prologue
「...本当に良いのだな?」
「はい」
透き通るような声でそう短く返事を返したのは、まだ18になったばかりの少女だった。
そんな少女を心配そうな面持ちで見守る白髪混じりのやつれた中年男。彼らの関係は博士と助手であるが、それとは別に父と娘と言う最も強い絆があった。
「........」
つい、愛娘の名を口にしそうになる。だが、ここは研究所の一室。自宅ではない。
「...では、宜しく頼む。アプリー助手。」
博士は名残惜しそうにそう言葉を絞り出すと、パソコン画面へと向き直った。
アプリー助手は静かに目を閉じ、博士の工程準備が整うのを待つ。最後に、カタッと強くキーボードを押す音が聞こえ、アプリー助手は再び目を開いた。
「準備は整った。」
博士の言葉に、アプリー助手は強く頷く。内心に秘める恐怖感を振り払うように、彼女はもう一度強く頷いた。
「...博士、」
「あぁ、大丈夫だ。君の望み通り、私が必ず"彼"の元へと送ってみせる。」
博士の言葉に、アプリー助手はこの日初めての笑顔を見せた。それを見た博士は胸を締め付けられ、そして、過去の自分の過ちをまた深く後悔した。
「...お願いします、博士。」
過去の過ちのせいで、自分の命より大事な愛娘を犠牲にする結果となった博士。それ程、彼の犯した過ちは罪深いのだ。
「..........あぁ」
少し間を置き、震える声で返答した博士はマウスを操作し、クリックする。するとパソコン画面には赤字で『ダウンロード中』の文字が現れた。
「......」
なにか言いたげな博士に、アプリー助手は優しい微笑みを返す。栗色の髪がサラリと揺れ、その白い頬にはアーモンド型の瞳から溢れた涙が幾つも筋を作りはじめた。
「行ってきます。...パパ、愛してるよ」
娘が父にそう言った瞬間、パソコン画面には『ダウンロード完了』の文字。静かに目を瞑り動かなくなった娘を見て、父は涙を流しながら嗚咽する声を一人暗い部屋の中でもらしていた。
>>>>>>>>>>>>>>>
『ウオォォォッ!!』
雄叫びと地響き。
「ボス!最前線の第6部隊が突破されたッ!!」
「第7、8、9の3部隊を全線へ!!第6部隊を援護していた第2部隊は引き続き3部隊を援護!第6部隊の動ける者は手負いの者をつれ後退しろ!後方に控えてる医療部隊を放つ、第1部隊は医療部隊を護衛ッ!!」
的確に素早く指令をだしているのは、今まさに戦争真っ只中の軍事組織エコルのボス、サク・ローマンだ。本日も世界の頂点を目指すべく荒れ狂う若い猛者。
「俺も前線へ向かう」
「え?もう?早すぎないか?」
ボスの言葉に狼狽えるのは、まだ幼さを残した顔立ちの少年、グレプス・ウィルソンズ。戦場の状況をいち早く把握し、それをボスに伝え、ボスの指令を全部隊に伝達させる。言わば、司令塔のような役割。それもこれも、彼の"特殊能力"があるからこそ、出来る技なのだが。
「グレプス、お前が一番初めに気付いてる筈だろう?」
サクは慣れた手付きで、義手である左腕を背中に回す。サクには左手がなかった。生まれつき、という奴だ。義手で背中にぶら下げていた太刀をスラリと引き抜く。見事なまでの白く美しい刃を目の前にしたグレプスは思わずゴクリと喉を鳴らした。
「今優勢なのは俺たちエコルじゃない、敵だ」
まず、数で圧倒的不利。更に相手はあの強靭屈強と名高いあの『ボルト』だ。その強敵を目の前に無意識下で臆してしまったエコルの未来は、そこでほぼ決まってしまっていた。
「嫌な流れはボスである俺が変えないと」
自信満々とも受け取れる強気な笑顔。そんな姿のボスと太刀の迫力に言葉を詰まらせたグレプスは、もう反論するチャンスを逃してしまっている。
「全部隊に伝えろ、今から俺も前線へ向かう。全部隊、一時後退。俺が前線に到着したら、一斉に前進しろッ!!」
「自ら切り込み隊長をやるって事ね。オーケー」
半ば呆れ気味の苦笑いを浮かべ、グレプスは小さく息を吐いた。その様子を見ていたサクは対象的にニンマリと笑い、異議でもあるのか?とでも言うように胸を張ってみせた。
「...ボスが死んだら、元も子も無いんだからな」
グレプスの皮肉に、サクは笑顔を崩さないまま背中を見せる。
「こんな所で、死ねる訳ない」
サクは前線へと駆け出した。そんな彼の後ろ姿を見つめ、グレプスはボスの指令を全部隊に伝える。グレプスの特殊能力は"超音波"。人が聞き取れない音波で仲間達にどう伝えているのかと言うと、『超指向性音響』をご存知だろうか?指定された範囲にのみ超音波を発し、音声を伝達させる。エコルの隊員達は、その音響スピーカーが内蔵されているイヤホンを付けている。後はそれを用いてグレプスの音声を伝える。仲間への伝達は、自由に超音波を発せられるグレプスの技量にかかっているのだが。
「グレプスめ、適当な事を」
もちろん、イヤホンを取り付けているサクにもグレプスの声は届いた。苦笑を浮かべるサク。グレプスは忠実にサクの命令を伝えた後、最後に身勝手な一言を追加させたのだ。『野郎共ッ、今夜はパーティー ナイト フィーバーだ!!』
『ウオォォォッ!!』
グレプスの声を聞き、仲間達が雄叫びをあげる。他の軍事組織に比べ、比較的年の若い者が多いエコルは、ドンチャン騒ぎを好む者が多くいる。全部隊のボルテージがマックスになり、彼らは歓喜の雄叫びをあげていた。
茶目っ気あるグレプスらしい盛り上げ方をしてくれたものだが。ここは戦場だぞ、自覚し気を引き締めて欲しいものだ。サクは心の中でそうぼやいたが、士気が高まりつつあるこの状況下ではサク自身も興奮せずにはいられなかった。
僅か数秒で何百メートル先の前線に到着したサク。サクには“特異能力“がある。それは尋常ではない"スピード"だ。太刀のお披露目と同時に先頭にいた敵の首をはねた。
「後に続けェッ!!!」
『ウオォォォッ!!!』
最高潮に士気が高まった仲間と共に、その身を敵軍隊の中へ埋めていく。疾風怒濤の如く、形勢を逆転させていくエコルに、ボルトの兵士たちは怖じ気づいた。
地響きに雄叫び、汗を流し剣を振るう。
そんな中でいつから降り始めていたのか、激しくなってきた雨に気付いたのはグレプス唯一人だった。
「嫌な天気だな」
そう呟き天を見上げるグレプスの視線の先には、黒い雲が渦巻きフラッシュのように雷光を放つ空。まるで戦場を見ているかのように、ピシャン、ピシャンッと雷を唸らせている。
その瞬間、目の前に強烈な光りが走った。鳩の様に目をパチクリさせるグレプスを正気に戻したのは、遅れて聞こえてきたゴオオオオッという重低音の空の唸り声だった。
空が轟く中、グレプスは駆け出す。焦りを抱えたまま全速力で駆けていく。戦時中に勝手な行動を取るなど、ましてや隊を乱すような行動を取るなどもってのほか。だが今のグレプスには冷静な判断が取れなかった。それに誰もグレプスを止める事はない。
「...サク...?」
前線に到着したグレプスの、情けない、震えた声。周りには魂を抜かれたように呆然と立ち尽くす敵味方。目の奥がツンと熱くなり、グレプスは慌てて上を見上げた。そこには、何食わぬ顔で唸る雷雲。
雷が落ちたのだ。グレプスの目の前に倒れているのは我がボス、サク・ローマン。そしてボルトのボス、イブ・キャリーという男だ。馬鹿でも分かる。雷にうたれたら、もう...。
先程までの激闘が嘘の様に、今はただ激しさを増してきた雨の音が聞こえるだけ。両者ともどうしていいのか、狼狽える者ばかりだった。そんな中、少女がサクの頭をゆっくりと撫でた事でグレプスは初めてその少女の存在に気付く。
グレプスには見覚えのない少女。いつからいたのか、どうやってここまで来たのか、その少女は一体誰なのか。様々な疑問が頭の中で一斉に噴き上がる中、少女はその大きなアーモンド型の瞳でしっかりとこちらを見据えている。
「もう戦争など不要なのです。皆さん、武器を手離して下さい。私が貴方々を解放します」
そして、透き通る声で少女はそう唱えるのだった。




