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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
46.亡き人の面影を映すオイルライター〈ビフロンス〉
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中編

 釧の友人であるかんという男性が訪ねてきたのは、それから数日後の事だった。

 彼のオーラは赤。その正体が山犬──つまり人狼であることはすでに分かっていたし、釧の友人という事で、自然とある程度のイメージが出来上がっていた。

 けれど、実際に店を訪れた冠の姿は、思っていたのと少し違った。赤いオーラが見えなかったならば、彼のことを山犬だと思いもしなかっただろう。そのくらい普通の、何なら気弱そうな、乙女椿国人男性だったのだ。


「突然の訪問すみません。お忙しい中、時間をいただきありがとうございます」


 丁寧な口調で彼はそう言うと、霊に勧められるままに蘭花のテーブルに座った。

 座った後も、何処か落ち着かない様子で視線を動かしている。そんな冠に、釧相手にいつも淹れる茶を差し出すと、彼は恐縮したように頭を下げた。


「だいたいのお話は昨晩のお電話と釧さんからの相談の際に把握しました」


 と、実に猫被りな口調で我が主たる霊が話を切り出した。


「けれど、念のためもう一度、話を整理させてください。冠さん。あなたは亡くなったご友人の記憶を辿りたいのですね?」

「……はい」


 緊張した様子で冠は頷いた。

 そんな彼を真っ直ぐ見つめ、霊は質問を続ける。


「ご希望の古物は確かに降霊術に使用されるものです。けれど、飽く迄も炎の揺らめきの向こうに“記憶”が見えるだけの代物です。そこは理解していますね?」

「はい」

「ではもう一つ。このオイルライター──」


 と、霊は〈ビフロンス〉を掲げる。


「〈ビフロンス〉が見せる景色は真実ではありますが、断片的なものです。必ずしも、亡き人の想いや願いが透けて見えるわけではありません。そこも理解していますね?」

「勿論」


 そう言って、冠もまた真っ直ぐ霊の顔を見つめた。


「とにかく僕は知りたいんです。あいつが死ぬ前、どんな景色を見ていたのか」


 その顔は、どちらかと言えば気弱そうだ。だけど、目だけは輝いていた。本気なのだろう。どうしても譲れないのだろう。そんな思いが伝わってきた。霊も恐らくその強い想いを察したと見える。だが、まずは少し落ち着いてから話を続けた。


「確か、ご友人が勤めていらしたのは、山犬の方が経営している会社でしたね」

「……僕たち、山犬族の中では有名な会社の一つです。会社名は……すみません、ぼかします。今でも山犬族の中では強い影響力を持っているものだから、大っぴらに否定することが難しいんです」

「そこで、ご友人は働いていて、そして亡くなった」

「はい。突然の事でした。持病の悪化による心不全だったと。最初は過労を疑ったのですが、ある時、彼と一緒に働いていた同僚が僕に話したいことがあると言って」


 その同僚もまた山犬だったらしい。知り合いの伝手で入れてもらった手前、そう簡単には辞められない。そんな中、彼は社内での様々な光景を見たのだと冠に語ったそうだ。その一つが、新人虐めだったという。


「新人を厳しく育てるという経営者もいるかもしれませんが、その人物の厳しさはそういうものじゃない。憂さ晴らしと支配が全てで、いかり上手いポジションに収まるかが求められる。そんな場所だったのだと僕は聞かされたんです」


 どうやら、その同僚はずっと黙っていることが苦痛だったらしい。働き者の若い山犬が、不幸にも突然死してしまった。そう片づけられそうなこの出来事に焦りを覚え、どうしたらいいのか迷いながらも、とりあえず生前の彼が親しかった友──つまり冠に話すことを選んだのだという。


「一人で抱えるのが辛かったのでしょう。すっかり話してしまうと、彼はどこかスッキリしたように見えました。けれど、僕は違います。彼が会社で困っていたなんて話、それまでは知らなかったんです。だからとてもショックでした。それに、確かめないわけにはいかない。そんな思いに取りつかれてしまったんです」


 そんな時、冠はうちの店にある〈ビフロンス〉の話を知ったのだという。


「うちの家族は古い話の宝庫でして。特に母なんかは昔の事をよく覚えています。店主さん、あなたのお祖母さんの話なんかもよく覚えているようで、彼女が持っていた降霊術のライターの逸話をよくしていたんです」


 それは恐らく、簡単に頼ってはいけないという話だっただろう。オイルライターが見せるものは記憶だけではないのかもしれない。記憶を悪用するような罪をそそのかす何かがあるかもしれない。そんな不安もあったのかもしれない。だから、霊の祖母はライターの話をあえてしたのだろう。頼られるようなことがないように。

 しかし、例の祖母はもうこの世にいないし、冠の想いもまた切実だった。


「約束できますか」


 霊は言った。


「何度も言いますが、〈ビフロンス〉がお見せするのは、断片的な記憶です。そこから読み取れるあなたの考察が、真実に近いとは限らない。この前提を無視し、かつてこのライターを悪用した人物がいました。その人物のようにはならないと、誓えますか?」


 霊の落ち着いた声に、冠はゆっくりと頷いた。

 この同意が取れた以上、断る理由はないらしい。霊は納得したように小さく頷くと、いよいよ〈ビフロンス〉のキャップを押し込んだ。


 カチャリという音がして、炎がゆらゆらと揺らめき始める。その光を目に焼き付けていると、まるで意識が吸い込まれていくようだった。

 そして程なくして、炎の揺らめきの上に違う景色が浮かんできた。こことは違う、どこかの景色だ。恐らく何処かの会社だろう。スーツ姿の若い男性が青ざめた顔で誰かを見つめていた。


「ああ……あいつだ……」


 冠の声がして、私はふと我に返った。どうやら、同じものを見ているらしい。〈ビフロンス〉が間違いなく冠の要望に応えたのだ。

 揺らめきの中で、冠の友人だったというその若い男性は、籠った声ながら何かを訴えていた。だが、その相手の様子は実に冷ややかだった。私はそっと耳を澄ませてみた。少しだけその言葉が聞き取れそうだったのだ。


『──……めましょう。もうやめましょうよ。あの婆ちゃん、息子さんを亡くしたばかりで気が滅入っているみたいなんですよ』


 縋るように言った彼の言葉に、私は息を飲んだ。私だけではない。霊も、そして冠も、二人ともしんとした様子で見守っていた。

 幻の中で、彼はさらに言った。


『客ならいっぱいいるじゃないですか。何もあの婆ちゃんに拘らなくたって』


 すると、その相手は突然、吠えるように一喝した。冠の友人が驚いて目を見開く。震える彼の反応を笑うと、その相手──恐らく上司と思われる男性は低い声で唸った。


『無駄口はいらん。あの婆さんが金を持ってるのは分かってるんだ。いいか、お前は契約取ってくることだけ考えればいい。さっさと行ってこい。さもないと、次に契約を迫られるのはお前んとこの婆ちゃんかもしれんぞ』


 何の契約なのかはこれでは分からない。だが、それは間違いなく脅しだった。とにかく高圧的に歯を見せる相手に、冠の友人は反論も許されず、すっかり黙り込んでその場を去ってしまった。


 一度、景色が途切れ、再び見えてきたかと思えば、そこはまた違う場所だった。夕暮れ時のようで、オレンジ色の光を背中に浴びている彼が見える。誰もいない住宅街の坂道をとぼとぼと歩いていた。手には封筒がある。顔はさらに青ざめていた。歩きながらしばらくすると、彼はポロポロと泣き始めた。


『……ごめんなさい』


 周囲には誰もいない。だが、たとえ誰かがいたとしても、涙を抑えることなど出来なかっただろう。それからさらに景色が変わった。

 再び見えてきたのは、夜景の綺麗な場所だった。叱責から数時間経ったらしい。だが、彼の格好は変わっていなかった。スーツ姿のまま見つめているのは美しい夜景。その煌めきをしばらく見つめていたかと思うと、ふと、その背中がぐらりと揺れた。


「ああ……っ!」


 と、そこで冠が声を上げた。私もまた、その景色を見つめたまま茫然としてしまった。ぐらりと揺れたその背中が直後、夜景に吸い込まれるように何処かへ消えたのだ。

 分かっている。消えたのではない。柵の向こうへと落ちていったのだ。吸い込まれるように崖から落ちた。そこが具体的にどのくらいの高さで、下がどうなっているかなんてこの景色だけでは分からない。それでも、彼が故人であることを思えば、どうなったのか、さほど考えなくともすぐに理解できた。


 そこで〈ビフロンス〉の炎がふっと消えた。霊が消したのではない。勝手に消えたようだ。オイルが無くなったというわけでもないらしい。どうも、これが〈ビフロンス〉の見せる全てだったらしい。


 炎が消え、景色も消え、何も浮かび上がらなくなっても、しばらく私たちは何も言えずに沈黙していた。人が死ぬまでの光景なんて、見ていて楽しいものではない。そんなことは分かっていたはずだが、思っていた以上の覚悟が必要だった。

 だが、いつまでも沈黙は守られなかった。頃合いを見て霊が声を上げたからだ。


「〈ビフロンス〉の見せてくれる景色は以上です」


 すると、堰を切ったように冠の目からはぽろぽろと涙がこぼれた。先ほど〈ビフロンス〉の幻の中で目にした彼のように。いや、それに加えて、強い感情を湛えながら、彼は目を潤ませたまま、彼は霊に頭を下げた。


「ありがとうございました。お陰でよく分かりました」

「この光景は断片的なものです。決して、ご友人の全てではありませんよ」


 霊が釘をさすようにそう言った。冠は強く頷いた。


「ええ、分かっています。でも、十分です。十分すぎます」


 十分。それはきっと、彼が怒りを貯める理由として、の事だろう。新たな涙があふれてこなくなると、いよいよ冠の眼差しは強いものになっていった。

 近くにいるだけで伝わってくる怒り。その荒々しさは、彼もまた釧のような山犬であることを思い出させてくれる。しかし、それだけに、危うかった。


「冠さん」


 と、霊が恐れもせずに彼に言った。


「どうか落ち着いて、私の話を少し聞いてくれませんか」


 すると、冠は少しだけ表情を変えた。荒々しい雰囲気が少しだけ和らいだ。その様子を確認してから、霊は口を開いた。

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