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凄まじい轟音と閃光、それは雷だった。
この時期にしては珍しい雷。いつの間にやら雨も降り出していたようだ。
アンナ先生の叫び声と呼応するかのように轟いた雷の音。
それは偶然だったと思う。
でも、今の豹変したおかしな様子を見ていると、アンナ先生によって引き起こされたという可能性も否定できないように思えた。
「ウグググルルルルグガアアアァァ!!!!!!」
突然、獣のような形相で叫び出す――というよりも、まるっきり獣のように咆哮し始めるアンナ先生。
「やっぱり……完全に、取り憑かれてますの!」
桜さんがなにかを確信したように叫ぶ。
言われるまでもなく、そうであろうことは想像に難くない状況だった。
「アンナ先生……!」
響姫が怯えながらも肩に手を乗せて落ち着かせようとする。
次の瞬間、
「きゃっ!」
先生はその手を思いっきり振り払った。
伸ばした爪が響姫の手の甲に赤い筋を残す。
「響姫、離れろ!」
友雪もさすがに危険だと判断したのだろう、響姫の体を抱きかかえるように引っ張り、アンナ先生のそばから退避させた。
「グルルルルルル……!」
アンナ先生は、本物の獣であるかのように、低いうなり声を響かせる。
「獣ではありません、悪霊ですの。幽霊は、恨みの念や妬みの念といった負の力が強すぎると、悪霊になってしまいます。そのとき自我は霊魂の奥底に押しやられて、獣みたいに本能のまま動く存在へと変貌してしまいますの!」
僕の心を読んだのだろうか、桜さんが説明を添えてくれた。
「それじゃあ、アンナ先生は悪霊になっちゃったの?」
「いいえ、取り憑かれているだけですの。でも、これ以上悪霊の力が大きくなったら、完全に取り込まれてしまう可能性もありますの!」
「それは……ヤバいってことだよね……。どうすれば……」
僕は焦りまくって頭がほとんど真っ白になった状態にありながらも、どうにか思案を巡らせる。
「そうだ! さっきの業者の人みたいに、0コンを使えば……!」
僕はポケットから0コンを取り出し、素早くストラップを装着した。
桜さんは、黙って僕の行動を見守っている。
言葉こそないものの、その熱い瞳は、頑張ってとささやいているかのように思えた。
「アンナ先生、今助けます!」
0コンをビシッと前方――うなり声を上げ続けているアンナ先生に向け、ぐっと力を込める。
手応えは……あまり感じられないような気がする……でも、やるしかない!
僕は0コンを握る手に、力だけでなく強い決意をも乗せて、一気に振り回した!
さっきはこれで、業者の人たちの口から、白いモヤモヤのようなものが吐き出され、正気に戻った。
だけど……。
「ウググググルルルルルグガアアアアァァァァッ!!!!!!」
ひときわ大きく咆哮を上げたかと思うと、アンナ先生は怒りを多分に含んだ目で睨みつけてくる。
目は赤く変色、口からはヨダレが垂れ流され、歯も牙のように伸びているその姿は、すでにアンナ先生とは呼べないほどにまで変貌を遂げていた。
「ダメだ! 0コン、全然効かない!」
「霊気が強すぎるんですの!」
そっか……。強すぎる相手には効かないなんて、ゲームとかでもよくあることだよね……。
0コンはもともとゲーム機のコントローラーだし、そういう部分も引きずっているのかもしれない。
さらに桜さんは、弱々しい声でこうつぶやいた。
「わたくしの力では、無理……」
「え?」
疑問符を飛ばしたそのとき、うなり声を響かせ続けるアンナ先生が、僕目がけて牙の生え揃った口を大きく開けると、鋭い爪の生えた両手を構えた。
「なんでもありませんの! とにかく今は、逃げるしかないと思いますの!」
「僕もそう思う! みんな、逃げるよ!」
「うん、わかってる!」
「戦略的撤退ってやつだな!」
そして僕たちは、アンナ先生が襲いかかってくる直前、職員室から飛び出した。
☆☆☆☆☆
考えてみたら、最初からおかしかったのだ。
職員室に、アンナ先生以外、誰もいなかったなんて。
獣のようになってしまったアンナ先生。
桜さんは、獣ではなく悪霊だと言っていた。
アンナ先生は悪霊に取り憑かれ、精神を支配されてしまったということなのだろう。
困惑する中、もっとおかしな状況が、職員室から逃げ出した僕たちの目に飛び込んでくる。
放課後になって結構な時間が経っているため、それほど大勢というわけではなかったものの、廊下の至るところで生徒たちが頭を押さえてうずくまっていた。
窓から外を見れば、校庭で部活動に勤しんでいた生徒たちもみんな、頭を抱えて地面に倒れ込んでいるようだった。
これはいったい、どうなっているのだろうか?
などと考えているような余裕は、僕たちにはなかった。
アンナ先生は、追ってきてはいない。
代わりに、なにやら無数の白い球体が、まるで意思のある生き物のように追いかけてきていた。
よく見れば、廊下に倒れている生徒たちの体にも、同じような白い球体が群がっている。
つまり、あの球体に追いつかれたら、僕たちもヤバいということだ。
廊下を走り抜ける僕たち。
曲がり角を折れたところで、下駄箱の先の廊下で、倒れた生徒のそばに白衣の女性が座り込み、声をかけている様子が見えた。
「ちょっと、あなたたち、大丈夫~?」
養護教諭の里中先生だ。
心配してくれているのだろうけど、やけに間延びした緊張感のない声を飛ばしてくる。
「里中先生、危険です! 逃げてください!」
僕はそう言いながらも、足を止めることなく廊下を走り続ける。
「あなたたち~、廊下を走ってはいけませんよ~? はうっ!?」
そんな僕たちの見ている前で、里中先生は廊下の奥側から湧き出てきた無数の白い球体に全身を包み込まれ、そしてその場に倒れてしまった。
「ああ、里中先生……!」
「今のわたくしたちでは、どうにもできませんの……」
苦々しい声を絞り出す桜さん。
僕も友雪も響姫も、歯をギリギリと噛みしめながら、ただ足を動かすことしかできなかった。
「ともかく、旧体育倉庫まで急ぎましょうですの! あの場所が一番、わたくしの力も強くなりますし、華子さんたち三人もいますから!」
黙って頷きを返し、上履きから靴に履き替える時間も惜しい僕たちは、下駄箱をそのまま駆け抜けると、一路、旧体育倉庫を目指した。
外は雨。
時おり、雷がゴロゴロと響き、厚く垂れ込めた真っ黒い雲に光の筋を描く。
雷まで鳴っている状況とはいえ、真夏の夕立とは違って、雨の降り方は梅雨時期らしく、しとしとじめじめ、といった様子。
傘を持っていない僕たちにとっては、豪雨でなくてよかったと思うべきだろう。
校庭まで出ると、部活動中だったと思われる生徒たちが倒れているのも視界に入ってきた。
どうやら、一度生徒に取り憑いた白い球体は、別の獲物を求めて襲いかかってきたりまではしないようだ。
僕たちの背後に見える白い球体の群れとは、随分と距離がついた気がする。
こうして必死に走り続けた僕たちは、どうにか球体に追いつかれることなく、幽霊ズの待つ部室の中へと逃げ帰ることに成功した。




