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彼岸花  作者: 神寺 雅文
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第二章 日向と日陰3

「じゃー残りも頑張ろう!」


 それからきっかり一時間後。集客数が激減するお昼時が過ぎ三人は仕事を再開した。


 永華と花の水やりを始める陽介が水を撒く毎に花達が生き生きとする。その足元のタイルに涼しい音が響き聴覚だけでも汗が引く。しかし、そんな陽介の足元から焼けたアスファルトに流れる水は意図も簡単に蒸発して消えてしまう。


 本日も快晴であり、それを見上げる陽介は生きている事を実感していた。


――ここに来れて良かった。


「あれ? 何か良い事あったの?」

「え、いや何でもないよ! 花を見てると心が洗われるね」


 そう思っていたら隣で花の匂いを堪能しているその可憐な花にも負けない永華と目が合って急いで手元に視線を落とす。


 ドキっとした事は紛れもない陽介がそう言うもんだから永華が更に笑みを咲かす。


「そうなんだよね。こんなに小さいのにいつも元気に咲いてて私まで元気になっちゃうんだ。私もこんな笑顔出来たら良いなー」

「……」


 ――嗚呼。


 永華が屈んで低いフラワーシェルフに飾られた花達を見渡し、白い花弁が眩しい日々草(別名ビンカ)を手に取り見つめうっとりと優しい笑みを浮かべる。


 そんな横顔を見せられた陽介は息を飲み謙虚に咲く向日葵に見惚れた。


 ――俺はその笑顔に魅了されてここまで来たんだよ? 永華ならもう人を元気にしてるよ!

 

 ……、そう言葉で伝えられる訳がない。今の陽介に出来る事は小さな花と見つめ合う彼女を見守るだけで、簡単な水やりをする事だけなのだ。


「なにしてるの二人とも?」


 そこに軒の伸縮自在の日よけを出す為に店先にやって来た春子が天上からぶら下がるレバーを回しながらそう言い、出入り口の上に設置された日よけが壁から街路まで伸びて陽介と永華の陰までもゆっくりと飲み込んでいく。


「あ、自分の世界に入ってた!」

「陽介くんは? 永華と日々草を恋する男の子って表情で見てたけど?」

「な、そんな事ないです! これ終わったんで次は何したら良いですか?」


 内心では、――永華って可愛いなあーはあああ……美しい過ぎる……。湖畔で水面に映る己に見惚れ結果花になった哀れな男の話を思い出せる。


 それが春子にはお見通しの様で、わざとらしくレバーから手を放して胸の前でその手を合わせて見せた。


 それに当然陽介は反発してお役御免のジョウロを春子に突き付ける。その間に永華の横をドキドキしながら通ったのは言うまでも無い。


「んー指導は永華ちゃんに任せてるからしらなーい。続きはそちらの恋する乙女に聞いてちょうだい」

「お、お母さん! それどう言う意味! 私は別に恋なんてしてない」

「へー、あんな乙女チックな顔しときながら良く言うわよねー、お隣の同じ表情してた陽介くんに聞いてみればー?」

「だ、だから俺は――」

「おとっ、そんな事ないもん! 取り消してよお母さん――」


 相変わらず大人気ない春子が二人への温かい愛情を胸に秘めてそれでもって茶化す。それを単なる狂言だと思っている陽介と永華は、店内に戻る子供染みた口調の春子を追い掛ける。


 簡単に言うと陽介はちゃんとフラワーショップ春風に馴染んでいるって事だ。人間としてもアルバイトとしてもまだまだ未熟だが、春風唯一の大人の女性である春子はそんな若輩者の陽介をなんだかんだで気に入っていた。未完成な男の子が立派な男性になる事を期待してるのだ。


 彼が我が子の未完の部分も補える事を祈りつつ、お互いの「貴方を意識しています」恋電波を隠してそれを否定する二人を親心から嫌らしい言動で茶化し続けるのであった。


 七月十七日。


 それは翌日も続いていた。


「さ、今日も二人は特に仲良くお仕事してね」


 朝早くから仕入れや注文票を整理していた春子は眠気眼の陽介と低血圧の永華とは比にならない程に、テンションが高くアサガオの様に営業時間から満開の笑みであった。


「まだ言ってるの?」

「もういいですよ」


 それに同じ口調で言い返す二人を見て更に春子は「むふふ」と不敵に笑った。


「その調子でお客さんを迎えてね」

「はい」


 春風一番の不安要素が店長の期待に答えられるか確信はないが、隣に咲く向日葵が無言で頷いたので出来そうな気がしている。


「あの、贈り物をしたいんですが」

「あ、おはようございます」

「お、おおはようございますう!」


 そして見事に出来たのだ。本日最初のお客は十代の女の子で永華が先に挨拶すると遅れて陽介もぎこちなく頭を下げる。


 取り合えず一安心。陽介はまだ挨拶しかお客相手に仕事が出来ないので、永華と春子が代わりにお客の要望を聞いている間に、陽介は手元の鉢に害虫がいたのでそれを駆除しに掛る。


「ありがとうございました! またお越し下さい」

「……あ、ありがとうございますっ~」


 お客の出入りの度に陽介は震える脚を叩き乾き切る口に円滑油代わりの唾液を縛り出し己の怯える心を奮い立たせた。


 その結果、初見のお客は挙動不審の陽介を別段気にも留めなかったが、長らくの常連はそうともいかず、


「あら? 貴方はだれ?」とか。

「お花に興味あるの?」とか。

「永華ちゃんと働けて羨ましいなー」など。ゴシプ記者が昨日熱愛現場をスクープされたアイドルを質問責めする勢いで、苦手な接客で生命力を著しく消耗して弱る陽介に言葉を掛け続ける。


 それに対し過剰に唾液を飲み込み逆に気持ち悪くなり虫の息の陽介は、


「あ、ここの度、は、春風でああ、アルバイトとする事になっちゃ、陽介です」


 昨日からもしもの時の為に考えていた台詞を豪快に噛んだり、


「あ、ええーっと……はい」緊張してど忘れしたので愛想笑いで答えたり、

「はい」と、返せるところは何とか返事をして少しずつでもぎこちない笑みを上方修正した。

「うんうん、良い感じだね」

「あら、嬉しそうね? やっぱり気になるんだね?」

「べべべ、別に後輩店員さんが成長してるのを喜ぶのは普通だよーだ!」


 そんな陽介がまだまだ甘いが世間話までなんとか出来ているのを後ろでおっかなビックリに見守っていた二人がまたじゃれ合う。


「ちょ、ちょっと! 二人ともお客さんがプレゼントの花を選んで欲しんだそうですよ?」

「はいはーい、斎藤くんお疲れさま」


 そこに接客モードの限界を迎えた陽介が駆け寄って来たので、膨れっ面の永華を残し春子は上機嫌で切り花コーナを右往左往する女性の下へスキップで向かったのである。


「顔赤いよ? どうしたの?」

「別にーなんでもないよ」

「えー? なんか変だよ? 教えてよ」


 接客を代わった事により気楽になった陽介がまさか自分の話題で彼女が膨れているとは知らず無駄に話し掛ける。


「教えなーい。ほら、お仕事はまだまだあるんだよ? 無駄話をしてる暇はないよ――」


 と、永華はジョウロで陽介の胸を小突くと先輩店員として接客以外の大事な花の手入れと言う作業を始めに店内を周る。


「なんでよ二人でなに話してたの――」


 その後を追うべく陽介もジョウロと軍手を準備して一番好きな作業へと向かっていく。


「いろいろありがとうございました、また来ます。あ、陽介さんまたね」


 各自自由に作業を進め賑やかな店内で永華と押し問答を続ける陽介にそう声を掛けるお客が、初めて陽介がまともに接客出来た女性になる。


「またのお越しお待ちしております」


 挙動不審。対人恐怖症。その男が少しずつ変わっている。視覚に悪い黄色いエプロン姿が少しずつさまになりキチンとお辞儀をする陽介を、近くでポットの土に生えた雑草を摘む永華が安堵と心地良い正体不明の気持ちを抱えながら見上げていた。


 七月二十五日。


 これと言った失敗もなく。陽介が春風でバイトを始めて一週間が経過し従業員には嬉しい定休日前日の火曜日、本日も二人は肩を並べ作業をしていた。


「こっち終わったよ?」

「え、早いね? 悪い虫さんの退治も?」

「うん、ばっちりだよ」


 通路で背中を迎え合わせ作業を進めていた二人。最初に作業を終えたのは陽介だった。


 それに永華もカウンターで贈呈用の花をレインアウトしている春子も、まさか陽介が先に終わるなど予想もしていなかったので、二人は疑いの眼差しで花達のチェックをする。それを自信満々な表情で終わるのを陽介は待つ。


「へーやれば出来るじゃん! 永華ちゃんなんて青虫見つけただけで大騒ぎしてたのよ?」

「むーそれは言わないでよ! グニャグニャは苦手なんだもん……これくらい出来て当然……。でも、頑張ってるんだね? 偉いぞようちゃん!」


 そんな誇らしげな田舎っ子を絶賛する春子の隣で永華が悔しそうに頬を膨らますが、出会った当初には感じなかった頼もしさに体を弾ませる。


 害虫と言ってもただの昆虫である。山と田園に囲まれて育った陽介にとって米粒程度のアブラムシやその他害虫など他愛もない相手なのだ。


 これくらいしかまだ出来ない陽介だが、二人に褒められて調子に乗る。苦手な接客もこなせる様になった事が変な自信を持たせてしまった。


「じゃあ、次は新しい仕事教えて下さいよ!」


 止せば良いモノを永華に褒められ有頂天になる陽介は手袋を外し春子が作っていた花束が乗るカウンターを見るのだ。


「え、んー陽介くんにはまだ早いと思うわよ? お客さんの好みとか聞きながらやらないとイケないし、何より責任が伴う作業よ?」


 その視線に気が付いた春子は眉を歪め困り顔。永華のマネをして唇を尖らせている。


「私は良いと思うよ? いつかは教えて上げる事だし、何よりあのようちゃんがやる気に満ちてるんだよ? 私が教えるから良いよね?」


 人見知りが激しい。自己主張皆無。手芸経験ももちろんない。でも、覚え込みは何故か良い。そんな陽介が自ら進んで仕事を覚えようとしているので、一週間共に働いてきた永華が注文票と材料を指差す。


「んー陽介くんの事は永華ちゃんに任せてるからね――良いわよ! 陽介くんやってみなさい」

「はい」

「よかったね、これでまた成長だよ」

「うん、ありがとう」


 陽介の真剣な眼差しと愛娘のお願いとなっては拒む事は出来ず、春子は拭い切れない不安を隠し二人に造花や花束を作成する作業台を譲った。


 まさか花屋の仕事で一番難しい業務がここだと言う事を陽介はまだ知らない。


 ここに来ていよいよ天空の水面に陰りが出て来た。希望の空に歪な入道雲が湧き出る。ついに訪れた不安定な気象状況。それは陽介の運命と同じでもあったのだ。


 けれども、好きな子と四六時中一緒にいれたのだ。少しの障害など屁でもないと自負している。ちょっと位辛い目に合う方が恋も楽しいってものだ。


 自分がプレシャーに弱い事を浮かれて忘れる陽介は、安易な気持ちで作業台の前に立つ。

 生温かい風が店内に吹き黒雲が天を突き刺す。遠くでは一足先に豪雨が起きている。

 それはまるで陽介の運命を現す様で、澄んだ群青とくすんだ灰色とが分れる空模様の下、陽介は慣れない手付きで何種類ものリボンや小型のカゴを手にお見舞様の花束の作製を始めたのであった。


「違う違う! この切りこみは取っ手に潜らせるの」

「あ、ごめん」


 地味な作業ではなく、もっよ派手な仕事をしたいと言い出したのは陽介自身である。花屋と言えば花束・アレンジ制作と思いせっかくやるならこの仕事がしたい。それが本意だった。

しかし、調子に乗り手を出してみたものの、想像以上に頭を使い手先を使う作業ばかりで開始三十分で挫折しかけている。


「あ、もっと丁寧に扱ってよ、お花さん達も生きてるんだよ? 雑な扱いしないで!」

「……はい」


 それで、永華は永華で妥協を許さない性分らしく見様見真似で作業する陽介を本気で叱る。

いつもの笑みなどある訳がないので、新人アルバイトは自信を消失して行く。


「はい、今日はここまで。陽介くん外回りお願いするわね」


 あまりに不器用で手際の悪い陽介に鬼教官が手を出す前に、先に仕上げて置いた立派な結婚式用のブーケが入った箱を春子が肩を落とす陽介に渡した。


「はい……」

「いきなり出来たら私も苦労しなかったわよ。さ、元気出して営業してきなさい」


 その一から作ったとは思えないブーケを預かりお届け先の住所が書かれたメモを持った陽介は、俺にはやっぱりこれしか出来ないんだな……情けない。と、呟き作業を止めてこちらを心配そうに見る永華を避ける様に歩き出す。


「私変な事したかな?」

「いいえ、あれくらい普通よ。ただ、あの陽介くんには厳しかったのかも」

「早く上達してもらいたいだけなのに……ここにきたようちゃんなら大丈夫だよ」

「彼にもいろいろあるのよ、永華と同じ他人には簡単に話せない、なかなかふっ切れない過去がね」


 しょんぼりと萎む頼りない背を見送る二人。


「それが変わりたい理由……なの?」


 永華がそう言ったが春子はあえて答えなかった。それは自分達が勝手に決める事ではないし、何より永華自身がそれを聞き出せる様になって欲しいと思っているから。


 だからこそ、残された材料を集めまた一人せっせとアレンジの花束を永華よりも素早く丁寧な手際で作り始めた。


「ようちゃん、まだ頑張れるよね?」


 自分には分らない葛藤を胸に秘める陽介を心配する永華は、初めて対等に接してくれる彼が、願いを叶え自分が大好きな向日葵の様に咲くのを切に願った。そして、もし良かったら自分と同じ他人には安易に出来ない話を自分にはして欲しいとも思った。


「さあどうだろ。もし戻ってきたらこれをやらせて上げて」

「あれ、これおばあちゃんのだよね?」


 注文票から次の注文品に必要な材料を使ったアレンジを発見した永華が無表情の春子に注文票を差し出す。


「そうよ。孫の成長の助けになる様にわざわざ注文して下さったのよ。陽介くんがあれでもまだやる気持ち残ってるなら人としていや、男の子として信じてみるわ」

「男の子として信じる? ようちゃんなら大丈夫だよ!」


 眼だけ注文票に向けた春子が意味深な発言をする。その意味が分らない永華が無邪気に声を張る。


「その子達の水もそろそろ代える時間よ」


 しかし、まだ心のどこかで陽介を信じ切れていない春子はその陽介を試す事にした。脳裏には去年参列した葬儀での風景が蘇っている。


 ――彼を試す。それは例え愛娘でも教えられる事ではないので、花のカッティングをしながら鋏でカウンター前をぶっきら棒に差すのである。


「あ、はーい――」


 そうして春子が珍しく笑みをなくしたのを疑問に思った永華だが、作業に戻るしかない。


 陽介が宅配を担当する様になって二人の仕事は減ったものの、不安は何時まで経っても拭えず春子はレジの隅に置かれた電話を気にしながらリボンを取り出し可愛く結んだ。


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