on the hope
今日も今日とて、この店で閑古鳥は鳴く。
趣味で開店しているのだ、元々客を呼ぶ気は全く無い。
都会の喧騒から少し外れ、ベットタウンと呼ぶには工場の多いそんな場所。
誰も居ないカウンターで主人は一人、誰が使うとも知れないグラスを磨いていた。
日も昇りきり、沈むには早く、暑さのピークも冷めだした頃。
錆び付いた蝶番が甲高い音を立てて、その日初めての来客を告げる。
いらっしゃい
無愛想な主人は来客者を見ること無く、独り言のように定例句。
来客者もそれを不快に取ることは無く、主人の目の前に席を取る。
着席した後に二人は口を開くこと無く、相変わらずグラスを磨く音だけが響いた。
まるで時間が凍り付いたような世界の中で、ただ柱時計だけは動き続ける。
短針が円卓をひとまわりしようとした辺り、来客者は意を決したように懐に手を入れた。
握られていたのは一握の箱。
力を入れれば握り潰せそうな程に小さく、上に向かって今にも放たれそうな青い弓矢が描かれただけのシンプルなパッケージ。
銘柄は一言、『HOPE』
取り出された煙草は通常のものよりも太くて短い。
来客者の目の前には何時の間にか用意されていた灰皿とマッチ。
焦げる独特の匂いと共にその煙草に火は灯った。
ニコチン14mg、タール1.1mgと言う重さが紫煙の濃さに出る。
カウンターに置かれた煙草の箱に主人は横目を向けると、溜息を一つ。
磨いていたグラスを手元に置くと主人は来客者を改めて見つめなおした。
懐に希望を忍ばせるのは止めておきなさい
それを聞いて困ったように目を向ける来客者。
自分は何が悪かったのだろうか、来客者の戸惑うなかで主人の言葉は続く。
希望とは、本来パンドラが独り占めしている物なのです
色々な感情は世界に放たれましたが希望のみは箱の中
ならば世界には希望など無く、誰もがその希望を欲しがっている
ですから希望を懐に忍ばせるのはお止めなさい
戸惑いが覚めない来客者を尻目に主人は手際よくロックグラスと一本のボトルを目の前に。
丸く整えられたアイスがグラスを鳴らし、注がれていくのは黄金の蜂蜜酒。
その煙草はまるで人生のようですね
ゆっくり長く吸えば、仄かに甘くて少し苦い
激しく強く吸えば、辛く苦く刺激的
来客者の目の前に一つ。主人の前に一つ。
黄金の蜂蜜酒が入ったグラスがぶつかり、音を立てた。
完全に置いて行きぼりにされた来客者を横目に言いたいことを言い終えたのだろう、グラスを傾ける主人。
横顔を来客者に向けつつ、笑いかけながら最後に一言。
だいたい、希望なんて尻に敷くものなのですよ
胸に秘めるだけでは叶わないんですから
『HOPE』
n/t:14mg/1.1mg
天を討つ弓矢に横スライド式のパッケージ。
太く短い煙草に10本入りと少ない数。
フィルターには蜂蜜が塗っており、甘くも辛くも吸い方次第。
この煙草ほど吸い方で自分好みに味を変える煙草は無いかもしれない。
余談だが、黄金の蜂蜜酒はクトゥルフ神話から。
このお酒に内容を色々かけていたりする。
最後のホープは尻に敷くべきとは、作者の個人的な思い入れ。
ホープはデニムの尻ポケットがカッコイイと思う(キリッ