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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
35.悩みを聞いてくれる操り人形〈マルコシアス〉
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中編

 〈マルコシアス〉を求める客人がやって来たのは、そのまた翌日の事だった。

 薄っすらと化粧をし、落ち着いた格好をしていても、彼女が未成年であることは何となく伝わってきた。大人びた様子ではあるけれど、静かに応対する霊を前に緊張しているのか視線が度々泳ぐ。そんな態度ではあったが、これだけはハッキリと伝えてきた。


「どうしても、あのオオカミが必要なんです」


 聞けば、彼女は〈マルコシアス〉を持ち込んだ依頼主の娘であるらしい。


「お願いします。お金なら幾らでも払います。どうか私に売っていただけないでしょうか」


 必死に頭を下げる彼女を見つめ、霊は少しだけ考え込み、そして訊ねた。


「お母様とは、この話を相談なさいました?」


 案の定、というべきか。彼女はびくりと体を震わした。話し合いなどしていないのだろう。顔を上げた彼女の表情は困惑で一杯だ。その振る舞いだけで、何となくの事情は察することが出来るというもの。霊は言葉を選びつつ、彼女に伝えた。


「申し訳ないけれど、あのお人形はそう簡単に売れるものではないんです。でも、もしも、お母様と話し合って、お母様から買い戻したいと言われたならばその限りではないわ。だから、どうしても、というのなら……」

「──相談はしたんです」


 彼女は寂しそうにそう言った。


「でも、母は聞く耳を持ってくれなかった。とにかく危険な人形だからって、私の言う事に耳を貸してはくれなかったんです。私にとって、あのお人形は、大切な相談相手だったのに……」


 悲しそうなその表情に、私はふと思春期の頃の自分を重ねてしまった。


 ──お母さん。


 望んでも、二度と会えない母。けれど、その存在が当たり前であったあの頃、私もまた、母に反抗したことは何度もあった。言葉に出来ない苛立ちや、心配すると分かっているからこそ言えない悩み。様々な問題が母の目の届かない場所で生まれ、そして解決するために必要だったのは、あらゆる相談相手だった。教師や友人、先輩など、あらゆる相手がいたものだったが、悩みの内容やその時々の状況によって、誰が相談相手に相応しいのかは違っていた。

 もしも本当に、彼女にとって大事な相談相手だったのだとしたら。

 そう思えば気の毒な事だ。霊も全く同情していないわけではないのだろう。霊は少しだけ態度を和らげて、そっと訊ねたのだった。


「あのお人形でなければならないのは何故ですか?」


 勿論、その理由が分からないわけではない。ただ、確認しておきたかったのだろう。この少女がどのように〈マルコシアス〉に頼っていたのかを。


「あの子に相談すると……悩みがなくなったんです」


 悩んだ末に、彼女はそう答えた。


「驚くほどあっさりと。悩んでいたことが嘘のように、問題が解決するんです」


 彼女もまた言葉を選びながら、話してくれた。

 最初は、些細なことだった。悩みの内容は、かねがね馬が合わず苦手な同級生と組んで、課外活動をしなくてはならないと決まったことだ。

 少し我慢すればいいだけの事。それでも、齢を片手で数えられるほどしか生きてこなかった当時の彼女には、あまりに深刻な悩みでもあった。

 そんな時、彼女は祖父の家でこの人形の事を知った。当時はまだ祖父は生きていた。その祖父自身から人形の力を耳にし、大人たちが見ていない隙に試したのだった。


「効果はすぐに現れました」


 あまり、良いとは言えない形で。

 その苦手な同級生が事故に遭い、怪我をしたために、しばらく休む羽目になった為、課外授業を受けられなくなってしまったのだ。事故は単なる不幸であり、幸いなことにけがの程度も軽く、しばらく休養すればすぐに良くなった。だが、そのタイミングがあまりにも良かったこともあり、彼女は人形の力だと確信したのだった。

 それから、彼女は事あるごとに、そっと人形に相談するようになっていった。


「誰かが亡くなったりするような事はありません。起こる事も些細なトラブルでした。けれど、どれも悩む私にとっては都合の良い事ばかりだったんです」


 勿論、そこに全くの罪悪感がないわけではないようだった。そこは少し安心した。だが、彼女の様子はこちらが思っている以上に深刻そうでもあった。


「私、不安なんです。あの子がいないと、この先、どうやって乗り切れるか自信がなくて。だから、どうしてもあの子と一緒にいたいんです」


 きっと、子供の頃から頼っていたからこその事なのだろう。本気で彼女は悩んでいるように見えた。霊は静かに耳を傾けていた。呆れるわけでもなければ、過度に同情するわけでもない。ただ突き放したりはせずに、彼女の言葉に耳を傾け、そして、話が終わるとそっと頷いたのだった。


「ご事情はよく分かりました」


 そして、柔らかな口調のまま、霊は告げた。


「ですが、やはりお譲りすることは厳しいと言わざるを得ません。お母様と話し合ってもう一度お越しになるか、それか、今後は全く別の方法を取っていただければ幸いです」

「──そうですか」


 落ち込む彼女を見つめ、霊は穏やかな表情で続けた。


「一応、この店には悩む心をすっきりさせるお守りもございます。あの人形のような力はないかもしれませんが、買い戻すよりもずっと安価で、気休め程度にはなると思います」

「では……一ついただけますか」


 そう言って苦笑を浮かべる彼女に、霊は頷き、こちらに目配せをする。その視線にすぐさま応じ、店の端に置かれた匂い袋を取りに向かった。霊の古い知り合いであり、〈神の手〉の心臓を持つ魔女ボタンの作品の一つである。ただのお守りではなく、確かな力はあるが、霊の言う通り、〈マルコシアス〉のように悩みを解決することは出来ないだろう。

 それでも、気休めになるのなら。そう思いながら包装し、会計を経て手渡すと、少女は諦めきったように微笑み受け取った。


「ありがとうございます……では、私はこれで」


 落胆した様子でトボトボ歩き、店を出ようとした最中、彼女はふと立ち止まり、店内を見渡した。そして呟くように言ったのだった。


「すみません、最後に一つだけいいですか」


 その視線は、あの戸棚へと向いている。〈マルコシアス〉が収められた、鍵のかかったあの戸棚へ。そして、私たちの反応を待つことなく、彼女は言ったのだった。


「どうか……どうか最後に、あの悩みを“解決”して欲しいの」


 それがどんな悩みなのか、私たちには一切分からない。それでも、彼女と〈マルコシアス〉には通じ合っている事なのかもしれない。

 いずれにせよ、私たちが踏み込める隙は何処にもなかった。


「……お世話になりました」


 そう言って、彼女は逃げるように立ち去っていった。


 異変があったのは、その夜の事だった。風呂から上がってみれば、霊が何やら支度をしている。曼珠沙華にでも呼び出されたのだろうかと思って声をかけてみれば、彼女はバツが悪そうに返事をした。


「お風呂に入っている間に行くつもりだったのだけど」

「そうなったら、捜しに行くところでしたよ」


 呆れながらそう言うと、霊は溜息交じりに頷いた。


「……それもそうね。心配はいらないわ。少し周辺を歩いてくるだけ。あなたは鍵をかけて待っていて」

「何かあったんですか?」

「そうね。でも、貧血気味のあなたの手を借りることではないわ」

「念のため、教えてくださいよ」

「仕方ないわね」


 そう言って、霊は私を振り返り、そして、ようやく白状した。


「〈マルコシアス〉がいなくなってしまったの」

「……いなくなった? え? でも、戸棚は──」

「鍵がかかっていたはず。そうよ。鍵はかかっていたの。でも、箱は空いていて、中にいたはずのお人形は消えていた」

「つまり……テレポーテーションってこと?」


 最近見た超能力関連のテレビ番組を思い出しながらそう言うと、霊は呆れ気味に首を傾げ、続けた。


「そう言う事だから、あなたはお留守番ね」

「ま、待ってください。私も一緒に行きます。探し物の魔術を試してみたいので」


 とはいえ、断られそう。そう思いながら私は霊の反応を待った。実際、霊は疑うような眼差しをこちらに向けてきた。けれど、しばし考え込むと、呟くように言ったのだった。


「まあ、練習になるのなら、悪くはないかしら。それに、一人でお留守番っていうのも却って危険かもしれない」


 ぶつぶつ呟いた後、彼女はこくりと頷いた。


「分かった。すぐに支度して」


 こうして私たちは、夜の町へと繰り出すことになったのだった。

 テレポーテーション。瞬間移動。魔術とも超能力ともされるその力のイメージは、希望した場所に一瞬にして移動してしまうというものだろう。けれど、霊によれば、〈マルコシアス〉が持つ力では、さほど遠くへはいけないはずなのだという。せいぜい戸棚から外へ、店から外へ抜け出すことが可能だったという程度の事。それだけでもかなり厄介事ではあるのだが、少なくとも、目的地にたどり着くまでには猶予があるはずだという。


「そうでないと困る。台所の包丁が一つ無くなっていたのだもの」

「そ……それってまさか……」


 夜道にて、ごくりと息を飲む私に、霊は無言で頷いた。

 あの女性──〈マルコシアス〉の本来の持ち主の娘である彼女が、何を悩み、何を解決してほしかったのか、それは私たちのあずかり知るところではない。それでも、消えた包丁という単語だけで、その不穏さが良く分かる。

 何に使うつもりであろうと、ろくなことは起きないだろう。そして、その結果もたらされる責任や罪悪感は、〈マルコシアス〉の今の所有者である霊に圧し掛かることになる。


「さて困ったわね。もっとあの人の悩みについて聞いておくべきだったかしら」

「ご安心を。この時のための魔術をいくつか練習してきましたので」


 魔女が探し物を見つける手段は、いくつかある。〈赤い花〉の得意とする虫の魔術もまた、複数の術が千里眼の術として紹介されていることがあった。蛍の魔術もそうであるし、蝶の魔術にもそういうものがある。それが、蠅の眼の魔術と呼ばれるやつだ。「刮目」、「透視」、「未来予知」と呼ばれる三つの魔術が基本となるが、この場合はそのうちの「透視」が相応しいだろう。

 深呼吸をしてから、私は心の中でそっと唱えた。


 ──蠅の眼の魔術《透視》!


 直後、私の視界が大きく揺らいだ。周囲の視界を遮るものがことごとく薄れていき、ありとあらゆる物の居場所がくっきりと浮かび上がる。ぐるりと周囲を見渡しながら、私は〈マルコシアス〉の姿を脳裏に浮かべた。

 翼の生えたオオカミ。ピエロの恰好。包丁を手にしているはず。その三点を頭に浮かべて見渡していると、不意に煌めくものが視界に移った。金物の光だ。目を凝らし、集中をそちらに向けてみれば、薄っすらとシルエットが確認できた。


「……いました」


 直後、気が抜けたのか、魔術が解けてしまう。私が見つめていたのは壁であり、ざっくりとした方角しか分からない。けれど、その様子を静かに見守っていた霊は、速やかに視線を動かし、一方の道へと体を向けた。


「こっちね」


 駆け出す彼女に続いて走ることしばらく、とうとう私たちの視界にその姿は現れた。

 間違いない。〈マルコシアス〉だ。人目を避けるように歩いている。手には包丁。器用に握り締めたそれを何に使うのか、考えるだけで恐ろしい。


 ──だからこそ、止めなければ。


 その一心で、私たちは〈マルコシアス〉の行く手を阻んだ。

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