鬼神との対峙
カイトは職業柄、尻っぱしょりしてるはず。
でも、現代の感覚だとなんかかっこ悪いんですよね。
橋場でキツネたちがカイトを探している、ということにカイトは気付いていなかった。
気配がしたら即座に場所を改める、ということをひたすら繰り返していたらしい。鬼神の姫から姿を隠すには、身の置き所を変え続ける必要があったのだ。
橋場はかなり広くて、だからこそカイトが身を潜める場所が多数あった訳だ。
キツネが多数いるのならば、とカイトは何やら木に細工をしたようだった。
鬼神の姫に見つからないような、人の世のキツネだけが気づけるようなメッセージを残したという。キツネの特殊な力の範囲だから、私には見てもよく分からなかった。
カイトはそのまま私を連れて水辺へ移動した。葦に隠されるようにして、小さな木製の舟があった。カイト曰く、旧型の舟を廃棄するのが惜しくて、取っておいたものらしい。
エンジンなんかもついていない、船の後ろに竿のようなものが刺さった手漕ぎの舟である。竿のことは櫓と呼ぶのだそうだ。
私は舟の真ん中に乗り、カイトが後ろで櫓を漕ぎ始めた。するりと滑らかに舟が動き出した。
黒い被り笠に着物姿で櫓を漕ぐカイト。時代劇のワンシーンのようだ。
櫓を操る手を見て、だからカイトの手はごつくて大きいのかと納得した。力仕事をする男の手だった。
七百年続けていた仕事の姿だ。異様に様になっていた。
「カイト、カッコイイね」
「あ?」
「その姿、すごく絵になる。鬼神の姫様が気に入るわけだ」
「……見かけで仕事してるんじゃない。しかも罪人を送る仕事だぞ」
「そうだけど。『古狐庵』で難しい顔してタブレット睨んでるより、よっぽど芸術的」
「今、タブレットの中身を想像した。
……帰りたくねえな」
「あはははは、多分想像通りだよ。しょーちゃんが仕事溜まってるって言ってたもん」
「……少しの間、ここで二人で暮らさないか、りー」
「やーなこった」
私、ここじゃ魂だけだしね。
その割には、体はそのまま服を着た状態で見えるんだな。カイトも触れるし。不思議。
暫く滑らかに動く舟の動きに身を任せた。
水の色は蒼く深くて、底は見えない。
川の対岸も見えないのだが、川の真ん中に島のようになっている部分があった。中洲だ。
砂利が堆積してそこだけが陸地になっていた。
カイトの目的地は、そこだった。
ゆっくりと舟が付けられた。
カイトが舟から浅瀬に下りて、舟から繋いだ縄を手頃な岩に結びつけた。
カイトが手を伸ばして、私を舟から降ろしてくれた。
そのまま私の手を握ってカイトは歩き出した。
いや、手を繋ぐ必要なくない?
一人で歩けるけど?
見上げると、無表情なくせに口元だけ綻んでいるカイトがいて、手を振りほどくのも申し訳ない気分になってしまった。なんて、楽しそうにしてんのさ。
……今だけだからね。
浮気じゃない。断じてない。
ただ、私は押しに弱いのかもしれない。
と、脳内で反省しておくことにした。
中洲の真ん中には砂地と、巨大な岩があった。地面と平行にスッパリと切り取られたような岩だった。
降臨の岩棚と呼ぶ、とカイトが言った。
「俺が被っている黒い笠は人の世からの使者の印なんだ。先触れも出しておいたから、間もなく降臨される」
「先触れって?」
「格が上の相手にお会いする場合、事前に連絡を入れておくんだ。別に俺も、ただ鬼神の姫から逃げ回っていただけではないからな」
「降臨、て。誰が来るの?」
「神だ。異界の神。
鬼神がお出でになる」
異界の神様。鬼神。
多分、すごーく偉いんだろうけど、想像がつかない。
りーはひたすら頭下げて黙ってろ、とカイトは言った。
唐突に風が吹いた。
人の世は真冬だが、異界は季節がないのか適温だった。そこにぬるい風が吹いた。
カイトが笠を取って平伏した。
私も慌てて隣で同じようにする。
岩の上に、何者かの濃厚な気配を感じた。
何者か、カイトによれば鬼神は、私のわからない言葉を紡いだ。低い重たい声だった。
カイトは流暢にそれに答えている。
私はそれを聞きながら、あの夢を思い出していた。
――鬼神の姫が、私の左手首を傷付けていたときの言葉だ。
イントネーションが似ている。
あの時は私を貶める言葉が投げかけられていた。
そうとは思わず、私は優しくされていたと思い込んでいた。どす黒い悪意だった。
知らないというのは、情けない。
しばらく鬼神とカイトがやり取りを続けた。
鬼神がしばらく沈黙を守り、言葉を紡いだ。
「言語はこれか」
「……左様でございます」
「娘、面をあげよ」
カイトが息を飲んでいる。
鬼神が人に合わせて言葉を選ぶどころか、声をかけるとは思っていなかったようだ。
目を合わせるな、とだけ小声で囁かれた。
私は頭を上げて降臨の岩棚だけを見るようにした。
岩棚の上がほのかに光っている気がする。草履ばきの2本の足が見えた。
それより上は見ない方がいい。たぶん。
「名は」
「佐伯、莉々香です」
「ふむ。
大義であった」
カイトが私の袖を引いたので、もう一回頭を下げた。たぶん、そういう儀礼的なものなんだろう。
上手くいった? よくわかんないけど、なんとかなったの?
そう横目でカイトに聞こうとした時だ。
頭を下げてるその真ん前に、女物の派手な下駄が私の前に現れた。絢爛豪華な着物の裾も見て取れる。
……これ、もしかして……。
「……妾の邪魔をする小娘が、ようのこのこ現れたものじゃの」
鬼神の姫様の登場だった。
鬼神の姫様、キター!




