表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
47.一蓮托生の灰皿〈ヴアル〉
139/147

前編

 一蓮托生。

 それは、この国にも古くから馴染んでいる宗教用語の一つだ。多くの言葉がそうであるように、信者かどうかは問わず広く用いられるようになった言葉でもある。その意味を思うたびに、私は自分と自分の主人である霊のことを考えてしまう。

 主従の魔術。

 これもまた一蓮托生のようなもの。結末がどうなろうと私たちは運命を共にすることになる。この魔術を一度使用した魔女は、その相手を失ってしまえば生きていけない程に精神が崩れてしまうからだ。


 霊に先立たれるようなことがあったら。確かに考えただけで恐ろしい事だった。

 私たちが普通の人間であったならば、いずれは避けられぬ命運だっただろうに、なまじ不老の身であるからこそ、あまりに怖かった。

 それでも、魔女のそれは飽く迄も精神的なものである。一蓮托生とはいっても、契約の相手がこの世を去っても、その片方が強引に死を迎えるわけではない。その場合、死ぬのは心であり、肉体ではないのだという。


 となれば、目の前にあるこの古物は、私たちの使う主従の魔術よりもずっと強力で、ずっと厄介な代物に違いないだろう。


 それは、不思議なデザインの灰皿だった。

 随分と古いものらしく、左右には見慣れない異国の神話の登場人物が象られている。実際に使用されたことは何度もあるらしく、真っ黒な見た目にも関わらず汚れも目立っていた。

 この汚れはどうやら取れないもののようで、布巾でしばらく磨いていた霊も、とうとう諦めて簡単に埃を落とすだけに留める事となった。


「何しろ百年以上は前のものだって聞いているから、あまり強い力で磨けないのよね」


 霊はそんな事を言いながら、灰皿をことりと店のカウンターの上に置いた。

 時刻は夕食時。互いに互いの腹を存分に満たした後で、何事もなかったように勤しむのは、明日に控えた訪問の準備である。行き先は曼殊沙華の本家。そこに持っていくための準備として、この灰皿のチェックをしていたのだ。

 対する私は特に何の手伝いも出来ず、来客用の蘭花のテーブルをただ磨きながら彼女の様子を見守っていた。


「百年ですか。思っていた以上に古い物なんですね」

「ええ。何なら、家に来てからもそれなりに経つの。役立った機会は数知れず。それだけに、取り扱いは慎重に。中にいる〈ヴアル〉も、手入れをする人については口煩いのよ」

「なるほど」


 それで、私が触ることは許されていないわけだ。

 少しだけ納得しながら、私はじっとその灰皿〈ヴアル〉の左右についた像をまじまじと見つめた。

 この灰皿についての情報は、私もまた簡単には頭に入れていた。店で管理され、名前も付けられている事から分かる通り、ランクはC相当で、この店でずっと保管することになっている代物だったのだ。

 〈ヴアル〉という名前は勿論、店主である霊の命名であると聞いている。その由来はやはり悪魔もしくは魔神である。ヴアルという存在が実際に宿っているわけではなく、灰皿の役割から連想して付けたのだという。

 左右に象られた像についても、その命名の由来とは関係のない異国の精霊なのだとか。

 しかし、しっかりと覚えておくべき大事な情報はそこではない。〈ヴアル〉の役割の方だ。

 私が己の正体を知らない頃から……いや、何なら生まれてすらいない頃から、〈ヴアル〉は霊の管理下で何度か使用されたことがあるのだという。

 その全ては曼殊沙華の人々絡みの事柄で、この町を牛耳る他の名家たちも、〈ヴアル〉の存在は知らされているという。


 ──むしろ、知っている事を前提に取引は行われる。


 霊から聞かされたその話を思い出しながら、私はそっと彼女に言った。


「今回は、どういった内容で使われるんですか」

「鬼に分類される者たちによる強固な同盟……とのことよ」

「……鬼」

「厳密には吸血鬼と鬼神ね。けれど、同じ吸血鬼でも、屍蝋からなる〈鬼瓦〉は含まれていない。それに私のようなマテリアルたちもね。つまりは、曼殊沙華、銀箔、舞鶴の代表たちで、互いに互いを裏切れない同盟を結び、今後の問題解決に向けて協力していくおつもりのようよ」


 銀箔に舞鶴。いずれも、曼殊沙華や彼らに深く関わる私たちは、つかず離れずといった適切な距離を保ってきた相手だ。

 どちらもやはり心からは信用できないものがある。それだけに不安ではあるのだが、裏切れない同盟というからには、互いに互いの首に鎖を繋いでおきたいという意図もあるのだろう。

 しかし、気になるのはそこまで同盟を結びたい背景である。


「今後の問題解決、というと」

「〈鬼消〉のことね」


 溜息交じりに霊は言った。


「今のところ、この町に暮らす魔女の心臓を持つ者は、皆、〈鬼消〉の接触を受けているようよ。自覚のあるなしに関わらず、ね。彼らは言葉巧みに魔人たちの関心を引くの。曼殊沙華も、銀箔、舞鶴も、人間の血を引かないか、引いていても僅かでしかない。そんな輩に町を裏から牛耳られていいのか、と。人間の血を引く我らこそが、新しく町を引っ張っていくべきなのではないか。集会のたびに鬼芥子はそう語っているようよ」

「そこには……桔梗もいるのかな」


 思わず呟いてしまった。彼女にはもう長く会えていないが〈鬼消〉の一員として活動を続けているらしいことは分かっていた。


 ──やっぱりもう、戻れないのかな。


 他愛もない話をして、笑い合っていたあの頃。ついこの間だと思っていたその日々が、気づけばどんどん遠ざかっている。


「幽」


 と、そこへ、霊が話しかけてきた。自ずと俯きかけていたその顔を上げてみて、少し震えてしまう。愛しの我が主の目が、真っ赤になっていたのだ。


「悪い子ね。私の目の前で違う女の事を考えるなんて」


 食事は終わったばかりなのに。そっと手を伸ばされると、見えない糸で引き寄せられるように足が動いてしまった。

 今度こそ、欲が満たされたはず。

 そう思えたのはそれから小一時間ほど経った後だった。


 さぞかし〈ヴアル〉も呆れていることだろう。

 そう思わざるを得ないが、今更のことだ。この店の古物たちに自我があるならば、日常的過ぎる光景で何とも思わないだろう。

 というわけで、事が終わると霊は何事もなかったように〈ヴアル〉の手入れを続けた。

 一方、私の方はというと、流石に何事もなかったように、とはいかなかった。血を抜かれ過ぎたし、魔女の性を満たされた恍惚が抜けきっていない。

 全身の傷の痛みを覚えつつ、服を着直してから、どうにか一息ついた。しばらく横になっていたお陰から、少しだけ体の火照りが収まったような気がする。その事を自覚してから、私は霊に雑談を振った。


「それにしても……変わった見た目の像ですよね。何処の国の精霊なんでしたっけ?」

「サンフラワー国よ。南東の地域に広く暮らしていた先住民たちが信じていたのですって」

「なるほど……だから灰皿なんだ」


 私が一人納得したように言うと、霊はこちらを振り返った。


「この際だし、もう少し知っておくといいわ。〈ヴアル〉を作ったのは先住民らしいの。呪術師ということだけれど、恐らく魔人だったんじゃないかと言われているわ。というのも、この灰皿の力が主従の魔術に少しだけ似ているから」

「主従の魔術に……」


 呟く私を、霊は怪しく見つめてくる。


「非常に強力で、厄介な術であることは、お互いによく知っているわね。仮に、訳あって私たちが憎しみあうような関係になったとしても、主従という関係は継続する。そして、どちらかが死ねば、魂を削られるかのような苦痛が生き残った方には生じるといわれている。〈ヴアル〉を作ったのが魔人であるならば、この魔術が根底にあるのは疑いようがないでしょう。そして、その無名の作家はそこへいくつかの変化を加えた。魔人と魔物間でなくとも使えるというのがその一つね。結果として、サンフラワー国では何回か使用された例が語られているそうよ。重宝されていたようね」

「そんな重宝されていたものが……サンフラワーから乙女椿に?」


 疑問を口にする私に、霊は静かに頷いた。そして、少し憐れむような眼差しを、〈ヴアル〉の精霊の像の方へと向けたのだった。


「どんなに便利だろうと、強すぎる力というものはどうしても不気味がられるのでしょう。特に、何かしらのデメリットを伴うものはね。〈ヴアル〉は絶対に裏切ることが出来ない力。これはね、裏切ることが物理的に出来ないというよりも、裏切ろうとすれば災いが起こるという脅しでもあるの。災いの大半は死に関するものよ。けれど、その全てが〈ヴアル〉のせいだったかどうかは定かではない。でも、だからこそ、次第に煙たがれるようになったのでしょうね」


 霊はそう言いながら、磨き続けた灰皿を仄かな灯りの下で確認し、そのまま続けた。


「ある時、この灰皿を巡って大きな騒動があった。ある人間の男性が、この灰皿を目の敵にしていて、絶対に廃棄処分すべき呪われた代物だと強く語った。実はその人の父親が、〈ヴアル〉を使用した後に若くして事故死していたの。だから、許せなかったのでしょうね。彼に同情する人も多くて、灰皿は本当に処分されそうになった。そんな時、サンフラワー国の現地にいた魔族の一派が灰皿を半ば強引に買い取ると、そのまま海外に逃げたの。そしてたどり着いたのが乙女椿国の……この町だったというわけ」

「この灰皿にそんなドラマが」

「たまたまその魔族の一派の一人と、曼殊沙華の者と交流があったそうよ。それ以来、灰皿はしばらく曼殊沙華の本家で管理していたの。だけど、ある時から私がこの店で管理をするようになった。これが〈ヴアル〉の経歴よ」


 霊はそう言うと、〈ヴアル〉を無地の紙に包み始めた。

 丁寧に包むと、あらかじめ用意してあった小さな木箱に収めてしまった。


「あとは明日、寝坊しないように気を付けるだけね」


 冗談交じりに微笑む霊に、私もまた笑いかけた。


「お酒はお預けですね」


 すると、霊は笑みを深めた。


「あら、そもそも今宵はいらないわ。……だって」


 と、立ち上がった彼女の目は薄っすらと赤かった。


「何よりも効く〈赤い花〉を、あともう少しいただくつもりだもの。ベッドの上で、ね」


 今日はもう、満足したつもりだったのに。

 赤い目で微笑みかけられた瞬間、脳がその期待に支配されてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ