最終章 彼岸花
最終章 彼岸花
七月十九日。
その翌日。二人は総一郎記念園と書かれた看板が立つ河川敷に来ていた。昨日と同じ様に陽介は自転車をギコギコ漕ぎ永華はその後ろで気持ち良さそうに揺られていた。文章で書くと何の変わり映えもない。
しかし、そんな二人にも少し変わったところがある。
陽介は喪服を脱ぎ棄て幸せ色と評される昨日届いたお気に入りのポロシャツを着て下はカーキ色のジーパン生地の半ズボンを履いている。
永華は永華でガントレットをシッカリ着用し同じく昨日新調した帽子を被り更にお嬢様感を強めた。
「パパ、ありがとうございます。貴方のお陰でようちゃんに会えました」
亡くなっても娘の側に寄り添い続けた総一郎は、この花で溢れる河川敷で今でも住民を笑顔にしている。
芝により青々とする土手を降り二人は向日葵を花壇の前に置き永華は一度手を合わせ一礼すると鮮やかに咲いた。
「パパ、私もうちょっとだけ生きてみるね? もう諦めたりしない。だってようちゃんの隣でもっと笑っていたいんだもん」
「永華……」
「だから、私頑張るね!」
一度は諦めた未来をもう一度歩む事を決めた永華は、もう一人ではない。灼熱の大地で、一人で孤高に咲く向日葵ではないのだ。どんなに惨めなで矮小なまだ芽吹かない種であろうと、今は陽介が隣で支えてくれている。
不思議な力が湧き出て注射の傷が無数に残る腕に力が入る。
それを合図に永華は向日葵を窮屈な鉢から取り出そうとするので、陽介がそれをサポートする。
「パパが寂しくない様に、もう一人の私をここに残すからよろしくね」
等間隔に並ぶ花の隅に、広くスペースが取られた土壌があり、そこに二人が大輪の向日葵を植える。初の共同作業が店内の窮屈な窓辺で咲いていた向日葵を本来のあるべき場所に返す事だった。
「これでこの子も自分らしく生きられるね」
「うん、きっと永華と同じ笑顔でみんなを元気にするよ」
その二人の側を流れるのは都会の澱んだ河川のはずが、今回だけはせせらぐ様に流れ土手を飾る無限に広がる花達は来た人々を少しの間暑さから解放している。それが春風夫婦の行なってきた取り組みである。
「これで良かったんだよね? パパも応援してくれるよね?」
「大丈夫だよ、永華のパパならきっと応援してくれる」
辛い闘病生活が始まり長い年月を誰とも歩めなかった。だから、永華は今一番幸せである。それが陽介にちゃんと伝わりいつの日か自分もパパやママの様になるんだ。そんな夢さえ持てるようになった。
「それじゃいくよ」
「うん」
二人は簡単な水やりを済ませると春子を一人残した春風に戻る為、パステルカラーの目に悪いママチャリを長い長い道のりを走らせる。それはまだ始まったばかりの二人の道がどこまでも伸びている様であった。
「いらっしゃいませ~」
「今日もホント暑いですね」
ある日、突拍子もなく変われた理由は、彼女と付き合いだしたから。
高校時代に誰かがそう言っていた事を陽介は思い出していた。
異性と好き合えば世界は百八十度変わると。教室の中心で豪語する日向者を陽介は遠い目で見てバカにしていた事がある。
そんな簡単に人が変われたら誰も苦労しないだろ。その時はそう思って陰で小鼻を鳴らした。
しかし、そう陰でバカにしていた男が今まさに人が変わった様にきっかけをくれた彼女の隣で見知らぬ女性に声を掛けているのだ。
「ホントよねー参っちゃうわよ」
「中は涼しいんでどうぞ」
ブランド物のセカンドバックを小脇にマダムが大口を開き手で首筋を仰ぐ。
――心の支えがあるだけで人間ってここまで変われるんだ。
陽介はマダムを店の中に案内して後は春子にバトンタッチである。
「急に様になって来たじゃん? 何かあったの?」
「知ってるくせに。永華って可愛い彼女が出来たからテンション上がってるんだよ」
「そっか」
バカップルこの上ない。花屋の店先でジョウロの水を仲良く二人で振り撒きながら、ついでに溢れだす愛を周囲にばら撒く。そこだけ違う意味で猛暑である。
「おやまーウメさん、今時の若者は節度を知らんのかね?」
「ホント、お盛んな事だねー」
それにも関わらず老婆が二人、わざわざそう言いながらジョウロで虹を作る二人に近寄って行くではないか。
「あ、ばあちゃん」
「こんにちはー今日はどうしたの?」
それに先に気が付いたのは陽介で、まずいところを見られたと眉間を寄せる。その脇の永華に至っては普通の笑顔で怪しくほくそ笑む初枝とウメに手を振っている。
「冷やかしにきたんだよ? ここだけ常夏って聞いたからのーウメさん?」
「そうじゃねーやっぱりここだけ南の島ですねー」
「ばーちゃん!」
息子、娘同然の二人をお祝いしに来た。と素直に言えない老婆コンビ。昨日一通り初枝に祝ってもらった陽介には、真夏の日差しの中をこの二人が歩いてきたのを見て嫌な予感がしていた。
「おめでとう、本当におめでとう。こいつは情けない男だけど、どうかよろしく頼むよ」
「めでたい、本当にめでたい……。陽介さんや、永華ちゃんをよろしく頼むよ? あんたを男と見込んでお願いするからね」
ところが、予感は外れ二つの白髪頭がユックリとアスファルトと向かい合ったのだ。そのまさかの祝福に面食らい唖然とする二人に深々と礼をし続ける。
「どうしたの二人とも? 大袈裟だよー」
「大袈裟なモンがあるかい」
そこでウメは双眸に涙を溜め頭を上げた。それに初枝も合わせ何時にもなく真剣で状況が分からず呑気に開口する陽介を低い位置から見上げている。
横沢ウメにとって永華は娘同然である。早くに夫に先立たれ息子三人もとうの昔に自立して、ウメが還暦を迎える頃には孤独の二文字が脳裏を過る様になっていた。
お盆や正月の短い期間しか顔を見せに来ない息子やその家族より、近所と言うだけの極わずかな接点しかなかった春風さんとこの病弱娘が、道で会うだけの萎れた老婆に毎回明るく声を掛けたのが、五年前が最初であった。配達の用事で週に何回も横沢邸の前を通る事を聞いたウメは、日に日にその姿を軒先でまだか、まだかと待つ様になり今日までの関係を築いた。
「こんな老い先短い老婆を毎日気に掛けてくれる愛娘に、最愛の人が出来たと聞いたらいてもたってもいられないよ……? この子を頼んだよ? 陽介さん」
孤独で終わるはずだった老婆の五年間で、何を思い過ごして来たか。それはウメにしか分からない事だが、初枝と違い見た目通りの哀愁漂う老婆のその表情を見ると、勝手に愛娘と思い込んでいる永華を本当に大切に思っているのが伝わってくる。
「はい、二人で病気と立ち向かいます。ばあちゃん達の様に青春を謳歌してみます」
小さな小さなウメばあさんの泣き顔が切に願っているのであれば、まだまだ子供の陽介でも心の底から勇気が湧き隣の永華と共に病魔と闘う決心が出来た。
「老婆は素直じゃないから、一回しか言わないから肝に銘じるんだよ?」
「永華ちゃん……」
「……ウメおばあちゃん」
初枝の言葉を合図に二人は去ろう踵を返そうとしたが、その途中でウメは涙を堪え切らなくなり既に泣きだしていた永華の手を握りそのまま泣きだした。普段は厳しい躾とも思える言動とそれでも愛情が溢れ出てるウメのそんな姿をみた永華はウメの涙で濡れる手に自分も額を近付け本当に仲良くそれこそ親子の様に咽び泣いた。
「あんまり浮かれて周囲に迷惑かけるんじゃないよ? はしたない事も、不埒な事もだよ?」
そう改めて釘を打ったウメの目尻にも頬にも涙がなくなると、無数のシワが蠢きひしめき合い遠ざかった。
その風体からして素直に喜べないウメを初枝がここまで連れて来た事は容易に想像付くので、陽介は遠ざかる二つの小さな背中を見送りつつ思った。
「俺たちは一人じゃないんだ、頑張ろう」
「うん、もう弱音吐いたりしないで頑張るね」
大好きな彼女がいる。信頼できる大人達がいる。遠ざかる二つの背と、店内で二人が物想いにふけているせいで、せっせと一人で業務を切り盛りするはめになった寛大な包容力を持った春子がいる。
そう思うと今まで感じた事のない感情が全身を駆け巡る。それは永華も同じであり、二人のまだ細い糸の様な絆が少しずつ太く強固に結ばれ未来を明るく照らし出した。
「え、明日お祭りなの?」
「知らなかったの? 私はてっきり一緒に行く予定立ててると思ってたのに」
あれ以来と言ってもまだ二日しか経っていないが二人は作業台でアレンジの作業をしている。横で額に汗を溜め作業する陽介の隣で膨れる永華が言うお祭りとは回覧板で既に予告されている納涼祭の事であり、陽介ももちろん知っていて当然の行事である。
それは何故ならウメが持ってきたあの回覧板こそがそれの宣伝媒体でありそれを斎藤家に託したのは永華自身であるのだから。
が、陽介はあいにくそれを見ていないのであるから素直に口をアングリさせる。覚えているのはあのばあちゃんマジこえー、味噌汁の海は泳ぎたくないだけであった。
「もちろん行くよ! 行くに決まってるじゃん!」
「ホントに?」
「ホントのホント! 折角買ったあの服も永華に見て貰いたいもん」
「やったー! ようちゃんとまたデートだー」
明日の正しい過ごし方。初枝と二人で家の掃除がワンセット。永華と二人でウキウキなデートがワンセット。本来なら後者のセットメニューなど有り得ない身分が、気が付いたら夏の思い出にお祭りと言う一夏のアバンチュールに持ってこいのイベントを選択できるようになっている。
本人もこの俺が、こんな可愛い彼女と羽目を外し騒ぎまくれるお祭りに一緒に行ける!――
「頑張ろう!」と意味不明なガッツポーズをする。
祭りへの間違った認識で鼻の下を伸ばすバカな彼氏に対し
「大袈裟だよ? 今は安定してるかダイジョーヴイ!」
どこまでも純粋な彼女は袖からのぞく二の腕が変態の視線に犯されているとも知らずピースサインを作り変態の鼻先にそれをくっ付けた。
――おお。
しかし、そんな息を呑む陽介に嫌味に近い渇が飛来した。
「それまでにお仕事片付くかなー? たくさんあるよー? 心配だなー? 責任もって終わらせてくれるのかなー? まさか、店長を一人残して自分達だけ楽しい想いするのかなー?」
そんな愛ある嫌味を全部聞き終わる前に陽介の体は直立で作業台に向き直り、自発的に再開したアレンジをまた蔑ろには出来ないので気を引き締めて永華から教わった制作手順を踏む。
「頑張ろうね」
恋愛も、私の病気の事も、大切なアレンジ制作も。どれも全力で立ち向かおう。そう言う意味の励ましである。
「うん、折角のデートだからね」
しかし、陽介にそれは伝わらず、まだまだ春先の湖畔を泳ぐツガイになるには程遠いと永華は小さく笑った。
一昨日の一件がなかったかの様に心地良い空気が流れその中をワンピースの永華が慌ただしく右往左往と店内をそれでも楽しそうに動き回る。その姿の奥で春子が陽介に初枝からの注文品の制作を指導している。
その三人の風景が道行く住人の視線を何気なく集め、集客数が減る季節を迎えた春風を賑わせていた。
記念日となった日から異性との付き合うとはなんだろか。どうすれば上手くいくのだろうか。そればっかり陽介は考えていた。全部が初めてでどれをどうして良いのか分からない。これではアレンジを作っている時と変わらない。
一日、どんな時もそれを考えて仕事をしていた。自分に出来る事を考えその都度永華が喜ぶ事をしようと動いた。




