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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
43.未来を描く三脚イーゼル〈サブナック〉
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中編

 件の三脚イーゼルがようやく店にやってきたのは、烈の来訪から三日ほど後のことだった。

 すでに写真でも見たわけだが、現物を見てつくづく感じたのは、一見すれば普通のイーゼルと何も変わらないという事だ。目立つような特徴があるわけではない。とりわけ汚いわけでもない。ただ、烈から話に聞いていた通り、脚の一つに顔みたいな染みはあった。

 その染みのせいかどうかは分からないが、よくよく目を凝らしてみていると、不安になってくるというのも確かだった。妙な噂がついているからだろうか。それとも、やっぱりこの三脚イーゼルには何かあるのだろうか。その答えを握るのが、霊の持つ虫眼鏡〈ピュルサン〉である。三脚イーゼルを運んできた笠やトロ火、蒐を前に、彼女は慎重に査定を進めていった。


「雷様の査定は?」


 と、〈ピュルサン〉越しにイーゼルを確認しながら、霊は笠たちに訊ねた。


「ランクA相当」


 笠がすぐに答えた。


「Sにするほどじゃないが、封印しておいた方がいいかもしれないとのことだ」

「なるほど、方針を少し変えたのね。前はさほど重大じゃないとか言っていた気がするけれど」

「これに取りつかれた生徒さんの話もありましたからね」


 と、トロ火が続けると、蒐が軽く溜息を吐いた。


「烈君……。あの子がまさか、この店にまで来るなんてね」


 蒐の言葉を聞き、霊は軽く微笑みを見せる。

 あの後、やはり烈は蒐にもきちんと相談をしたらしい。彼がここに来たと知って、蒐は驚いたそうだ。そしてすぐにその話は曼殊沙華に伝わった。


「別のイーゼルで描いた絵だって何も悪くないわ。それなのに、これにばかり固執してしまうのには、それなりの理由があるのでしょうね」


 蒐の言葉に、霊は軽く頷いた。


「そのようね。〈ピュルサン〉の教えてくれた情報をおまとめすると、雷様の査定の通りよ。ランクはA相当。間違いなく、ここで保管させていただきます」

「そんなにマズイものだったのですね」


 トロ火が恐る恐る眺めると、霊は小さく頷いた。


「そうねえ。これ一つだけならB相当でも良かったかもしれないわ。でも、烈君の事がある。彼がこれに惹かれるということは、認められているということ。それは少し怖いことでもある。雷様もそう判断されたのでしょう」


 霊はそう言って、イーゼルから少し離れた。


「烈君には、私からお話しておきます」


 蒐が言った。


「彼がこれに頼ってしまうのにも、それなりの事情がありますので。少なくとも、イーゼルを渡すよりも良い手段がまだまだ残っているはずです」

「そうね。これに頼って訪れる未来を考えたら、その方がずっといいわ」


 その言葉に反論する者は誰もいなかった。

 かくして、三脚イーゼルは我が店の一員となった。笠たちが帰った後、私たちは三脚イーゼルの情報を帳簿にまとめ、改めてその力について確認をしていた。


「名前は〈サブナック〉にしましょう」


 霊の言うままに記入しつつ、私は訊ねた。


「烈君、納得してくれるでしょうか」

「そうねえ。あの様子だともう一悶着くらいありそうよね」

「やっぱりそう思います? 蒐さんの説得を聞いてくれるといいのですが」

「お年頃でもあるわ。それに、〈サブナック〉自体があの子を気に入っているみたいだし。だから、力を貸していたのでしょう」

「気に入る……」


 私は少しだけ考え、そして、霊に訊ねた。


「じゃあ、〈サブナック〉が別の人を気に入ったら、烈君の興味もちょっとは薄れたりしないでしょうか」

「うーん、どうかしらね。試してみる価値はあるけれど」

「やってみましょうよ。霊さんか私が気に入られさえすれば……って、どうやったら気に入られるのでしょうか」


 すると、霊はカウンターの引き出しから、紙と鉛筆を取り出した。私たちの間にぽんと置くと、彼女は告げた。


「〈サブナック〉は三脚イーゼルよ。絵にまつわる代物だから、気に入るかどうかの基準も絵に左右される。つまりは絵心があるかどうかってところね」

「……なるほど。絵心」

「っていうわけで、今から二人で絵心チェックよ」


 霊の言葉に、ごくりと息を飲みつつ、私は紙と鉛筆を受け取った。お題はフリー。とりあえず二人で数分ほどかけて、渾身の作品を仕上げてみる。準備が出来たらいよいよお披露目だ。


「じゃーん」

「出来ました!」


 ほぼ同時に公開し、私はじっと霊の描いた絵を見つめた。


「これは……何ですか。とても前衛的な……芸術的と言うか……人……人ですか、それ? 何かの事件現場ですか?」

「幽のそれ何、牛? 闘牛?」


 互いの絵を見せ合って、まずは理解したことが一つある。私たちが〈サブナック〉に気に入られる可能性が絶望的であるということだ。


「私のこれは結婚式の様子よ。晴れやかな青空の下であがるブライダル。全く、私の下僕ならこのくらい分かってほしいものよね」


 つんとした態度をされて、私は身を縮めてしまった。申し訳ない。そうか、結婚式の様子だったのか。いや、結婚式なのこれ。地獄か何かの雰囲気にしか見えないんだけどこれ。


「……で、幽のそれはなんなの?」

「猫ですよ、猫。見て分かりませんか、ヤヤちゃんですよ!」


 可愛く描けたと思ったのに。


「それの何処が猫なのよ。牛にしか見えないじゃない」


 ぶーぶー言いながら唇を尖らせ、霊はうんと背伸びをした。


「あーあ、絵心さえあれば望む未来が手に入ったのになぁ。残念ね、幽。この間話したお花の絵も私には描けないみたい。それはそれとして、嘆かわしいわね。私の絵を事件現場だとか言うなんて。たとえ下手でも主人のことは持ち上げなさい。それに加え、どう見ても牛にしか見えない猫の絵を描いた事、これらの罪は重たいわよ。というわけで、そろそろお仕置きを受けてもらいます」


 あ、たぶんお腹空いているだけだ、これ。

 結局、絵心チェックはそれっきりとなり、その後はいつものように夕飯を済ませることとなったのだった。


 電話が鳴ったのはその夜の事だった。

 求められるままに血を捧げ、くらくらしながら畳間で仰向けになっている間、その会話が少しだけ耳に入ってきた。相手は蒐のようだ。内容は恐らく、烈に関しての事だろう。

 程なくして、霊は戻ってきた。まだまだ血は足りないようで、目は赤く染まったままだった。だが、冷静さまでは失っていなかったのだろう。そのまま、口をつけたりせずに、私に話しかけてきた。


「明日はお休みよ」

「何かあったんですか?」

「蒐さんがね、相談したいことがあるのですって。近所の喫茶店に呼ばれたの。どうやら烈君も一緒のようよ」

「烈君が……」

「あなたも一緒に来て」

「は、はい。分かりました」


 素直に返事をすると霊は目を細め、そして唇を重ねてきた。血の味がする。私の血だ。舌を絡ませられると、ますますその味が濃くなる。牙はまだ伸びたままだ。それに、目も赤い。まだまだ満腹に程遠いことは明らかだった。けれど、霊はがっついてきたりはしない。しばし口づけを交わすと、静かに顔を離して、口元を拭った。


「蒐さん、声が少し震えていたの」


 霊は言った。


「詳しい事情は明日直接話すと言っていたけれど、あまりよくない事情らしいことは分かったわ。こっちまで少し気が重くなっちゃうわね」

「烈君、まだ諦めていないのでしょうか」

「あの様子だと恐らくは。それだけ、頼りにしていたのでしょう。それに気になる事もあるわ。誰が、〈サブナック〉の力を生徒たちに広めたのかしら」

「確かに……気になりますね」


 答えると、霊は目を細め、私の頬に手を添えながら頷いた。


「嫌な予感がするわね。気のせいだといいけれど」


 静かに頷き、同意を示すと、霊は溜息交じりにもたれかかってきた。生傷に軽く唇をつけて、彼女は囁いてきた。


「明日を乗り切るための力、もう少しだけいただくわ」


 その直後、新たな痛みと多幸感はもたらされた。


 翌日、私たちは無事、約束の喫茶店を訪れることが出来た。昨晩の行為に〈赤い花〉も満足したのだろう。調子はだいぶ良かった。霊もまた同じだ。眠そうでもだるそうでもない。この様子ならば、嫌な予感がする相談にもきちんと応じることが出来るだろう。

 さて、約束の時刻の少し前に、蒐と烈は現れた。蒐はいつもと同じような調子だが、烈は少し表情が硬い。話しかけると愛想笑いは浮かべるが、すぐに笑みは引っ込み、深刻な表情に戻ってしまう。そのまま、他愛もない挨拶が終わり、さっそく本題へと入った。


「先生から聞きました。あのイーゼルが店に運ばれてきたそうですね」


 問い詰めるように烈は霊を見つめた。霊はそんな彼の眼差しを静かに受け止め、軽く目を細めてから答えた。


「ええ、そうね。確かに保管しているわ」

「じゃあ、改めてお願いします。ぼくにあれを売ってください」


 烈がそう言った瞬間、蒐は咎めるように溜息を吐いた。けれど、それだけでは止められない。烈の視界には霊の姿しか映っていない。いや、正確には何も映っていないのだろう。彼の頭の中はあのイーゼル──〈サブナック〉の事で一杯のようだった。


「ご事情によるわ」


 霊は再びそう言った。前に来た時と同じだ。烈も不満に感じたのだろう。やや睨みつけるような眼差しで、彼は霊に言い返した。


「それは前も話しましたよね」


 だが、霊は動じない。落ち着き払って彼女は答えた。


「全てはお聞きしていないわ。子犬が来たこと以外にも色々あったはずよ?」


 霊の静かな指摘に、烈はやや怯んだようだった。けれど、だからと言って引くわけにはいかなかったのだろう。彼はすぐに咳払いをし、答えた。


「分かりました。それでは、他の絵のことも話します」


 子犬の絵の次は、流れ星の絵だったという。流星群のニュースを見て、一度でいいから見てみたいと願って描いた一枚だった。その絵が完成した夜、彼は何度も流れ星を見かけるようになったという。

 流れ星の次は、月光の下で踊る人物の絵だった。体育の授業でやらなければならないダンスの課題があり、そつなくこなしたいと思いながら描いたらしい。完成後、あれだけ難しかった箇所が難なく踊れるようになったらしい。


「それだけ?」


 と、烈が語り終えると、霊は透かさず訊ねた。他にもあるだろうと言わんばかりのその眼差しに、烈は息を飲んだ。蒐が心配そうにそっと見つめている。そして、空気を読んだのか、そっと割り込もうとした。が、その前に霊が口を開いた。


「全部話して。でないと、判断できないわ」


 その言葉に背中を押されたのだろう。烈はぎゅっと拳を握ると、真っ直ぐ霊を見つめた。

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