中編
白電という男性が店に来たのは、映写機の〈フルカロル〉を引き取ってから数日後の事だった。
青白い肌に、痩せこけた体格。まさしく幽霊のような見た目の彼だが、オーラの色は青。魔の血を持たぬ人間であった。見た目は年齢不詳だが、彼の事情はすでに知っている。恐らく高齢とまではいかないものの、それなりの年齢だろう。
そんな彼だが、突然来たわけではない。前日にちゃんとアポを取ってきた。来店するなり真っ直ぐカウンターへやって来たものの、俯き気味に彼は言った。
「あの……昨日電話した白電です」
弱々しい声だった。
「ええ、お時間通りですね」
霊がすぐさま応対する。幸いなことに、今日の彼女は朝から調子がよさそうだ。この白電という人物よりも顔色がいい。
一方の白電は、始終、様子がおかしかった。人見知りなのか、はたまた、今回の要件がそれだけ彼にとって緊張するものなのか。いずれにせよ、しばらくは霊との話し合いが続く。私はいつものように静かに見守るしかない。
蘭花のテーブルに座る彼に茶を運んでくると、すでにそこには見覚えのある風呂敷があった。
中身は分かっている。〈フルカロル〉だ。霊が丁寧にその風呂敷を広げ、中身が現れると、白電は目を丸くして大きく頷いた。
「ああ、これに間違いありません。また会えるとは……」
感動したような表情だった。
白電がここへ来た理由。それもまた、電話で伝えられたのだという。もともと彼は、別の古物店を訪れたらしい。八雲の知り合いの店だ。〈フルカロル〉が最初に持ち込まれた店でもある。その目的もまた〈フルカロル〉だったという。
「店主さんがとても親切な方で、その場で八雲さんに連絡を取ってくださったんです。その後、八雲さんとお話をして、この店の事を教えてもらって……」
白電の説明を聞きながら、霊は静かに微笑んでいた。
彼から電話があった直後のことだ。実は、すぐに笠からも電話が来た。同じく八雲から話を聞いていたのだろう。笠が伝えたのは曼殊沙華の方針の確認だった。〈フルカロル〉の管理は霊に一任されているのだが、雷様と霊で決めるランクについては慎重に扱われる。〈フルカロル〉のランクはBとなっている。店主以外の使用は禁止だ。そのため、売る事は出来ないという念押しだった。
勿論、そんな事は霊も分かっている。ただ、白電の訪問は断れなかった。何故なら、彼は買い取りたいと明確に言っているわけではなかったからだった。確認したいことがある。そんな要件だったという。
「確認の為、お聞かせいただけますか。この映写機セットとあなたはどういう関係があるのでしょうか」
霊が丁寧かつどこか怪しい声色で訊ねると、白電は怯えを見せつつ頷いた。
「……はい。この映写機セットの元の持ち主は、私の友人でした」
懐かしむような表情で、白電は言った。
「ああ、なんだか懐かしいです。ついこの間のことのように思えていましたが、久しぶりに会えた……」
彼はそう挟みつつ、語ってくれた。
白電の友人──〈フルカロル〉の元の持ち主は、若い頃から家庭用映写機が好きで、様々なタイプのものを集めていたという。
その頃から付き合いのあった白電もまた、休日に度々会いに行っては、コレクションの映写機を使って様々な映像を楽しんでいたという。
「この映写機とフィルムがコレクションに加わったのは、今から十年ほど前のことでした」
その頃には映写機のコレクションもすっかり増えていて、趣味の部屋が圧迫されるほどだったという。そのうち、家全体がコレクションで埋め尽くされてしまうのではと冗談を言っていたくらいだったそうなのだが、不思議な事にこの映写機がやってきて以降、彼のコレクションは一切増えなかったという。
「その代わりに、彼の様子は段々とおかしくなっていったんです」
白電は言った。
「僕が会いに行きますとね、彼は前のようにコレクションの映写機をつかって、色んな映像を見せてくれました。ただ、この映写機とセットになっているフィルムについては、僕に見せようとしなかったんです。『たいした中身じゃなかった』なんて言って」
しかし、白電は彼の妻から聞いたという。
白電がいない間に彼が見ているのは、もっぱらその「たいした中身じゃない」という映像なのだと。それも、半日以上も同じ映像を繰り返し見ていて、少し異常なのだと。
「奥さんからそんな話を聞いて、僕はちょっと心配になってしまって、彼に直接訊ねて見たんです。そのフィルムの中身がそんなに面白いのかって。すると、彼はしばらく悩んだように考え込んでから言ったんです」
──分からないんだ。
「分からない?」
思わず訊ね返す霊に、白電はこくりと頷いた。
「はい、確かに彼はそう言いました。いつも見ているというのにね。下手な冗談だとも思ったのですが、それにしては彼の様子はおかしい。ということで、奥さんにも中身を聞いてみました。なにか大事な映像だったりするのでしょうかって。けれど、少なくとも奥さんは関係ない映像だったみたいで」
フィルムの中身自体は聞いている。たしか、船を見送る女性が映っているというものだ。しかし、その女性が誰であるのか、撮っている人物が誰であるのかという情報は、全く不明であるとのことだった。
「……いえ、この際、映像の内容やその背景についてはいいのです」
白電は言った。
「問題は、この映像にすっかりハマっていた友人の事です」
彼によれば、〈フルカロル〉の元の持ち主は、その後も繰り返し映像を見続けるようになったという。次第に他の映像を見なくなっていき、時間の限り〈フルカロル〉ばかりに接するようになっていった。
時折、〈フルカロル〉で別の映像を見ていたこともあるらしい。或いは、別の映写機でそのフィルムを見ていた事もあるらしい。しかし、いずれも「しっくり来なかった」と彼は述べ、晩年はずっと〈フルカロル〉で船を見送る女性の映像ばかりを見つめていたのだとか。
晩年。そう、彼はもう亡くなっているわけだ。亡くなった時の事も、白電は教えてくれた。
「衰弱していくのがよく分かりました。奥さんもとても心配して、病院に連れて行ったことも何度もあったようです。けれど、不思議な事に原因と思しきものは見つからないのです。明らかに顔色も悪く、食欲もなさそうなのに、何故なのかが分からない。入院は本人が断固拒否し、引きこもるように自宅で映像ばかりを見続けていたんです」
そして、彼はとうとう亡くなった。〈フルカロル〉の映像を見ている途中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったという。
「彼の奥さんがこれを嫌うのはよく分かります。僕も正直怖いです。けれど、今回僕がここへお邪魔したのは、この映写機に関するお願いの為なんです」
「お願い……と言いますと?」
霊がそっと促すと、白電はこれまでの印象と打って変わって強い眼差しを向けてきた。
「この中身を、僕にも見せて欲しいんです」
眼差しと同じくらい、声にも力がこもっている。ある種、覚悟を決めたようなその振る舞いに、霊は少しだけ動揺をみせた。彼女の答えは、私にも分かってしまった。ランクBである古物なのだから、客には使用させられない。しかし、たとえランクが低かったとしても、今の話を聞いておきながら許可するなんてことは出来ないだろう。
それでも、白電の態度を見れば、無下にできないのもよく分かった。
「理由をお聞かせいただけますか」
霊はまず、静かにそう訊ねた。
「あなたの話を聞く限り、この古物はとても危険なもののようです。だとすれば、無責任に中身を確認させるわけにもいきません。教えてください。どうして見たいのですか?」
「それは……」
と、白電は少しだけ答えにつまりつつ、俯き気味に答えた。
「知りたいんです。友人が何を見たのか。何を感じたのか。その中身が聞いていた通りのものならば、どうしてそんなにハマるのか。何が彼を惹きつけたのか」
そして、彼はさらに落ち込んだように肩を落とした。
「彼とは少年時代からの仲でした。思い出も、感情も、たくさん共有してきました。けれど、この映写機に関してだけは、彼の事を理解できないままでした。それが、僕は心残りなのです。何が彼を夢中にさせたのか。溺れさせてしまったのか。少しでも知りたい。そして、出来れば──」
と、白電は言いかけたまま、ハッと我に返った。恥じらうように俯き、口を閉じて首を横に振る。その表情は悲しそうだった。
「すみません。何でもありません」
白電はそう言ったが、霊は軽く目を伏せた。
「……事情は分かりました。ですが、白電さん。申し訳ありませんが、そのお望みをすぐに叶えることが私たちには出来ません。というのも、ただいま、映写機を再生するための道具が足りなくて、見たくてもみることが出来ないのです」
「あ……」
困惑する白電に対し、霊はそっと笑いかけた。
「ですので、代わりに私たちが確認しておきましょう。後日また、いらしていただけますか? もしくはお電話でお伝えしましょう」
霊がやや早口でそう言うと、白電はぼんやりとしたまま、遅れて頷いた。
「あ……はい、では、また出直してきます」
そうして、彼は帰っていったのだった。しょんぼりとした様子の背中が、私の目に焼き付いた。仕方ない事だとは分かっているし、彼の為でもあると分かっていたのだが、望み叶わず去っていくその姿に心が痛んでしまった。
その印象が引きずっていたからだろう、閉店時間になってから、私は思わず霊に訊ねてしまった。
「あの、白電さんのことですが……道具が足りないなんて嘘ですよね?」
恐る恐る訊ねる私を、霊は背後からそっと抱きしめてくる。
「ええ、そうね。道具はちゃんとあるし、スクリーンも健在。なんなら、今夜にでも確かめちゃいましょう」
「良かったんですか。嘘なんて吐いて」
「必要ならば嘘も吐けないと。それに、幽。スクリーンが何処にあるか覚えている? まさかあの地下室にお客様をお通しするわけにはいかないでしょう?」
囁きながら霊は私の腹部をまさぐってきた。
その感触に小さく呻きつつ、私は黙って頷いた。
彼女の言う通り、スクリーンは確かに地下室にある。あの拷問部屋の事だ。私たちにとってはお楽しみ部屋でもある。確か、聞いた話では、もともとはスクリーンが最初にあって、あれらの危険な玩具コレクションは後から追加されていったのだとか。
そんな事を思い出していると、霊は私の耳元に息を吹きかけてきた。
「ねえ、幽。今宵は地下室でお夕飯にしましょうか」
「ち、地下で……?」
「あなたもお腹が空いてきたんじゃない? 誰にも邪魔されず、じっくりと。その後で〈フルカロル〉の中身を確かめましょう」
ぞわぞわとした緊張感が押し寄せてくる。蛇に巻き付かれて、少しずつ絞殺されているかのよう。そんな悦楽を味わって、引き返すなんてことが出来るはずもない。
考えるよりも先に、私は縋りつくように同意を示していた。