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U-Rei -72の古物-  作者: ねこじゃ・じぇねこ
1.遠慮を知らぬ木刀〈ベール〉
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前編

 雨が降っている。弦を弾くような音に聞こえなくもない。幼い頃、母がよくピアノを弾いていた。その音を思い出すのは、きっと憂鬱な気持ちが私のマザコンな心を掻きたてるからなのだろう。

 頼りない裸電球の灯りのみが照らす薄暗い店内で、沈黙する品物の何とも言えぬ圧倒的な雰囲気に押されながら、私はただ来客が来ないことを願っていた。

 雨が降る日は来客がやや多い。普段がさっぱりだからこそ、たった一人の来客でも多いと感じてしまうほど濃厚である。全く来ないよりも来た方がいいのだから、わがままばかり言えないのだが、今は特別な事情があった。

 私は単なる店番に過ぎない。

 客と向き合うべき店主は今、酔いつぶれて寝てしまっている。


 ――ああ、やっぱり止めておくんだった。


 頭が重いのは雨のせいだけではないだろう。私は痛む頭を抱えながら、ため息をついていた。我が主人はいつだってずぼらである。同性の私が見ても胸が高鳴るほど美しい女性なのだが、酒、女、賭博の三拍子がそろっている遊び人だと最近分かった。と言っても、私がここへ来てからは、賭博だけはやめてくれた。私に金を払わなければならないという事がその姿勢を正してくれたのだと、彼女を昔からよく知る者は言っていた。

 今でもゲーム自体は好きで、花札などをたしなむし、サイコロや牌なども大好きだ。休日によくラジオ中継される馬比べなどはよく聞いている。ただ、無駄に賭けなくなっただけでも上々だろう。


 女好きはどういうことか。美人なのは確かだが、彼女は美女や美少女が好きだ。美少女や幼女の誘拐だけはやめてくれと懇願したところ、私の頑張り次第で心がけると約束してくれた。頑張りって何だろうとつくづく疑問に思うところだと思うが、居候生活も長くなれば次第に分かってくるものである。私は受け入れた。受け入れているから、そこは問題ではない。

 この家に居座る限り、私には気が休まる瞬間は滅多にない。寝ている時だけだろうし、その眠りすらもなかなか素晴らしく淫らな夢に変じてしまうこともある。だが、それは私への報酬の一つでもあるので、特に文句はない。働いた分の金銭とは別に、主人が私に払う情愛の証のようなものだ。私との関係が良好である以上、我が主人は女に溺れないだろう。男に溺れないのかと問われれば沈黙せざるを得ない。そもそも彼女はあまり貞淑な方ではない。取引に必要とあれば、あっさりと全裸になれるタイプだ。そういう人だと分かっているので、嫉妬も追いつかない。


 さて、問題は酒だ。こればかりは頭を悩ませてしまう。

 酒が好きなのはいいのだが、飲み方は非常に問題だ。主人の言い分では、父系をたどっていった先にたどり着くマグノリアの由緒正しき血筋は、酒豪も多くワインをぶどうジュースのようにがぶがぶ飲めたらしい。それは、西の帝国蘭花で混じったという高貴な血筋も同じであり、さらに北の大国ローザから南下したという血筋も同じだ。ただ唯一、我が国乙女椿に古くより受け継がれた母系の血筋のみが、たった一滴の御神酒で酔い暴れて父の分からぬ子を産んだなどとかいう非常に素行の悪い伝承が数々残っている一族だそうで、主人はつまりまあその母系の血をしっかりと受け継いでいる。

 さすがに一滴の御神酒くらいではそこまでならないだろう。問題は、マグノリアの血も、蘭花の血も、そしてローザの血も薄めてしまう、永遠の酒への片思い体質のほうだ。心は酒に傾いているのに、身体はついていかない。我が主人はいつもいつもいつも何か嫌なことがあるとワインをごくごく飲んで死んだように眠ってしまうのだ。


 たとえ次の日が営業日であったとしても。


 そうだ。この家のワインの瓶を全部割ろう。

 そう思ったことは数知れずだが、ワインを没収したらしたで問題がある。我が主人にとってワインというもの――特に赤ワインは、適量ならばこの上ない栄養剤でもある。しかも、置かれているワインはどれも決して安物ではない。もしも全て割ってしまえば、私はただ働きをする羽目になり、たくさん血を抜かれることになるだろう。


 そう、血だ。血が必要なのだ。朝も主人は血が足りない状態だった。だから、吸わせようと起こしてみようとしたのに、駄目だった。水とバケツと薬局で買った一般的な人間用の薬なんかじゃ頼りない。たった数滴の血で解決するはずなのに、本人が起きないのであれば仕方ない。


「こういう時だけは、命じる側になりたいものだね」


 話し相手のいない空間で呟いてみれば、余計に寂しさが生まれた。咳払いし、気持ちを誤魔化すべく何をすればいいか。カウンターの端に置かれたラジオのスイッチを入れてみれば、特徴的な声質のラジオパーソナリティが葉書を読んでいるところだった。落ち着いた異国情緒あふれる音楽に耳を傾けながら、彼女の揺らぎのある声に癒しをもらう。このまま寝てしまいそうなくらい、静かだ。ラジオ以外に物音は生まれない。主人もぐっすり眠っているのだろう。


 雨は梅雨のせい。雨の日に来る来客もいるが、今日は来ないらしい。少し安心して寛いでみる。私以外誰もいない店内にて、頂点に君臨するのは私だけだ。なるほど。主人がいないと思うと体が浮いているかのように不安定だ。快適だが寂しい気もする。少し前ならばこれが当たり前だったのだけれど、どうやら私はすっかり主人がいないと成り立たない体になってしまっているらしい。

 だが仕方ない。これは〈赤い花〉のせいなのだ。私の胸に収まる魔女・魔人の心臓のせい。生まれ持った魔女の性は私に従属性を与えた。単なる従属性ではない。嗜虐的な者に嗜虐的に愛されることこそ、私の糧であるのだ。それを満たしてくれる我が主人こそ、切っても切り離せぬ永遠の伴侶。私は血を、彼女は暴力を、この関係を他人が理解するのは難しいだろう。

 所詮、どっちが支配者なのかもわからない我々は魔女と吸血鬼なのだから。


 カラン、と音がした。

 小さな鐘の音にはっと我に返る。気づけば、カウンターにて寛ぐ私を意に介さず、店内をてくてくと歩く小さな人影があった。やたら小さな客だが、客は客だ。雨合羽に身を隠しながら雨靴をぺたぺたさせて歩くその幼女は、年齢の割に妙に大人びた表情をしていた。そのまま店内の隅に真っすぐ向かい、置かれている品物にじっと目を向けている。

 保護者が来るのだろうかと私は再び扉へ目を向けた。気配はない。灰色がかった窓の外にも人影は全くなかった。ため息が漏れだす。カウンターより立ち上がり、私はそっと小さなお客さんへと近寄ってみた。彼女は真面目な表情で品物を見つめている。まずいな。美幼女だ。我が主人が見たらすごく興味を持ちそうだ。彼女の身の安全のためにも、健全な大人として早くここから逃がしてあげた方がいいだろう。

 そんなことを思いながら、私は美幼女に声をかけた。


「お嬢ちゃん、一人? お姉ちゃんとちょっとお話しない?」


 我ながら怪しいナンパ師みたいな軽さだ。いや違う。健全な大人のお姉さんらしさを装うとしたのだが、ちょっと緊張して間違ってしまった。

 幸か不幸か美幼女は真剣だ。私の言葉なんて無視して商品を見つめている。視線の先にあるのは水瓶に突っ込まれた木刀。ちなみにどちらも非売品である。頭を掻きながら、私はさらに話しかけてみた。


「えっと、水瓶に興味があるのかな?」


 違うと分かっていたが、一応確認してみた。すると、美幼女がむっとした表情を浮かべる。うん、知っていた。木刀に興味があるっていう目だ。生まれてこの方出会うことを待っていた名刀をついに見つけた剣豪みたいな顔をしている。乙女椿らしい特徴の顔立ちは、まさにちびっこ侍といったところだろうか。幼女剣士といったら、ますます我が主人が好みそうで怖い。


「木刀、気になる?」


 訊ねてみれば、美幼女はこくりと頷いた。その動きは実に渋かった。だが、訪ねたはいいが、まさか幼女にこれを持たせることもできない。そもそも、これらの扱いは店主しかできないのだ。

 困った。絶対に引き合わせない方がいい二人だが、引き合わせないわけにはいかないらしい。そもそもこの店に入ってくるのは本当に入店する理由のある者だけだとも聞いている。そのくらいの気持ちで店番しろということでもある。せっかく入店したものを幼いからとむげに扱えば、あとでいけないお仕置きをお預けされてしまうだろう。お預けもいいのだが、お預けされたものが一生与えられないという危険性は無視できない。


「ちょっとここで待っていてくれるかな? あ、お店のモノには手を触れないでね。怪我したら大変だから」


 そう言い残して立ち去ろうとしたちょうどその時、カウンターの奥より暖簾をくぐって現れたのは、我がご主人様その人だった。化粧もせずにだるそうな表情でのしのしと歩き、櫛も通してなさそうな頭をがりがりと掻いているその姿はまるで猿のようだけれど、それでもまあ美人は美人だ。


「霊さん、ちょうどよかった今呼びに行こうと――」


 客人が幼女であるせいか、化粧なんてしてもしなくても同じと言わんばかりに我がご主人様――霊は私の声掛けを無視する形で真っすぐ幼女の元へと向かい、隣に座り込んだ。幼女がちらりと霊を見つめる。

 そして言葉を発したのだった。


うぬが店主だな。この剣を寄越せ。対価なら払うぞ」

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