その二 陰陽師の始まり
二話目だよー。
真理亜ちゃんも昔はつるぺたの幼女だったんだって。小さな体にブカブカの陰陽師コスプレを着てチョコチョコ歩く姿は、妖怪達のみならず、政財界の大物達も皆メロメロになったそうな。
……見たかったなぁ。
……ん? 写真あるの?
しかも一眼レフで撮ったから超美麗?
……見せてもらえたりする?
そんなこんなで陰陽師二回目。
今回は陰陽師の始まりを少し話すことにしようと思う。
……ぬ? 冒頭のが気になる?
……ふっ。
世の中には知らなくて良いことも沢山あるんだよ。
あんなに可愛い幼女がボインボインになるなんて……人体って神秘に満ちてるよねぇ。ボインボイーン。
さ、真面目にやりますか。
時は平安。貴族達が語尾に『おじゃ!』を付けていた素晴らしき時代。このときに所謂『陰陽師』が生まれたとされている。
陰陽師と言えば、これだよね。そんな陰陽師が生まれたのが平安時代。陰陽師というイメージがキッチリと固まったのが大体この時代になる。
烏帽子を被った和服のひょろい男が紙の札を指に挟んで謎の呪文を唱える。
そして何故か敵対するものが謎の力によって吹き飛ばされる。
創作物のイメージが強すぎだ。なんだそれ。ESPの方がまだ理屈で理解できるわ。
だが、陰陽師と言えば札と呪文。そして『式』である。それこそが陰陽師のアイデンティティと言えるだろう。
でもさ。
札と呪文ってチンプンカンプンだよ? なによ、それ?
あと『式』というのも、良く分かんないよね。
式ってそもそもなんなんよ。
なんか下僕っぽくね?
え、奴隷でしょ?
いやいや、部下でしょ?
え、使い捨ての駒とちゃう?
うわぁ、陰陽師えげつねぇ。
と、何となくのイメージしか『式』という言葉を聞いても思い浮かばないだろう。
平安の時代。国家公務員である陰陽師達が、どうやって妖怪や妖異を『式』、つまりは自分達の手足として使役出来たのか。
それには深ーい理由があった。
平安以前にも怪しげな術を使う人間達は数多く存在した。その多くは詐欺師であり、まず間違いなくインチキであった。
教養なんてものが上流階級のみのステータスだった時代である。誰もインチキをインチキとして判断する知識すら無い。そんな時代である。
教養? なにそれ。ウマイのか? だったら食わせろぉぉぉ!
というのがこの時代である。実際は『食わせるでおじゃぁぁぁぁぁ!』であるが、とりあえず話を進めよう。
陰陽師もその始まりは『詐欺師』からのスタートだった。
人を騙し、金を巻き上げる事を生業とする者達が寄り集まって出来た集団。それが陰陽師の前身であり、雛形となる。
……マジだよ?
そんでもって、その悪知恵働く集団が楽して大金を稼げる方法を考え抜いて生み出した。
それが『人形遣い』だった。
今でこそ大道芸等で一般的になっているが、大昔では、とても珍しい技術だった。だって人形が勝手に動くんだよ? 糸とかは付いてるけど。
お口ポカーンで見ちゃうよね。
まるで生きているかのように動く命なき人形達。それを見た中世の人達は皆一様に度肝を抜かれた。
まさしく『おじゃぁぁぁぁぁ!』である。
旅芸人として各地を巡り、彼らは無知な人間達から金をむしりとった。それは時に脅迫を伴った。人智を越えたものを見せつけて無知な者達に恐怖心と畏怖の念を持たせた上で、こう締め括るのだ。
『うちの人形ちゃんが言っておる! 金を出せと! さもなくば、この村に不幸が訪れるでおじゃぁぁぁぁぁ!』と。
現代でも似たような事が横行しているが、いつの世も人間のやることに大差は無いという証左でもある。
流石に大昔では金なんて早々用意できるわけもなく。食い物や換金性の高いものを強奪、いや、拠出させたのだが、ここで想定外の事態が起きた。
悪意だらけとはいえ彼らの人形作りと操作技術は確かに秀逸であった。そしてその技術、人形捌きに心奪われたのは人間だけではなかったのだ。
そう、それは妖異、妖怪の類い。人形を以て超常を騙る者達は、超常の化身『人ならざるもの達』の関心もまた、集めてしまったのである。
つまりはミイラ騙りがミイラに集られた。そういうことが本当に起きたのだ。なんだミイラ騙りって。まぁいいや。
それはまさに……
『おじゃぁぁぁぁぁ!? おじゃじゃぁぁぁ!?』
という驚天動地の事態であったという。いや、この時代はまだ平安貴族じゃないので多分おじゃとは叫んでいないが。
この当時、まだ人の生活に『人ならざるもの』が密接に関わっていた時代である。
川で泳げば河童に襲われる。
山に入れば山賊に襲われる。
それは当時の人間にとって、どちらも日常的な事だったのだ。
なお、どうでも良い知識になるが、当時の河童も相撲が好きだった。しかし当時の相撲は今とはルールがまるで違っていた。打撃のみならず蹴り、関節技、果ては寝技など。当時の相撲は、なんでもありのデスマッチだったそうな。河童が冗談抜きで物理系最強を誇っていた時代である。どうでもいい知識だけどね、本当にね。
そんなわけで人々を騙して金を巻き上げる悪徳集団は、自分達よりも遥かにヤバイ奴等に『お前ら、おもろいな』と興味を持たれる事になったのである。
これには流石の悪人達もビビりまくった。しかし悪人は往生際の悪さも天下一品である。
悪い人間達は、ずる賢く、強かであった。それはもう、妖怪達が脱帽するくらいに。
そう。悪人達は起死回生の策を編み出した。
『俺らの子孫がお前らの面倒ずっと見るから俺らの子分になって』
『マジで!? なるなるー!』
そんな『契約』が悪い人間と妖怪達の間で取り交わされた。これこそが『式』の始まり。陰陽師と式という雇用契約の始まりであった。
対価を支払う代わりに言うことを聞いてもらう。それはとってもビジネスライクな関係であった。当時はね。この当時はね。
なお、またしてもどうでも良い知識になるが……かの有名陰陽師である安倍晴明はこの契約を結ばずに妖怪を使役したとされている。
安倍晴明。彼はなんというか……子供っぽい大人だったのだ。それこそ真夜中の朱雀大路でフルチ○パレードを妖怪達と敢行してしまうくらいの……所謂アンポンタンだったのだ。
彼が官位を得るまでかなりの年月が掛かったのもそれが原因。当時、彼の周りの人々はものすごく苦労したのだ。妖怪と一緒になって馬鹿騒ぎしまくるおっさんの対処に。それはもう、大変な苦労を。彼の家族、知人は、いつもため息を吐いていたという。
だが安倍晴明は気にしない。フルチ○パレードで百鬼夜行である。妖怪達もみんなフルチ○で一体感が半端ねぇ。いや、晴明さん。お前、本当になにしてはるの?
安倍晴明からすると妖怪は『対等な友達』だった。自分の頼み(レッツフルチ○パレード!)にも快く応じてくれる気の良い奴等。安倍晴明と妖怪達は、そんな関係だった。
当然友達なので、そもそも無理なお願いなんてしないし、逆に助力を頼まれれば二つ返事で力を貸した。安倍晴明という人間は人ならざるもの達とすこぶる良好な関係を築いていたのだ。それこそ『稀代の陰陽師』として後世に名を残すほどに。
だが、これは稀有な例である。本当に稀有な例である。稀有なんだけど、もう一人だけ稀有な陰陽師がいる。それが『道満』である。
何故か晴明の敵にされる道満さんであるが、彼もまた妖怪達と良好な関係を築けた数少ない人間である。流石にフルチ○パレードは出来なかったけどね。
彼も晴明によって大変な苦労をさせられた被害者の一人。その辺のあれやこれやが歪曲されて後世に伝わり、仲違いしていたと現代では取られている。しかし現実として二人は親友であった。
『次は内裏でパレードすっぞ! 行くぜ道満!』
『行かねぇよ馬鹿! この馬鹿! だからお前は昇進しねぇんだよ!』
そんなやり取りが普通にあったのだ。なお、内裏というのは当時の政治の中枢機関である。ここは今で言うところの……省庁になるだろうか。当時の権力者達が、そこに集まり政を行っていたので行政府も兼ねている。つまりは騒いじゃ不味い場所である。なんか問題起こすと普通に怒られるというか、物理的に首が飛ぶ。そんなヤバイ所である。
後年の晴明は流石に反省したのか、若い頃とはうってかわり無茶は控えるようになった。きっと陰陽寮に入ってきた孫に怒られまくってショックだったのだろう。老年に入ってもフルチ○パレードしてたら、そりゃ孫からも怒られますってば。
話が長くなったが、要するに『陰陽師』とは妖怪と契約した詐欺師の集まりがその前身にある、ということなのである。なんかフルチ○パレードで全てが吹き飛んだな。すごいぞ晴明。
安倍晴明が異端児なだけで、陰陽師とはそもそも『外道』なのである。当時の陰陽寮、つまりは陰陽師達の職場には暦を作る人達もいた。その人達も妖異の力を借りて暦を作っていたのである。そっちはそこまでの外道じゃないよ。元々インテリだった人達ね。こっちの人達の方が本来の『陰陽師』になるのかな。役人としての陰陽師ね。
裏の陰陽師と表の陰陽師。
この二枚看板で最初期の『陰陽師』というのは成り立っていたのである。
そして今はこの『裏』しか存在しないのが現代陰陽師である。
元来『陰陽師』は陰と陽があって成り立つ存在だった。それが崩れた。おかしくなった。
おかしいのしか残らなかった。そゆことになるのかな。
さてさて、ここまで延々と説明してきたから何となく分かってきたよね?
陰陽師ってのが、どんなものなのか。
これを知っとかないと物語が分からないからね。面倒だけど事前知識って大切。
そんなわけで、そろそろ本題でもあるボインちゃんの話に入ろうと思うんだけど……大丈夫なの? これ。本人に承諾とか……あ、内緒なんだ。それってヤバくね?
……モーマンタイ? なんでそんなに自信満々なんだかなぁ。まぁいいや。
それではボインちゃんの『ボインボイン物語』の始まり、始まりぃぃぃ。
それはまだ春先の事だった。
いつものように朝のお勤めを終えた真理亜が父と母と朝食を食べていた、そのときの事である。
安倍家の大黒柱、安倍権蔵(40才)がマーガリンの塗られたトーストをガジガジかじっていると、テーブルの上に立っている木のお椀がマグカップを差し出した。中身はコーヒーである。それも砂糖とミルクがたっぷりのミルクコーヒーだ。
テーブルの上に立っている木のお椀がマグカップを差し出したのである。中身はコーヒーな。
そこは自分に注げよと思わないでもないが、お椀にコーヒーは確かにちょっと……うーん。
「お、済まないねぇ」
「いいって事よ。これくらい」
安倍権蔵。微塵も動揺せずにお椀から差し出されたマグカップを受け取った。そして猫舌の彼は少しずつコーヒーを啜るのであった。
安倍権蔵。名前は厳ついが普通の会社に勤める一般人である。かつては陰陽師として活躍したが、それもかなり昔の事。今は一般会社の経理事務を担当している温厚そうな眼鏡のおじさまである。なお、頭は総白髪であり、外見だけなら六十代のおじいちゃんにも見える。だがこの男、先月まで三十代だった男である。総白髪って老けて見えるよねぇ。
朝の安倍家の食卓は普通の家庭の食卓とは大分異なっていた。
まず手足の生えたお椀がテーブルの上に乗っている。
この時点でもうおかしい。手足の無いお椀ならば、おかしくもない。だが、お椀に手足が生えてて、わりとアクティブにテーブルの上を動いているのだ。それはもう、ちょこまかと。
「ゆりちゃん、お塩使う?」
「あらぁ、いつもありがと」
お椀は今度は塩の瓶を手にし、権蔵とは別の相手に手渡した。渡した相手は安倍家のオカン、安倍悠里(え、年齢は内緒?)その人である。
安倍悠里。さっき権蔵のところで大黒柱と表記したが、彼女こそが、この家の真のボスである。いつも好き勝手する妖怪三人衆も、この人にだけは逆らわない。何故ならお小遣いをくれるのが権蔵ではなく彼女だからだ。
彼女も幼い頃に陰陽師として活躍した元陰陽師である。それはもうブイブイと言わせたらしい。今でこそスーパーのパートに入っているおばちゃゲフンゲフン!
……素敵なお姉さんであるが、かつては人間、妖怪、共に彼女を酷く怖れたらしい。ゆりたん、なにしたん?
年齢不詳の悠里さんは美魔女としてご近所さんやスーパーで有名である。夫婦が並んで歩いていると保険金殺人の臭いがしてきそうだが、実際は、とても仲睦まじい夫婦である。
「まーちゃんは……相変わらず目玉焼きにケチャップかぁ」
「美味しいからいいんですっ!」
目玉焼きにケチャップ……ま、まぁ好みは人それぞれだよね、うん。
そんなケチャップ好きの主を前に、テーブルの上のお椀は真摯な瞳で上空を見上げていた。
見上げた先にそれがある。
でかい。
何とは言えんが、でかい。
下から見上げると巨大建築物が一部だけ異常にせりだしているように見える。
どどーん! そんな感じで、ボインがどどーん! というかドカーン!
主である真理亜ちゃんを目の前にし、お椀は圧倒される。物理的な質量に圧倒されるのだ。なんて巨大な物体が空に浮かんでやがるんだ! と。
お椀が甲斐甲斐しく毎朝のお食事を手伝うのは、この絶景を楽しみたいがためである。テーブルの上がベストビューポイントゆえに。
うん、分かる。それは甲斐甲斐しくなるよ。
お椀が見上げる先、圧倒的質量を誇るボインの更に上。霞んですらいそうな遠くに奥ゆかしき美少女の顔が見える。ボインに隠れて半分は見えないという奇跡の構図だ。
彼女こそがド級ボイン……じゃなくて、安倍家唯一の陰陽師である安倍真理亜その人である。
長い黒髪を後ろで束ねた清楚系美少女ボインで現在十六才。現役女子高生である。つまり高校を卒業すると現役引退女子高生になるのかなぁ。むむむ。
思春期の男であれば、十人が十人ともナンパするという絶世のボインちゃんである。
彼女がそのまま老けていくと美魔女になり、ゆりたんになるそうだ。いや、ゆりたんは大和撫子って感じじゃなくてガチの魔女っぽゲフンゲフン!
……母と娘が並ぶと『まぁ美人姉妹ねぇ』と近所の人は言うらしい。というか、言わないと、ゆりたんが恐いらしい。
すごいな、安倍家。権蔵が総白髪なのは、そのせいじゃないか?
「……すぅ……パン! パン!」
お椀が一礼してから柏手を二回打つ。頭上の空母に拝礼である。今日も朝からごっつぁんです。神様ありがとう。ボイン神よ、ありがとう。
なんで妖怪が神様に祈りを捧げているのか、よく分からない。しかしこれも安倍家の日常なので家族は誰も気にしない。
安倍家は陰陽師という特殊な家庭ではあるが、朝食の内容は基本的に洋食である。トーストに目玉焼き。ハムかソーセージが付いて、お野菜はサラダがボウルで用意される。目玉焼きに塩なのは権蔵とゆりたん。真理亜ちゃんは一人だけケチャップ派である。なんかハイカラだねぇ。
朝食の風景だけ見ると、普通の家庭である。今も拝んでいるお椀を視界から外すとね。
陰陽師だからといって朝から和食オンリーということは現代では、まず有り得ない。洋食が一般的になった現代である。陰陽師や式も時代に合わせてガッツリ変化しているのだ。
「今日も素敵なおっぱいをありがとう」
不沈空母をなむなむと拝んでいるお椀の妖怪は、昔からほとんど変わらないが。
「……」
真理亜ちゃんは、そんなお椀を無言で見下ろしていた。ボイン越しであるが美人の冷めた瞳である。迫力が半端ない。しかしお椀は怯まない。彼は安倍家の式である。なんならあの安倍晴明とフルチ○パレードをしていた古参妖怪でもあるのだ。
いくらボインで大和撫子な女の子が冷めた瞳で見つめてきてもノーダメージ。なんたるメンタルなのだろうか。
そこまで鍛えないと空母を下から望めないのか……うーん。
そんなお椀の強メンタルに、この人も呆れるばかりである。
「……はぁ」
ボインが震えた。あ、違う。真理亜ちゃんが、ため息を吐いたのだ。ため息で震えるボインってすごい。
「あら、ため息なんて真理亜ちゃんも思春期ねぇ」
母親であるゆりたんは笑顔である。震えるボインに少し顔が引きつって見えるのは多分気のせい。そしてそんな素敵な家族の食卓に新たな怒声が響くのだ。
「なんだと!? まだ大きくなるのか、まーこ! これ以上大きくなってどうするというのだ! ブラもパンツも既に特注品だと言うのに!」
「うるさいっ! 確かにまだ大きくなってるけどそうじゃないわよ!」
安倍真理亜さん。まだ成長期という恐ろしい事実が判明。
そして『まーこ』と真理亜ちゃんを呼んだのはテーブルの上にいるお椀……ではない。彼は(今更だが彼でいいのか?)まだ聖母拝礼の途中である。
ゆりたんに追随して声を張り上げたのは床にあるスリッパだった。それは、くたびれた片方しかない猫さん柄のスリッパだった。そのスリッパが喋ったのである。
床にあるスリッパが、である。こいつにも手足が生えている妖怪スリッパだ。
この片割れスリッパも安倍家の式のひとつ。ひとつというか、一人か?
このスリッパは真理亜ちゃんが幼少期に使っていた使い古しのスリッパである。幼女真理亜ちゃんの足裏汗と幼女な臭いがこれでもかと染み付いたスリッパなのである。
……いや、引くわ。なんでそんなのが式やねん。
だが、このスリッパも安倍家の式なのである。すごいな、安倍家。大丈夫か?
安倍家の式は現在三体のみ。お椀とスリッパがここで出揃った。朝の食卓に式も参戦しているのは陰陽師の家庭ならではと言えるのだろうか。スリッパ、テーブルの下に置き忘れた感じになってるけど。
そしてここで最後の一体。安倍家のお馬鹿三人衆、最後の一体がキッチンのコンロの上から会話に参戦である。
「ふむ。マリィはまだまだ成長期か……そのうち乳が本体になるのだろうな」
「ならないわよ!」
真理亜ちゃん、激怒。朝から血圧が急上昇である。そして顔がキッチンに向いた拍子にボインがボインとした。それはもうボイボイボイーンである。お椀のお祈りは更に感謝を増していく。
既に本体感は強いねぇ。うんうん。ボインボイーン。
ボインに気を取られているとは思うが、キッチンから話し掛けてきたのはヤカンである。
そう、ヤカンだ。ケトルとも言う。ティーポットではない。
安倍家の式は『お椀』『スリッパ』『ヤカン』となる。なんだこの家庭的なラインナップは。お引っ越し先に必要になるものリストか。
ま、それはそれとしてヤカンである。
ヤカンは普通にコンロの上に置かれていて、ヤカンとして使われていた。ヤカンである。いや、ヤカンなんだけどね? 彼も立派な式であり、妖怪なのだ。
真面目っぽい口調だけど、ヤカンもお馬鹿三人衆の一人。なので、やっぱりお馬鹿なのは仕方ない。彼が依り代にしているヤカンは日常使いのヤカンとしても使われているので、今も熱湯が彼のボディの中をちゃぷちゃぷしてたりする。すごいな、妖怪。いや、すごいのは安倍家の人達か? 権蔵さん、そのコーヒー……。
ちょっと安倍家が怖くなってきたが、これで安倍家の式は全て出揃った事になる。
おっぱい大好き妖怪の『お椀』
幼女大好き妖怪の『スリッパ』
性癖不明の『ヤカン』
これが安倍家の式である。
真理亜ちゃんが幼女の頃は、もっと妖怪が家にいたそうだ。式として契約していた妖怪も沢山いた。それこそ妖怪が家から溢れるほどに。本当に溢れて大変な事になったらしい。そりゃ妖怪屋敷と呼ばれる訳だよ。
だけど真理亜ちゃんが成長するにつれ、妖怪達は減っていった。一人、また一人という単位ではなくゴッソリと。それはもうゴッソリといなくなっていったのだ。そして今。安倍家に残っているのは変態妖怪が三体のみとなった。
世知辛いよぉ。なんでボインなのに出ていっちゃうんだよぉ。
でも妖怪は、そこんところがシビアなのである。とても、とても自分に正直な存在なのだ。己の性癖暴露を気にせぬほどに。
「大きいことは良いことでもない。小さいものには小さい理由があるものだ」
とヤカンが言えば。
「いや、おっぱいは大きくないと」
と、お椀が返す。
「マリィは臀部も巨大だろうに」
とヤカンが更に返したと思えば。
「そっちは興味ないなー。とりあえずおっぱいだよ」
お椀は、ぶれない、迷わない。
「昔はあんなにつるぺただったのに……昔のまーこを返してくれっ! 俺のまーこを!」
スリッパはスリッパで床を叩いて泣き叫ぶ。床が液体に濡れていくが、多分彼の涙である。スリッパなのに泣くんだね。
ある意味、一番妖怪的な感性を持つのがスリッパである。幼女の使い古したスリッパを依り代にしていることから、その本気度が垣間見える。
すごいよ、スリッパ。そこまでやったら、もう尊敬しか残らないよ。真似は絶対にしないけど。
そんな変態妖怪に囲まれて育った真理亜ちゃんである。よくぞひねくれずに育ったものだと両親もびっくりしてたりする。
「……」
真理亜ちゃん、ひねくれはしなかったが、怒りっぽい女の子になっていた。遂にプルプルと震え出す。ついでにボインも震えるのでお椀は凝視である。
お馬鹿三人衆に好き勝手言われる日々。両親は既に慣れたもので、これも日常と割りきって普通に生活している。というか、妖怪達との付き合いが長いので自然とそうなったのだ。彼らも幼少のみぎりから妖怪達に触れてきた『陰陽師』である。
何度自分の式をボコボコにしたか、数知れず。特にゆりたんな。幼女ゆりたんは木刀片手に妖怪を使役したらしい。それなんてレディース?
それが陰陽師。それも陰陽師。チビッ子のボコボコなんて妖怪には屁の河童。
しかし真理亜ちゃんは現在十六才の女の子である。
『こいつらまとめて廃品回収の日に出してやろうか』
そんなことを思ってしまう普通の女の子なのだ。すごく控えめだな!? ゆりたんと大違いだぞ!?
そんな彼女が『今日もこいつらは……もー!』
と可愛くぶちギレる寸前。
それは起きた。突如として起きたのだ。
「……ん?」
「あ」
「これ」
妖怪達が急に動きを止め、静かになった。権蔵、ゆりたん、真理亜ちゃんも何事かと動きを止めた。その時である。
「「……ぎゃー!」」
安倍家のリビングに妖怪達の悲鳴が突如として木霊した。
そしてテーブルの上でお椀がガタガタ震え出す。何故か頭を手で押さえて体育座りである。頭というか……お椀のへり?
テーブルの下ではスリッパがガタガタ震えていた。芋虫みたいに縮こまってスリッパが半分のサイズになっている。
そしてヤカン。こいつが一番大惨事だった。
ヤカンは中身のお湯を溢しながらコンロから床に落下。キッチンの床に熱湯をぶちまけながらゴロンゴロンと床を転がり続ける始末。人が側に居たら大火傷間違いなしである。
真理亜ちゃんと両親は驚愕した。長年妖怪達と付き合っているが、彼らがここまでの醜態を晒すような事は今まで一度も無かったからだ。
明らかに異常。
明らかに何かが起きている。
それも妖怪達がここまで動揺する何かが。
「あわわわわわわわ」
「ひぇぇぇぇぇぇぇ」
「奴が……奴が来るぞぉぉぉぉ」
妖怪達が一様に怯えている。何かに対して酷く怯えていた。
その様子を見て、少し胸がスッキリした真理亜ちゃん。彼女も徐々に大人になっていくということなのだろう。
その後、妖怪達に詳しい話を聞いて真理亜ちゃんは知ることになる。かつて妖怪達を恐怖のドン底に陥れた一振りの刀の事を。
それは歴史の闇に消えたと思われていた禁忌の存在。
『妖刀卍護朱鎮』である。
……ここで出てくるんだ。
読み方どうする? いつもの……ダメなの? ちぇー。
上のは『あやかしがたな、まんじ、まもりて、しゅにて、しずめん』って読むんだよ。早口で言うと噛むからね。
マンゴスチンって読むと怒られるから要注意。
……ぐわっ!?
物語がようやく始まった感じですねぇ。話の進み方が変な感じですけど……大丈夫。慣れるから。読んでいくうちに慣れるから。