カイト、みっけ!
カイトを釣るぜ!
釣りの極意!
釣れる場所を見極めること。
獲物の習性を押さえておくこと。
食いつくまで辛抱強く待つこと。
ヤタさんにそう言い渡されたのだが、はあとしか言えない。
いや、獲物はカイトであって、魚じゃないんだよね?
しかもエサとしての私は、そんなに魅力があるかってーと、ただの喧嘩仲間で。普段からお互いに罵詈雑言の語彙力を高めあっていただけで、獲物が食いつくかっていうと甚だ疑問なわけで。
あ、キスはされたけど。むにゃむにゃ。
しょーちゃんが危険はないのか、ヤタさんに何度も念押しをしていた。
ヤタさんいわく、鬼神の姫君は実体への攻撃はものすごく強いけど、魂への干渉はできない、とのこと。
つまり私に与えられたミッションは、私の魂だけを異界へ飛ばしてカイトを釣って帰ってくる、ということだった。
いや、できる気がしないんですが。
前例もないんだよね?
やるしかないんだけどさ。
ヤタさんは魂を分離させることに関しては、他のキツネの追随を許さない腕前なのだそうな。なんでそんな事できるのか聞いたら、そこはいろいろとアレなのよ、という答えだった。
そこは話せない領域らしい。
寒さ対策をバッチリして来て、というのでヒートテック重ね着にダウンとマフラーと手袋にブーツで参戦した。待ち合わせたしょーちゃんも似たような格好である。背は高くなったのに童顔なままだから、印象は可愛い。着膨れしょーちゃんである。
しょーちゃんは会って早々に、貼るホッカイロをくれた。しょーちゃんてホント、時々女子力が高い。なんて細やかな気の使い方。
ヤタさんの車で移動して、すぐに目的地についた。そこは、今ではメインで使われていない異界の入口、なんだそうだ。
目的地、と言っても畑の真ん中に倉庫があるだけ。倉庫の脇に農道が真っ直ぐ走っている。
ここがポイント、っていうことなんだけど。
車から下りて農道の真ん中に立った。
冬晴れの雲ひとつない天気だ。真っ青な空とキンと冷えた空気。
そして真っ直ぐ伸びた道の向こうに、真っ白な富士山が見えた。
川越から見える富士山は、距離があるから大きくはないが、綺麗な山の稜線がハッキリと見える。周りの山並みに比べてあからさまに大きな山は、だれがどう見ても富士山の形をしていた。こんなに綺麗に富士山が見えるのか。
「富士山、きれー!」
「そう? 富士山なんてこんなもんじゃない?」
「だって、建物の影から一部だけ見えるとか、展望デッキ登らないと見えないとか、そういうんじゃないじゃないですかー。
いつでもこんなに綺麗な富士山見れるなんて、贅沢!」
「よく見えるのは寒い冬の日がほとんどだけどね」
しょーちゃんがくすくす笑っている。
川越じゃ当たり前の光景にはしゃぐ私が面白いらしい。
贅沢者だな、川越人は。
凄く綺麗な富士山なのにな。ずっと見てられるのに。
当たり前の光景を、もっと自慢してもいいんだよ?
ヤタさんが倉庫脇の駐車場のブロックに私としょーちゃんを座らせた。
魂が抜けると体が倒れ込んじゃうから、しょーちゃんが支えてくれるのだ。彼氏がその役でよかった。ホクホク。
ヤタさんが、せっかくだから富士山を目に焼き付けて目を閉じてと言った。
言われた通り、真っ白な富士山を目に焼き付ける。
青い空に綺麗な稜線を描く白い富士。
ヤタさんの手がゆっくり背中をなでてくれている。
白い富士山を思い描いて、ヤタさんのゆったりとした手を感じている。
厚着してきたおかげで、寒さはそこまで感じない。
ほんの少し眠い気がして体が斜めに傾いだが、支えてくれる腕があった。
しょーちゃんだ。
私は安心して体を預けた。
目の前の富士山の色が変わったら、目を開けて。
ヤタさんの声が聞こえた気がした――
――赤い富士山が見える。
葛飾北斎の浮世絵よりも濃い赤だ。
少し、禍々しい感じがする。
私はゆっくり目を開いた。
そこは川辺で、葦がたくさん生えていた。
川は随分広い。対岸が見えない。
それでも海ではなくて川だと思った。
辺りを見渡すと、背後は土手のように小高くなっていて、左右にずっと真っ直ぐ続いているようだった。右手奥はさらに丘のようになっていた。
草だらけの土手を登ってみた。
土手の向こうはずっと草地が続いていて、時々木が生えていた。その果ては見えなかった。
左手は川の流れのせいか、くねっと曲がっていた。たっぷりの水を湛えた川が続いている。右手のずっと向こうに、舟を停めておく杭があって、板を繋いで舟に乗れるようにしてあった。そこだけが人工物でできているようだった。
――ここが、異界。橋場か。
改めて見渡すと、人の世のものとは色が少し違う気がした。草の形もそう。時おり聞こえる鳥の鳴き声もそう。
見た事も聞いた事もないもので溢れていた。
私は納得した。
私は人の世でいくつも綻びを見つけてきたのだ。綻びの中身は異界だった。ここは見た事のある違和感で溢れている世界だった。
これが、人の世と同じわけは無い。
……そうだ。カイト。
カイトを探しに来たんだった。
私は辺りを見渡してカイトを探してみた。カイトどころか、人っ子一人いない。時折鳥が飛んでいくくらいである。
これは本当に、釣ってみる、しかないのか?
こんな広いところで、狙った獲物が釣れるのか?
ヤタさんが伝授してくれた釣りの極意を思い出してみた。
なんだっけ?
釣れる場所見極めて、釣る奴の習性を思いながら、釣れるまで待つんだっけ。
……なんだそれ。わっかんねえな。
釣れる場所って言っても、そもそも釣りしたことないし。釣るのカイトだし。
釣る対象の習性を掴むったって、対象の習性知らないし。釣るのカイトだし。
釣れるまで待つ、とういのが一番難しいやつだ。私に待てを強要するのか。しかも待つ相手はカイトかよ。
なんだか色々考えるのが鬱陶しくなってきた。
手っ取り早いのが、いちばん良くない?
カイトを捕まえればいいんだから。
私は土手の上で、大きく息を吸った。
空は広く、川も広い。どこまで届くかわかんないけど。
とにかく、川に向かって叫び出してみた。
「カイトーーーーーーーーっ!!!」
「カイト、どこだーーーーーーーっ!!!」
「カイトーーーーーーーーっ!!!」
「カイトの、ばーーーーーーーーか……」
怒鳴り散らしていたら背後から口を塞がれ、強引に薮に引きずり込まれた。おおっ。
私の口を塞ぐ大きな手を辿ってみれば、焦った顔した壮絶な美形がそこにいた。
カイトだ。
見慣れない着物姿で、私を押さえつけていた。
私はカイトの手から顔を引きずり出して、にぱっと笑った。
「……カイト、みっけ」
「何やってんだ、お前はっ!」
「何って。カイト探しに来た」
「それにしたって、やり方があるだろうが!」
「でも、一発で見つかったじゃん」
カイトが嫌そうな顔で私を見た。
それがすごくいつも通りで、笑えてくる。
カイトって、いっつもこういう顔で私のこと見てるよね。心底嫌なんだけどしょうがない、って分かりやすい顔。
「カイト、その顔」
「あ?」
「嫌なこと隠そうとしない本音ダダ漏れの顔」
「お前な……」
「その顔で私に発情とか、ないわ」
「……」
「ヤタさんに、妖狐のイロイロ聞いたよ?」
「……あれは、悪かったとは思っている」
カイトがバツの悪そうな顔して目をそらせた。
反省はしてるらしい。
私を押さえていた手もすっと引いた。
「……もうコントロールできている。あの時は唐突だった」
「唐突っていっても、いきなりキスとかする?
しかもなんで私なんだか、よくわかんないけど」
「知らんでいい」
「カイトはそれでいいのね」
「ああ」
カイトがふと優しい目をした。
時々だけど、カイトはそんな目でも私を見ていた。
途端に私の中の女子が蠢こうとする。
ざわざわした感覚を私は必死に抑え込んだ。
ダメダメ! 美形のその目は反則だから!
優しいカイトなんて、幻でしかないから!
カイトは優しい目をしたまま、少し寂しげに微笑んだ。
「りーの心がどこを向いているのかなんて、俺はとっくに知っているから」
………………ああ。
そうだね。
私はカイトのすぐ側で、ずっとしょーちゃんを見続けてきたもんね。
カイトはそんな私を、ずっと見てきたんだもんね。
ブレない私を見続けてきたのは、カイトだけなんだよね。
「……私は、しょーちゃんが好き」
「ああ」
「ずっと好きだった。これからもずっと好き。
だから、カイトは私のこと応援してよ」
「りーを応援、か……」
カイトは素晴らしく華やかな顔で私を振り返った。
芸術作品のような美しい顔が、にこやかに私を見つめてきている。そのまま額縁に入れて美術館で展示できそうだ。
眩しいくらいの美貌の彼は、心の籠った声で私に答えた。
「応援なんぞ、誰がするか、阿呆」
川越から見る冬の富士山、本当に綺麗です。
富士山のない他県民からしたら、あれが毎日見れるなんて贅沢の極みです。
川越人たちは……ものすごくドライに「富士山だねー」と言ってます。ギャップ!




