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彼岸花  作者: 神寺 雅文
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第一章 大輪の花3

 フラワーショップ春風。ベットタウンで名高いこの住宅街の一角にひっそりと佇むその店は、小さいなりに沢山の鮮やかな花を店内一杯に咲かせ、灰色の人工物に囲まれたその世界で異色の存在感を出している。


 そんな色とり取りの花と香りが漂う店内に一つの陽炎が掛け込んだ。紫外線で痛んだ頭髪は汗でべた付き、前髪から水滴が数滴垂れている。全身を黒で統一した愚かさが、周囲とのコントラストで更に強まる。


 瞬間的に自分が場違いだと察して引き返そうとしたその陽炎――陽介だが、名前も知らない花にサイドを鮮やかに飾らせる通路の奥で花束を制作している店員に声を掛けられてしまった。


「あらお客さん? どんなお花をお探しですか?」


 あの子よりは年上だと思うが、どこか同じ空気を漂わせている女性が水色のエプロンで手を拭きながらおろおろとする陽介ににこやかに近付いてくる。


「ええ……ああ……」

「この時期の物なら何でもありますよ」


 しなやかな指が出番を待つ花達に向けられる。それをおろおろとする陽介も視線だけで追うと一週間前から忘れられない花が静かに窓辺で咲いているのに気が付く。


「あ、あの!」


 一輪の向日葵が闇を切り裂き凛と花弁を張り咲いた。それに合わせて胸の中が熱くなり彼女への想いが心中で一つの形になった。だから陽介は意を決して踏み止まり頭を下げた。


「僕をここで働かせて下さい!」

「え? あ、それは」

「花とか全然分りませんが、ここで働き自分を変えたいんです! どんな事でも覚えますので、だからここで働かせて下さい!」


 そんな陽介の一世一代の懇願で困惑する女性が口を閉じ自分に向けられたつむじを見つめる。


「どうしましょう」

「もう逃げるのは嫌なんです! 自分の弱さから目を背け現実逃避する生活はもう懲り懲りなんです……」


 ――またダメなのか。陽介の拳から力が抜け始める。


「私は良いと思うよお母さん。ちょうど男の人の手を借りたかったとこだしね」


 しかし、答えを決めあぐねていた店長らしい女性の背後から、あの子が顔を出すと震える後頭部に優しく笑い掛けた。


「んー、永華ちゃんが良いなら私も良いわよ」

「店長はお母さんでしょ」

「看板娘の方が偉いのよ」

「なにそれー」


 声も雰囲気も似る二人が状況を読めずにまだ俯く頭の前でのん気に笑い合う。その頭ががどれほど結果を恐れているかなんて知らずに凛と笑みの花を咲かせるお二人さん。 


 ――これは採用するって事で良いのか、と考えていると


「変われると良いね? 名無しの権兵さん? これからよろしくお願いします」

「あ、斎藤陽介と言います」

「あー! あ、貴方この間の切符さんじゃないですか!」


 そこで漸く陽介の気持ちに応えてくれた永華と呼ばれるあの女性に、自己紹介を要求されたので陽介も景気良く無理して利発そうに挨拶を済ませようとしたら、思いのほか近い彼女の顔が更に鮮やかに咲き誇った。大げさにも可愛く手を合わせて「この間の人だー」と懐かしそうにする。


「え、ああー貴女はあの時の向日葵さんではないですか」


 それにあたかも今思い出しましたって言動を返す。これは偶然であるって白々しくも「お久しぶりです」って付け加える斎藤陽介。


「そうですよ。また、会えるなんて思ってもいなかった」

「俺だってまさかまた会えるなんって思ってもなかったよ」

「あれれ、お母さんにも分る様に説明してよー、むー」


 陽介が自分を追ってここに来た事を知らない永華もあの日を覚えていた様で、その表情に満面の向日葵が咲き誇る。


 それを陽介も喜び二人は自分たちの再会を祝す様に会話をするのだが、その二人の会話に理解が追いつかない店長もとい永華の母が、気の抜けた声でふて腐れ二人の手を握り頬を膨らませる。


「【ようちゃん】とはこの前に初めて駅でお話したんだよね、」

「う、うん……。俺が切符を探していたら助けてくれたんです」


 永華の「ようちゃん」発言にそのようちゃんの心臓が跳ね上がった。自分の隣にあの子がいるだけでも昇天しても良いのに、なんて親近感の湧く呼び方をしてくれるんだ。祖母の初枝も同じ呼び名を使うが全く違う響きで脳内で何回も再生される。それに陽介は浮かれに浮かれて口角を釣り上げる。


「ほうほうにゃる程ねー。で、斉藤くんって意外と積極的なんだね」

「へ、どう言う意味ですか?」

「んー外見に似合わず猪突猛進型って事かな。わざわざここまでくるなんてオラオラ系だー」


 と、悪戯っ子っぽく永華の母が微笑むのだが、あるちょっぴり切ない出来事を思い出していた。

 ここから五分も掛からない近所に住む、五年前から馴染みのある老夫婦が、旦那の名前から一字取った愛称で孫を呼んでいたのを聞いた覚えがある。それにその老夫婦が運命を覆して死別を迎えた時季に、名前とは裏腹に涙色一色に染まる斎場の隅で、物陰に親族でありながらずと隠れやっと出て来たと思ったら尻餅をついて泣きだしそうな顔をした少年をも娘が陽介を呼ぶ愛称で何故か思い出したのだ。


 ――あの子はどうなったのかな。


 あれから一度も見ない少年と今回急に現れた斉藤洋介と名乗る青年が、この童顔な母親にはどうにも重なるものがあるらしい。そして、そんな青年が永華を追ってここに来たのはそれが好意を抱いているからだと見抜いてみせた。


「オラオラ……」


 そうとは知らない陽介は苦笑いをし、母親の歳を感じさせない口調に永華はいつものその母親譲りの笑みをしてそれを見ていた。 


 こうして陽介は彼女との再会を果たして、しかもその彼女の母親が経営する春風にアルバイトとして加われた。


 季節は心躍る真夏。猛暑が大地を支配し天は歪な侵略者を辛うじて迎撃出来ていた。

 陽介の上京は見事に成功したのだ。これでもかって程の快心のスタートである。細やかではあるが、想い人が隣にいる喜びを、今は噛み締めさせても罰は当たらないだろう。

 自分を変える大変さを知るまで、入道雲が空を覆い尽くすまで、陽介は全力で生きて行く。


「いよいよ夏本番だねおじいさん」


 孫がそんな好スタートを切った事をまだ知らない初枝が、真っ青な空を眺め太陽の光に目を細めると額の汗を拭い何かを悟った表情をして、またいつもの様に笑った。

           

「それじゃ、自己紹介をしましょうかしらね」

「うん」


 ついに念願の都内でのアルバイト。しかも自分が今一番想いを寄せている女の子と一緒である。それだけでも、否、これだけ好条件が揃うとは予想もしていなかった陽介は、目の前の向日葵と菫の様な笑顔を見つめ、これでもかってほどにやけている。花屋だけあって良い匂いもするし、水を扱っているから意外と涼しい。マイナスイオンが出ていても可笑しくないほどにこの空間は癒しで溢れている。


「私はこのお店の店長さんでこの子のお母さんの春風春子です」

「え、ええええお母さん? お姉さんじゃないんですか?」


 お笑い芸人も顔負けなリアクションを陽介がする。確かに今までの話の節々でそんな事を言ってはいたが、まさか冗談ではなくどや顔で公言されるとは思ってもいなかった。


 その隣で娘が「お姉さんは大袈裟だよ」とハニカンでいるから、尚更素直に驚愕する若さと美貌だ。あと、口調もどこか幼いと言うか天然というか――。結局は、どこか母親らしくないおっとりキャラが憎めないって事を、陽介は言いたいのだ。


「じゃあ次は、実の母と同年代に見られてショックを受けてる今年【念願】の二十歳を迎える永華ちゃんが自己紹介します」

「あ、そういう意味で言ったんじゃないよ! って、俺も来月で二十歳だよ!」

「別に良いですよ、確かにお母さん若いもん。痩せてるだけの私なんてもやし同然だよ」

「え、とー違うって」

「何が違うの? 母親と姉妹に見られる気持ちようちゃんには分らないよ!」


 突然拗ね出した永華が頬を膨らませ腕組みをする。そんな可愛い仕草をする彼女が言った歳を陽介が言及しようとしても、永華はそっぽを向いて追撃を許さないご様子。


 清楚で優雅な印象がある彼女がこんな子供染みた態度を取るなど、当然予期していなかった陽介は己の全神経、全知識をかき集め永華のご機嫌取りに打って出た。


「どんな花よりも君は美しいよ! ホントだ!」どこかで聞いた事あるフレーズを真剣に言う。

「じゃあ、どの花より? さっき知識ないって自分で言ってたじゃん。嘘は良くない」

「う、君のその白魚の様に白く輝く細い指と、その星屑を散りばめた瞳はこの世のどんな美人さんでも敵わないよ!」今度は夜景スポットで聞けそうな陳腐な寒い台詞を身ぶり手振りで。


「ふん、指なんて褒められても嬉しくないもん、仕事してない怠け者の指って言いたいの? この目はお母さん譲りです、お母さんを口説きたいならどうぞご自由に」


 ああ言えばこう言うとはこの事だ。母親を口説けなんてその旦那が聞いたらなんと言うか。いくら陽介が女性が言われて喜びそうな事を言っても、当の本人は色素の薄い唇を突き出し屁理屈を言う。陽介のチョイスも悪すぎるのだが、経験がないのでドラマや映画を思い出しあくまでも想像で発言するしかないのでここは許してやって欲しい。


「………」


 結局、それが五往復したところで、とうとう陽介は言葉のストックをなくした。ここに来た本当の理由を言えば簡単に済みそうな気もするのだが、そんな勇気のいる行動を今の陽介にはまだ出来ないでいた。

 ――くそ、どうしてもっと気の効いた事が言えないんだ。彼女は本気で傷付いているんだぞ。俺は、俺はまた卑怯で意気地なしの自分を守る為に他人を傷付けるのか? 陽介の心中でぐるぐると渦を巻き嫌な記憶が蘇ろうとしていた。


 少し思い過ぎの気がしなくもないが、人間関係を築くのが下手な彼にとっては想い人の機嫌を損ねた事は重大な問題で、心底に何重にも南京錠で固めた扉に封印したトラウマを呼び起こす事は簡単だった。


「ふふっ、ごめんね。怒ってないよ? ――、ようちゃん?」

「……」

「――、斎藤くん?」


 今度は陽介の様子が可笑しくなり店内に不穏な空気が流れる。それに顔を見合わせる二人。そして春子がその空気でハッとまた何かを思い出した表情をする。


「からかっただけだよ、ほら良くあるじゃん新人さんと親睦を深めある為にドッキリを仕掛ける事って」


 永華が真っ赤な舌先をチョロッと出しておどける。しかし、肩で息をする陽介はそれどころではなく。自分の中の粘り気が高い闇を押さえ込むのに必死だった。


 そこに「もう、どうしたのよ。ふう〜斎藤くーん私だけを見て」と、訳の分らない発作に苦しむ陽介の耳に春子――三十六歳が吐息攻撃と甘噛みをした。

 

「……どわああああああああ」


 それに数秒気が付かなかった陽介だったが、「ハムハム」と耳元から嬌声が聞えてきて貧相な耳たぶの感覚もドンドン快楽に変わったので、心に纏わりつく闇よりも現実の快感が勝り漸く自分の耳タブが春子に噛まれているのに気が付きまた芸人芸を披露した。


「どうかしたの? また、怖い顔してたよ?」

「永華ちゃんはこう見えても悪戯っ子だから気をつけてね」

「いえ……、俺こんなんだから人付き合い慣れてないんです……すみません……」


 ――また? 俺は駅でもこんな顔してたのか? 


 ちょうど花が置かれていないスペースに座り込んだ新アルバイト君に対して永華は、視線を合わせる為にしゃがみ込み小首を傾ぐ。その隣で愛娘に負けずケッタクのない笑みがフォローを入れる。

 それに反した陽介の表情は根暗そのもので、しかも言葉には妙な信憑性があるので二人は困った表情をして顔を見合わせてしまった。


 この三人の様子を見る限り、育った環境の違いが外見、態度、言動だけで大きく出てしまっている。何処をどう見ても、陽介にはここは不釣り合いな場所であった。


 それは地べたに崩れ落ち座り込む陽介自身が一番分っているが、暗い狭い部屋で些細な事にさえ恐怖を感じ怯え布団に包まる自分の姿を思い出したら、目の前で自分を心配する無垢な向日葵と自分をトラウマの渦から偶然にも救ってくれた菫を手放したくなく無理に笑って立ち上がってみせた。


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