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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
48.性質を変える金庫〈ハーゲンティ〉
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前編

 水が葡萄酒になる。それは、まだ魔の世界に飛び込んで間もない私にも理解しやすい奇跡であるが、乙女椿の昔話に出てくる狐狸の類がするようなイタズラなんかもこれに近いだろう。

 葉っぱをお金にしたり、土塊を宝にしたりする。それは乙女椿で語られるならば、多くの場合は紛い物に過ぎない。見かけだけ変わるということ。

 それでは駄目だ。性質そのものを変えること。

 それが、昔から人々が求める本物の奇跡なのだ。


 さて、この店の片隅にさり気無くあるその古物は、そんな奇跡を追い求めた人によって生み出されたのだろうか。

 その誕生の詳細については、店主である霊もまた知らないのだという。

 それでも、その金庫に入れた物質が望みのものに変化するという話は、霊が初めてこの金庫に〈ハーゲンティ〉という名前を付けたその時から分かっていたらしい。


 見れば見るほど変わった金庫だ。

 一見すればただの金庫に見えるのだが、開けてみればその裏側には謎の絵がある。魔法陣というよりも、落書きというのが相応しい。翼を生やした牡牛のその絵を誰が書いたのかも、もう分からないのだという。

 それでも、これを受け継いできた人々にとって大事だったことは、金庫のもたらす奇跡の方であるとのことで、誕生の経緯に関する記録の欠落は、あまり重要には思われていなかったという。それよりも深刻と言われていたことが、金庫の力をどうやって発揮させるのかが分からなくなっていた事だったという。

 そのため、〈ハーゲンティ〉をいかにして活性化させるのかという研究は、曼殊沙華の者たちの協力のもと進められたのだという。


「大変だったのよ。まさに手探りだったから」


 そう言いながら霊が飲むのはワイン──ではなく、葡萄ジュースだ。近所のスーパーで安売りしていたのを私が買ってきたのだ。血を欲しがる彼女に赤ワインみたいなものですよと渡したところ、文句を言いつつも気に入ってくれたらしい。しかし、アルコールを求めていたようで、グラスに入った葡萄ジュースを片手に霊は〈ハーゲンティ〉について話してくれたのだった。


「この子ならば、今、私が持っている葡萄ジュースだってワインに変えてしまえるの。そんなウソみたいな奇跡を起こせるのよ」

「じゃあ、どうしてお願いしないんですか? 何かデメリットでもあるのでしょうか」


 恐る恐る訊ねてみると、霊はまるでワインを飲むようにグラスを傾けながら、溜息交じりに答えた。


「そうしたいのは山々だけれど、そうはいかないわ。古物を乱用してはいけないの。特に、この子のように常識では考えられない奇跡を起こすタイプのものはね。この子はその気になれば、お金だって生み出せる。でも、人間様たちの社会の秩序をあまりに乱せば、どこかに睨まれて目立ってしまう。ねえ、あまり良い事じゃないって分かるでしょう?」


 確かに、その通りかもしれない。

 少なくとも、魔物たちの支配下にあるこの町において、古物を使って好き勝手するのは褒められた行為ではないだろう。

 その為か、この金庫は危険性と言うべき危険性は特に語られていないが、ランクはAで店外持ち出し厳禁および店主以外使用禁止の代物となっていた。


 けれど、全く使われていないわけではない。要は使い道を問われるようで、〈ハーゲンティ〉の中には古物がたくさん入っている。

 たとえば、凶悪な曰くがついていた運命を共にするピアス〈ビレト〉もそうだった。ワイン漬けにして一年以上。ようやくその凶悪性が弱まってきたところで、今は〈ハーゲンティ〉の支配下にある。ここで、霊の願いに従って、その効果からマイナスの要素を薄めるのが狙いなのだという。これもまた性質を変えるという力の一つなのだとか。

 それ以外に収められている古物たちも、それぞれ何かしらの背景により〈ハーゲンティ〉の力を借りる事となっているものばかりだ。

 だが、〈ハーゲンティ〉の役目はそれだけではない。霊は、乱用は避けるべきと言ったが、実のところ、外部の者を相手にこの金庫を使うことはあるのだという。


「昔はこれを使って曼殊沙華の人達が商売もしていたみたいなんだけど、さすがに他の家から苦言を呈されたようでね。それ以来、こうやってひっそりと力を借りているの」

「へえ……そのあたりの加減も色々と大変なんですね」


 きっとそこには胃も痛くなるような会談なんかもあったのだろう。そんな事を何となく想像していた時だった。カラン、と、店の鐘の音が鳴り、ペタリペタリと店に入って来る足音が聞こえてきた。完全に気を抜いていた私たちが共に慌てて営業モードになりかけた矢先、視界に映った客人の姿に再び気が抜けてしまった。


「あら、玉美ちゃん。いらっしゃい」


 霊の言う通り、そこにいたのは、のじゃロリキャラを完全にやめてしまった鬼の子の玉美だった。最近また背が伸びただろうか。子供の成長は早い。きっと、今日も普通の女の子に戻っていく彼女の姿にかつて確かにいたのじゃロリの面影を重ねて少しだけ恋しい気持ちに──。


「シッ、静かに」


 目を光らせながら、玉美は人差し指を唇に当てる。片手に持つのは一升瓶。お酒に見えたけれど、よく見たら葡萄ジュースの瓶だ。タマミはそれをこそこそと抱えながら、カウンターにいる私たちの前に置き、話しかけてきた。まるで、酒場の常連のおじさんみたいに。


「詳しい話は聞かないでおくれ。コイツをワインに変えて欲しい」


 また、何かテレビか何かの影響を受けているみたいだ。そういうお年頃ってわけか。しかし、ワインとは。面食らっていると、霊はそっと身を屈めて、玉美に告げた。


「悪いわね、お嬢さん。生憎だけれど、そのような奇跡、私たちには起こせないのよ」


 軽く相手のノリに付き合いつつも、冷たくあしらうその言葉に、だが、玉美は全くめげずに食い下がった。


「いいや、吸血鬼さんよ。私は知っているぞ。あるのだろう、そういう金庫が」


 玉美の言葉に私はドキっとしてしまった。だが、考えてみれば、知っていてもおかしくはない。曼殊沙華が商売をしていたくらいのものだ。大人たちの会話を何処かで聞いていたとしても不思議ではないだろう。


「……玉美ちゃん、悪いんだけど」


 と、ここは私が大人のお姉さんらしく優しい言葉で諭そうとしたのだが、霊は透かさず口を挟んできた。


「そう、〈ハーゲンティ〉を知っているの」


 隠すことなくその名を口にする彼女の態度にぎょっとしたが、私はおとなしく引き下がった。玉美はつぶらな瞳をじっと霊に向けながら頷いた。


「ああ、確かにそんな名前だった。さあ、吸血鬼よ。これをワインに──」

「駄目よ」

「なんで!」


 当然ながら突っぱねられ、玉美のキャラがさっそくぶれた。霊は腰に手を当てながら、じっと玉美を見下ろす。


「なんで、じゃないでしょう。乙女椿の法律により、未成年者へのお酒の提供は禁じられているからです」

「なぜだ……昔の話では、鬼の子は七歳を越えたら酒を飲んでいたって聞いているのに」

「それは昔の話。それだけじゃないわ。色んな法に触れることになる。それでも、どうしてもっていうのなら、お母さんに電話しちゃうけどいいかしら?」


 霊がにこりと微笑むと、玉美の顔色がすっと悪くなった。

 やはり、キャラは変わっても、お母さんは恐いらしい。


「くっ、卑怯な……ここで母の名を出すとは……お、覚えてろよ!」


 玉美はそう言い残すと、葡萄ジュースの瓶を抱えて逃げるように店を去っていった。

 その背中を見送っていると、呆れたように霊は呟いた。


「これで、知っている鬼の子は全員来たわね」

「ぜ、全員……〈ハーゲンティ〉への依頼ですか?」

「ええ。誰か曼殊沙華の悪い大人が吹き込んでいるのでしょうね。背伸びしたがりの子供らしい願いばかりだったけれど、それだけに全員断る羽目になった。ケチな吸血鬼ババアって捨て台詞を吐かれた事もあるわ」

「それは……ずいぶんと恐れしらずな──」

「恐れしらず?」

「い、いえ、口が悪くていけませんね、全く!」


 ふう、危うく地下拷問行きが決まるところだった。

 そんなヒヤリハットに妙な胸の高まりを覚えつつ、私はちらりと〈ハーゲンティ〉へと目をやった。


「でも、確かに、子供だったら頼りたくもなるでしょうね。〈ハーゲンティ〉って、望み通りに何でも変えられるんでしたっけ?」

「そうねえ、制限はあるわ。たとえば、葡萄ジュースはワインに出来るけれど、麦酒には出来ない。あらゆる金属は金に出来るけれど、ダイヤモンドにはならない。そして、これも重要ね。生き物の亡骸を入れれば生きた状態に戻せるけれど、魂は別のものになると言われているの」

「別?」

「そう。記憶は継承されないから、真っ新の状態になってしまうの。亡くなった人の復活を求める遺族からすれば、別人になって帰ってくるようなものよ」

「……なるほど」


 だが、そう聞くと少し怖くなった。死んだ者すら生き返らせることが出来るのだと思うと。

 しかし、そんな〈ハーゲンティ〉の力を目の当たりにすることは恐らくないのだろう。この店にあり、霊が管理している限りは。

 と、一人で納得していると、霊は私の背後からそっと抱き着いてきた。


「幽なら何を望む?」

「わ、私ですか……えっと──」


 答えようとして、そのまま息を飲んでしまった。霊の手が胸元に生傷に触れたからだ。ひりひりとした感触が、私の鼓動を速めてしまう。それを何とか誤魔化しつつ、どうにか平然とした答えを口にしようと焦る私の耳元で、霊は悪魔のように囁いた。


「痛い事と、気持ちいい事、どっちがいい?」


 その囁きに抗えず、私はつい答えてしまった。


「ど、どっちも」


 全く、何を言わされたんだ。

 口にしてから真っ赤になる私を、霊は面白がるように笑って首筋に噛みついてきた。軽く血を吸われただけで、にわかに沸き起こっていた恥じらいが誤魔化されてしまう。

 心と体が段々とその気になっていく中、けれど、霊は残酷にも私の体を突き放してしまった。


「さて、続きは二、三時間ほど後に」

「え……さ、にさんじかん……?」

「そうよ。だって、まだ夕方じゃない。幽のせっかちさん」


 微笑む彼女はまさに悪魔そのものだった。

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