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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
6.心を盗む馬の置物〈ヴァレファール〉
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前編

 〈彼の名前はヴァレファール。その名は盗賊を意味し、圧巻の逃げで世界各地の大レースのタイトルを盗んでいった。栗毛に流星の目立つ美しき容姿。人々は彼を「黄金の怪盗」と呼んだ。〉


 霊のお店の開店準備の時間、何気なく手に取った馬の像の裏側には乙女椿語でそんな言葉が彫られていた。たぶん、馬比べ界の名馬を褒め称えるために作られたのだと思うのだが、いやに気になった。私は馬にさほど興味がない。動物として好きかどうかと聞かれれば、好きな方と答えるだろう。しかし、嫌いではないというだけであり、可愛いと思うけれどまったくこだわりはなかった。

 〈ヴァレファール〉という名馬については、残念ながらあまり知識はない。というか、今初めて知った。恐らくマグノリアあたりの海外の馬なのだろう。乙女椿国の名馬ですら、新聞やテレビ、ラジオで耳にする名前くらいしか知らない。霊は詳しいかもしれないが、わざわざ聞こうとは思わないし、彼女もその話題を私に話すことはあまりなかった。


 それなのに、どうしてだろう。

 〈ヴァレファール〉の像を手にした私はそのまま固まっていた。視線は精巧にかたどられた馬の姿に囚われたままだ。カッコいいという一言ではすまない。この像はあまりにも美しかったのだ。


「どうしたの、幽」


 ぼーっとしていると、ようやく霊が気づいた。言い訳を考える暇もなくあたふたしていると、霊は私の手にある馬の像に気づいた。ああと、一人で何か納得すると、彼女はため息交じりに近づいてきた。私の手から馬の像を奪い取る。その瞬間、何故だか分からないが、微かな反感を覚えた。おかしい、こんな事はないはずなのに。


「……いけない。昨日手入れしたときにしまい忘れていたのね」


 そう言って、霊は馬の像を戸棚にしまった。しっかりと鍵をかけている。その鍵の行方を目で追ってしまうほど、今の私の心は異様な状態だった。そんな私の内面を見透かしているのだろうか、霊は振り返ると、にやりと笑った。


「幽、安心して。そのうちに治るわ」

「あ、あの……私……その……」


 不安のあまり様子を窺うと、霊は補足してくれた。


「〈ヴァレファール〉の像。昔、仕事の報酬で貰ったものなの。幽、あなたは悪くないわ。この像には変な力があるの。人の心を虜にする力。何故だか分からないけれど、人間の血を引くものはこの像を見ると異様に欲しがってしまう。だから、戸棚の奥深くに眠らせておかなくてはいけないモノなの。……あなたが気づいてくれてよかった。このまま開店していたらトラブルが起きていたかも」

「は……はあ」


 正直、半分ほどは耳に入らなかった。もう一度、〈ヴァレファール〉を触りたい。まるで恋でもしてしまったかのように、私は落ち着いていられなかった。そんな私の様子を見抜いてのことだろう。霊は戸棚の鍵を元の位置に戻さず、胸元にしまい込んだ。衣服の隙間から見え隠れするその胸元へと自然と目が行ってしまう。


「〈ヴァレファール〉の語源は、盗賊の魔神と言われているそうよ」


 霊は怪しげに目を細めた。私の反応を楽しんでいるようだった。


「関係者が期待を込めて素質馬につけた名前。そんな名前を持つ彼の像がこうして不思議な力を持った。不思議よね。昔の人たちが信じたように、名前には魔法の一種のような未知の力がやっぱりあるのかもしれないわね」

「あ……あの、霊さん……その〈ヴァレファール〉の像……」


 もう一回触らせてくださいと言おうとする私を、霊はじっと見つめてくる。その微笑みにはやや意地悪なものが含まれているようだった。私の様子を楽しんでいるらしい。なんだか悔しかったが、楽しそうな霊の残酷な目を見ていると、こっちまで興奮した。


「さわっちゃ駄目よ」


 霊は色気のある声でそう言った。


「触れないまま時間を置かないと、その状態は解けない」

「あ……あの……」

「だから、しばらくは我慢して。お客さんが来たら笑顔を見せなさいね」


 何故だか楽しそうに霊は言ったのだ。

 ああ、なんてことだ。なんてプレイだ。神の馬にちょっとでいいから触りたいのに、触らせてもらえない。鍵は我が主人の胸元。何とも悩ましい状況なのに、これから仕事をしなくてはならない。唐突な責め苦が私に襲い掛かる。これだけで魔女の性が満たされ、お肌がツルツルになりそうだった。美容にはいいけれど、精神的にはなかなか辛くてそれがいい。落ち着かないこの状況で、笑顔接客なんて出来るだろうか。

 不安しかなかった。だが、我が主人のご命令だ。従うことが私という魔女のあり方。胸に手を当てて自分を落ち着かせると、私は霊に向かって頷いた。


「分かりました。耐えてみます」

「お利口さん」


 にっこりと笑って褒める美女の姿に心を奪われそうになった。そうだ。〈ヴァレファール〉が何だというのだ。私にはもっと魅力的な存在があるじゃないか。この短い責め苦を耐えきれば、きっと霊は何かしらのご褒美をしてくれるかもしれないし、敢えて何もしないというご褒美もあるかもしれない。ああ、何を言っているのだ、私は。

 とまあ、こんな具合に今日という日は始まった。なかなか落ち着かない一日になりそうだ。そんな予感に震えながら、私はカウンターに座ったのだった。


 数時間後、時計の針は真上を差している。太陽もまた真上にある頃だろう。お昼ご飯は基本的に摂らない私たちなので、休憩などなく営業は続く。しかし、もともと客足も多くないため、無理は生じない。休みながらだらだらとやっているようなものだし、あまりに暇なときはラジオを聴いて退屈しのぎをしている。

 こんな状況でもやっていけるのは、やはり笠の持ち込む仕事の方で成り立っているからだろう。店の目的は、品物があるべき場所に向かうためでもあるし、風通しを良くすることで淀んだ空気を逃がすという目的もあるそうだ。


 この店には結界が貼られているため、悪意ある存在はそう簡単には近づけない。例外はあって防げない外敵は存在するけれど、結界がない状況に比べればずっといいらしい。その結界を守るためにも、風通しを良くすることは大事だった。

 風通しというのは来客のことでもある。冷やかしだろうが下見だろうが、悪意のない第三者が店を訪れ、時に縁のある物と出会って買っていくという行為は、この店にとっても、残されている古物たちにとっても、そして我々にとってもとてもいい影響を及ぼすのだ。


 というわけで、悪意のない来客というものは、その人が何かを買うか買わないかに関わらず歓迎されるべき存在なのだ。

 しかし、我が主人はやや不機嫌そうだった。もちろん、表には出していない。しかし、言葉にならない感情が私だけには時折伝わってきた。

 なぜなら、今この店には私の親友である桔梗が遊びに来ているからだ。


「桔梗ちゃん、ゆっくりしていってね」


 笑顔でそう言って蘭花のテーブルに座らせ、お茶を出してくれた霊だが、私には分かる。彼女は桔梗のことがあまり好きではない。その原因は私にもあると反省している。

 これまで、霊に尽くすと約束していながら、霊の気持ちを考えずに桔梗ばかりと遊んでいたこともあって、後ろめたさはあった。だからといって、従来の友人である桔梗を蔑ろにしたいわけではない。じゃあ、どうあるべきか。私がうまく配慮するしかない。霊も表面上は桔梗に優しくしてくれている。それに甘えるばかりではなく、桔梗の前で霊を立て、桔梗が帰った後もきちんとお礼を述べる。ああ、それ以外に何かあったかな。私は内心びくびくしながら桔梗と談笑していた。


「それにしてもいいお店」


 桔梗は店内を眺めながらそう言った。彼女は最近眼鏡を変えた。以前はシンプルなフレームの丸眼鏡だったが、最近はレンズのコンパクトな赤ぶち眼鏡を愛用している。よく似合っていると思う。仕事中はコンタクトをしているとも聞くが、私の記憶の中の桔梗は眼鏡を取ると人格が変わるという特性なので、正直想像がつかない。眼鏡美人なわけだが、眼鏡を取っても勿論美人だ。

 いやあ、こうして久しぶりに見ると、桔梗もなかなかいい女性だと同性ながら思うのだ。恋人がいないのが不思議なくらいだ。きっと出会いがないのだろう。


 と、そこで背後から冷たい空気を感じた。カウンターから見られている。気づいたら野良猫がじっとこちらを見ていた時のような感覚が私を襲ってきた。

 違う。違うんだ。桔梗は美人だと思うけれど、そういう嫌らしい目で見ているとかではなくてですね、その。

 心の中で言い訳を百個くらい並べていると、桔梗はにこりと笑って言った。


「店主さんも美人だし、いい環境で羨ましい」

「あらまあ、桔梗ちゃんったら」


 カウンターからくすりと笑う霊の声が聞こえてきた。

 よ、よし、これはいい流れだ。相変わらず視線は鋭い気がするけれど、まあ大丈夫だろう。実をいうと桔梗にも霊のことはだいたい伝えてある。つまり、霊とはそういう関係なのだということは知っているのだ。


 乙女椿では同性婚というものは認められていない。しかし、禁じられているわけではないので、寛容な人も多い。桔梗も寛容なタイプで、本人同士がいいのならいいんじゃないかなという意見だ。なので、桔梗の方は私と霊の仲を邪魔する気はないはずだ。それでも、霊の方が桔梗を警戒しているものだからややこしい。どうしたら分かってもらえるのだろうか。悩ましいところだ。桔梗には霊がそのように思っていることを勿論伝えてはいない。

 ついでに、霊が吸血鬼であることも知らないし、そもそも私が魔女であることは勿論、自分が魔女であることすら桔梗は知らない。


 桔梗の心臓は〈赤い花〉ではなく、〈黒鳥姫〉というもの。昔、黒鳥に変身できる有名な魔女がいて、その始祖から広がった血筋だと古書〈アスタロト〉が教えてくれた。

 〈黒鳥姫〉はその昔、魔女や魔人の世界で嫁にしたい心臓の持ち主として有名だったらしく、その血は世界に羽ばたいている。だが、魔を忘れてしまった現代社会では、魔法を一生使うことなく死んでいくものも多いらしく、今では〈黒鳥姫〉の心臓は、心臓奇形の一種くらいにしか思われていない。〈金の卵〉の脂質に拒絶反応がある以外はいたって健康な人ばかりなので、問題視されることもあまりないらしい。

 桔梗も自身のアレルギー体質については分かっているようだし、自分の先祖が魔女と呼ばれていたらしいことは語ったことがあった。けれど当然ながら、あくまでも昔話としかとらえておらず、本当に自分が魔法を使えるかもしれないというようなことは言ったことがない。


 桔梗はどちらかといえば、魔すら信じないような現実主義者というやつだと思う。素質はあっても、本人が集中しない限り魔法はいつまで経っても使えない。桔梗がもしも魔法を使える日が来るとしたら、それは本当に非日常的な何かが起こる時だろう。

 もちろん、そんなことは比較的平穏な現代の乙女椿国内では滅多にないはずだ。この世には魔女の脅威はたくさん存在するものだが、魔を自覚していない者にその脅威はふりかからないと聞いている。だから、桔梗も人間として平和に暮らせて行けるのだろう。私にとって桔梗は世の中の見方が変わってしまう前も後も関係なく、いつまで経ってもそこらの人間と変わらない存在だった。

 けれど、そんな桔梗であっても、この店の不思議な雰囲気には心惹かれるものがあるらしい。ある程度談笑が終わると、桔梗は蘭花のテーブルからすっと立ち上がり、店内の商品を眺め始めた。


「お店のモノもよく手入れされていて綺麗。なんだか不思議な雰囲気の物ばかりだね」


 そう言って戸棚を眺めていく。そしてぴたりと一か所で立ち止まった。


「どうしたの?」

「えっと……その商品って、売り物?」


 指さした先を見て、私はハッとしてしまった。

 戸棚の中にしまわれていたのは、〈ヴァレファール〉だったのだ。隠し方が雑だったせいで、顔の一部が見えてしまっている。そう、今まで私も見惚れなかったのは、綺麗に隠されていたからだ。掃除もこの場所は霊が担当していた。それなのに、昨日今日に限って、何故だか霊の手入れが雑だったのだ。私は慌てて桔梗の手を引っ張り、戸棚から離れた。


「幽?」

「ご、ごめん桔梗。その戸棚あまり良くないものがあって」

「え、なに? 呪いとかそういうやつ?」

「えっと、うん。だいたいそんな感じ」


 適当に誤魔化しながら戸棚より離れたとき、店の扉が開き、別の客が入店してきた。桔梗の目がふと時計へと向く。気づけば、桔梗が遊びに来てから一時間近く経っていた。


「いけない。そろそろ買い物に行かないと」


 そう言って、桔梗は鞄を手にすると、カウンターの霊に頭を下げた。


「お茶を有難うございました。幽、また遊ぼうね」

「うん……またね!」


 店の外まで見送る際、私はまたしても背後の視線を感じた。店内には別の客がいるが、やはり鋭い視線を感じる。このじわじわとした緊張感のせいか、〈ヴァレファール〉への執着心はすっかり消えてしまっていた。荒療治この上ない。


 ――いやでも助かったかも。


 そんなことを一人想いながら、私はバス停の方角へと去っていく桔梗に手を振ったのだった。

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