You're Ark Royal
世界ってものは常に後ろ暗い職業を求めたがる。
なぜなら、人間と言う生き物は出来るだけ清く正しくありたいと願っているからさ。
特に人を殺す職業なんかはそれが顕著な話で、聖人君子で知られる方々ほどお得意様になりやすい。
別にそれが悪いなんて思っちゃ居ない。
それが世界の仕組みの一つなだけ。
これは核戦争で地表には生物が住めなくなった世界のお話。
箱庭みたいな地下世界でしか生きれなくなった人間には人数制限が必要になった。
だけど表立って世界は人を殺せない。
何にも悪いことをしていないのに政府は人を裁けない。
だから世界は悪役を欲した。
政府は人を殺せる人間を求めた。
そうして、人殺し達は未曾有の好景気を迎えた。
その忙しさは猫の手も借りたいの一言に尽きる。
最近は一息入れる暇すらなかった。
葬儀屋も涙を流す程に大忙しだったろう。
思い返せばゆっくりと煙草も吸ってない。
そう思えば思うほど、煙草が吸いたくなるものだ。
何時もの動作で胸に手を当て、白地に橙色の縦縞が入った箱を取り出す。
真ん中に堂々と書かれた白い錨に文字の枠を赤で飾ったパッケージ。
名前はただ一言、『ARK ROYAL』
俗に言うフレイバー系の煙草でバニラの香りがこの煙草にはつけられている。
その甘さがタール18mg、ニコチン1.4mgと言う重さを感じさせない。
どうやら、買うだけ買ったが忙しすぎて封を切っていないようだ。
ビニールの包装がまだかかっている。
封を切るときって何時もちょっとだけドキドキするのは何でなんだろうな?
久しぶりに煙草にありつけると急く心を落ち着けながら銀紙を千切って行く。
すると、途端に溢れ出すのは花の様に咲き誇るバニラの甘い世界。
なんだか頬が緩む。
最初の一本、これが中々取り出しづらい。
じれったいのを我慢しながら懸命に箱の尻を叩くのだが、この過程も久しぶり過ぎて思わず笑みが濃くなってしまう。
ようやく取り出せた一本を口に運び、そのままジッポを……何処だ?
胸、足、尻、どのポケットを調べても火元となるものは無く、『お預け』の文字が頭に浮かんでは消える。
「ようやく、一息つけますね」
あきらめて泣く泣く仕舞おうとした時。
迷走していた煙草の目の前で錆の浮いたジッポが炎を灯し、差し出された。
飾り気一つ無く、ただ無骨に銀の輝きが使い込まれた時間を物語っている。
天の助けとばかりに感謝の一礼をし、早速煙草に火を灯した。
火は煙草の紙を焼き、周りにも甘い香りが立ち込める。
ところが口の中は一転、バニラの甘さに混じって煙草の苦味が広がった。
強く吸えば吸うほど辛さが際立つのは重い煙草の特徴だが、相変わらずの甘さがそれを容易に打ち消してくれる。
久しぶりの煙を大きく吸い込むと、溜息と共に煙を吐き出した。
「そうだな、今もまだ生きてる」
「もっとも、本番はここからなのでしょうけれど」
人の数が減った世界、人類が生き残るのに課題は未だ山積み。
ついでに言えば政府の依頼とは言え、非公式の汚れ役。
そんな裏方を政府が生かし続けているとは思えない。
「俺らが生き残る課題、山積みだな」
「生きてる方が奇跡なのですから当たり前かと」
「そりゃそうか」
「ですが、生きているお陰で煙草も吸えるのですから、文句は無いのでは?」
口の端に挟んでいた煙草を隣から伸びた白い腕が掴む。
彼女は俺の口から煙草を引き抜くと、可愛らしい口に含んで一息。
……そのまま、煙草の重さに咽る。
止めとけばいいのに、何故か俺の煙草を吸おうとするんだよな。
「まぁ、よろしく頼むぜ相棒」
突き出した右手。
その意味を悟り、彼女は煙草に四苦八苦しながらも左手を突き出す。
小さな音を立てて箱庭の作られた夕日を背景に二人の拳が重なった。
拳を重ねた後もしばらく煙草と格闘している彼女。
重さの前にふらついているようだが、少しづつ慣れてきているようにも思える。
咽ることも無くなった辺りで何を思ったのか、急に煙草を空に透かした。
「そういえば、何故『ARK ROYAL』を好んで吸われるのですか?」
清流のように涼やかな音を立てて髪をなびかせながら、彼女は小首を傾げてこちらを振り向く。
その手には短くなった煙草がいまだに握られており、少々危ない。
どうせなら新しいのを吸えばいいと、懐から取り出した新たな煙草が二本。
ポケットから取り出した携帯灰皿と共に彼女の前に差し出しながら。
「“すばらしき箱庭”……風に吹かれて消えそうな甘い、けど素晴らしい理想だろ?」
自分の理想を口に乗せた。
ARK ROYAL
n/t:18mg/1.4mg
ウルグアイ産のフレイバー煙草。
バニラの香りと強い度数を持ちながらも煙草本来の香りは損なわない。
フレイバーと侮るなかれ、その味は一級品である。
蛇足ではあるが作者が吸えると思っているフレイバー煙草の三種中の一つ。
アーク本家でありながら、フィルターの仕込みがなく。
小細工無しの味は一度吸う価値はある。