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とある令嬢は引きこもる

作者: あおてここ

 そうだ、引きこもろう。


 目が覚めてまず最初に思いついたのはそれだった。


 天蓋の隙間から見える厚手のカーテンから差し込む日差しはないけれど、ほんのりとした明るさを感じる。

 おそらく使用人達は起き出して各々の準備や仕事を始めている頃だろう。

 メイドが起こしに来るにはまだ早い時間帯だ。しかしもう一度眠るにはいささか眠気が吹き飛んでしまっている。

 とにかく今考えることは引きこもろうということだけ。


 幸いにして我が家には兄、姉、弟、妹と揃っていて、政略結婚のつながりを得るにしても事足りている。そもそも私一人がドロップアウトしたところで揺らぐほどの家でもない。

 社交界デビューはしてしまっているが、元々そんなに人付き合いは好きではない。ついでに言えば信頼を寄せる友人も片手で足りるていどしかいない。

 それ以外の付き合いは貴族に生まれた義務としてただ家のため、婚約者のために内心を押し隠して社交を行っていたに過ぎない。


 どうせ頑張ったところで、そのときが来れば破棄になる婚約。

 婚約者やその親族関係者との親交を深めたところで何の意味もなくなる。

 だったら今から疎遠になったところで問題はない。


 相手様はたしかに名のある侯爵家だけれど、我が家だってそれなりの力を持つ伯爵家だ。この縁談だって 元々は口約束から始まったもので政略的な意味は薄い。

 破棄されたところで女である私に不名誉な傷がつくだけで不公平な事に男方には何もない。それなら今から疎遠になってもなんの問題もないはずだ。


 だって我が婚約者様は、いずれ出会うヒロイン様と運命的な出会いを果たして熱愛をする方なのだから。




 その記憶は本当に唐突に蘇った。

 いわゆる前世の記憶というものなのだろう。


 こことは違う世界の私が暇つぶしで読んではまったネット小説があった。

 そこでは物語だった世界が今の私の現実だと気付き理解するのは、呼吸をするよりも簡単で何の混乱も生まなかったのは幸いだ。

 ただ、かつての世界で溢れに溢れていた悪役ライバル令嬢への転生とやらに自分が当てはまったことだけは驚きだが。


 ほんとになんてテンプレ。なんて平凡でありふれた状況。


 幸いにして思い出したのはネット小説のざっくりとした内容と薄ぼんやりとしたかつての世界の知識くらいで、今の私に影響を与えるような人格とやらはない。そもそも引きずられるほど強烈な記憶もないようだ。


 いや、引きこもろうと思い立った時点で影響しているのかもしれないけれど……。


 しかしそんな瑣末な事はどうでもいい。

 かの世界に溢れていた悪役転生ではそれを回避したりむしろ迎合したりなんなりという内容が多くあったが、そのどれも正直に言えば面倒くさい。


 この世界で生きている生来の私は、努力の末に水を得たというメイフェロスの神が日干になるほどのめんどうくさがりなのだから。

 可能であれば一日中自室に引きこもってゴロゴロしていたい、だらだらしていたい。着替えるのも嫌、むしろ布団から出たくない。

 日がな一日好きな本でも読んで寝て起きて食べて寝ていたい。

 太陽なんて大嫌いだ。明るい光に当たると灰になる、私の中のなにかが。


 そう私は、自堕落最高、不真面目だらだら駄目人間万歳! という性分なのだ。


 それを家のため家族のため婚約者のためと無理やりに自分を奮い立たせ、伯爵家令嬢らしく振る舞い、いずれ名門侯爵家にゆかりある嫁となるために努力を重ねてきた。

 しかし現状とこの蘇った記憶から、その全てが無意味無駄無味無臭となることを知った以上、もう何もしたくない。全くもってなにもしたくない。全くなかった気力が完全にマイナス値を限界突破した。




 この自堕落が許される幸福な長期休暇が過ぎれば学園は新しい学期が始まる。むしろ明日から始まる。地獄だ。


 この新学期に季節はずれの転入生として現れる主人公。彼女は男爵家の生まれだが、その数奇な生い立ちから長いことパリエト神の教会で育ったという曰くつき。


 彼女は様々な偶然と必然の出会いを経て貴賎問わずいろいろな出会いや事件を経て成長していく。それはもうさすが主人公というべき確率で事件に巻き込まれていく。

 それでもどれほど酷い目に合っても教会育ちらしい純真なで無垢な高潔さと、培われた朗らかさを失わず、心根の優しさ温和さから婚約者殿の傷つき荒んだ心を癒し、ついでにその他大勢も癒して男女関係なくから愛されまくる。

 そして陰湿ないじめや陰謀にも屈せず強い意志をもって巨悪へ立ち向かい、そして幸福を手にするのだ。


 かつての私がどんな人間だったかは思い出せないが、ただこの話しを何度も読み返していたという事は覚えている。

 ありえないほど綺麗ごとの包まれた世界が、たぶんツボにはまったのだろう。愛され主人公とか絵空事でしかありえないから。

 だからと言って、ヒロイン様に会いたいかと言われると応えは断固拒否である。


 なぜかって? めんどくさいからに決まっている。


 ついでに架空の物語だから成立する主人公像が現実に実現していたら、あまりの胡散臭さに裏を疑い詐欺師と思う。


 それに物語上の私はヒロイン様と結ばれるヒーロー様の婚約者。

 使い古された設定と同様に陰湿かつ愚鈍なライバルで、悪しき根源に利用されてボロ雑巾にされた挙句に家ごと潰される使い捨ての当て馬なのだ。


 婚約者殿の事はそれなりに好ましく思っている。でなければ彼の為になけなしの根性と根気を振り絞ってはいない。

 だが、バスカルト山脈のごとく立ちはだかるヒロイン様を踏破しようと執念を燃やすほどの愛情も執着もない。


 現実的に考えて、当て馬として使われ家ごと潰されるということは、家族離散か一家心中の道しか残されていない。

 そんな絶望的な状況はまっぴらゴメンであるし、よくある悪役転生もののように当て馬を回避するのも、平民になっても生き延びるためのスキルを得るのも面倒くさい。

 というか貴族として生まれフォークの上げ下げすらも使用人にやらせるお姫様が、市井に下ってまともに生きれるわけがない。


 生まれ育った環境と培われた価値観はそう簡単には覆らないものなのだ。

 それをどうにかしようと思えるのなら、そもそも引きこもろうだなんて考えない。私はどこまでもインドアでありパッシブな人間なのだ。


 今まで私なりに尽くしてきた婚約者様に捨てられるとわかった今、なけなしだった情も底を尽きた。もうどうでもいい。


 むしろ苦行でしかない社交やらマナーやらなんやらから開放されるなら、婚約者様を最高級のプレゼント包装でヒロイン様に差し上げる。むしろ押し付ける。


 まあ、私という愛の試練がなくなった以上、ヒロイン様と婚約者殿の燃え上がる愛のスピードは落ちるかもしれないが、それこそ知ったことではない。


 これからヒロイン様を中心に様々な事件や陰謀からの国家転覆を狙うアレコレが起こるだろうが、我が家に飛び火しなければどうでもいい。

 私が元凶とならなければ、それなりに優秀な家族や親戚達が上手く立ち回って火の粉は払うだろう。


 というかむしろかの作中でも大活躍をしていた。主に兄が。


 家を継ぐという重圧を無意識に感じてるらしい兄は、ヒロイン様の優しさと気遣い癒されて絆され、思春期さながらの葛藤の末に恋情未満の気持ちを昇華し立派な噛ませ犬として役目を果たすのだ。


 我が兄ながら不憫で仕方が無く笑いが止まらないが、男ならその程度の痛手は乗り越えてみせよと思ってしまう。

 というかヒロイン様が初恋とか、それなりに浮名を流している二十を過ぎた兄の意外な一面に妹はなんだか恥ずかしいので、指を指して笑って差し上げようと思う。ぷぎゃーって。


 もっとも私は高みの見物を決め込むつもりもないので、何もかもそちらで勝手にやっててくれと思う。何一つとして係わりたくないのが本音なのだ。


 だから私は引きこもる。


 どうせ学園で学ぶことは縦横の繋がりとマナーだけで、今後引きこもる私には関係ない。

 特になりたい職業もない以上、可能な限り親のすねを齧り、自堕落に生きたい。


 私が悪役にならず家さえ無事ならこのお姫様生活は続けられるので、やっぱり兄をはじめ家族親戚一同には頑張ってもらいたい。ベッドの中から応援しています。

 万が一にでも放逐された場合は、またその時考えるので、今は思考を放棄する。


 今は何よりも引きこもりたい。


 うん、引きこもろう。それがいい。


 プロのヒキニートに私はなる!!



 そう決意すればあんなに冴えていた目も、上まぶたと下まぶたがくっつきたいと訴えてくるので、その要求を受け入れてふかふかの布団に潜り込む。

 とりあえず今日の婚約者とのお茶会はボイコットする。誰に邪魔されようと二度寝を決め込み、明日も寝る。

 わざわざ私を捨てる相手との親交を深める必要はないし、あちら様だって私を決められた婚約者以上には見ていないのだから、お互い様だ。

 せいぜい明日から始まる運命とやらを満喫していればいい。私には関係ない。



 そうして周囲の戸惑いと怒りを受けつつも始めた引きこもり生活。

 案の定漏れ聞こえる世間様の話しでは色々ときな臭いことになっているようだが、私はおおむね平和に過ごしている。


 若干のめんどうくささといえば、ご丁寧に婚約者から送られてくるご機嫌伺いの手紙と贈り物だが、これは毎回定型文を印刷したものを送り返しているので、問題ない。

 贈り物はだいたいが消え物でなんの土産だと思うような物なので、ありがたくお茶請けとして頂いている。さすが侯爵家が選ぶだけあってとても美味しい。

 たまにアクセサリーが来るが、身に着ける予定は皆無なのでさっさと売り払って、欲しい本や安眠グッズに変えている。

 こんなやり取りもあと少ししたら終わるのだから、いま少しの辛抱だ。お菓子だけは送り続けて欲しいけど、仕方がない。



 引きこもり当初は私の強行に家族は戸惑い困惑しアレコレとされたが、最近では諦観の構えで放置されている。これは僥倖。

 まあ、私に構うほどの余裕がないだけかもしれないが、知ったことではない。とにかく家が潰れなければそれでいい。


 王城で大きな騒ぎがあったと言うが、どうせヒロイン様大活躍のイベントだろうから、私には関係ない。


 ごく稀に見かける兄や父の顔色が青や土気色を通り越して灰色になっているのも、まあ頑張れと思うだけ。

 というか兄よ、初恋に頬を染め期間はもう過ぎたのか? まああのオトコマエな兄が乙女のようにときめいてる姿は生理的に受け付けない嫌悪さを感じるので、目撃しないで済んだのは良いことだろう。


 たまに部屋の前が騒がしいが、パラダイスと化した自室で寛ぐ幸せに勝るほどでもないので無視無視。

 どうせまた弟あたりが私を引っ張り出そうと無駄な努力をしているだけだろう。あの子も諦めることを覚えればいいのに。それも若さか。



 そうして悪役としてゴミみたいな扱いを受けるはずだった私は、見事にストーリーの本筋から外れおおむね平和に過ごしている。

 最近はちょっと部屋の前の煩さが尋常ではなく、少々気に障るので、美しいユクリエス湖のほとりにある別邸に移ろうかと思ってはいるけど。


 とにもかくにも引きこもり万歳!!








 と、思っていた時期が私にもあったことを最後に記しておこうと思う。

 前世で読んだ物語は物語であって、この世界は似ているだけでしかなかったのだと痛感したのは、もう少し先の話し。

 心の底からめんどうくさいけれども、人間として生きていればそれなりに雑事に巻き込まれるのだと悟りという名の諦めを覚えることも、先の話しである。

 今は自室という名の天国で、ただただ惰眠を貪るのみである。






そして引きこもり世界の外側では、現実世界の人々が悲喜交々に乱舞しているのです。


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