ヘイントのいたずら
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文法士は膝をついたまま、肩で息をしていた。破れた袖から、魔力がかすかに漏れ出している。
カイはゆっくりと文法士に近づいた。剣を収め、手を差し出す。
「……もう、戦わなくていい。あなたの想いは、十分に伝わった」
文法士はその手を見つめる。だが、動けない。まるで、自らの手に残った“拒絶”の痕が、そのまま彼の心を縛っているようだった。
「この世界があっちの世界を狙ってるって話、ちゃんと受け止める。でも、だからって帰ることを諦めろって言われても……それは違うと思う」
リクが低く、真剣な声で言う。
「俺たちはただ、帰りたいだけなんだ。仲間がいるんだ。大事な人たちが──残してきた約束がある」
カイが続ける。
「どうか……死なないで。俺たちは敵じゃない。だから……これ以上、自分を責めないで」
その言葉に、文法士の瞳が揺れた。
彼の頬を、一筋の涙が伝う。
「君たちは……本当に、“あちら”を壊さないと誓えるのか?」
「誓うよ。俺たちは、守るために帰るんだ」
しばらくの沈黙ののち──文法士は静かに頷いた。
「……ならば、道を示そう。決して平坦ではないが……君たちなら、辿り着けるかもしれない」
カイとリクは、互いにうなずき合った。
旅の終わりではなく、真の始まりに向けて──新たな希望が灯り始めていた。
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カイとリクは文法士から異界の扉が王都にあることを聞き、回復薬を持たせてもらった。文法士は、その薬が非常に貴重であり、使いどころを見極めるようにと、軽く注意を促す。リクはその薬をしっかりと胸のポーチにしまい、カイも頷いてその言葉を胸に刻んだ。
「ありがとう。これで少しは安心だ」
「気をつけろ。お前たちが辿り着こうとしている場所は、簡単にたどり着けるものではない。だが、君たちなら、きっと……」
文法士は言葉を濁しながらも、深い意味を込めてその一言を残した。二人はその言葉を胸に、王都を目指して歩き始めた。
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しばらく歩くと、遠くに見えてきたのは賑やかな市場と高い建物のシルエット。王都が近いことを感じさせる景色だった。
やがて、街の入り口に差し掛かった時──突然、カイとリクは前方から何かが飛んでくるのを見た。リクが反応し、横に跳ねる。カイも素早く身をかわしたが、すぐ目の前に出現したのは、にやりと笑った男だった。
「おっと、見逃すところだったぜ!君たち、何か面白いものを持ってるみたいだな!」
男の名はヘイント。身軽で、鋭い目つきを持つが、その全身から漂うのは不敵な雰囲気だった。明らかに、見た目や言動からはまっとうな人間には見えない。
「な、なんだこいつは……」
リクが警戒しながらも、男の動きに目を凝らす。
ヘイントは得意げにウィンクをし、ふらりとカイとリクの前に立つ。
「驚かせて悪かったな。まあ、つい遊びたくてね。君たち、見たところ新顔だろ?王都にはいろいろな事情があるから、早く知っといたほうがいいぞ」
カイは一歩後ろに下がりながら、ヘイントをじっと見つめた。
「君、なにか企んでるのか?」
ヘイントは大きな笑い声をあげると、腕を広げて周囲を見渡した。
「いやいや、ただの道化だよ!でも、君たち、なんか気になるからさ。王都に入る前に一つだけ、試させてくれ!」
突然、ヘイントは空中に手をかざし、どこからともなく小さな爆竹を取り出した。それをカイとリクに向けて放り投げる。
「さあ、これでどうだ!」
爆竹が爆発音とともに一瞬の煙をあげ、カイとリクの視界が一瞬遮られる。ヘイントはその隙に素早く背後に回り、何かを仕掛けようとする。
「おい、今度はどうする?」
カイとリクはすぐに反応し、体勢を整える。二人とも、この男が単なる道化に見えても、どうやら何かしらの目的を持っていることは感じ取っていた。
「おい、こいつ……ただの遊びじゃないな」
リクが低く言った。
「まあ、しばらく付き合ってやろうぜ」
ヘイントはニヤリと笑いながら、再度、奇妙な笑い声を上げる。どうやら、これから始まるのはただの遊びではないようだ。
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