【最終回】エンドロール。まだ、そこにある記憶。
誠が口を開き、彼女の名を呼んだ。その瞬間、すべてが決まった。選ばれた彼女は微笑んでいた。嬉しそうに、でも同時に苦しそうで。瞳の奥は潤んでいた。その場にいた誰もが、拍手のように大げさに笑って。
「……しあわせになれよ」
なんてわざとらしく声をかけ、空気を軽くしようとしていた。
「じゃあね」
「またね」
別れの言葉は、驚くほどあっさりしていた。けれど人の流れが途切れ、ふたりだけが残ったとき。選ばれなかったふたりは、視線を合わせただけで、互いの胸の奥に同じものがこみ上げているとわかった。次の瞬間、彼女たちは抱き合っていた。そして、涙が止まらなくなった。覚悟していたはずなのに。わかっていた結末なのに。──それでも、涙は溢れてしまったのだ。
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それからもしばらくは交流は続いた。グループチャットは賑やかで、どうでもいい写真や益体もない話題で埋まった。誰かがカフェに誘えば、予定を合わせて集まった。笑って、からかって、またあの頃みたいに馬鹿みたいな話で夜が更けた。でも──少しずつ、その頻度は減っていった。仕事が忙しいとか、遠くに住むことになったとか、ただの言い訳を重ねながら。それぞれが大人になっていくにつれて、会わない時間の方が長くなった。今はもう、全員で集まることはなくなった。連絡すら、ほとんどしない。
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だけど、ふとしたときに思い出す。――あの季節のことを、今でも胸の奥に。放課後のカフェ。にぎやかな声。アイスコーヒーの氷が、グラスの中で小さく鳴った音。ふざけあって、笑い転げて、くだらないことで真剣になって。まるで、それが永遠に続くかのように。誰かがふざけ、誰かが照れて。その空気の中に「好き」がたくさん、こっそり混じっていた。あの頃の彼、彼女たちは、いろんな気持ちを抱えていた。嬉しさも、ちょっとした寂しさも、誰かを想う胸の痛みも。けれど、全部ぜんぶ、愛おしかった。眩しくて、笑ってしまうくらい、素敵だった。だから今も、ふとしたときに、あの声が聞こえる気がする。夜、旅館の畳の上で重なった笑い声とか。朝の光に包まれて見た寝顔とか。シャワーの音に紛れて聞こえた声とか。忘れられない場面は、ちゃんと今もここにある。記憶のなかで、色あせずに、呼吸している。ぜんぶ、ちゃんとここにある。まだ胸の奥で、やわらかく、灯っている。あのとき、たしかに、そこにいた。何気ない仕草も、まなざしも、ずっと忘れずに残っている。
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七海の部屋には、深い夜の静けさが満ちていた。窓の外では、街の灯りがぼんやりとにじんでいる。その明かりが白いカーテン越しに揺れ、部屋の片隅に柔らかな影を落としていた。飲みかけのマグカップが二つ。ソファの脇には飛鳥のジャケット。ローテーブルの下には、昨夜のままの小さな毛布が丸められている。生活の断片が、自然に混ざり合っていた。テーブルの上に置かれたタブレット。飛鳥はそれを手に取り、ゆっくりと画面をスクロールしていく。指先が止まり、小さく鼻を鳴らした。
「……悪くないね」
ぶっきらぼうな声音だったが、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。テーブルを挟んで向かいのソファに座る七海が、頬をわずかに赤らめて目を伏せた。それでも、どこか誇らしげな表情だった。
「……ありがとうございます。ちょっと恥ずかしいですけど、嬉しいです」
飛鳥はタブレットから視線を離さないまま、ぽつりとつぶやいた。
「……七海って、やっぱりこういうの、上手いんだね」
「ふふっ。……みなさんのことが、大切だから。自然に書けたんだと思います」
七海の声は静かだった。けれどその言葉の奥には、熱を含んだ光が宿っていた。飛鳥は、すこしの間だけ黙っていた。やがて、どこか軽く、けれど確かな声音で言った。
「……このお話でも、現実と同じで最後に誰か選ばれるんだね。明示はされないけれど」
七海は、頷いた。
「そう、ですね。そこは……変えてはいけないのかなって」
七海はゆっくりと息を吸い、ことばを継いだ。
「誰も選ばれない。みんなでルームシェアして、未来は続いていくんだ、って……そういうルートも書いてみたんですよ。でも、それは何か違うのかなって思ってしまって。……別に、いいんです。物語だから。書き換えてしまっても。そういうかたちで救済をもたらすのも、フィクションの力だと思うから」
ことばの調子はやわらかだったが、その奥にあるものは揺るがなかった。飛鳥はそれを受け止めながら、あえて笑ってみせた。
「それ、そういう全員ハッピーエンドでも、良くない?好きな人をみんなで大切にし続けるっていう、終わり方だって、アリじゃん」
問いかけは、反射ではなく祈りのようだった。それでも七海は首を振った。
「これは……わたしたちの、本当にあったことだから。起きたことは、起きたことで。なかったことには、できないから。あの時があって、いまがある。それを否定してしまうのは、何か違うって……そう思ったんです」
しばしの沈黙のあと、飛鳥が口にした。
「……結局、わたしたち選ばれなかった組、だもんね」
「そうです。わたしたちはさびしんぼうコンビですからね」
「その言い方、やだー。わたしたちはそんな、あまりものじゃないやい!」
飛鳥がむくれたように言うと、七海は思わず吹き出した。ふたりの間にあった小さな靄が、笑い声でやわらかくほどけていった。窓の外では風の音すら静まり、時間だけがゆるやかに流れていく。飛鳥は指先でタブレットを軽くなぞると、ぼそっと呟いた。
「でも、やっぱりまことは美化され過ぎだと思うよ」
「まあまあ、それはわたしから見た物語ですので」
「あとえっち過ぎ!わたし、こんなにスケベじゃないよ!」
「そうですか?飛鳥さんからのヒアリングを色々盛り込んで、セーブしたぐらいなのですが……」
「っ……そ、そんなことないから!」
飛鳥の頬が一気に赤く染まり、視線が泳ぐ。否定しようと口を開きかけるが、言葉が出てこない。結局、タブレットをテーブルにぱたんと置き、そっぽを向いてしまった。
「……知らない。そういうこと言う七海の方がずっとえっち」
拗ねたように呟く声が小さく響き、部屋の空気に柔らかな笑いが広がった。和んだ空気の中、飛鳥はソファの背にもたれて体をずらした。だらしなく横になり、足先が七海の膝にかすかに触れる。気にする様子もなく、七海は自然にその髪に指を通した。髪の奥からかすかに立ちのぼる甘い香りが、昨日の夜のことを思い出させる。七海は何も言わず、ただそのまま指を滑らせた。数秒の静けさ。タブレットの光が飛鳥の横顔を淡く照らす。やがて彼女はふっと息を吐き、窓の向こうへと視線を投げる。
「……もうすぐ、同窓会だね」
そうつぶやくと、七海の顔がぱっと明るくなった。
「はい。お二人に会えるのが、とても楽しみです」
「べつにー」
飛鳥はそっけなく言いながら、唇を尖らせてわずかに肩をすくめた。その横顔に射した街の灯りが、うっすらと赤みを帯びた頬を照らす。目元には、隠しきれない期待の色がにじんでいた。
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ホテルのバンケットルーム。照明に照らされた会場には、ざわめきと笑い声が重なっていた。グラスの触れ合う音、久しぶりの再会に交わされる言葉の波。スーツやワンピースに身を包んだ人々が、過去と今をまぜこぜにして歩いている。その片隅。誠の隣に立つ瑞希が、ひときわ静かな呼吸をしていた。少しだけ肩に力が入り、視線は落ち着きなく人の流れを追っている。目の前の人混みがふと途切れた。向こうから、ふたりの姿が現れる。七海は変わらぬ穏やかな笑みをたたえ、飛鳥は唇を尖らせるようにして歩いてくる。それが、本当は嬉しい時に見せる癖なのを、瑞希は知っていた。胸の奥がきゅっと波打つ。懐かしさが、一気にこみ上げてくる。瑞希は思わず、隣にいる誠の袖をそっと引いた。振り向いた彼の横顔に、同じような温度が浮かんでいる。なにかを言おうと、瑞希が口を開きかけて──暗転。
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世界が静まり返り、水面を叩くように、ひとつの音が響く。ピアノの鍵盤にそっと触れたような、かすかな余韻。どこからともなく流れ込んでくる。まるで物語の幕が下りたあとに、静かに流れ出す音楽のように。ひとつ、またひとつ。音は重なり、広がり、胸の奥に波紋を描いていく。ざわめきも、言葉も、次第に遠のいて。残されたのは、その旋律だけだった。やがて弦が寄り添い、世界全体を包み込む。懐かしさが色を取り戻し、思い出がひとつの光に変わっていく。あの日の夏。放課後のカフェで響いた笑い声。旅館の畳で転がり合った夜。朝の光に包まれた寝顔。思い出が、断片のように重なっていく。音の波は最高潮に達し、胸の奥を震わせたまま、ゆっくりと光へ溶けていった。それでも旋律は、胸の奥でかすかに鳴り続けていた。
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七海がキーを叩く。また一つ、物語が綴られてゆく。




