第1話『伝説の薬草、食べられたくないので逃げます!』
朝もやの中、森に差し込む最初の光が樹々の間から地面を照らしていた。一滴の露が葉から滑り落ち、静寂の中で小さな音を立てる。そんな穏やかな森の朝。
……え? ちょっと待って!?
わたし、草なんですけど!?
いや、さすがに状況を理解するのに時間がかかる。だってつい昨日までは、普通に人間だったはず。それが目を覚ましたら、地面に根を張ってた。
(え、転生……? これが……転生ってやつ……??)
戸惑いながらも、ぼんやりと周りを見渡す。そこは、木漏れ日の美しい森の中。巨大な木々が天に向かって伸び、周囲には様々な植物が生い茂っている。
風が吹くたびに、ふわりと葉っぱが揺れる。いや、わたしの葉っぱが!!
(うわぁぁぁ!! 本当に草になってる!! え、どうすんのこれ!?)
冷静になろうとするが、今の状況がどう見ても異常。しかも、聞こえてくる鳥のさえずりや風の音が、やけに鮮明で、異様なほどリアルだ。小さな虫が地面を這う音まで聞こえるのは、人間だった頃には考えられなかった。
(……夢じゃないよね? これ、ほんとに転生ってこと?)
自分の姿を確認しようとしても、首を動かすこともできない。ただ、風に揺られる感覚と、地面から水分を吸い上げている感覚だけがある。
しかし、さらに衝撃的なことが判明する。どうやらわたしはただの草じゃない。伝説級の薬草「エルリーフ」だった。
「奇跡の葉」と呼ばれ、ほんのひとかじりで傷が治る。さらに食べた者は長寿になるとか、魔力が爆上がりするとか。一枚の葉でさえ小さな国一つ買えるほどの価値があるという。
(うそでしょ!? めちゃくちゃ貴重な草じゃん!? これ、絶対ヤバいやつ!!!)
しかも、どうやらこの森ではわたしが唯一のエルリーフらしい。周りの草や花たちが、なぜか特別視するような空気を感じる。
(そんなレア枠いらん!! 目立ちたくないんですけど!?)
ここに生えてるだけでも、いつか誰かに見つかる予感しかしない。王族や貴族、魔術師、果ては盗賊まで。あらゆる人間がわたしを求めてこの森に押し寄せるかもしれない。
そんな嫌な予感が的中したのは、転生して3日目のことだった。
ガシッ!!
(えっ!?)
突然、地面ごとわたしの体がつかまれ、グググッと持ち上げられる。
「すごい……本当にあったとは……」
わたしを握っていたのは、白い薬師のローブをまとった青年だった。冷静で知的な目で、じっとこちらを見つめている。その後ろには、武器を携えた冒険者風の男と、古い羊皮紙を広げた学者風の老人がいる。
(いやいやいや、待って!? ちょっと待って!? まさか食べるつもり!? やめろぉぉぉ!!)
プチプチプチ!!!
「ぎゃああああ!? 根っこがちぎれる!! 痛い痛い!! でも血は出ない!! わたし草だから!!」
(いやいやいや、草だからって痛くないわけじゃない!! 痛いものは痛い!!!)
青年は土ごとわたしを掘り起こそうとしているが、思いのほか根が深く張っていたらしい。そのため、一部の細い根が切れてしまった。
しかし、この薬師、じっくり観察するだけじゃなく——くにくに葉っぱを触ってくる。
(ひぃぃ!! 何なの!? 研究か何か!? そんな触り方はやめてえぇぇ!!)
「……まさか、自ら意思を持って動いているのか?」
青年の目が急に真剣になる。彼はわたしの様子を見て、何かを感じ取ったようだ。
(動くわ!! 動くけど、痛いんだから!! っていうか、地面に戻してえぇぇ!!!)
くいくいと葉っぱを観察し、さらに引っこ抜こうとする。
(ぎゃーーー!! ムリムリムリ!! もう限界!!)
ブチッ!!!
(あぁぁぁぁ!? 根っこがぁぁぁ!!!)
痛みのあまり、わたしの中で何かが弾けた。それは恐怖と生存本能が結びついた、予想外の力だった。
シュルシュルシュルシュル!!!
わたしの体から突如、眩い緑色の光が放たれた。それと同時に、残っていた根が急速に地面に潜り込み、驚くべき速さで土の中を移動し始めた。
「……消えた?」
青年の手の中から、わたしの姿が文字通り消え去った。
「待て!! 捕まえるんだ!!」
(ぜっっっったい捕まるわけにはいかない!!)
わたしは根っこを縮め、地面に潜り込むようにしながら、ものすごいスピードで移動する。いわゆる草流忍法・高速移動の術である。
急に開発された能力だが、直感的に使いこなせた。根っこを伸ばしたり縮めたり、土をかき分けるように使って、驚くべき速さで逃げる。
「すごいな……この適応能力……」
「薬草のくせに、逃げ足が早すぎる……!」
(薬草のくせって言うなーーー!!!)
それでも、人間の足では追いつけないスピードでわたしは森の中を逃げ回った。
しかし、悲劇は突然やってきた。前方の地面が急に途切れていることに気づく。
(……え、これ、もしかして崖!?)
勢いあまって止まれず、次の瞬間、わたしの小さな葉っぱの体は宙を舞い——
「ぎゃああああああ!!!!!」
ザブン!!!!
崖下に広がっていたのは、澄んだ水をたたえた湖だった。わたしは小さな水しぶきを上げながら、湖面に落ちた。そして湖の水は急流となって、わたしを未知の場所へと運んでいく——。
――これが、伝説の薬草・エルリーフの物語の始まりだった。
(次回「擬人化の発動」驚きと大混乱)




