飛鳥と七海、ファミレスで瑞希を話題にする
昼下がりの窓の外は、すでに傾いた陽の光で満たされていた。ガラス越しに映る景色には、ほんのりとオレンジの色が滲み、時間の移ろいがゆるやかに感じられる。店内は昼の賑わいを終え、学生のグループが引き上げたあとの静けさの中、買い物帰りの家族連れがちらほらと席を埋め始めていた。テーブルの上には、新しく頼んだポテトの皿。立ちのぼる湯気と、ほのかな塩気が漂い、二人の会話にさりげないリズムを添えている。飛鳥はポテトを一本つまみ、口に運んだ。そして、ぽつりとつぶやく。
「……七海と話すと、時間いくらでも経っちゃうね」
グラスを両手で包んでいた七海が、やわらかな表情でうなずいた。
「わたしもです。気づくと、もうこんな時間なんですね」
飛鳥は口の端を上げて笑い、続ける。
「こう、一つの話題から別の話題に移って、また戻ってきて……同じテーマを何度も擦るのが楽しいんだよね」
その言葉に、七海はストローを指先でくるくると転がしながら、目を細める。
「ああ、わかります。逆に、話を奪う人もいますよね。Aの話題なのに、平気でBにすり替える……会話泥棒、なんて呼ばれるパターンです」
「会話泥棒かー。うまいこと言うね」
飛鳥は声を上げて笑った。
「しかも、自分の知識をやたらと披露したがるタイプもいません?学者型会話泥棒です」
「あーそれいるわ。思い当たる人いる!」
ふたりの笑い声が、ファミレスのざわめきに自然と溶けていく。軽やかな会話の中にも、信頼のような響きがあった。少し間をおいて、七海が真面目な声色で言う。
「でも、本当にうまく回る時の会話ってアドリブのセッションみたいですよね。一つのテーマを少しずつ変奏して、お互いのやり取りでグルーヴが増していく……そういう時が一番楽しい」
飛鳥は手にしていたポテトをそっと置き、真剣な顔で頷いた。
「そうそう。そういうの、わかる」
七海はふっと微笑む。
「飛鳥さんと瑞希さんが話しているの聞いていると、いつも素敵だなあって思います。愉快な気持ちになるんです」
その言葉に、飛鳥はわざと顔をしかめて、不満そうな声を上げる。
「えー?瑞希も泥棒っぽいけどなー。猫型泥棒でしょ」
七海は小さく笑いながら、やさしい声音で返した。
「天真爛漫に見えて、本当は気遣ってるんだと思いますよ。瑞希さんは」
飛鳥はしばし目を伏せ、考えるように黙り込んだ。そして、ふっと苦笑を浮かべる。
「……そうだね。意外とそういうとこ、あるよね」
ふたりのあいだに流れる空気は、窓の外の夕暮れと同じく、やわらかくて、どこか甘い色をしていた。
***
休日の夕方。ファミレスの店内は、相変わらずのざわめきに包まれていた。子どもたちの笑い声。食器が触れ合う乾いた音。ホールを行き来するスタッフの足音が、リズムのように響いてくる。窓の外では陽射しが傾き始めていた。やわらかな光がガラス越しに差し込み、テーブルの上に淡い影を落としている。ポテトの皿をつついていた飛鳥が、ふと顔を上げる。
「瑞希と言えばさ」
ストローをくるくると指先で回していた七海が、察したように微笑んだ。
「非公式ミスコンのことですよね」
やっぱりわかるか、という顔で、飛鳥が小さくため息をついた。――非公式ミスコン。大学の有志が勝手に始めた、美人投票のような企画。掲示板やSNSで投票が呼びかけられ、学内では密かに話題になっている。もちろん、学校側は関与していない。
「瑞希が勝手にエントリーされててさ……たぶん、一位になるんじゃないかなあ」
その声音には、かすかな憂いが滲んでいた。七海は小さくうなずく。
「そんな気がします。瑞希さん、人気ありますからね」
「でもさ、本当は瑞希、こういうの好きじゃないと思うんだよね。表面上はみんなのアイドルを演じてるだけで」
そう言って、飛鳥はポテトを一本つまみ、口に運ぶ。しばし無言で咀嚼し、ぽつりと続けた。七海はふんわりと笑った。
「やっぱり飛鳥さんは瑞希さんのこと、よく見ていて……それに、大好きなんですよね」
「ちがいますー」
飛鳥はわざとらしく口を尖らせてみせる。それを見て、七海は
「はいはい」
といなすようにストローを傾け、グラスの中で氷を小さく鳴らした。
「瑞希さんは、みんなの期待に応えようとするタイプですからね」
「そうなんだよ。カッコつけなんだよ。ええカッコしいー」
「飛鳥さん、言い方が……」
苦笑する七海に、飛鳥はふふんと鼻を鳴らしながら、椅子の背もたれに軽くもたれかかった。
「アニキ分だからね。それくらい言っていいんだよ」
「……あれでしたっけ。桃園で義兄弟の契りを交わしたから?」
「違うよ、仁義の盃。いや、いずれにしろそんな関係じゃないし。ただ、瑞希より自分の方がえらいって言いたかっただけ」
七海はストローを外して、小さく吹き出すように笑った。
「でも、瑞希さんは絶対に“自分の方がアニキだ”と思ってそうですけどね」
「やめてよー」
飛鳥は両手で顔を覆い、抗議のポーズを取った。夕方に近づいた店内には、ポテトの香ばしい匂いと、柔らかな時間の気配がゆるやかに漂っていた。
***
七海がストローをそっと置き、ふと思い出したように言葉を継いだ。
「そういえば、非公式ミスコン。飛鳥さんもエントリーされてたのでは?」
飛鳥はポテトを咥えたまま、そっけない調子で返す。
「運営にメールして取り下げさせたよ」
その言葉に、七海は小さく頷いた。得心したように、穏やかな笑みが口もとに浮かぶ。
「わたしもです。望んでならいいんですけど……勝手に晒されるのは、ちょっと怖いんですよね」
「わかるよ」
飛鳥は両手でカップを包み込み、声を落とした。
「自分も、過去が過去だけにさ……」
そのときだった。ほぼ同時に、ふたつのスマホがテーブルの上で震える。通知を開くと、瑞希のSNS投稿。写っていたのは、横浜・大さん橋からの一枚だった。夕陽に照らされた海。奥には、かすかに観覧車の影。画面のどこにも人物の姿はない。それでも、そこに“誰がいたか”を思うのはたやすい。誠と、二人きりで見た風景。それを、瑞希がそっと切り取ったに違いない。七海はちらりと横を見る。飛鳥は、画面をじっと見つめながら、どこか優しい表情を浮かべていた。少し茶化そうか——。そんな気持ちが一瞬よぎったが、七海はやめておいた。
「七海の小説さ」
飛鳥がスマホを伏せ、話題を切り替えるように声を出した。
「あの後はどうなるの?」
「うーん……悩んでいまして」
七海はストローでグラスの氷をつつきながら、ゆっくりと目を伏せた。
「続きを書くつもりはあるんです。由香さんを再登板させるか、その場合はやっぱり狂介さんの命を狙うのか……それとも、なんらかの和解に持っていくのか」
飛鳥は身を乗り出すようにして、少し語気を強めた。
「わたしは虎派だなー。最後に狂介とくっ付くとか、ないのかな?」
「どうでしょうね」
七海は小さく首を振り、曖昧に笑った。
「くっ付かない方が美しい気もしてしまって……」
窓の外では、陽がさらに傾いていく。差し込む夕陽が、テーブルの上に長いオレンジの帯を描いていた。グラスの中の氷は、静かに、けれど確実に溶けていく。二人の話は、まだまだ終わりそうになかった。




