前編
洒落頭という名前を目にしたときに、真っ先に頭に浮かんだのは失礼ながら髑髏だった。髑髏を思わせる響きのせいもあるだろうけれど、そう名乗るこの老人が何処か死に取りつかれているように見えたせいでもある。本当に失礼なものだけれど、死の使いみたいだという印象はあまり間違っていなかったらしい。
「人を呪う……お仕事……」
応接用の蘭花のテーブルでの接客中。いつもなら店主である霊が喋るに任せて、私の方は静かに控えている場面だというのに思わず呟いてしまった。そんな私に対し、洒落頭はぎょろりとした目をこちらに向けて、大きく頷いた。
「ああ、そうとも。それがワシの仕事だ」
そう言って、彼はくしゃりとした笑みを浮かべた。年の頃は、八十を超えているかもしれない。オーラの色は青。間違いなくリヴァイアサンの色。魔の血を一切引いていないが、彼をこの店に連れてきたのは笠だ。日笠と名乗らないときの彼はもっぱら狸の姿をしている。今もそうだ。洒落頭はそんな笠の変化に驚きもしない。つまりはそういうこと。生粋の人間だが、曼殊沙華の関係者なのだ。
「曼殊沙華のお家にとっては、貴重な人材。それが洒落頭さんなのよ」
霊が軽く私を振り返った。その手元にあるのは、一つのラジオだった。携帯ラジオだ。しかし、とても新しい。恐らくあれは数年前に発売されたモデルだったはず。けれど、私がこの店で働くことになった頃にはすでに名前が付けられていた代物でもある。
携帯ラジオの〈シャズ〉……その力に関しては、人を呪う力とだけが書かれていた。物騒なものだが珍しいわけではない。そんな古物がこの店にはたくさんある。けれど、そうだと分かっても、今回は少し異様だった。
「そういえば、幽は初対面だったわね」
霊がそう言うと、洒落頭は小さく同意を示した。
「噂には聞いていたがね。あの憐さんの娘さんなのだと。〈赤い花〉に生まれたと聞いた時には心配したものだけれど、あんたのところで引き取られたのならきっと大丈夫だろうって、ワシも思ったもんだった」
「それはどうかしら。でも、お陰で助かっているのは違いないわ。魔女の力は私みたいなのにとっても、非常に頼りがいがあるから」
「そうだろうね。ワシも羨ましくなることは多いよ。じゃが……どうやら、雷殿はまだまだこの死に損ないの力をお求めらしい」
そう言って彼は〈シャズ〉に視線を向けた。
「やあ、〈シャズ〉や。前に会ったのはいつだったかな」
「たしか、三年前ですね」
霊がそう言うと、洒落頭は笑みを深めた。
「そうかそうか。そうだったかもな。これはね、もう五年前だったかな。町のデパートで見つけた特売品でね」
「その話はもう何度も聞いたぞ、爺さん」
笠があきれたように突っ込むと、洒落頭は「そうじゃったかの」と小さく呟いた。
「とにかく三日後だ。三日後に俺たちはまたここへ来る。前のように地下室で行うから、そのつもりでいて欲しい」
笠が手短に言うと、霊は溜息交じりに頷いた。
「分かったわ。そのつもりで準備しておく」
こうして、曼殊沙華関係の怪しいお仕事の約束は交わされた。笠に連れられ、洒落頭がこの店を去ろうとした時、霊は求められるままに握手を交わしながら、そっと彼に言った。
「洒落頭さん。あなたはこれまで何回、このラジオを使ってきたかしら?」
さり気無い問いだった。けれど何故だろう。その眼差しに、憂鬱そうなものが含まれている気がした。まるで、憐れむような。洒落頭は少しだけ考えてから答えた。
「さあね。忘れてしまったね」
そうして二人は帰っていった。
二人を見送ってすぐ、霊は〈シャズ〉を手に取った。何処か憂鬱そうに見えたその横顔に、私はそっと話しかけた。
「あの、霊さん。その……〈シャズ〉って、危険なものじゃないんですか?」
帳簿に書かれていたランクは、確かCだった。けれど、人を呪うと書かれていることがかなり引っかかる。ランクCは店主が認めた人物に貸し出し出来るという基準。人を呪うという代物に相応しいのだろうか。
「危険なもので間違いないわ」
霊はあっさりとそう言った。
「だから、この携帯ラジオのランク付けを巡っては、曼殊沙華と少し揉めたの。〈ピュルサン〉の見立てはランクBもしくはAもあり得る」
「そ、そんなに?」
ランクBは店主の使用のみが許可される基準。ランクAはそれに加えて店からの持ち出しが厳禁となる。いずれも封印確定となるSよりはマシだけれど、危険なものに違いない。
「雷様もこのラジオの危険性は分かっているの。だけど、利用できるならばしたいという事と、このラジオを最初に持ち込んだ洒落頭さんの意向もあって、この店から持ち出さないという条件付きでランクC相当になった」
「なるほど、持ち込んだのは洒落頭さんなんですね」
だから、あのような表情をしていたのだろう。まるで可愛がっていた動物か何かに再会したような眼差しだった。
「ちなみに、具体的にはどんな力があるんですか?」
「人を呪う……ってだけじゃ、確かに分かりづらいわね。このラジオにはね、特定の誰かの不調を招く力があるの。心身の健康を害したり、不運に見舞われやすくしたり、時には死亡事故にすら繋がりかねない危険な事故を招くこともある」
「そ、そんなに恐ろしいものなんですね……」
「ええ。ただ、少なくとも私たちには無縁よ。この携帯ラジオは、人間同士にしか作用しないことが分かっているから」
「……なるほど」
薄情なものかもしれないが、ちょっとだけホッとしてしまった。しかし、裏を返せば、曼殊沙華すら厄介に思う人間がいるということなのだろうか。あまり詳しく知りたくはないが、少しだけ気になってしまった。
「まあ、そういうわけで、今日の夜は地下室のお掃除をしましょう。食事もそこでとるからそのつもりで、ね」
不意を突くように妖しく微笑まれ、私はドキリとしてしまった。地下室。食事。その単語が連なると、どうしても〈赤い花〉が反応してしまう。お陰でその後の接客は平常心を保つことで必死だった。
そうして待ちに待った閉店時間。さっさと店内の清掃を終えてしまうと、私たちはすぐに地下室へと向かった。勿論、お掃除が目的なのだが、ひとまず私が座らされたのは、手足を固定するベルトのついた椅子だった。手足をがっちりと拘束され、不安がよぎる。
「霊さん……あの……お掃除の方は……」
「まずはお食事から。あなたもお腹が空いているのでしょう?」
ごくりと息を飲んでしまう。否定しきれず恥じらいで一杯の中、静かに顔を背けて俯き気味に頷いていると、その一連の動作の間に霊の手で服のボタンが見事に外されていた。まさに魔術師のよう。匠の技だ。
「あまり時間はかけられないから、手短に楽しみましょうね」
そう言って、霊は椅子の上で動けない私に体を密着させてきた。
身動きが取れないまま責め苦を受け、血を吸われる。なんて恐ろしく、素晴らしい状況だろう。霊がその気になれば、私の命を奪う事すらできる。そんな捕食のような絶望的状況が私にとってはあまりに喜ばしく、心臓が高鳴り続けていた。
けれど、拘束された手足のせいで、その喜びに自らしがみつくことさえ許されない。与えられる苦痛も快楽も、全て主人である霊の意思次第。それもまた、私の心身を虜にした。
これでもかと言うまでに〈赤い花〉の欲望が満たされていく。そんな私の血はどれだけ美味しかっただろう。気づけば意識が遠のくまで、霊は私の血を貪っていた。だが、命彼果てる前に我に返ったのだろう。牙をそっと放すと、霊は深く溜息を吐いた。
「少し……夢中になり過ぎたわね」
そう言って、拘束を解かないまま彼女は立ち上がった。私もまた我に返り、寒さを思い出しながら霊を見上げた。
「あ、あの……」
私はまだ大丈夫。そう言いたかったのだが、霊は咎めるようにこちらを見つめてきた。その空気に命令染みたものを感じて口を閉じると、彼女は満足したように私の傍を離れていってしまった。どうやら、掃除を始めるらしい。
「霊さん、わ、私も……」
と動こうとして手足の拘束に阻まれた。自分では外すことが出来なさそうだ。そんな私の様子を横目に、霊は離れた場所から毛布を抱えてきた。そして、私の正面にしゃがむと、外したボタンを付け直していき、その上に毛布をかけた。
「一人で大丈夫だから、あなたはそこでしばらく休んでなさい。顔色が良くなったら、ちゃんと外してあげるから」
きっと、顔色が真っ青だったのだろう。いずれにせよ、外すことは出来ないし、主人の命令であるならば逆らう事なんて私にはできない。ということで、毛布の温もりの中で、体を休めていた。その間に、霊は地下室のものを移動させ始めた。端に寄せてあった机を移動させ、真ん中へと持ってくる。そして、近くの椅子などを放した。準備はそれだけのようだ。あとは箒で埃を掃くだけらしい。
「準備はこれだけよ」
そう言ってこちらに近づいてくる霊に、私は訊ねた。
「あ、あの……ああいうのって隠さなくていいんですか?」
そう言って視線を向けるのは、地下室にずらりと並ぶ物騒な品々だ。今ではすっかり霊と私のお楽しみ道具になってしまっているが、いずれも本物の拷問道具に違いない。外部のお客様の眼前にお出しするものではないだろう。けれど、霊はくすりと笑った。
「平気よ。だって、笠も洒落頭さんも曼殊沙華の関係者だもの」
考えてみればそうだ。つまり、隠す必要がない。そういうことなのだろう。
「ここが私たちのお楽しみ部屋になってしばらく経つけれど、前に洒落頭さんをお通しした三年前は、まだ現役だった。どうして用途が変わったのかについても、彼はもうご存知よ。だから安心なさい」
それはそれで恥ずかしいのだが、まあいいだろう。
顔色が良くなってきたのだろうか。霊はそっとしゃがみ、私の手足の拘束を解いてくれた。頬に手を添えられ、静かに立ち上がってから、私は霊にそっと告げた。
「霊さん、あの……気のせいかもしれませんが」
「なあに?」
「〈シャズ〉の事なんですが、洒落頭さんに対して霊さんの向ける眼差しがその……なんだか憂鬱そうというか……そういう眼差しに見えたのが気になって」
「そうだったかしら」
霊は呟くように言ってその場から離れた。考え込むように数歩。そこで振り返ると、後ろめたそうにしつつも、私に言った。
「助手にはちゃんと伝えておかないとね」
そして、霊は教えてくれたのだった。〈シャズ〉が危険視されている本当の理由を。