話が長い
捜査一課の八木謙介警部は、殺された山内八十介の秘書である根元敦子に質問をした。
「すると、あなたは山内社長が殺されたと思われる午後九時頃、部屋に一人でいたわけですか。社長とは午後七時頃に食堂でお会いした後、一度も会っていないと、そういうわけですな」
「ええ。社長の部屋にも近づいていません」
彼女は細い黒縁眼鏡の奥にふたつ付いている目を細くして、八木を見据えた。それはまるで、八木という人物が事件を解決できる有能な刑事なのか、見定めているようだった。その鋭い眼光を、八木は鬱陶しく感じた。
根元は漫画やドラマに登場する秘書のイメージそのままの風貌をしている。年齢は五十代手前くらいだろうか。しわやしみの目立ち始めた肌。ガリガリと表現していいほどの細い体格。黒縁眼鏡には首にかけるチェーンがぶら下がっている。
いかにも仕事ができそうな見かけだったが、友達にはなりたくない。八木はそう思った。
山内社長は自室で殺されていた。部屋に飾られていた金属製の仏像で後頭部を一発。後頭部を殴打されているのだから自殺は有り得ないし、仏像はそれほど高い位置に飾られていたわけではない。事故という線もないと言ってよかった。
しかし、犯人の目星はついていなかった。指紋を拭き取ったのか、元から手袋をしていたのかはわからないが、凶器の仏像には指紋も残されていなかった。
そもそも、最近の犯人は指紋などめったに残さない。刑事ドラマやら推理小説やらを読んでいれば指紋が捜査に使われることくらいわかってしまうからだ。
根元はその鋭い視線を離さず、こう付け加えた。
「それに、わたくしだけでなく、ほかの方々も社長の自室には近づいていないと思いますわ」
「ほう、それはどういうことです?」
根元の目が少し泳いだ。話すかどうか迷っているような目だ。だが、すぐに視線が元に戻る。
「亡くなった人の悪口を言うようであまり気は進みませんが、お話ししましょう。社長はお話がとても長いと、よく言われていまして」
「話が長い?」
「つまり、一度話し出すと止まらないんです。一時間でも二時間でも話し続けます。ご趣味の話でしたらそれこそ一晩中でも話し続けるでしょう。ひとつの要件でも前置きを長々と話されるものですから、たまったものじゃありません。
ですから、みな社長の自室には近づかないんです。たまたま見つかってごらんなさい。何分どころか何十分も何時間も時間を取られてしまいます」
「ははあ」
八木はそれを聞いて思いきり肩を落としたい気分になった。よく言われている、ということは、この屋敷の住人の周知の事実なのだろう。つまり、屋敷の住人はみな、山内社長の自室を避けていたということだ。それでは有力な証言が得られないではないか!
八木の考えた通り有力な証言は得られなかった。住み込みで働いている使用人、山内の妻や息子、その日訪れていた客人、誰に訊いても同じである。自分は社長の自室には近づかなかった。まるでテープレコーダーで録音したかのように、みな同じ回答だった。
「まったく、どうすりゃいいんだ! これじゃあ、犯人がいつまでたってもわからない! 犯人が外部犯か内部犯かもわからない!」
「現場の窓は閉まっていました。内部犯の犯行じゃないんですか」
部下の山倉刑事は八木に言った。八木は八つ当たりするように答える。
「断言できるか? だって、証言がないんだぜ! 現場は一階だ。裏口から出入りすれば時間もかからないし、誰かに見られる可能性も低い。屋敷の住人が社長の自室を避けていたんだからなおさらだ! そんな状況を知っている奴なら、外から出入りしようと思ったっておかしくない。
もっとも、裏口には鍵が掛かっていたようだし、俺も外部犯の可能性は低いとみているがね」
「そんなにカリカリしないでくださいよ。血圧が上がります」
「はん。余計なお世話だ。それよりも、お前は鑑識と一緒に現場を捜査していたな。なにか見つかったか?」
それを聞くと、山倉は誇らしげに胸を張った。どうやら、有力な手がかりが見つかったらしい。
「実は、テーブルの隅でICレコーダーを見つけたんです!」
「あい、しー? なんだそれは」
「あー、つまり、音声を録音する機械ですよ」
「じゃあそう言え! 馬鹿みたいにカタカナやアルファベットを使いやがって。で、それがどうしたんだ」
「なんと、録音のランプがついた状態で発見されたんです!」
「なんだと?」
八木は目を見開いた。鼻息が荒くなったのが自分でもわかる。
「つまり、犯行時の音声が録音されているかもしれないってことか? いや、山内社長のダイイングメッセージが録音されているかもしれない!」
「ええ、そういうことです!」
「馬鹿! そんなものがあるならなんで早く出さない! そのレコーダーはどこにあるんだ」
山倉は小さな機械を取り出した。機械音痴な八木にはわからないが、どうやらこれがICレコーダーというやつらしい。えらく小さな機械だと八木は思った。これでは、すぐに紛失してしまうのではないか。小型化しすぎるのも考えものだ。
「これです。僕もまだ聴いていないんです。僕だけ聴いても二度手間ですし、警部と一緒に聴こうと思いまして。それじゃあ、再生しますよ?」
八木は無言で頷いた。それを見た山倉は再生ボタンを押す。
しばらくサーという録音の音声独特の雑音が聞こえた後、声が録音されていた。山内社長の声だ。八木は彼の声を聞いたことはなかったが、直感的にそう思った。
八木と山倉は息すら洩らさないように注意して、録音の声に聴き入った。
「……ちゃんと録音ができているだろうか……。わ……わたしは……頭を殴られた……。わたしは医学に精通しているわけでは……ないから……はっきりとはわからないが……きっと、このまま死ぬのだろう……。
だが、わたしは……犯人を許さない。この録音で……犯人の名を残し……せめてもの……抵抗をしてやろうと思う。
この録音を聴いた人……警察かもしれんし、遺体の発見者かもしれん。犯人だった場合は……わたしの運がなかったことになるが……。無責任な願いになるのは承知だ……この録音を聴いてわたしの仇を……討ってほしい。ぜひ……ぜひとも、よろしく頼む……。
よく聞いてくれ……。今から……犯人の名を告げる……。その……名は……」
ドサッと倒れこむような音。それ以降、山内社長の声は聞こえてこなかった。