沈黙の病と、選ばれた献身
(ちんもく の やまい と、えらばれた けんしん)
王宮地下《白の牢室》
「ついてきてください。……誰にも言ってはいけません。」
リィナ姫の声音は、明らかに揺れていた。
傲慢だった姿はなく、今は一人の“姉”の顔。
ルシエルは、黙って後ろをついていく。
城の奥深く──
衛兵すら立ち入れぬ地下牢に、その“存在”はあった。
扉が軋みながら開く。
そこにいたのは──
まだ10歳にも満たない少年。
だがその顔は蒼白で、瞳には光がない。
口も開かず、目も合わさない。
まるで“人形”のようだった。
「……弟です。
名は《リオン=エリア》。
6年前、原因不明の熱病に倒れ、以来ずっとこの状態です。」
「聖堂の神官でも、古代の呪文師でも、誰一人……治せなかった。」
リィナは震えながら言う。
「薬なんて、信じていない。でも……
それでも──貴方なら、もしかしたら……」
“命の反応”を診る薬師
ルシエルは黙ってリオンに近づき、そっと手首に触れた。
肌は冷たく、鼓動は乱れている。
目を開いていても、“意識”は遠くにあるようだった。
「……これは、“沈黙病”。
脳と神経系が、魂の拒絶反応を起こしている。
体が生きていても、“生きる意志”が消えてる状態。」
「元は、薬害じゃない。
何か強い“意志干渉”が原因だ。」
「たぶん……彼は、誰かを“守るために”自分を閉ざした。」
リィナの手が震える。
「そんな……じゃあ、治せるの……?」
ルシエルは、薬箱からひとつの小瓶を取り出す。
淡い銀色の液体がゆっくり揺れる。
「これは、“魂結露”──
魂と脳を一時的に再接続させ、意志を呼び起こす薬。」
「ただし、条件がある。」
「彼の意志が、まだ“誰かに会いたい”と思っていないと、効かない。」
献身の夜
リィナは膝をつき、リオンの手を握る。
「リオン……私よ……
ずっと一人でごめんね。
貴方が倒れた時、私は何もできなかった……!」
「だから、全部憎んだの。薬も、病も、世界も……!」
「でも違う。
私、逃げてたんだ。
あなたが“誰かを守ろうとしてた”ってことすら、見ようとしなかった……!」
涙が彼女の頬を伝う。
その時、ルシエルが薬をリオンの唇に運ぶ。
「飲ませてください。
“姫”ではなく、“姉”として。」
リィナは震える手で、リオンに薬を含ませた──
沈黙。
だが数十秒後──
「……ねえ……お姉、ちゃん……?」
微かに震えた声が、空気を震わせた。
リオンが、6年ぶりに口を開いた瞬間だった。
癒しという奇跡
「──! リオンっ……!」
リィナは彼を強く抱きしめる。
ルシエルは静かに背を向け、部屋を出ていこうとした。
だがその背中に、リィナの声が届く。
「待って……!」
「……ありがとう。薬師様……
いえ、ルシエル様──」
「……どうか、私を……この国を、薬の罪から解き放ってください。」
彼女のその声は、6年前とは違う。
誰かを守りたいと願う、“真の献身”の声だった。
命を繋ぐ者の名
ルシエルは立ち止まり、ぽつりと呟いた。
「俺はただの薬屋だよ。
必要な時に、必要なだけ作ってるだけだ。」
そしてこう続けた。
「──だが、“薬の意味”を理解する者が、
たった一人でも増えたのなら、それで充分だ。」