始まり
21世紀後半、地球の環境汚染に端を発した宇宙への移住計画の一環として、数十年ぶりに火星探査が計画された。
当初クリュセ平原の調査が優先されたが、地下開発の有効性が指摘されマリネリス峡谷の調査も第二次探査から開始された。そして宇宙からの探査では発見しえなかった峡谷の深部のさらに奥にある亀裂の調査がドローンにより進められたのだが、探査ドローンは驚くべき事実を伝えてきた。
峡谷深部からさらに数キロ亀裂を進んだ奥に巨大な地下空洞があり、そこには一気圧に近い大気圧と、ほぼ人が呼吸できる組成の大気が保持されているというのだ。さらに驚くべきことに、空洞内には謎の光が満ちており、そこには多種多様な植物らしきものが確認できたのである。あまりに突拍子もない情報に当然ながら最初はドローンの動作不全が疑われた。地球でテストした時のデータが何らかの条件で復旧してしまったという考えである。しかし何度検査してもドローンに異常はみられない。それどころかサンプルの回収にまで成功していたのである。
ドローンが回収した大気と土壌と植物の破片のサンプルは第二次探検隊の装備では検査できなかった。まさかこのような状況に陥るとは想定外だったのである。そのため本格的な調査は第三次探検隊に引き継がれることになった。第二次探検隊のメンバーは直接人による探査を熱望したが、7キロの深さがあるマリネリス峡谷に人を送り込む装備がなかった。第二次探検隊は大魚を眼の前にして引き返すしかなかった。それでもドローンの持ち帰った植物の破片や土壌内のバクテリアは、人類初の地球外生命体の発見であり、非常な名誉ではあった。
本来第三次探検隊は第二次と交代で実施されるはずであった。しかし今回の驚異的な出来事を受けて、装備の拡充が必要となり。第二次探検隊が引き上げてから2年後に第三次探検隊は火星に降り立ったのである。ドローンが回収してきたサンプルは第二次探検隊が残しているベースキャンプ内に保管されている。地球に持ち帰るのは第三次探検隊の装備による現地調査の結果次第であった。もし人類にとって未知の病原体などが含まれていた場合、最悪人類滅亡のトリガーとなるかもしれないのだ。しかし第三次探検隊の装備による様々な検査の結果は拍子抜けするほと普通の結果だった。いや逆にあり得ない結果であった。大気中の微生物は皆無、土壌内のバクテリアは地球の既存のものと DNA が一致、植物の破片に至っては、ケヤキの一種であることが DNA から確定された。つまりどう考えても地球から持ち込まれた、地球人が人工的に作った環境としか考えられない調査結果であった。しかしいくら隠密裏に実施しょうとしても火星探査というビッグプロジェクトを世間から隠し通すことなどできはしない。ただ一つ、現在火星探査プロジェクトを主催しているアメリカが国家ぐるみで陰謀を展開しているという状況以外はありえない。そのため世界中からアメリカに避難が集中した。当の合衆国大統領ですら、NASA や WASP、NSA といった国内勢力の陰謀を疑ったのである。しかしそんな陰謀など存在しなかった。根強い陰謀説は消えなかったが、あるものをあると実証するよりもないものをないと実証することの方が難しいのである。
第三次探検隊は小型航空機を駆使してマリネリス峡谷の件の亀裂近くまで隊員を運ぶことができた。そこから先は航空機では通過できない狭い洞窟を進むしかない。しかし洞窟を数キロ進んだ先には常識を覆す景色が広がっていた。第三次探検隊は植物が繁茂する大空間の手前にある、ちょっとした広場に小規模なベースキャンプを設営した。そこを起点にさらに調査を進めるのだが、ジャングルと言っていい規模の植物群のため見通しが悪く、中に入っての調査はためらわれた。そのため再度ドローンを使っての上空からの調査を優先したのである。同時にこの空間の規模が測定された。空間はほぼ円形であり、その直径は約12キロ、ドーム型の天蓋の一番高い場所で、2キロほどの高さがあった。かなり平べったい空間といえる。しかし中に入っているメンバーからすると、それは広大であった。
ドローンの送ってくるデータから、この空間(最初に発見した第二次探検隊のメンバーの名前からネイサン空間と呼ばれることになる)の中央には植物がない直径300メートルほどの広場があり、そこには小さな丘がある。そして今度こそこの空間が自然にできたものではないという証拠がそこにあった。広場の中心の丘の頂には金色に輝く柱のようなものが確認できたのである。ドローンのセンサーによるスペクトル分析では素材は確定できなかったが、自然の産物とは考えられなかった。さらに驚くべきことは、広場にはコケ類がはびこっていたのであるが、そこから徐々に外に向かうにつれて植物層に変化があったのである。外に向かって地衣類、つた類、裸子植物、被子植物といった具合に、まるで外に向かうにつれ進化しているような分布となっていたのである。
第三次探検隊は当然このネイサン空間の中心の柱の調査を実施したかったが、未知のジャングルを六キロも踏破して向かうのは無謀と考えられた。そこで洞窟の入り口まで隊員たちを運んだ航空機を分解して運び込んだのである。そして功にあせった第三次探検隊のリーダーは本部の許可を得ずに空間の中心の調査を強行したのである。というのも、この第三次探検隊は当初の予定からロシア人が中心の構成であった。第一次はアメリカ、第二次はヨーロッパ、そして第三次はロシア、第四次はアジアが主導で実施することが計画当初から決まっていた。そのため手柄を第四次探検隊のメンバーに譲るわけにはいかなかった。第二次のイギリスメインの探検隊が帰還する際にももめにもめて、イギリスとロシアの間で軍事的緊張が増加したぐらいなのである。少数の他国出身のメンバーの抗議を黙殺して航空機にて空間の中心に向かい、一面コケ類が繁茂する大地におりたったロシア人メンバーが最初に行ったのは、ここに最初に到達したのはロシア人であることの証拠としての写真撮影であり、それはコケの大地にロシア語で「祖国、ばんざい」と刻み込んだ写真であった。これは後日人類初の地球外での悪質な自然破壊行為として、別の意味で歴史に名を残すことになる。
近くで見ると金色の柱は20メートル以上の高さがあり、その先端は鋭くとがっていた。広場の中央にある丘、というよりは何かの塊にまっすぐ突き刺さっており、まるで巨人が槍を突き刺したようであった。金色の柱、いや槍というべきか、が突き刺さっている丘は、明らかに周囲の地面とは異なる質感をもっており、溶岩が冷えて固まったかのような表面をしていた。この空間を照らす光はドームの天蓋一面にはびこっている、地球では見られないヒカリゴケの一種の放つものであったが、そのヒカリゴケの明かりはこの槍の周辺で特に強かった。足跡を残し満足したロシア人メンバーは、周囲のサンプルを採取してベースキャンプに戻ることにした。周囲のビデオ撮影、コケの採取、そして丘になっている物質の採取をしようとしたが、非常に硬く、サンプルをとれなかった。丘の上に登って金色の槍に触ってみたが、宇宙服越しでは質感などわかりようもなかった。手持ちサイズの超音波断層撮影機での撮影でも、丘の内部も槍の内部も見通せなかったのである。
無事帰ってきたロシア人メンバーであるが、さすがにこのことを本部に報告すると味方であるはずのロシア人参事からも最大級の罵声を浴びせられた。ただしこの参事は後日帰還したメンバーに特別ボーナスを約束している。ロシア人メンバーの行為は国際的にも非難されたが、その行為により得られた情報も多い。大気組成の調査も進み、呼吸に問題ないことが確認され、志願者による呼吸実験も実施された。志願者はそれから一週間隔離され調査されたが、何も問題は発見されなかった。
第三次探検隊の調査はここまでであった。地球からは既に第四次調査団が進発していた。これまでは探検隊という名称であったが、今回は調査団と改名されていた。これまでとは比較にならないほどの大規模な装備を有した調査団は日本中心ではなくなっていた。各国のメンバーが均等に参加しており、さらに民間のメンバーも加わっていたが、その中には異色の人物もいたのである。
それが生み出されたのは第四次調査団が進発した時間からさかのぼること数億年前である。とある高度に発展した星間文明が究極のエネルギー源を求めて研究を重ね、それを生み出した。一種の超能力により空間すべてが高密度のエネルギーに満たされている次元空間に接続し、そこから無限とも言えるパワーを引き出せる存在である。その種族はそれを制御し、文明の版図を拡大していった。数百年たったか、数千年たったのか、それは徐々に自我を持ち始めた。一種の生命体である以上、当たり前のことであったが、生み出した種族にとっては意外であった。コミュニケーションをとれるほどの知性ではなく、まだ幼い知性であった故にその暴走が懸念された。そのためそれを生み出した種族はせっかく生まれた知性を奪う行為に出たのである。結果としてその行為はかえって暴走を誘発する結果となり、それは無尽蔵のエネルギーを放出して星間文明の中心を消し去ってしまう。一歩間違えば三次元空間そのものの崩壊が始まるところであった。それは新たなビッグバンを起こすことも可能だったのである。主人を失ったそれは永い眠りについた。不定形の体を宇宙に漂わせて一定のエネルギーをただただ空間に垂れ流す存在であった。せっかく生まれた知性も、触発される相手がいないと進化しようがなかったのである。
それから数千年。別のある種族がそれを発見した。その種族はある日夜空を見上げていると、突然星の一部が消えてしまったことに気づいた。消えた星々が一万光年以上の遠くの存在であることはすぐに確認できたが、そこにいって原因を調査する術をその時点では持ちえなかった。しかし文明の進歩とともに光速突破航法(C+)が開発され、長い間の研究課題であった消えた星々の空間にたどり着いたのである。そしてそこでエネルギーを放出するそれを発見したのである。彼らにはそれが生まれた経緯を知りようがなかった。ただ輝きながら宇宙に熱を垂れ流す存在でしかなかった。それでもそれが彼らの宇宙船に気づき近づいてきたことから知性を確認したのである。さらに彼らの中には超能力を持ったものもおり、テレパシーにて接触が可能であった。そしてそれは彼らに「なついた」のである。数千年にわたり思考停止状態で漂っていたそれにすれば、言語はなくともテレパシーで意思の疎通ができるという状況は非常に新鮮であった。それを生み出した種族には超能力者はおらず、あくまでも刺激に対する反射行為でそれとの意思疎通を図っていたので、それにとっては生まれて初めての経験であった。
彼らの宇宙船はC+航法でそれから逃げようとしたが、これが徒となった。それは一瞬でC+航法の原理を本能的に見抜き、あまつさえ追いついてきたのである。それは犬がボールを投げてもらっているようにC+航法による追撃劇を楽しんでいた。やがて彼らの中のテレパシストはそれが邪悪なものではなく、純粋な存在であることを理解し、他の隊員たちを説得してそれを彼らの星系まで連れて帰ったのである。第一、例の星々の消滅の原因がそれにあるとは考えてもいなかった。
それと発見した種族の蜜月関係は、その種族が滅ぶまで続いた。それは種族の中に何万人かいるテレパシストとの意思疎通を楽しみ、そのお礼にエネルギーを適切な形と量で提供する。それに初めて名前が付けられたのもこの時期である。残念ながら人類の口では発音不可能なその名前をそれは気に入っていた。しかしある時その種族に原因不明の熱病が蔓延し、あらゆる手を尽くして対策が取られたがあまりの拡散の速さに隔離できず、ついに絶滅にいたった。まだ星間文明にまで発展していない段階であったため、惑星単位での隔離ができなかったのである。
気が付くとそれはまた一人になっていた。愛すべきテレパシスト達はもう話しかけてくれず、いくらエネルギーを出しても誰も受け取ってくれない。それはその時初めて「悲しみ」の感情を獲得したのである。以前ひとつになった時との大きな違いはそれはすでに移動能力を確保していたことにある。それも一瞬で数万光年をジャンプする能力である。それは新たなテレパシストを求めて闇雲にジャンプを繰り返した。数万回、数億回のジャンプを繰り返しただろうか。それはいきなりまた別の文明圏に到達した。実に一億年以上が経過していた。その文明は高度に発展しており、それを発見してから短時間の間にどのような存在であるかを解析していた。そしてそれの知性を理解した上で、好奇心から改良を加えようとしたのである。それはとまどった。期待していたテレパシストはいないらしい。しかし自分に興味を示す文明にであったのである。彼らと仲良くしたいという欲が生まれていた。こちらから働きかければ、いずれテレパシストを生み出せるかもしれないと考えていた。そうそれは無限とも言える長いライフサイクルの中で様々な超能力を開花させていたのである。有機物からなる種族の体内の設計図、人類でいうところのゲノムのような存在に干渉する術を持ち始めていたのである。しかし新たな文明の改良を受け入れて仲良くしようとしても、どうしてもその種族にテレパシストが生まれない。エネルギーの放出パターンによる疑似言語が開発されたが、生のテレパシーによる会話に比べれば、それは単なる記号に過ぎずそれは楽しくなかった。新種族と暮らし始めて数百年たったころ、それはいきなりこれまで味わったことのない衝撃を体に感じた。一本の細長い棒状のものがそれの体に挿入されていたのである。その棒はそれの活動を阻害する特殊は波動を放出しており、それは身動きがとれなくなり、エネルギーの放出もできなくなっていた。それは初めて「痛み」を覚えたのである。なぜそのような事をその種族がしたのかは、それにはわからない。おそらくだが、それがその種族に行ったゲノムへの干渉を察知したことで、それを邪悪な存在と判断したのかもしれない。自分たちはそれに対して改良を加えていたのにも関わらずに、である。
それはある惑星の地下に安置され、その種族はそれの復活を阻止するガードシステムをその星系にいくつも用意したのである。それは悲しかった。それは種族と仲良くして、テレパシストとの交感を熱望していたのである。そのため少しだけゲノムに干渉したことがこのような結果になるとは考えていなかった。
それが安置された星は、その星系の第四惑星であり、数億年後に第三惑星に発生した種族から「火星」と呼ばれることになる。
第四次火星調査団は200名を超える大規模なものであり、それゆえ様々な専門家が参加していた。全体を統括する管理官、軍人、医者、生物学者、物理学者、化学者、文化人類学者、考古学者、土木工事の専門家、メカニック、パイロット。職能的にも年齢的にも異色な参加者として、総合科学者と超能力者がいた。
総合科学者であるビリー・マクラウドは12歳であった。総合科学とは科学の複数の分野の専門知識を複合的に組み合わせて研究する分野で、これまではある専門分野を極めた科学者が他の分野を研究しだすことで成り立っていた。しかしマクラウドは幼児期からの特殊な訓練により脳の記憶容量を飛躍的に発展させて、初めから総合学者として育てられてきたのである。すでに十を超える博士号と、それに倍する画期的な論文を公表して、世界中から注目されている人物である。外見は幼いが、その言動は思慮深い大人のそれであった。もう一人は米国超能力研究機関の長ラオ・ターの秘蔵っ子と呼ばれているビオネリス・マグダルである。ラオ同様、高度なテレパシストとして高齢のラオの代わりにこの調査団に参加していた。こちらもまだ14歳であった。ラオは本来参加する予定のなかったビオネリスをあらゆるコネを使って調査団にねじ込んだ経緯があった。
ビリーは科学者集団とは距離をおいて、別視点での調査をするために参加しており、調査団の団長を務める管理官に次ぐ指揮権を与えられていた。またビオネリスもその能力から特殊な存在であり、独自の調査が認められている存在である。このような二重三重の権限の乱立は通常組織運営には好ましくないが、問題発生時の最優先権限は管理官にあり、また多重的調査のためには有効な手段ではあった。調査団が乗り込んでいる宇宙船は後々火星移民団が使用する大型船のプロトタイプであり、本来であれば千人は乗り込むことができた。今回人が少ない分、機材を多数搭載し、多様な条件下で対応が可能であった。
ビリーとビオネリスは年が近いこともあり、また他の隊員から距離をおいている関係上必然的に一緒にいることが多かった。他の隊員たちはビリーの才気やビオネリスのテレパス能力に恐れを抱いていたものが多かったのである。大人たちの間で、二人を(表面的にでも)恐れなかったのは、団長のゴダードと軍人の一人、バイオーラだけであった。火星に到着した調査団は母船をフォボスの軌道上に待機させて、大気圏突入用カーゴを切り離した。この母船の中央にあった大型カプセルは火星の薄い大気圏に突入できる性能を持ち、一気に人と機材を地上に下ろせるばかりか、そのまま基地として利用できるのである。母船と基地との往来は別のシャトルが5機用意されておりカーゴ自体は地上据え置きとなる。
基地が本格稼働し、調査担当の各専門家による調査が一斉に開始された。難点は地下のネイサン空間への唯一の通路が人一人がようやく通れる広さしかないことである。大規模な機材の持ち込みは第三次探検隊が行ったように分解して運ぶしかない。この問題を解決したのはビリーであった。地質学と機械工学、土木工学の知識を統合して調査した結果、現在の通路の横にどこともつながっていない閉鎖空間を超音波探知で確認し、この空間を利用することで現在の通路の途中から広い空間を経由してネイサン空間の手前の広場にアクセスできることを確認したのである。ビリーは地中進行型のドローンをたった三日で制作し、ショートカット通路として使用できそうな空間へのアクセスを試みた。モグラドローンは有線操作で地面をレーザーで溶かしながら進み、自分が通り過ぎた後の穴は、ポリプロピレン系の充填剤を詰めながら進んでいく。ごく少量の液体を二種類混ぜ合わせると数万倍に膨れ上がり、固化するのである。万一のために、閉鎖空間に到達した際にもその中の気体が外に漏れないようにするためであった。モグラは閉鎖空間に数時間で到達し、中の気体をチェックしたが、ほとんどが二酸化炭素とアルゴン、多少の硫黄成分であった。爆発するような成分はないが、念のためモグラドローンから小型の無線操作タイプのドローンを数機切り離し、空間内をくまなく走査したのである。その結果内部は数億年前の火山活動の結果生まれたと考えられるもので、特に異常なデータは確認できなかった。もっともネイサン空間の大発見がなければ、このような火山性の空間の発見も大騒ぎとなっていただろう。
この空間を利用したショートカット通路が土木工事の専門家達により確保された結果、ネイサン空間への重機の持ち込みが可能となったのである。もちろん、ネイサン空間の手前でエアロックを構築し、ネイサン空間の大気は保持されるように工夫している。管理官であるゴダードの意向により、調査は二チームに分かれて実施された。つまりネイサン空間の周辺からのアプローチと、中心の例の金の柱からのアプローチである。ドローンによる詳細なセンシングの結果、赤外線探知、空気振動による動体探知にて大型生物の存在は確認できなかった。それどころか、虫一匹確認できないのである。ありえないことであった。ある程度進化した植物は受粉を虫に頼っている。共生関係にあるのだ。その事実はかえってこの空間の異様さを引き立てていた。
ビリーもビオネリスも中央調査チームに参加していた。この時点ですでにネイサン空間に直接入って調査するメンバーは宇宙服のヘルメットを脱いでこの空間の大気を呼吸していた。この時代の宇宙服は軽量で体にフィットしており、作業の邪魔にはならなかった。むしろ快適なエアコンを着込んでいるようなもので、あまりに体のラインが出るために、基本宇宙服の上に平服を着込んでいる状態であった。
中央広場の例のロシア人の落書きの上に、なるべく地面のコケ類を損傷しない
ように細い柱をたてて、その上に床となる軽量プラスチック板を敷いてベースキャンプとした。火星の重力は 0.4G 程度なので、その分建造物は楽に構築できた。ドローンもそうだが、大気圧が一気圧に近いため、ここではヘリコプターの原理で飛ぶことができた。火星表面の大気圧は地球の百分の一にも満たないため、ヘリコプターの原理では飛べない。薄い大気を吸い込み高圧圧縮して発生するプラズマを排気することで推進していたのであるが、これはバッテリーの消費が激しく、稼働時間に大きな制限があった。大型のヘリキャリアで中央広場に資材を移動し、調査が始まったのである。ビリーは一見冷静であったが、内面では興奮していた。わからない事があると解明したくなる。それが彼の性であった。ビオネリスはこのネイサン空間からでも、地球のラオとのテレパシーが有効であることを確認していた。ラオはビオネリスに例の金の柱を見るように伝えてきた。ラオはその柱になにか固執しているようにビオネリスは思えた。普通テレパシーでつながっている場合、相手の考えが読めると一般的には考えられているが、ビオネリスがその気にならなければ、またラオが心を開放しなければ、そのようなことにはならない。せいぜい言葉として発する直前の思考が読み取れる程度である。強制的に思考の奥底を読み取ることはテレパシストにも本人にも多大な負担をかける行為であり、本人がテレパシストを信頼して受け入れなければできない行為でもあった。心にも壁があるのである。
テレパスとして期待されていたビオネリスであったが、彼女の能力の琴線にこの空間の物体は何も触れなかった。あるいは金色の棒やその下の塊、周囲の植物層とのテレパシーでの意思疎通ができるのではないかという期待は期待に終わったかと思われた。
事件が起こったのは、調査三日目の深夜(といってもこの空間に夜はないため、調査団の活動時刻的にであるが)であった。三交代制で警備を担当していた軍人三名が大型ヘリキャリアを予定外に起動したのである。そして彼らはあろうことかヘリキャリアに標準装備されてるワイヤーアームを例の金の柱に取り付け、引き抜き始めたのである。想定重量は一トンにも満たず、十分ヘリキャリアのパワーで引き抜けることが確認されていたが、それを実行するのはまだまだ調査が先に進んでからのはずであった。しかし何故か彼らは無言でこの作業を黙々と実施したのである。ヘリキャリアの作動音と巻き上げる風の音が寝静まっていたキャンプの調査メンバーたちを起こし、事態を把握したのは既に柱が持ち上げられる寸前のタイミングであった。通信員がヘリキャリアに事態の説明を求めても何も返答はない。この時点ではだれが乗っているのかもわからなかった。ビオネリスはこの事態にも何故か昏々と眠り続けた。彼女が目を覚ましたのは、金の柱^が例の塊から抜き出されて、そばのコケの広場に落とされてそこに突き刺さってからである。
それはどうしても差し込まれた棒状の物体(後に"槍"という表現を身に着けることになる)を排除することができなかった。その槍から出る波動はそれ自体からエネルギーを吸収してそれを身動きできなくする波動を出している。その動きを止めるにはそれ自体が滅ぶしか方法がなかった。それは待った。それにとって時間は無限であり、これまでのようにいずれ何か変化があるはずと考えていた。そして思わぬ方向から光明が見えてきたのである。それが安置されている火星から少し離れた内惑星にはゲノムを内包した生命が生まれ始めていた。そしてそれは身動きこそとれなかったが、その惑星の生物のゲノムに影響を与える能力を長い年月の間に取り戻すことに成功していた。それは少しずつ、少しずつ、その惑星、後に原住民から地球と呼ばれることになる惑星の生物の進化に影響を与えていき、ついに人類に到達したのである。いずれ放置しておけば人類もしくはそれに準ずる知的生命体が誕生していたであろうが、それの働きかけの影響で、ジャンプ進化とでもいうべき現象が数回発生し、人類が誕生したのである。そして文明が発達していく過程でもそれは影響を与えていき、ついには待望のテレパシストを誕生させるにいたる。しかし、そのテレパシストたちの能力はひどく微弱であり、それからの呼びかけに答えることがなかった。しかしついにコンタクトが可能な一個体が誕生したのである。おりしも人類は自身の行いにより火星開拓をせざるを得ない時期に到達していた。その個体、人類社会ではラオ・ターと呼称される人物に天啓のごとく指示を出して、火星へテレパシストと、柱を抜く手段を送り出すようにしたのである。それは待った。これまでの年月に比べればあと一瞬で彼は開放されるはずであった。
ビオネリスは騒ぎによって目を覚ましたのではない。彼女は眠っている間にラオ・ターからの思念を無意識に中継していたことに気づいていた。そして中央広場で起こっている騒ぎの経緯を知った時、それがラオの謀であることを確信したのである。おそらく例の軍人三人は地球にいた時点でラオに選抜されたテレパシーの影響を受けやすい人物であり、事前にテレパシーを用いた催眠で、ビオネリスを中継したラオの命令を受けて金の柱を抜く作業を実施するように洗脳されていた。実際、三人はヘリキャリアを降りてきてから呆然としており、自分たちが行った行為が信じられないようであった。彼らがそろいもそろって同じシフトに組み込まれていた事からも、周到な計画であったことが推測された。ビオネリスはラオに語りかけた。これはあなたの意向ですか、と。しかしそこにあるのは虚無の反応であった。ビオネリスは悟った。ラオは地球にて既に亡くなっている。それが高齢によるものか、自ら命を絶ったのかは不明であるが。
事件を起こした軍人たちは拘束され取り調べを受けることになったが、ビオネリスがラオ・ターの事をビリーに話し、ビリーがそのことを(推測も含めてではあるが)理路整然とゴダードとバイオーラに説明したことから、彼らの少なくとも自主的な行為ではなかった事が受け入れられた。金の棒を抜いたところで、現状で特に何の変化も確認されていないことも、彼らへの非難を和らげていた。しかしビオネリスは感じていた。問題は金の柱ではなく、それが抜かれた塊の方であると。この三日間の調査でもその材質が判明せず、ビリーにとって最大の研究材料となっていた塊である。複雑な有機化合物であろうことは想像できるがあらゆるセンサーで情報が採取できない。サンプルを採取しようとして欠片もはぎとれない。しかしビオネリスは柱が抜かれてから誰かに語り掛けられているような気がしていた。それはテレパシーによるものであるが、出力が弱いのか、波長がずれているのかわからないが、キャッチしようとするとするりと逃げていく、そんな感じでアクセスできなかった。
そんな折に科学班のリーダーである生物学者のメイケンからビオネリスに接触テレパスによるアプローチの依頼があった。例の塊に直接触れてテレパシーで何か情報が得られないかというものであった。すでに何人ものメンバーが素手で触れており、危険性はないと考えられた。しかしビリーは接触テレパスによるアプローチは時期尚早であるとの意見を述べた。まだまだ科学のレベルで調査する術はいくつもあったからだ。そんなビリーの態度がビオネリスには少し寂しかった。超能力は科学の範疇から外れているとビリーも考えていたのかと。しかしそれはビリーの優しさであった。もしビオネリスの接触テレパスが塊の活動のトリガーになるのような事態が発生した場合、ビオネリスに心理的負担がかからないように考えたのである。結局団長のゴダードの采配によりビオネリスによる接触が実施される運びとなった。他のメンバーもリスクを承知でこの地にきて調査を進めているのである。若輩だからといって特別扱いはできなかった。万一に備えて宇宙服のヘルメットをかぶり、素手の部分も一瞬で装着できるように自動設定した上で接触した。そしてその瞬間、それは覚醒したのである。
ビオネリスが素手で接触した瞬間、彼女はそれが生命体であること、異質ではあるが知性を持っている事を理解した。そしてずれていた波長がチューニングされて接触せずとも意思疎通できるようになっていた。それはまずビオネリスに自分の固体名を伝えた。人の声帯では発音できない名前であったが、無理やり発声すると「カスク カノバ ノーヴァ」と聞こえた。カスク星のカノバ族が付けた名前がノーヴァである。それ以降塊はノーヴァと呼ばれることになった。人類初の知的生命体との第一種接近遭遇がここに成ったのである。最初調査隊の学者たちはその事実を認めようとしなかった。ビオネリスの頭の中でしか事態が進んでいないからだ。所詮かれらはテレパシーを心の奥底では否定していたのである。しかしビオネリスがノーヴァに少し動くように頼むと、ノーヴァは完全な球体に変形し、しかも数メートル宙に浮いて見せたのである。
調査隊はにわかに湧き立った。初めての地球外知的生命体との接触である。ノーヴァとの会話は言語ではなくイメージの連続のため正確な情報を得るのは難しいが、いずれ人の言語を学習してもらうことが可能ならば会話も可能となるかもしれない。ビオネリスは文化人類学者、生物学者、言語学者のアドバイスで慎重にノーヴァとの意識疎通を進めていった。ビオネリスとしてはビリーのアドバイスも期待したが、ビリーは他の科学者によりビオネリスから遠ざけられていた。既に彼女は歴史に名を遺す人物であり、少しでもその余禄にあずかろうと、様々な学者たちが彼女に助言しており、ビリーはその群れから意図的に排除されていた。大人たちはビリーの能力から劇的にコンタクトが進むことを懸念していたのである。バイオーラなどはこの大人の学者たちの態度に憤っていたが、彼女は軍人の長であり、部下が起こした事件の責任をおって謹慎中であった。ゴダードもまた不快に思っていたが、学者たちの名誉欲と出世欲は彼の助言を受け入れる隙を与えなかった。
それはメイケンのアイデアであった。既にノーヴァは自在に変形する能力を発揮しているが、それを応用して人型になれば手話による会話が可能となるのではないかというのである。ノーヴァには感覚器官がないため手話はテレパシーで伝えた内容への反応だけになるが、それでもビオネリスだけが反応を確認できる状態は脱することができるはずであった。メイケンはこのアイデアで地球外知的生命体との疎通のイニシアティブをとるつもりであった。若輩者のテレパシスト一人に手柄を独占されるのは、世界最高レベルの学者のプライドが許さなかった。しかしこれが後の禍の種となる。
そのアイデアをノーヴァに伝えたところ、それは非常に興味をそそられたのである。これまで多少の変形は行ってきたが、自分たちの姿に似せるように言ってきた種族はなかった。またこれまでの種族にくらべて目の前の人間の形は機能的で単純であった。それはとりも直さずノーヴァによるジャンプ進化の結果であった。ノーヴァはやってみることにした。ノーヴァには人のゲノムを操作する能力がある。これはゲノム情報を読み取り解釈できることを意味する。この能力を使ってノーヴァはこの空間内に地球の植物のゲノムを参考にして有機物から植物をデザインして長い時間をかけて少しずつ進化させて森を生み出したのである。またさらに植物ゲノムを操作し、発光効率がよいヒカリゴケを作り上げたのである。さすがに植物の受粉を助ける生物の創造にまでは至らなかったため、受粉は一部の植物の運動能力を進化させて行わせた。森をつくったのはゲノム操作の練習の意味もあった。
ノーヴァは近くにいた体格のバランスがよいと判断される個体から読み取ったゲノム情報から自分の能力で再現できる範囲での変形を試みた。メンバーたちは驚いた。徐々に人型に変形していく様は圧巻であった。ノーヴァ自体の変形能力に限界があり正確に人型とはならず、多少いびつな形になったが、それでも人を模していることは明らかであった。さらに眼や耳といった感覚器官のようなものも頭部に確認できたのである。しかし問題はそのサイズであった。球体であった時の直径は十メートルほどであったが、人型に変形すると頭頂部までが三十メートルほどになったのである。そして最大の問題はゲノムを通じて体の内部の構成も、ある程度変化したのであるが、脳を構成しようとして完全にはできなかったのである。そしてその中途半端な構造の脳にノーヴァの体と心は支配されてしまった。これまで体全体の細胞とでも呼ぶべき構造による群体であったノーヴァに、明確に思考する器官が生まれた。これはノーヴァが生まれてから最大の変化であった。そしてそれは生物としての本能も生まれたことを意味する。
さらに感覚器官が生まれたことも大きな変化であった。これまで自分の周囲の情報をエネルギー放出の反射でのみ感じていたノーヴァにとって、映像や音を感じることは新鮮であった。ただし感覚器官から得た情報を脳が完全に処理できず、激しいノイズが入っているような中途半端な状態であった。このノイズの処理を脳ではなく体全体の細胞に振り分けるようにできるまで少しかかった。
二本の足で立ち上がったノーヴァは最初バランスをとるのに苦労していたがじきに安定した。足には指はないが、足先には関節があるようであった。ビオネリスは不安になった。これまでのノーヴァとのテレパシーのやりとりには不安はなかった。それはノーヴァの思考に負の感情というものが見られなかったがからだ。しかし現在、ノーヴァには不穏な感触があった。しかしそれは杞憂かもしれなかった。ノーヴァにしゃがみ込むように依頼し、そのまねをしてみせると、ノーヴァは素直に従いいわゆる体育座りの姿勢になり、安定した。
例の金の槍が抜かれてからここまでで十時間ほど経過していた。人間たちは疲労困憊しており、食事をとることになった。ノーヴァにそのことを伝え、一時間後に調査再開であることを告げたが、ノーヴァには食事や休憩というものが理解できなかった。さらにこの新しい体から得られる新鮮な情報を楽しみたいという欲も生まれてきたのである。ノーヴァは森の中を歩き走り跳び、その運動による体の使い方を学習して、フィードバックしていた。それほど重くないのか、跳んでいても振動などはそれほど感じないが、巨人が狂ったように動き回っている様は恐ろしいものであった。この様子は外延部の調査をしているチームにも観測され、説明に一苦労したのである。そしてついにノーヴァは苔の大地に突き刺さったままになっている金色の槍に接触した。手ごろな投擲物として槍を手にしたのである。その瞬間、ノーヴァの動作が止まった。再びあの波動により動作を止められたのではない。体の内部に差し込まれない限りその心配はない。また体の構造が大きく変わった今、果たして同じ効果があるかも不明であった。感じたのは槍の組成であり、その使い方であった。ノーヴァを停止する性質をもつ物質でありながら、この槍は人型となったノーヴァの武器にもなりえる性質を持っていた。




