Peace is falldown
「平和とは、一つの完成した状態を表す。誰一人として飢えること無く、何一つ争うこと無く、誰もが望み、何もが怠惰を貪る完全で完璧な状態。全てが平等に和を成す、それが平和だ」
この世界はその完全で完璧な状態と言っても過言では無いといえる。
手を伸ばすことすらせず、黙々と眠りながら時間を浪費する怠惰な日々。
機械化され、管理された生活。
それがこの世界の現状。
今、目の前で話している彼も身体は何処にあるとも知れず。
電脳世界を介して意識のみで会話を交わしている。
「だが、完成とは即ち終焉でもある。世界は上がるか下がるかの二つのみ。停滞とは本来、存在しえ無い。一つの完成された状態とは、それ以上の高みへ昇る可能性が消えたことを指し示し、以降は時の中でただひたすら下へと堕ちて行く。つまり平和とは完全であるが故に避けるべき状態なのだと私は思う」
此処に身体は無い、電脳世界ではアバターが身体の代わりだ。
アバターはどのような形ですらもとる事が出来る。
当然だ、意識に形は無い。
不完全で不定形、故に無限の可能性がある。
彼のアバターは生身の人間。
デフォルメも美化もされていない、何も特徴が無い事が特徴的な平らな印象を受ける普通の人。
その彼のアバターが握っていた手を開くと何時の間にか一つの箱が握られていた。
「お前も吸うか?」
物珍しそうにしていたからなのだろう。
彼は一本だけ煙草を取り出すと投げるように箱を渡した。
箱に描かれた紺色の夜を堕ちていく金色の鳩。
白字で『Peace』と書かれた箱は小さく、知っている煙草と比べて明らかに短い。
横にはタール28mg、ニコチン2.3mgと藍色に沈むようにしてさり気無く書かれている。
箱をスライドさせ、銀紙を開いてみると漂うのは独特の香り。
甘さと苦さの混じった、芳醇な世界。
煙草と言う言葉を強く連想させる。
そのまま一本取り出す……っと、どちらが吸い口なのだろうか。
フィルターは無く、どちらからも葉が詰まっているのが見える。
散々迷っていると彼は可笑しそう口に手を当てながら教えてくれた。
「それは両切り煙草だから、どちらから吸っても大丈夫だ。吸い方と言うほどではないが、最初に少しだけなめて吸い口を湿らしておくと葉が口に入りにくくなる。どちらにしろフィルターのように完全には遮断することは出来ないから、口の中に入るんだがな」
成る程、面白い。
煙草自体が初めてだが、データとは言えこんなにもクラシックなものが残っているとは……。
言われたとおりに軽く吸い口を湿らせ、口にくわえる。
見計らっていたのだろう、目が覚めるような金属音と共に目の前に差し出された火種。
ジッポのデータまで用意するとは、ずいぶんと趣味人だ。
この世界は不定形なのだから指からでも火は灯る。
わざわざジッポと言う形で火を灯すとは、本当に好きなのだろう。
一言礼を述べ、煙草を火に近づける。
そして、その煙草に火は灯された。
その瞬間に世界が変わる。
口の中を満たしたのは、濃厚な甘さと芳醇な煙草の香り。
それと同時に気持ち悪くなる境界線を通り越し、気持ち良くなってしまうほどの“何か”。
白く染まって行く視界のなか、まるで堕ちて行くような浮遊感だけが印象的だった。
「平和は常に人を堕落させる。だから、この鳩も地に向かって飛んでいくのだろうね」
そんな言葉を聞きながら、私の手から小さな箱は滑り落ちた。
Peace
n/t:28mg/2.3mg
今回のピースはショートピースと言われる箱入り10本タイプ。
缶に入っているピースと同じだが、何故だか個人的には箱の方がカッコいい。
味は風味の長持ちする缶の方が好きなのだが……。