デート
デートしようよ。
暗くなった農道を一台の車が走っていた。
運転席にはスーツを着た女性。
後部座席にはチャイルドシートに載せられた女の子が、ご機嫌な様子で保育園で作った工作の話をしていた。
女性は子供の言葉に相槌をうちながら、農道に目を凝らしていた。
また子供のお迎えが遅くなってしまった。
今日は最後の一人ではなかったが、毎日のように最終メンバーの中に娘がいる。最近、娘と過ごす時間が少ないことは自覚していた。
だが、母子家庭の我が家では、仕事を優先しなければいけないのも事実だ。納期直前の今は、ギリギリまで残業しなくては間に合わない。納品できなくては本末転倒である。
五歳になる娘はすっかり保育園に馴染んで、愚図つくことはほとんどなくなった。入った頃に比べたら格段の進歩だ。保育園の先生の努力と、熱心さのおかげである。
それに甘える自分がいて、それではダメだと思う自分もいた。母としてやれることは全てやろうと、離婚した時に決意したじゃないか。
仕事に一区切りがついたら、車で娘と出かけよう。
動物園などいいかもしれない。
思い切り甘やかしてしまおう。
そう、未来の自分に誓った時だ。
「ママー」
「んー、何?」
「お外で、おいでおいでしてる」
「ええ?」
「ほら、あそこ。
お手てが、おいでおいでしてるよ」
「どこ?」
「よるなのに、お外であそんでおこられないのかな」
娘の言葉に女性は農道を凝視した。
前方に、確かに手が見えた。
こちらにおいでというように、手が招いている。
唐突にハンドルが取られた。ぐいっと左にハンドルが切れるのがわかった。
左にがくっと車体が曲げられた。
走行するスピードそのままに、車は田んぼに向かっている。
ブレーキが間に合わない。
女性は盛大に悲鳴を上げた。
車は田起こしが済んだばかりの田んぼに、勢いよく乗り込んで行った。
※ ※ ※
「デート?」
しょーちゃんが私の言葉を繰り返した。
私の彼氏であるしょーちょんの声に、ほんの少しだけ、デートって何するの? という残念な色が含まれている気がした。私が初彼女のしょーちゃんは、デート経験がない。ないにしたって、デートって何するのってのは、ちょっと……。
そんな気はしたが、私は気にしない。鈍感力も時には必要である。
しょーちゃんみたいな、自分には一生彼女ができるはずがないと心から信じていた男子には、特に。
「デートしようよ、しょーちゃん」
「デート……」
「そうだよー。せっかく付き合ってるんだから、デートしよー」
「デートって、何するの?」
……うお、リアルでその言葉、きたか。
もし恋人が出来たら、あんなとこやこんなとこ行って、一緒になんかして一緒のもの食べて、いっぱい写真撮ろー♡ なんて妄想はしないのね。
……しないのかよ!
悪かったね、しまくってたよ!
学校からの帰り道、私たちは話しながらゆっくりと歩いていた。
登下校は用事がない限りは一緒に、というルールは付き合ったその日に取り付けた。そうしないと、はい付き合いました、以上! で何事もなく終わってしまいそうだったからだ。
実際にこの前の帰り道、「ああそっか、付き合ってるんだったっけ」ってしょーちゃんがぼそっと呟いたのを、私は聞いているのだ。
聞こえないフリしたけど、聞こえてましたから! 乙女の胸はちゃんと傷付いたんだからね! 付き合ってることを今あなた忘れてましたね! 隣にいる私、その程度の存在なんですね!
そりゃあ、一方的にわたしが好きになって、しょーちゃんに猛烈アタックで付き合うことになったわけだけど。付き合ってることすら忘れられる私の存在って、しょーちゃんにとって、薄すぎない? 透けてない? どーでもいい存在くない?
LINEは交換してたから、毎日している。
「明日雨かもだって。折りたたみ傘持っていこー」「今日の世界史の宿題、オニじゃない?」「しょーちゃん、明日の朝も学校一緒に行こうね」とか毎日している。
してるけど、しょーちゃんの返信は短い。「うん」「そうだね」「わかった」くらいだ。
……私、空回ってね?
しょーちゃん、私に興味なくね?
だからこそ! デートしてお互いをもっと知るべきだと思うのだよ。知らなすぎなんだよ、私たち。
しょーちゃんが何が好きで何が嫌いで、何に興味があってどんな風に思ってるのか、全く全然わかんない。
相手がどう思っているのか知りたいと思うのって、普通だよね? 特に彼氏なら、より知りたいよね?
別に私がストーカー的粘着質なしつこさでしょーちゃんの内面を根掘り葉掘り掘り下げようとしているわけではないからね! そういう変態思想ではないの。純粋に好奇心ですから!
「二人でお出かけするの! お出かけして楽しいこといっぱいするの!」
「それが、デート?」
「そう!
川越の観光名所にカップルいっぱいいるじゃん。
あれがデート。あれやろうよ」
「あれ、楽しいのかなって、思ってた。あんなに人の多いところ、歩いてて楽しい?」
「たまたま人が多いだけで、珍しいもの見るのは楽しいんだよ!」
「川越が? あれって、珍しい?」
「そこの、川越在住地元民。川越舐めすぎじゃない?
蔵造りの街並みとか時の鐘なんて他では見られないんだからね。少なくとも、東京にはないんだから!」
「言われてみれば、そうかなあ」
しょーちゃんの反応がにぶい。
明らかに関心がない。
今更川越歩くの? ちょっと面倒だな、とか思ってそうだ。
こんな時には、こうだ。
私はしょーちゃんのカバンを掴んで足を止めた。
じいっとしょーちゃんの眼鏡の奥の目を見つめた。
幼さの強く残る、でも蒼みがかった綺麗な目だ。
その目に向かって、なるべくゆっくりと言う。
「好きな人と出かけると、どこに行っても楽しいの」
「……」
「だから私は、しょーちゃんとどこかへ出かけたいんだよ」
「……」
しょーちゃんはじわっと赤くなってそっぽをむいた。こんな時、しょーちゃんは必ず目を逸らす。
小さく、「わかった」という返事がきた。
……これよ。この反応よ。たまらんのよ。
しょーちゃんは時々、隣にいる女子が自分を好きだってことを忘れるらしい。
たまたま隣にいる女子じゃなくて、隣にいるのはしょーちゃんのことを好きな私、をアピールしないと、ただの友達になってしまいそう。いかんよ。好きアピール大事だよ。
でも、アピールの度にこの初い反応を見せてくれるので、私としては非常に楽しい。
照れてるよ、しょーちゃん。
もう、可愛いよー。
うちのしょーちゃんは可愛いんだよー。
「りーり」
しょーちゃんがじと目で私を見ていた。
口元が一文字に結ばれている。
「……りーりって、たまに僕で遊んでない?」
「……!
ないないない。んなわけないじゃん」
「そうかな」
「そうだよー。考えすぎだよー」
――しょーちゃんは、見かけより割と鋭いので、注意が必要です。
よし、よく覚えておこう。
その週の、土曜日。
見事な晴天だ。
デート日和というやつだ。
待ち合わせに指定されたのが喜多院という、川越の有名なお寺だった。
もう終わってしまったが、境内は桜の木がたくさん植わっている。桜の時期はお花見客でいっぱいになるそうだ。確かに見応えありそうだな。
お寺の本体は、大きな階段の向こうに大きな拝殿がある。とても立派なお寺だ。観光客の姿も多い。
ふと説明書きを見ると、国指定の重要文化財って書いてあった。
いや、待てよ。
ちょっとした待ち合わせ場所が重要文化財って、川越どうなってんの? 重要文化財って、もうちょっと格式高いというか、なかなか近寄れないような、そういうものじゃないの? 拝観料なしで境内入れるのどうよ? おばさんが買い物袋ぶら下げて、ただの帰り道として境内つっきってる重要文化財って、どうなのよ?
しょーちゃんは時間通りにやって来た。
ベージュのカーゴパンツに白いTシャツ、ネイビーブルーのパーカー。頭には黒いキャップ。
普通に男子高校生らしいコーデなのだが……なんだろう、この小学生感。ちょっと背のびした小学生みたいな。学校の制服より格段に幼く見えるのは、なんでなんだろう。
「りーり、待った?」
「ううん。早く来すぎたから、うろうろしてた。
待ち合わせ場所が重要文化財って、凄くない?」
「別に。分かりやすいからここにしただけで。
市民にとっては当たり前の場所だから」
「分かりやすいって、それだけ?」
「うん。
ここって夏休み、小学生のラジオ体操の会場だったりするよ」
「ラジオ体操?
重要文化財がっ?」
「重要文化財が」
何それ。おおらかすぎないか、重要文化財。
説明しているしょーちゃんの背後から、ぬっと背の高い影が現れた。ついでにしょーちゃんの肩を抱いて、その手を弾かれている。
艶やかな髪を一纏めにした、白皙の頬を持つ美貌の男。秀麗な顔を不機嫌そうに歪めて私を見ているのは、カイトさんだ。しょーちゃん至上主義、しょーちゃんに近寄る者は食い殺す、と分かり易く威嚇してくる、黒キツネのカイトさんだ。
つか、なんでカイトさん?
なんでいるの?
どゆこと?
「……しょーちゃん、集合」
「何?」
私としょーちゃんはカイトさんに背を向けた。
私は半目でしょーちゃんを見る。
「……なんでカイトさんがいるの」
「出掛けるって言ったら、カイトも用事があるからついでに行くって」
「保護者付きじゃ、デートとは呼べないんだけど」
「そもそもカイトに、デートだって言えないじゃない」
「内緒にしてるからそうなんだけどっ。
すでにすっごい睨んでくるんだけどっ」
「仲良くしてね」
「無理難題ふっかけるよね、しょーちゃんは!」
こそこそしてたら、私としょーちゃんの間をカイトさんが割って入ってきた。物理的に身体を入れてくる。さらにしょーちゃんを背後に守るかのように立った。
仲良さげにしてたのが気に入らないらしい。
「小娘、さっきから何を話している」
「カイトさんに聞かれたくない話です」
「……何?」
「りーり、仲良く、仲良く!」
カイトさんの背中からしょーちゃんが顔を出してダメ出ししてきた。
いらっとした勢いで、つい本音がだだもれてしまった。
だって、来るとは思わなかったんだもん!
絶対邪魔してくるよ、このキツネ!
とは思ったものの、しょーちゃんの声で軌道修正をする。
「カイトさんは、土曜日の稼ぎ時にカフェ閉めて、何やってんですか?」
「りーり、言葉にトゲが……」
「カフェの収入はもののついでだ。俺には他に仕事がある。
それより、頑なに外出する相手を明かさないしょーちゃんの連れを見極める方が重要な任務だ」
「カイト……」
「まさかの小娘だったがな。
貴様、休日にしょーちゃんを無理矢理引っ張り出してどうするつもりだ」
「別に、僕は無理矢理って訳じゃ……」
「川越を案内してもらうに決まってんじゃない。川越に詳しい人間に案内してもらって何が悪いの」
「しょーちゃんでなくてもよかろうが。しょーちゃんの貴重な休日を、貴様の興味本位の物見遊山で浪費させるな」
バチバチと睨み合う私とカイトさん。
なんだろう。仲良くなれない。
本能的にこいつに負けるな、という気になっちゃうのはしょーちゃんが絡んでるから?
そもそも喧嘩腰なのはカイトさんの方だし。
しょーちゃんが私とカイトさんの間に入ってきた。
まあまあと可愛い笑顔で私たちを宥める。
私とカイトさんの腕をぽんぽんと叩いてきた。
くっ、可愛い。
カイトさんの顔が一瞬で蕩けた。
「僕はりーりを案内するけど、カイトは予定の時間まで一緒に行けばいいよ。ついでにパトロールにもなるだろう?」
「……そうだな」
「りーり、変なのついてきてごめんね。今度カイトのカフェ飯奢らせる」
「ホントに?!」
「しょーちゃん?! 勝手にそんな約束を……」
「ね、カイト」
「……ぐっ。しょーちゃんも、一緒なら」
「もちろん。カイトの料理はおいしいよ」
カイトさんが瞬時にデレデレになった。
世間にお見せしたくないイケメンのデレ顔だ。
ほら、通行人がちょっと遠巻きにしてる。
なんだかしょーちゃんに、手玉に取られた気がした。
でも、いっかー。それも幸せ。
そう思いながらカイトさんを見て、おそらくこのキツネも同じこと思ってんな、と見た。
一瞬私の事を見て、顔をしかめたからだ。
同志……なわけあるかい。ライバルだな。
私はカイトさんを、ライバルと認定した。
保護者同伴は、許されますか?
ない。
ないわー。