽で面白い。町中でよく見るほのぼのとした光景だ。まあ、気を抜いて額に角が生えていなければの話ではあるのだけれど。
ちなみに霊から聞いた話だが、今は普通の女の子らしく振る舞っているお姉ちゃんも、玉美ちゃんくらいの年のころは同じような喋り方をしていたのだとか。
「あー、はいはい。話は廊下からちょっとだけ聞かせてもらっていたからいいとして」
手をぱちぱち叩きながら霊は言った。
「で、玉緒ちゃん。実際はどうなの? 恋のおまじないグッズなんてものもないわけではないのよ」
「そんな……わたし……」
と、もじもじしたものの、結局は首を振って素直になった。
「念のため、見せてもらってもいいですか?」
快諾した霊に連れられて、玉緒は恋愛グッズのコーナーへと吸い寄せられていく。そんな後ろ姿を見送ると、玉美もまた自由に店内をうろつきだした。実に危なっかしくて怖いものだ。
そもそも、この鬼幼女、いつも何故かよりによって霊が名前を付けた古物に興味を示すのだ。
木刀の〈ベール〉に挨拶するのだっていつものこと。目を離せば手を触れようとするから放っておけない。霊が玉緒につきっきりである以上、私の仕事は鬼幼女のストッパーとして働くことだろう。
案の定、玉美は硝子棚をうんと見上げ始めた。一応、金印の〈サミジナ〉や馬の像〈ヴァレファール〉のような危険なものがしまわれている戸棚ではない。そちらは危険性を重く見た霊が、簡単には覗けないような別の棚にしまい込んでしまった。玉美が見ているのは、聖杯〈アガレス〉やいつだったかお世話になった水差し〈マルバス〉などが置いてある棚だった。
開けようと思えば開けることができる。
しかし、以前注意したことがあったので、玉美も好奇心をぐっとこらえてくれた。よしよし、いい子だ。
だが、ここで私はハッとしてしまった。何たる大人の失態。危険物が目に入ったからだ。商品棚の横に置かれたままのブツ。それは、さきほど霊と話していた電話機〈アモン〉であった。そうだ。清掃がてら出したままにしていたのだ。大丈夫だろうか。
心配空しく玉美は〈アモン〉を見つけるなり、興味を示した。受話器を手に取り耳に当て、何かを喋りだす。やはり、古風な喋り方をしていようと、奴もそこらで遊んでいる子どもと変わらない……ってそういう場合じゃない。
「ちょ、ちょっとそれは触れないでおこうか」
注意すると、玉美はびくりとこちらを見つめ、受話器をフックにかけた。その様子を玉緒と霊が振り返る。
「店長さん、あの電話、なんですか?」
玉緒が興味を抱いたようだ。
「呪いの電話」
手短に遠ざけるような返答だったが、鬼少女はめげずに呟く。
「呪いですか。確かに奇妙な気配がします。どういう呪いなんですか?」
「うーん、あなた達にはちょっと早い呪いね」
ウソをつけぬ電話〈アモン〉のことを曖昧にするのは何故だろう。恋煩いにかかっている少女に悪影響を及ぼさないようにということだろうか。
本心から恋の相手に繋がり、想いを伝えられるのならば、告白したい男子女子には魅力的かもしれない。だが、霊はあれを恋のグッズには絶対にしない。このさじ加減が子どもにも分かってもらえるかどうか。考えた末の、霊の判断なのだろう。
「……なんだか昔聞いた怪談の電話にそっくり」
しかし、霊の大人の優しさも、子どもの世界で人気の怪談とかいうものには無力だった。玉緒はあっけなく〈アモン〉に吸い寄せられていく。
「こうやって、受話器を耳に当てると――」
玉美が見上げる中、そっと受話器に手を触れ、耳に当ててしまった。
「え、ちょっと」
止める暇もなかった。
私も霊も呆気に取られている間に、玉緒は突っ立ったまま固まってしまったのだ。
「姉上? 姉上?」
ただならぬ様子に、玉美の口調も崩れてしまう。子どもらしく不安そうな眼差しで、受話器を持ったまま動かない姉の姿に怯えていた。
はっと我に返り、私は急いで玉緒に近づき、受話器を奪おうとした。しかし、信じられないほど強い力で抵抗された。いや、抵抗というよりも、受話器と玉緒の手がくっ付いてしまったかのようだった。
「れ、霊さん、どうしましょうこれ!」
「しまったわねえ。その様子、本人が帰ってくるまでは奪えないわね」
「そ、そんな。大丈夫なんですか?」
「多分大丈夫よ。目的は一つでしょうから」
「多分って……」
しかし、私が何かできるわけでもない。霊を信じるしかない。傍で見守っていると、玉美は不安そうに私の手を握ってきた。
「姉上はどうしたの? だいじょうぶ?」
いつもの口調も忘れ、とても不安そうに見上げてきた。
戦地に赴いてしまったのだよと言いたくなる気持ちを抑え、私は玉美の頭を撫でた。
「ちょっとだけ夢を見ているみたい。心配せずとも、ちゃんともとに戻るみたいだよ」
「そ、そうなのか」
私の言葉を受け取りつつも、やはり心配そうな表情は消えない。当然だ。目の前には〈アモン〉の受話器を耳にしたまま固まってしまった鬼少女の姿。
たしかこの子たち、いい所の令嬢だったはずだ。曼殊沙華の紋章。鬼の一族。ご両親が知ったら私たちヤバいのではという恐怖も薄っすらと感じていた。
しかし、起こってしまったことはどうしようもない。私はただただ祈り続けた。何事もなく、鬼少女が受話器を下す光景を拝めますようにと。
そのまま数分が経った。私の願いが通じたのだろうか、石像のように固まっていた玉緒の身体が唐突に動いた。チン、という音と共に受話器がフックにかけられると、直後、その肺活量に感心してしまうほどのため息が聞こえてきた。
「姉上! 何があったのじゃ!」
「――べつに」
肩を落とし、片手で額を抑える。その仕草はすこしだけ、〈アモン〉を手にする前に比べると大人っぽい色気が増したようにも見えた。
「別にって、どうみても何かあったのであろう?」
「とくになにも」
イライラしているのがよく分かった。そこへ、霊が背後からゆっくりと近づいていく。玉緒の両肩に手を置き、そっと話しかけた。
「玉緒ちゃん、大丈夫よ」
その声はこちらが羨ましくなるほど優しさに満ち溢れていた。
「〈アモン〉のどんな噂を聞いたか知らないし、何を聞いたのかも分からないけれど、これを妄信して決断するのもよくないわ」
「でも、ムカつきます」
「胃薬でも飲んで忘れなさい。鬼の子にも効果抜群の胃薬を教えてあげるから」
「――忘れるなんて無理ですよ。だって、あいつ、わたしのことを地味でチビで貧乳で大したことない女だって思っているんですよ? これで告白なんて成功するわけないじゃない!」
あちゃあ、これはまずいことになった。
お姉ちゃんの恋の相手が魔であるのかそうでないのかは知らないけれど、よくもまあ、鬼の一族の令嬢をたいしたことないなんて思えたものだ。
ぽろぽろ泣き出す姉を見て、鬼幼女もまた困惑の表情を浮かべる。これでまた怒りのあまり、〈ベール〉を貸せだなんて言わないといいのだけれど。
「だから、〈アモン〉にこだわり過ぎないの。実際に告白しちゃえば、相手の気持ちだって変わるかもしれないじゃない。玉緒ちゃん、こんなものに惑わされずに、あなたの気持ちを伝えてみなさいな」
霊は落ち着いた様子でそう言った。私は何も言えないまま、ただ小さな鬼の子を見つめていた。鬼幼女はうろたえつつ、静かに泣き続ける姉の手を握っていた。私と同じで、どうしたらいいのか分からないらしい。
玉緒が泣き止まぬまましばし時間が過ぎると、ふと霊は時計を見つめた。
「ああ、いけない」
玉緒の肩をぽんと叩き、二人に向かって諭すように言った。
「そろそろ日没になるわ。ひとまず夕焼けで影が伸びる前に帰った方がいい。最近は鬼喰いが出るから、ね?」
「まだ大丈夫じゃ、霊。万が一、そんな輩が現れても、ワシが不調の姉上の分まで戦って鬼喰いなんかボコボコにしてやるからの!」
「はいはい、あなたの強さは分かったから、そろそろお帰りなさい。あなた達のご両親にお叱りを貰ってしまうわ。お願いだから、またここに遊びに来たいのなら、危ない時間になる前にお家に戻ってほしいの」
「むう……」
不満そうな鬼幼女に代わって、涙の止まらない鬼少女が静かに頷いた。
「わかりました……色々と、ありがと……ございます」
痛々しいほどの声でそう言うと、妹の手をやや乱暴に掴み、立ち去ろうとし始めた。と、その前に、霊は玉緒を呼び止めた。
「待って」
そして、空いた方の手に何かを握らせた。部屋の隅に売られていた薄紅色の匂い袋である。しっかりと握らせると、霊は穏やかに笑いかけた。
「これは……」
「持っていきなさい。酷い思いをさせたお詫びの品」
「いいんですか?」
「お詫びだもの。これを身に着けて、明日は頑張ってきなさい。ただのお守りだけれど、ないよりもずっとマシ。あなたをしっかり支えてくれるはずよ」
大人のお姉さんとして頼もしく振る舞う霊に対し、玉緒はどうやら見惚れている様子。同じく見守っている私としては、このまま霊の方に惚れたりしないか心配だが、たぶん大丈夫だと信じたい。
「あ、ありがとうございます……!」
しっかりとお辞儀をすると、匂い袋を握りしめ、妹を乱暴に引っ張りながら、玉緒はそそくさと店を去っていった。
もうそろそろ、日が沈む時間だ。




