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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
43.未来を描く三脚イーゼル〈サブナック〉
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前編

 また一つの古物がこの店に引き取られようとしていた。

 蘭花のテーブルに座る客人は三名。笠と、トロ火と、そしてあかねという女性だ。蒐もトロ火と同じく曼殊沙華の家の者である。つまりは鬼神。普段はその正体を隠し、中学校の美術教師をしているらしい。今回の古物は、蒐の勤め先にある代物だった。


「引き取っていただきたいのは、これです」


 そう言って蒐がテーブルに置いたのは、写真だった。どこかの教室の一角で撮ったらしき写真で、中央には普段あまり見慣れない木製の何か。よくよく覗いて目を凝らしてみれば、何も置かれていないイーゼルであることが分かった。


「三脚イーゼルですね」


 と、霊が落ち着いた声で言った。


「大きさ的に……野外イーゼルってやつかしら」

「はい、その通りです。小型で折り畳みが出来る三脚イーゼルで、学校にたくさんあるうちの一つなんです」


 蒐の返答を聞き、霊は訊ねた。


「多くあるうちの一つだけ?」

「ええ、一つだけです。この一つだけに、前々から良からぬものを感じていたんです」


 それは、何とも説明しがたい違和感だったという。しかし、少なくとも数年は、この三脚イーゼルが、蒐の目の前でおかしな現象を引き起こしたことはなかったらしい。そのため、気にはなるものの取るに足らない違和感として片づけていたそうだ。

 しかし、どうやら、そういうわけにはいかないらしい。蒐の気持ちが変わったのは、一か月ほど前の事だったという。学校の生徒らがこの三脚イーゼルに関して、奇妙な噂を語り合っていたことがきっかけだった。


「これを使って絵を描くと、描いた通りの未来がもたらされるらしいなんて言うんです。中学生とはいえまだ子供。子供らしい空想だとは思いたかったのですが……二年生のある男子生徒がこのイーゼルをよく使っているみたいで……」


 ただそれだけならば、この店に相談に来るような事でもない。けれど、その男子生徒が実際に絵を描いているところを見た時、蒐は思わず息を飲んでしまったという。

 他の生徒と明らかに違う。それは、素晴らしい才能があるとか、印象深いとか、そういうことではない。明らかに彼の描いた絵にだけ、警戒心を持ってしまったのだという。


「イーゼルが原因だと思うんです」


 蒐は言った。


「というのも、先日、試しに違うイーゼルで描いてもらったんです。いつものイーゼルが壊れてしまったと嘘をついて。すると、あの違和感がなくなったんです。他の生徒の描いたものと同じ。異様なものではなくなったんです」


 説明を聞いて、霊は小さく声を漏らした。


「どうも、お話と写真だけじゃ想像が出来ないわね。蒐さん、その違和感があったという絵の写真はありますか?」

「あります」


 そう言って、蒐は鞄からさらに複数の写真を取り出した。テーブルの上に置かれたそれを覗いた瞬間、私もまた少しだけ蒐の言っている意味が分かったような気になった。

 映っているのはいずれも同じ絵だった。月明かりの下で性別の分からない人物が一人踊っているという絵だ。怖い要素は一つもないはずなのに、何故だかずっと見ていると不安になってしまう。何故なのか、それは分からない。普通の絵に見えるのに。

 写真には美術部員と思しき生徒たちが映っているものもあった。この絵の前で並び、笑顔を向ける男女数名。そのうちの一人の男子に目が留まった。彼だけが、この絵の前で暗い表情をしている気がしたのだ。


「雷様はなんておっしゃったの?」


 霊の質問に、笠が答えた。


「問題としては、さほど重大とは言えないが、学校という現場に置いておくにはあまり相応しくないとのことだ」

「どうも、願いが叶うっていう噂が生徒の間で独り歩きしているみたいで、よくない傾向も生んでいるの」


 と、蒐が補足するように言った。


「皆、多感なお年頃だから、どうしても叶えたい願いもたくさんあるのでしょうね。だけど、取り合いになったりするのは困る。だから、トラブルが起こる前に、壊れたということにして美術室から出してしまおうという事になったの」


 つまりは、ここに来ることはもう決まっているのだ。名前が付くかどうかはともかく、引き取られた後に、保管するのか廃棄するのかを決めることになるらしい。


「話は分かりました」


 全ての説明が終わると、霊は蒐たちに告げた。


「確かに引き受けましょう。その後の段取りが決定したら、まだお電話ください」


 霊の言葉に、蒐はホッとしたように笑みを浮かべた。よっぽど重荷に感じていたのだろう。

 その日の閉店後、店内の清掃をしながら、霊がぽつりと呟いた。


「三脚イーゼルかぁ」

「霊さんは本格的に絵を描いたことってあるんですか?」

「ないわ。準備が面倒だもの」


 そう言いつつ、ふと霊は悪いことを思いついた悪女のような笑みを浮かべ、私を見つめてきた。嫌な予感がする。そう思ったところで、彼女は音もなくすっと近寄ってきた。


「絵と言えば、血で描かれた絵画の話って聞いたことある?」

「い、い、いいえ」

「ある国に、あなたみたいに被虐的な性に苦しんでいた〈赤い花〉がいて、お金持ちの吸血鬼が彼女を囲っていたのですって。勿論、血を飲むためにね。そして、飲みきれなかった血を絵具にして、吸血鬼がこつこつ描いたのが血の花の絵画だったの。とっても美しい薔薇の絵だったそうだけれど、残念ながら火事で焼失してしまったそうよ」

「ふ、ふうん、なかなかオカルト的な話ですねえ」


 軽く流そうとしたものの、霊にそっと腕を掴まれ、緊張が高まった。心臓の高鳴りが止まらない。頼むから、落ち着いて欲しい。


「ねえ、幽。あなたも描いて欲しい?」


 そっと囁かれた直後、私の頭の中は真っ白になった。頷いたのかどうか、自分でも分からない。分かる前に、鋭い痛みが首筋に走ったせいだった。不意打ちで噛みつかれ、私は藻掻いた。だが、力強く霊に抱きしめられているうちに、抵抗する気をなくしてしまった。


 ──血の絵の具、かぁ……。


 がくっと力を失ったところで、霊はようやく牙を離した。


「冗談はさておき、気になるわね。早く現物を見てみたいわ」

「そ……そうですね……」


 冗談。冗談。冗談かぁ。めちゃくちゃがっかりしたのは秘密だ。そうなるのを分かった上で弄ばれているような気がする。その証拠に霊は、私の表情を面白がるように一瞥し、そっと呟くように言った。


「掃除が終わったら、お風呂の中で続きをしましょう」


 何の続きなのかについては、ぼかしておくとしよう。

 ともあれ、このようにして我が店には新たな古物がやってくることが決まった。だが、すぐには来なかった。運ばれてくるまでにまた数日を要したのだ。

 学生服姿の少年が店に現れたのは、その直前の事だった。れつと名乗った彼は、真っ直ぐカウンターに来るなり、訊ねてきた。


「あ、あの、ちょっといいですか」


 顔は幼く、声変わりもしていない。私はすぐに応対し、さりげなく魔女の目で彼のオーラを確認した。色は青。リヴァイアサンの色。魔の血を継がない普通の人間であることを意味している。つまりは、ただの中学生らしい。少しホッとしつつ、私は答えた。


「どうされました?」

「えっと……実はお聞きしたいことがありまして……この店に、うちの学校から三脚イーゼルが引き取られる予定だって聞いて」


 三脚イーゼル。その単語に、私はぎくりとしてしまった。返答に詰まったところで、背後で聞いていた霊が私に代わって応対を引き継いだ。


「どこでそれを聞いたの?」


 穏やかながらやや鋭い霊の問い返しに、烈もまた怯んだ様子だった。

 少しだけ目線を下げて、彼は答えた。


「たまたま……学校の先生の話を聞いてしまって……」

「蒐先生のこと?」


 霊が問うと、烈はぎこちなく頷いた。


「ぼく……その……美術部員で」


 美術部員。その単語に、私はようやく気付いた。この子だ。蒐から見せてもらった写真に写っていた男子生徒。一人だけ暗い顔をしていた子で間違いない。霊もそれに気づいているのだろう。彼女はさらに訊ねた。


「あの三脚イーゼルを愛用していたのかしら?」

「そう……です」


 頬を掻きながら彼は答えた。では、蒐が見せてくれたあの絵を描いた生徒で間違いないのだろう。霊は落ち着き払って相槌を打つと、さらに質問を重ねた。


「三脚イーゼルをどうしたいの?」

「出来れば……その……買い取れたらって」

「何か事情があるのかしら。あのイーゼルでないといけない理由が?」

「そうですね……そんなところです」


 烈は答えつつ、気まずそうに俯いてしまった。


「壊れてしまっているとのことだけれど」


 霊がそう言うと、烈は顔を上げた。


「そうであれば、ぼくが直します。……あの、売って貰えますか?」


 烈は不安そうに霊を見つめていた。霊のことがやや怖いのだろう。だが、真っ直ぐ見つめてくるその目は全く揺らいでいない。強い思いがそこからは感じられた。霊もまた静かに彼の目を見つめ、慎重な様子で答えた。


「ご事情によるわ。あれでないといけない理由を教えてくださる?」


 丁寧に問いかけられると、烈はようやく頷いた。

 烈……中学二年生である彼は、一年生の頃からあの三脚イーゼルを愛用していたという。美術室の倉庫の片隅に、まるで遠ざけられるように置いてあったというそのイーゼル。脚の一つに妙な染みがあり、それが顔みたいだと上級生に不気味がられているのを見て、意識し始めたそうだ。

 当時、クラスメイトとあまり馴染めなかったという彼は、何となくそのイーゼルに思いを重ねたのだという。その為だろうか。他のものと大して変わらないはずなのに、それをつかってから、筆が乗るようになったという。


「もともと、絵は好きです。時間を忘れて没頭できるから。そうやって完成させた絵は、どれも愛着があります。ただ、あのイーゼルで描いた絵はさらに特別なんです」


 初めて描いたのは、愛らしい子犬の絵だった。ただただ思いの向くままに愛くるしい眼差しを向けてくる犬の絵を描いたという。

 その絵が完成した頃、彼の弟のクラスメイトの家から子犬をもらうことが決まり、家には絵に描いたのとそっくりな毛色の子犬がやってきた。

 学校で流れる噂の存在を彼が知ったのは、その後の事だったという。思い通りの未来を描けるらしい。そう聞いて、その後も彼は多少意識しながらその三脚イーゼルで絵を描いたのだという。


「描いた未来は、多少ながらも現実になりました。勿論、偶然かもしれませんが。だけど、あのイーゼルが壊れてしまって、代わりのものと入れ替えたって聞いてから、すっかり筆が乗らなくなってしまって」


 すっかり落胆した様子で烈は言った。


「あれがないとぼく、とても不安なんです。せっかくいい感じに過ごせるようになったのに、この先、どうなっちゃうんだろうって。ごめんなさい、おかしいですよね。自分でもそう思うんですが、どうしても、どうしても、あの三脚イーゼルじゃないとダメなんです」


 彼の悩みは、深刻そうに思えた。

 私は口を噤んだまま、そっと見守り続けた。霊は静かに受け止め、烈に視線を向けていた。そして、烈が全てを話し終えると、彼女は言ったのだった。


「事情は分かりました。けれど、ごめんなさい。少なくとも今日はお売りできないわ。まだその三脚イーゼルは運ばれてきていないの」

「そう……ですか。あの、いつ頃──」

「そうね。詳しい事は蒐先生に聞いてみてくださる?」


 霊がそう言うと、烈は不安そうな眼差しを向けてきた。蒐には聞きづらいのだろう。そんな様子が読み取れた。だが、どうにもならないと分かったのか、彼は溜息交じりに顔を両手で覆い、こくりと頷いた。


「失礼しました。出直してきます」


 そう言って、彼は店を去っていった。

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