まさかの農道デート
春の農道は気持ちよしです。
堆肥臭いこともないし。
結構歩くからね、としょーちゃんが歩き出した道は、町の中心からどんどん離れて行く方向だった。
私はてっきり蔵造りの街並みとか、時の鐘を見るものだと思っていたので、混乱する。
あれ? 方向こっちだっけ?
「しょーちゃん、こっちでいいの?」
「うん。蔵造りの道とか行かない。あそこは土日に行くとこじゃない」
「えー、私、調べたんだよ。
蔵造りの一番街、時の鐘、川越本丸御殿、川越氷川神社、川越祭り会館、菓子屋横丁。あ、喜多院もあった!」
「川越王道コースだよね。でもそこら辺は、いつでも行けるから」
「?
いつもは行けないところ行くの?」
「季節的に今が一番楽しいよ。農道歩くの」
は? 農道?
農道歩くの?
それって楽しいの?
ハテナだらけの私を、しょーちゃんがにこやかに見ていた。
「特に、都会育ちの人は楽しいんじゃない?
りーりは東京からきた人だから、珍しいかと思って」
「農道なんて、周りになかったし」
「今、花の季節だから。人のおうちの庭も綺麗だしね」
私たちはそのままてくてく歩いて、畑と民家が混在する地域に入って行った。
広く畑が広がっていて、ポツンポツンと民家がある。所々にビニールハウスもあった。
畑の土がずいぶん荒く耕されているな、と思っていたら、これは畑じゃなくて田んぼなんだという。田起こしという作業で、田植えの前に土を柔らかくするんだって。
この辺の田んぼはまだ水が入っていないんだ。ずっと一面、ここは田んぼだった。
その田んぼの路傍、まっすぐ一直線に――
「たんぽぽー!」
「これは、すごい群生だね」
まっすぐ一本の黄色い線に見えるくらい、みっちりとたんぽぽで埋め尽くされている路傍があった。太陽の陽を浴びて光ってるみたい。
こんな咲き方してるたんぽぽ、初めて見た!
黄色い光の線がしばらく続いた。
その向こうに立っている木は濃いピンク色だ。所々に葉っぱもついているのは……
「八重桜?」
「うん。ソメイヨシノが終わってからが見頃だよね」
「散った花びら、絨毯みたい」
「花を付ける期間が長いから、まだまだ楽しめる。公園に植えられてることも多いよね」
「そうなんだ。だから私にも馴染みがあるんだね」
「りーり、あれは分かる?」
路傍に細い葉っぱがたくさん、空に向かって伸びていた。背の高さは二十センチくらい。濃い、緑の草原みたいなんだけど、葉っぱは変わっていてさわさわと揺れている。路傍から畑に侵食しているみたいだった。
「あれは、スギナ。ああなる前はつくしがたくさん生えてた」
「つくし! ここに生えてたの?
しかも、たくさん?」
「薄茶色のつくしでいっぱいに埋め尽くされてた。
つくしは食べられるんだけど、知ってる? 袴を取るのが大変だけど」
「つくし、食べちゃうのっ? つくしの袴って何?」
「茎と茎の境目に小さなガクみたいなのがついてるの。それを袴って呼ぶな。
つくしはアクが強いから、袴取りすると手が真っ黒になるよ」
「へえええ」
黙って付いてきていたカイトさんが、畑を見て肩をすくめた。
「……この畑は大変だな」
「そうだねえ」
「? なんで?」
「スギナは繁殖力が強いから。畑に生えると駆除するのにかなり時間がかかる。小さな根っこが残ってると、そこから生えてきちゃうんだよね」
「そうなんだ」
「ミントもな。あれはしばらく手こずったな」
「カイト、カフェで使えるからって、地植えするから」
「もう、やらん。あれはプランターでいい」
……カイトさん、畑仕事するんだ。
このスタイリッシュなイケメンが、鍬振るってる姿なんて想像できないけど。泥とかついたらすごい機嫌悪くなりそう。
私の頭の中のイメージに気づいたしょーちゃんが、くすくす笑った。
「カイトは土いじりも上手いよ。
実際、農家やってるキツネいるし」
「そうなのっ?」
「能力の高いキツネは人の生活の中に溶け込んでる。その方が目が行き届くこともあるから」
「前に言ってた、綻びを見つけること?」
「そう。
カイトは僕のお目付け役があるから、町に適応した形で今のカフェにいる。カフェの形をとっていると、仕事がしやすくて」
「そうなんだ……」
「断っておくが、小娘」
カイトさんがギロリと私を見下ろした。
少し吊り上がった目の秀麗な顔で睨まれると、迫力が段違いである。
イケメン、睨むな。怖いだろうが。
「この顔は人の美意識に則して作っているのではないからな。俺が人の姿になるとこの顔になるんだ」
「イケメンに寄せてる訳じゃない、ってこと?」
「わざわざそんなことするか、面倒臭い。無駄に注目されて迷惑している」
「ブサメンに寄せてみたら?」
「それもまた、面倒臭い。なぜ俺が人に合わせてやらねばならんのだ」
確かに、その言い分は納得。
ほっといてもイケメンってか。
このキツネ、なんでも持ってるな。
しょーちゃんが何かを見つけたのか、私を手招きしていた。
路傍ににょきっと長い葉っぱを出している草だ。抜いてみて、というのでなるべく根元を抑えて抜いてみた。四十センチくらいの細長い葉っぱの下に、鮮やかに白い小さな球根のようなものが付いていた。ぷっくりと膨れた球根がかわいい。
何これっ。
「これは、ノビル。まだ小さいね」
「土がよくないんだろう」
「ノビルって、何?」
「野草。食べられるよ。エシャロットに近い」
「これ、食べられるのっ?」
「うん。路傍のだからこれはやめておいた方がいいけど、河原とか、除草剤撒いてないところは大丈夫」
「すごい、自分で食べるものを、自分で採れるの!」
「探せば、割とあるよ。ポイントによってはワラビもあるし。この辺の人はあまり食べないけど、イタドリとか」
「しょーちゃんはイタドリ好きだね」
「うん。ご飯が進む」
うわー、なんだろう。
地元に根付いている人たちの会話っぽい。
そこにすんなり入れてもらえてる感が心地いい。
その後も畑を見ながら、あれはさやいんげん、あれはジャガイモ、たまねぎとニンニク、あれはそら豆。そら豆のさやって空に向かって生えてくるんだよー、など話しながら歩いた。畑に植わってるもの、見ただけで分かるってすごい。
路傍やおうちの庭には矢車草、ポピー、パンジー、ツツジ、ドウダンツツジ、小手鞠、大手毬、藤、もう名前も分からないような花でいっぱいだ。
天気がよくて、のどかで、そこら中に花が咲いていて、これサイコーじゃない?
穏やかな笑顔のしょーちゃんと、しょーちゃんにつられて和やかな雰囲気のカイトさん。
こんなカンジで歩けるなんて思ってもみなかったよ。
――散歩中の老夫婦に話しかけられるまでは。
「おや、ボク、お兄ちゃんとお姉ちゃんと散歩かい?」
「あんまり二人の邪魔しないようにねえ。大人には二人きりの時間も必要なのよ」
「いやあ、カップルについて歩くなんて、可愛い弟くんだねえ」
「よっぽど、取られたくないのねえ。うふふふ」
笑い声を残して、老夫婦は仲良さそうに去っていった。
気のせいか、暖かかった春の風に、ブリザードが混じっている気がした。
私に向けて吹いてくるのはなぜだろう。
寒気がする。冬の匂いがする。
……しょーちゃんが完全に固まっていた。
ブリザードはしょーちゃんから吹いてきていた。
顔から血の気が引いている。
今のは完全に、『彼女(私)と彼氏のどちらかの弟(小学生しょーちゃん)が、二人は恋人だってわかってるけど二人きりにさせないためにヤキモチ妬いてまとわりついている』の図だと、思われたに違いない。
いや、じーちゃんばーちゃん、この人小学生じゃないから! 高校生だから!
こう見えて、同い年の彼女持ちですからっ!
カイトさんがわざとらしくスマホを確認した。
「あ、しょーちゃん、俺はこの近くで用事を済ませてくるから」
「………………ああ」
「何かあったら連絡して。もちろん何も無い事を祈っている」
カイトさんは長い足で、スタスタとその場を去って行った。いやもう、呆れるほど勢いよく。
小娘、あとはなんとかしろ、という視線を私に飛ばしながら。
……あの、ヤロー。
冷えきったこの現場から、逃げやがったな。
しょーちゃんは肩を落として地面をガン見していた。哀しげな肩の線が細い。
しょーちゃん、その姿こそ、小学生に見えるんだけどっ!
ど、どうしよ。なんて声かけたらいい?
えーと、えーと、なんかこう、盛り上がる感じで……!
「しょ、しょーちゃんは、絶対にカイトさんみたいなイケメンになれない!」
「!!!」
わー、言っちゃった! ホントのことだけど言っちゃった!
しょーちゃんがギロって見てくる。
待って、まだ言いたいことあるから!
「カ、カイトさんみたいになれないけど、可愛い男子になれるっ!」
「……可愛い、禁句で」
「えと、童顔系イケメン俳優みたいにはなれる!
そこは、ノビシロしかない! 私はそこ一択に賭けている!」
「何、それ」
「世間では一定の需要があるのです!
三十越えても高校生役できる俳優さんとかいるじゃん。しょーちゃんはその枠だもん。仮面〇イダーの枠じゃないもん」
「……」
「だから、なんていうか、私はしょーちゃんの顔が好きだから」
「僕の顔……も、好きなの?」
「言ってなかった? 拝めるって、言ってなかった?」
「あー……聞いた気もする。
というか、顔を拝むって何?」
「良い顔は拝みます! 世間はそういう風にできてます!
だからね、そこは私に免じてね」
私はしょーちゃんを覗き込んだ。
複雑そうな表情してる。
小学生、正解が分からず困惑するの図、的な。
でも尊い。私にとっては崇拝できるご尊顔だ。
「……今の出来事は、なかったことにしよ?」
「………………」
「何も、ありませんでした。
ねっ!」
「……わかった。そうする」
………………あー。
よかった。
これは多分、しょーちゃんの地雷だなあ。
絶対、踏まない。踏ませない。
これから気をつけよう。
だって、フォローが大変すぎる。
のほほんからの激震でした。