りーが好きだ
落ち着いてお話し合いをしましょう。
川沿いをずっと移動して、大きな木のある所へ辿り着いた。
根が地面にまでせり上げているような大きな木だ。ある程度死角のない場所なのだそうだ。
その根本に二人で腰を下ろした。
カイトは濃いグレーの着物に草履という姿だ。黒い長い髪はいつものように後ろに束ねている。見慣れない格好だが、恐ろしく似合っていた。
「……なんで逃げたのよ」
私の言葉に、カイトは決まりが悪そうに横を向いた。
「……居たたまれなかった」
「そりゃそうだ。急すぎんのよ、あんた」
「とにかく頭冷やすつもりで橋場に来てみたら、狙ったかのように鬼神の姫がやって来た。
それで繋がったんだ。一連の騒動は鬼神の姫の仕業だと」
「そっか」
「捕まったら、最後だ。一生飼い殺されるだろう。
それから本気で逃げ続けている」
私はじとっと、カイトをねめつけた。
「私たちに連絡取れなかったの? みんなすっごい心配してんだからね」
「異界と人の世の境に、姫の目がついている。俺が出入りすればすぐにバレる」
「何それ」
「以前、『キツネの目』の事件があっただろう。対象に目を付けて追うことができる代物。
あれはもともと異界の道具だ。キツネが人の世でアレンジしたんだ」
「『キツネの目』って、キツネのこと操ったやつだよね!」
「姫の目は異界の出入口についている。何かを操るようなことはないが、性能としては防犯カメラより優秀だ」
だから俺が異界に入ったことがすぐバレた。
と、カイトがげんなりして言った。
カイトは鬼神の姫のことが苦手そうだった。
「カイトは依然から姫に好かれてたの?」
「好かれていた、とは違うな。姫が川に目をやった時に、俺が舟を漕いでいる姿がなければいけないと物足りない。その程度のことだ」
「……その程度のことで、しょーちゃんを襲ったり、私の命を狙ったりするの?」
「異界の住人に理はほぼ通用しない。特に、姫は」
……そんな相手から、どうやってカイトを取り戻すのよ。
カイトは片膝に肘をつけて頬杖をついている。白皙の頬に憂いが漂っていた。着物姿だと、やたらと無駄に色っぽい。
カイトは否定したけど、異界の姫様はこの姿にやられちゃったのかもなあ。性格には難がありまくりだけど、見かけだけなら非の打ち所がない。それがカイトだ。
「なりふり構わず人の世に戻ってくれば、なんとかなったんじゃないの? 人の世にはキツネ、みんながいるしさ」
「鬼神の力は恐ろしい。キツネ総出でも策を練らなければ、交渉すら難しいだろう。
……しかも、鬼神の姫が今執拗に狙ってるのが、俺が惚れた女なもんで」
「うっ」
「俺が人の世に戻れば、恐らく目をつけているりーを狙う。それこそすぐに命を狙いにくる可能性がある。
そんな危険な目に晒すわけにはいかないし」
……こっちも見ずにさらっと「惚れた女」とか言うな!
私としては、なかったことにしようと、必死で努力してるとこなんだからね! こいつ、人の努力を遠慮なく叩き潰しにくる気かよ!
……平静を保て。無になるのよ、りーり。
カイトの言葉に踊らされるな。
「た、例えば、今の橋場守してるキツネを頼るとかは」
「橋場守の仕事中は、必ず異界の目付けが付くんだが」
「こっそり手紙渡してもらうとかさっ」
「タイミング悪く、今の橋場守はど新人だ。異界の目付けの前で堂々裏工作は無理だろうな」
「テレパシーとかないの? キツネテレパシー!」
「あるか、そんなもん」
「カイト、大体のことできんじゃん。試してみたら鯨井のじーさんとかに繋がるかもよ?」
「……よりによって、鯨井か? できたとしても積極的に気分としてやりたくないな」
カイトが目を半目にして遠くを見た。限りなく嫌そうだった。
なんだよ。八方塞がりじゃん。
カイトがふいに私の顔をぐいっと掴んできた。
ちょっ、痛いんだけど!
私、魂だけのくせに、この辺リアルじゃない?
「痛いよ、カイトっ」
「へえ。夢じゃない」
「夢か現実か計るなら自分のほっぺ使いなさい、私を使わないのっ。
なんなの、突然!」
「この反応は、本当にりーだな。魂だけでも、りーはりーだ」
「カイト、変だよ。そういう事言わないやつだったよね?」
「来るはずのないりーが来て、俺はおかしくなっている。
もう会えない……会えたとしてもりーとは壁ができると思っていたから」
「今現在も、壁はきっちりあるんですけどね!
カイト、あんた……私が誰を好きなのか、さっきちゃんとお話したよね?」
「だから?」
「だから、じゃないでしょう! 私はしょーちゃんのものなの! その手、離して」
「やだね」
甘やかな声でわがまま小僧のような受け答えをする。
カイトってこういう奴だっけ?
カイトは掴んでいた私の頬を大きな手で包んだ。目の前に甘さ全開の美貌が迫る。ひいいい。
「獣はさ、本能に忠実だ。己の欲望を優先する」
「け、けものって……」
「りーのことは潔く諦めようと思っていた。
が、今やめた」
「はあ?」
「やはり本物が近くにいると違うな。簡単に理性を破壊してくる。
俺は本能に従う」
「ちょっと待って」
「りーが好きだ」
カイトが私に顔を近づけてきた。
明らかにキス目的な近づき方をする綺麗な顔を、私は渾身の力で押し返した。やめんかいっ。
「そ、それ以上したら、カイトのこと今度こそ嫌いになるからねっ」
「……ほう」
「カイトは知らないことだけど、私としょーちゃんは付き合ってるから!
お互いすっごく好きって、確認したばっかりなんだからね!
邪魔しないで、悪キツネ!」
「……」
「でもって、この手離しなさいよ、バカ力っ」
「……それは初耳だ」
カイトの静かな声がした。
私の頬から手がすっと離れていった。
……もしかして、ショックだった?
恐る恐るカイトを見ると、カイトは物凄く楽しそうに笑っていた。
心の底から楽しそうだ。目がきらきらしている。楽しい遊びを見つけた子供みたいな笑い方だった。
さすがの私もポカンとした。
どういうことか、訳がわからない。
なんでそこで、笑うの? 笑うポイント、あった?
カイトは喜色に溢れた美貌を私に向けた。
「……しょーちゃんはあまりにも幼くてオクテで、心配はしてたんだ。あの見かけだから、こちらも子供扱いし過ぎたかもな」
「それは、そうかも」
「まさか選んだ相手がりーだとは思わなかった」
「……私の猛烈なアプローチあってのことですよ」
「だろうな。りーってそういう奴だよな。
はは、面白くなってきた」
カイトが私を抱き寄せた。
近いっ! 前から思ってたけど、キツネの距離感て近すぎなのよ!
突っぱねてるけど、カイトのバカ力はしょーちゃんのお墨付き。
この、キツネ。やめろってば!
「何が面白いっての!」
「自分の主から女を奪うスリル。
しょーちゃんに向いているりーの心を、俺に向かせるんだろ。たまんねえな。
こんな試みは、八百年生きてきて初めてだ」
「!!!
できるわけないと、思わないのっ?」
「やって見なきゃわからんだろう。
獣は己の本能に忠実だって言っただろうが。欲しいものは手に入れる」
「この………………キツネっ!」
「その通り、俺はキツネだ。
よし、さっさと人の世に戻ろう。算段はつけてある」
「ちょっと、カイト……!」
カイトの腕にぐっと力が入るのがわかった。
有無を言わさずキスしてきた。
カイトの唇が私の唇を挟み込む。私の口の中にカイトが侵入してくる。絡め取られる。こんな荒々しいキス、したことない。
カイトは執拗に何度もキスして、音を立てて唇を離した。秀麗な甘い顔が私に微笑みかけている。
カイトの荒っぽいキスに、私は抵抗もできずなすがままだった。
……今、なんだか、局地的に嵐みたいのが通り過ぎたみたいだ。唇が熱い。
見上げると、生き生きとしたした目のカイトは、惚れ惚れするほど男前だった。
こんな時だけど、なんなのよ、この綺麗な顔っ。
反則だよ。その顔は存在自体が反則なんだよっ!
そして私は隙だらけ。またしても私、隙だらけっ。
なんでまた唇奪われてんのよっ。
……でもって、そんなに嫌じゃなかった、とか。
ないから! そんなことないよ! 否定しかしないよ!
今のカイトは、ひじょーーーーに危険だから、常に警戒しなさい、りーり!
今度キスしたら店のグラス全部叩き割るぞ、と宣言して、私はカイトをいったん黙らせた。物凄く嫌そうな顔でカイトに見られた。
途端にいつものカイトになって、私は正直ホッとした。
さっきのカイト、異界の別カイトじゃない?
私、カイト釣り間違えてないかな?
カイトが腹括っちまった!




